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17、挽回したい
厳戒態勢
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総督別邸は最高レベルの厳戒態勢が敷かれていた。――他ならぬ、邸の持ち主である恭親王を対象に。
あの例の一件から一月足らず、何度か訪問はしているのだが、姫君の周囲にはアンジェリカとリリアがべったりと貼りつき、背後には凛々しい戦女神のようなアリナが仁王立ちして、一分の隙も見せない構えであった。唯一の味方であるゾーイが気の毒そうな目で恭親王を見ているのが、却って痛々しい。
「久しぶりだが、変わりはないか?」
こんな当たり障りのない質問にも、
「はい、殿下がいらっしゃらない間は平穏です」
なんて、アンジェリカからの光の速さで嫌味攻撃が返ってくるくらい、いまや別邸は恭親王にとって敵陣に等しかった。
もっとも、姫君自身はもともとゾラが「頭が足りない」と評しただけあって、あまり深く物事を考えない性格の故か、あるいはあまりに強烈な刺激に途中で失神してしまったためなのか、多少、怯えの色は滲ませるものの、露骨に恭親王を避けたりしないのだけが救いである。
「誕生日と聞いて、贈りものを持ってきたのだが……」
「殿下には、十分にしていただいております。これ以上のお気遣いは心苦しいです。それより、エールライヒに餌をやってもいいですか?」
いずれにせよ、アデライードの瞳はエールライヒに釘付けだ。ついつい、肩に止まる愛鷹に嫉妬の眼差しを送ってしまう。エールライヒが嬉しそうに羽ばたくのも、なんかムカツク。
「では、四阿で餌をやって、その後で贈りものを……」
「お待ちください。贈りものは今ここで。高価な物を野外で開いて、紛失しては大変です」
間髪入れずに咎めるメイローズの紺碧の瞳が、「おかしなものを贈るわけじゃあないですよね」と言っている。どんだけ信用ないんだ。
別におかしなものではないので、恭親王はゾラに命じて箱を持って来させ、その場に並べさせる。
いつものようにソリスティアで流行っている菓子と、今後、寒くなることを見越して毛織のショールをいくつか、帝都から取り寄せた東方の菓子、扇子、螺鈿の小箱等。その小箱の一つから、まず黄金の鷹のブローチを取り出した。
鷹の意匠に、アデライードの翡翠色の瞳が輝く。
「嬉しい! エールライヒみたい!」
さすが、セルフィーノの選択眼は確かであった。早速、胸元に飾ってやるとにっこりと微笑む。そう言えば、今日の衣裳はいつもと違う。
普段は巻き付けてピンで留め、襞を寄せて腰帯を締める形式の、伝統的な長衣を着ているのに、今日は長袖に胸元と袖口、裾周りに銀糸刺繍の縁飾りをあしらった貫頭衣のような長衣を着ている。そのことを指摘すると、リリアがにっこり笑って、最近の流行だと言った。特に王都ナキアの方からの流行だという。
「最近、こちらも涼しくなりましたし、この方が暖かく、動きやすいので、ナキアの方ではこちらが主流になりつつあるそうですよ」
しかし、恭親王はその最新流行の長衣からは、「脱がせにくいように」という明確な悪意、もとい意図しか感じない。ごてごてした縁飾りも仰々しく、襟ぐりも詰まっていて、鎖骨が見えるかどうかだ。この最新流行の長衣とやらは、ソリスティア総督たる彼に明らかに喧嘩を売っている。いや、喧嘩を売っているのは、長衣ではなく、着せた侍女たちなのだが。
(やはり人は伝統に回帰するべきだ。目新しいものに飛びつく姿勢は好ましくない。何より圧倒的に色気が足りない。結婚後は伝統的な長衣だけにさせよう)
密かにそんな決意を固めながら、恭親王は選んだ翡翠のアンクレットを取り出した。
「ブレスレットですの?」
無邪気に尋ねるリリアに首を振って、恭親王はアデライードの座るソファの前に跪くと、いきなり長衣の裾を捲り上げた。
瞬間、居間にものすごい緊張が走る。アンジェリカとリリアはアデライードの足元に飛びつこうと身構え、アリナに至っては胸元に隠した短剣に手を伸ばしている。
(いくら何でも、それを殿下にぬいちゃだめー!)
