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18、婚礼間近
撃沈
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その落ち着かない宿の部屋でしばらくアデライードを休ませ、恭親王が夕焼け色に染まった窓の外を覗いて、どうやって帰るか思案していると、ふぁさり、と背後に気配がして黒い影が下りた。
「カイトか――」
「は。ようやく全ての刺客を確保しました。外は安全です」
「そうか、ご苦労だった。他の者も無事か?」
「はい。みな、別邸で殿下と姫君のお帰りをお待ちしております」
「ここにいることは?」
「すでに知らせました」
恭親王は眉を上げた。行きがかりとはいえ、連れ込み宿に二人でいるなんて聞いたら、またぞろ大騒ぎだろうなと、考えるだけで頭が痛くなる。
「何もしていないことは、お前がちゃんと証言しろよ」
「何もなさらなくても、こんな場所にお連れしただけで、大問題です」
「しょうがないだろう。追っ手が迫っていて、アデライードは限界だったのだから」
振り返れば、寝台の上のアデライードは、規則正しい寝息を立てている。
両隣の喧しい客たちは引き上げ、ベッドメイキングが入っていたから、あまり長居すると次の客がやってきておっぱじめかねない。起こすのは可哀想だが、早めに退散する方がいいだろう。
「わかった。近くまで馬車を回しておけ」
カイトに命じて、恭親王は寝台に近づいた。
別邸に帰りついた恭親王を待っていたのは、メイローズからの、二週間のお出入り禁止命令だった。
ヤるヤらないでなく、いかがわしい宿に姫君を連れ込んだ時点でメイローズの限界点を突破したらしい。
「無事に怪我無く帰ってきたんだから、いいじゃないか。社会勉強にもなったし」
ぶつぶつ言う恭親王に、メイローズが目を三角に釣り上げて言った。
「どんな勉強をなさってきたのか、聞かせていただけますか?」
「たとえば〈狂王〉とアデライード姫ごっことか」
「何ですかそれは!」
「流行ってるみたいだぞ。ものすごく盛り上がっていた。私は聞いた瞬間に萎えたけどな」
うんざりしたように言う恭親王に、メイローズがさらに切れた。
「そんなものを姫様のお耳に入れたのですかっ! あなたと言う人はっ!」
「大丈夫、全然、意味わかってなかったから」
「そういう問題では、ありません!」
メイローズに散々説教され、やっと解放されて首をコキコキまわしながら歩いてきた恭親王に、ゾラが尋ねた。
「ねえ、殿下? 殿下ってあーゆー場末の宿じゃぜったいヤらねぇって言ってたのに、よく連れ込み宿の使い方とか、知ってたっすね」
「ヤらないけど、帝都で何度か行ったことあるから。だいたい同じような感じだった」
「何しに行ったんスか?」
「罰ゲームで」
帝都で遊び歩いていた十代のころ、廉郡王と詒郡王との賭け骨牌の罰ゲーム。ナンパして女を連れ込み宿に誘い、二時間以上粘った挙句、ヤらないで帰ってくる。
「女に、『役立たず』って罵られるまでが様式美」
「そんなくだらないことやってたんすか!」
「罰ゲームってのは、そういうもんだろう」
そんな話をしながら、別邸の船着き場に向かう恭親王は、後ろから廊下を走ってくる足音に振り向いた。
見ると、アデライードが長衣の裾を翻して恭親王を追いかけてくるのだ。
「アデライード?」
「あのっあのっ」
恭親王の肩でエールライヒがバサリと羽ばたく。
「ああ、今日は餌をやる時間がなかったな。済まない」
「いえ、そうではなくて……その、お礼を、言おうと思って……」
「お礼?」
恭親王が首を傾げると、アデライードがはにかんだように言った。
「あの、今日は外に連れて行ってくださってありがとうございます。それから、守ってくださってありがとうございます……」
それだけ言って、恥ずかしそうに俯く姿に―――恭親王、撃沈。
その後、船の中で枕を抱えてぼうっとしている恭親王を見て、ゾラは同行の近衛に一言漏らした。
「イフリートの〈黒影〉のやつら、馬鹿だよな。今の腑抜けんなった殿下狙えば、いちころなのに」
それにしても。
恭親王は〈アデライード姫より美しい〉らしいロザリンドの行く末を心配して、彼らが宿を出るときにそっと窓から覗いてみた。
――あれのどこが、アデライードより美しいだ!ふざけるな!