ゾラが真っ青になっているのをしり目に、恭親王は衆目の監視する中で、アデライードの華奢な足首を持ち上げ、するりと革のサンダルを脱がせると、そっと足の甲に口づけた。
「殿下っ! 人前でなんてことを!」
耐えきれずに真っ赤な顔でアンジェリカが叫べば、しれっと答える。
「だって、二人きりにさせてくれないじゃないか」
「前科があるんだから、当たり前でしょう!」
「いくら私でも、人前ではこれくらいしかしないよ」
見回せば、リリアは沸騰しそうな顔で俯き、アリナは短剣の柄を握りしめていつでも抜ける体勢を整え、ゾーイは掌で顔を覆って天を仰ぎ、メイローズは額に青筋を立ててなお、唇には引き攣った笑みを浮かべている。
唯一、当事者のアデライードだけが、困ったような表情でその接吻を受け入れている。
あの例の一件から一月足らず、何度か訪問はしているのだが、姫君の周囲にはアンジェリカとリリアがべったりと貼りつき、背後には凛々しい戦女神のようなアリナが仁王立ちして、一分の隙も見せない構えであった。唯一の味方であるゾーイが気の毒そうな目で恭親王を見ているのが、却って痛々しい。
「久しぶりだが、変わりはないか?」
こんな当たり障りのない質問にも、
「はい、殿下がいらっしゃらない間は平穏です」
なんて、アンジェリカからの光の速さで嫌味攻撃が返ってくるくらい、いまや別邸は恭親王にとって敵陣に等しかった。
もっとも、姫君自身はもともとゾラが「頭が足りない」と評しただけあって、あまり深く物事を考えない性格の故か、あるいはあまりに強烈な刺激に途中で失神してしまったためなのか、多少、怯えの色は滲ませるものの、露骨に恭親王を避けたりしないのだけが救いである。
「誕生日と聞いて、贈りものを持ってきたのだが……」
「殿下には、十分にしていただいております。これ以上のお気遣いは心苦しいです。それより、エールライヒに餌をやってもいいですか?」
いずれにせよ、アデライードの瞳はエールライヒに釘付けだ。ついつい、肩に止まる愛鷹に嫉妬の眼差しを送ってしまう。エールライヒが嬉しそうに羽ばたくのも、なんかムカツク。
「では、四阿で餌をやって、その後で贈りものを……」
「お待ちください。贈りものは今ここで。高価な物を野外で開いて、紛失しては大変です」
間髪入れずに咎めるメイローズの紺碧の瞳が、「おかしなものを贈るわけじゃあないですよね」と言っている。どんだけ信用ないんだ。
別におかしなものではないので、恭親王はゾラに命じて箱を持って来させ、その場に並べさせる。
いつものようにソリスティアで流行っている菓子と、今後、寒くなることを見越して毛織のショールをいくつか、帝都から取り寄せた東方の菓子、扇子、螺鈿の小箱等。その小箱の一つから、まず黄金の鷹のブローチを取り出した。
鷹の意匠に、アデライードの翡翠色の瞳が輝く。
「嬉しい! エールライヒみたい!」
さすが、セルフィーノの選択眼は確かであった。早速、胸元に飾ってやるとにっこりと微笑む。そう言えば、今日の衣裳はいつもと違う。
普段は巻き付けてピンで留め、襞を寄せて腰帯を締める形式の、伝統的な長衣を着ているのに、今日は長袖に胸元と袖口、裾周りに銀糸刺繍の縁飾りをあしらった貫頭衣のような長衣を着ている。そのことを指摘すると、リリアがにっこり笑って、最近の流行だと言った。特に王都ナキアの方からの流行だという。
「最近、こちらも涼しくなりましたし、この方が暖かく、動きやすいので、ナキアの方ではこちらが主流になりつつあるそうですよ」
しかし、恭親王はその最新流行の長衣からは、「脱がせにくいように」という明確な悪意、もとい意図しか感じない。ごてごてした縁飾りも仰々しく、襟ぐりも詰まっていて、鎖骨が見えるかどうかだ。この最新流行の長衣とやらは、ソリスティア総督たる彼に明らかに喧嘩を売っている。いや、喧嘩を売っているのは、長衣ではなく、着せた侍女たちなのだが。
(やはり人は伝統に回帰するべきだ。目新しいものに飛びつく姿勢は好ましくない。何より圧倒的に色気が足りない。結婚後は伝統的な長衣だけにさせよう)
密かにそんな決意を固めながら、恭親王は選んだ翡翠のアンクレットを取り出した。
「ブレスレットですの?」
無邪気に尋ねるリリアに首を振って、恭親王はアデライードの座るソファの前に跪くと、いきなり長衣の裾を捲り上げた。
瞬間、居間にものすごい緊張が走る。アンジェリカとリリアはアデライードの足元に飛びつこうと身構え、アリナに至っては胸元に隠した短剣に手を伸ばしている。
(いくら何でも、それを殿下にぬいちゃだめー!)
ゾラが真っ青になっているのをしり目に、恭親王は衆目の監視する中で、アデライードの華奢な足首を持ち上げ、するりと革のサンダルを脱がせると、そっと足の甲に口づけた。
「殿下っ! 人前でなんてことを!」
耐えきれずに真っ赤な顔でアンジェリカが叫べば、しれっと答える。
「だって、二人きりにさせてくれないじゃないか」
「前科があるんだから、当たり前でしょう!」
「いくら私でも、人前ではこれくらいしかしないよ」
見回せば、リリアは沸騰しそうな顔で俯き、アリナは短剣の柄を握りしめていつでも抜ける体勢を整え、ゾーイは掌で顔を覆って天を仰ぎ、メイローズは額に青筋を立ててなお、唇には引き攣った笑みを浮かべている。
唯一、当事者のアデライードだけが、困ったような表情でその接吻を受け入れている。
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