恭親王は、〈聖婚〉の二人の、正しい肖像画を普及させるべきだと、強く心に誓った。
「カイトか――」
「は。ようやく全ての刺客を確保しました。外は安全です」
「そうか、ご苦労だった。他の者も無事か?」
「はい。みな、別邸で殿下と姫君のお帰りをお待ちしております」
「ここにいることは?」
「すでに知らせました」
恭親王は眉を上げた。行きがかりとはいえ、連れ込み宿に二人でいるなんて聞いたら、またぞろ大騒ぎだろうなと、考えるだけで頭が痛くなる。
「何もしていないことは、お前がちゃんと証言しろよ」
「何もなさらなくても、こんな場所にお連れしただけで、大問題です」
「しょうがないだろう。追っ手が迫っていて、アデライードは限界だったのだから」
振り返れば、寝台の上のアデライードは、規則正しい寝息を立てている。
両隣の喧しい客たちは引き上げ、ベッドメイキングが入っていたから、あまり長居すると次の客がやってきておっぱじめかねない。起こすのは可哀想だが、早めに退散する方がいいだろう。
「わかった。近くまで馬車を回しておけ」
カイトに命じて、恭親王は寝台に近づいた。
別邸に帰りついた恭親王を待っていたのは、メイローズからの、二週間のお出入り禁止命令だった。
ヤるヤらないでなく、いかがわしい宿に姫君を連れ込んだ時点でメイローズの限界点を突破したらしい。
「無事に怪我無く帰ってきたんだから、いいじゃないか。社会勉強にもなったし」
ぶつぶつ言う恭親王に、メイローズが目を三角に釣り上げて言った。
「どんな勉強をなさってきたのか、聞かせていただけますか?」
「たとえば〈狂王〉とアデライード姫ごっことか」
「何ですかそれは!」
「流行ってるみたいだぞ。ものすごく盛り上がっていた。私は聞いた瞬間に萎えたけどな」
うんざりしたように言う恭親王に、メイローズがさらに切れた。
「そんなものを姫様のお耳に入れたのですかっ! あなたと言う人はっ!」
「大丈夫、全然、意味わかってなかったから」
「そういう問題では、ありません!」
メイローズに散々説教され、やっと解放されて首をコキコキまわしながら歩いてきた恭親王に、ゾラが尋ねた。
「ねえ、殿下? 殿下ってあーゆー場末の宿じゃぜったいヤらねぇって言ってたのに、よく連れ込み宿の使い方とか、知ってたっすね」
「ヤらないけど、帝都で何度か行ったことあるから。だいたい同じような感じだった」
「何しに行ったんスか?」
「罰ゲームで」
帝都で遊び歩いていた十代のころ、廉郡王と詒郡王との賭け骨牌の罰ゲーム。ナンパして女を連れ込み宿に誘い、二時間以上粘った挙句、ヤらないで帰ってくる。
「女に、『役立たず』って罵られるまでが様式美」
「そんなくだらないことやってたんすか!」
「罰ゲームってのは、そういうもんだろう」
そんな話をしながら、別邸の船着き場に向かう恭親王は、後ろから廊下を走ってくる足音に振り向いた。
見ると、アデライードが長衣の裾を翻して恭親王を追いかけてくるのだ。
「アデライード?」
「あのっあのっ」
恭親王の肩でエールライヒがバサリと羽ばたく。
「ああ、今日は餌をやる時間がなかったな。済まない」
「いえ、そうではなくて……その、お礼を、言おうと思って……」
「お礼?」
恭親王が首を傾げると、アデライードがはにかんだように言った。
「あの、今日は外に連れて行ってくださってありがとうございます。それから、守ってくださってありがとうございます……」
それだけ言って、恥ずかしそうに俯く姿に―――恭親王、撃沈。
その後、船の中で枕を抱えてぼうっとしている恭親王を見て、ゾラは同行の近衛に一言漏らした。
「イフリートの〈黒影〉のやつら、馬鹿だよな。今の腑抜けんなった殿下狙えば、いちころなのに」
それにしても。
恭親王は〈アデライード姫より美しい〉らしいロザリンドの行く末を心配して、彼らが宿を出るときにそっと窓から覗いてみた。
――あれのどこが、アデライードより美しいだ!ふざけるな!
恭親王は、〈聖婚〉の二人の、正しい肖像画を普及させるべきだと、強く心に誓った。
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