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番外編
トルフィンの結婚③
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ちょうど同じころ――。
恭親王の居室を挟んで、書斎の反対側になる、アデライードの居室、日当たりのいい窓辺で、アデライードはアリナとミハルと三人でお茶を飲んでいた。
先ほどまでアリナと棒術の稽古をしながら魔力循環の練習をしていたアデライードは、普段より少しばかり魔力が制御できているために気分がいい。身体を動かすのも楽しいし、お腹もすいてお菓子も美味しい。恭親王が何か話し合いだと言って書斎に籠っている間、エールライヒも貸してもらっていて、窓辺のヤドリギに止まって時折羽ばたくのを見るのも楽しい。恭親王はアデライードに、と白い綺麗な子猫まで用意してくれて、アデライードはご機嫌だ。余剰な魔力が澱んで頭痛さえ起きなければ、そしてそれを制御するという名目で、恭親王に過剰な密着を迫られなければ、総督府の生活は文句なかった。
(殿下のことは好きなんだけれど、ああまでくっつかれるとちょっと身動き取れないし、何より恥ずかしいし……)
どんなに好きでもやはり、たまには息抜きがしたい、とアデライードはひとりごち、アンジェリカの淹れたお茶を飲んだ。
一方、書斎の話し合いの行方が気になって、心ここにあらずなミハルは、膝の上で白い子猫のリンリンを撫でながら、ついつい溜息をついてしまう。
このリンリンは恭親王の命でトルフィンが調達してきた子猫だが、アデライードが到着するまではミハルが面倒を見ていたので、ミハルによく懐いている。
子猫の縁で、ミハルはアデライードのお茶によばれる仲になった。
当初、恭親王はミハルをアデライードに会わせるのを拒んだ。ミハルがアデライードを虐めるのではないかと、思ったからだ。確かにミハルは我儘公爵令嬢ではあるが、王族への礼法は心得ている。新年の宴に向け、東の国の貴族について、アデライードに予備知識を教授するのはミハルが一番の適役だ。アリナも公爵令嬢ではあるが、何しろ女騎士などしているだけあって、貴族女性としての常識とはかなり外れたところがあるからだ。
「ミハル殿は、何か心配ごとでもあるのですか?」
さっきから猫を撫でては溜息ばかりついているミハルを、アリナが気づかわし気に尋ねる。
およそ人の心情には全く無関心なアデライードが、驚いてミハルを見る。アデライードの背後で、アンジェリカが興味津々に聞き耳を立てている。ミハルは舌打ちしたいのを懸命に堪えた。
アンジェリカもリリアも、王族に仕える侍女としては全然失格だ。だがアデライード自身が全く気にしていないのに、ミハルが説教するわけにもいかない。
「……トルフィン兄様との結婚が認められるかどうか、現在、話合いの最中ですの」
仕方なくミハルが答えると、アリナが軽く目を見開いた。
「もともと許嫁だったのではないのですか?」
アリナの問いに、ミハルが項垂れた。
「そうなのですが……父が欲を出して婚約を解消すると言い出し、わたくしが家出までしたものですから、トルフィン兄様のおうちの方が、すっかり臍を曲げてしまったのですわ」
アデライードは首を傾げて考えている。アンジェリカは最近、アデライードの考えていることがかなりわかるようになってきていた。これはおそらく、トルフィンとゾラのどっちがどうだっけ、と考えているに違いない。
「若い二人のうちの、髪が長くて、言葉遣いが比較的マシな方がトルフィンさんですよ」
ぽそっとアンジェリカがアデライードに耳打ちする。ああっ、とアデライードが満面の笑みで頷いたところからみて、アンジェリカの予想は当たりであった。
ちなみにアデライードは、ゲル=優しそうなおじさま、エンロン=ちょっと厳しそうなおじさま、ゾーイ=大きい人、ランパ=ひょろ長い顔が半分見えない人、ゾラ=若くて髪の短い人、トルフィン=若くて髪が長めの人、と言う風に覚えているらしいが、どうしてもゾラとトルフィンの区別がつかないらしかった。
「アリナさんとゾーイさんは、結婚は反対されませんでしたの?」
いきなりミハルに話を振られて、アリナは飲みかけの紅茶を噴きそうになった。
「何ですか、突然。……わたしの家では、わたしが嫁に行くなんてことはほぼ、諦めていましたからね。ゾーイ卿がもらってくれると言った時は、万々歳ですよ」
「ゾーイ卿のおうち、マフ家の方は大丈夫でしたの?」
「それなりに縁談はあったようですが、あの人は殿下一筋でしたからね……わたしも初めて会った頃は、話す内容がすべて殿下のことばかりでしたから、てっきりそちらの筋の方なのかと……」
少し言葉を濁すアリナに、アデライードとミハルが同時に首を傾げる。
「そちらの筋ってどの筋のことですの?」
「えっその……そちらの筋と言いましたら、そちらの筋ですよ」
さすがにアリナは自身で口にできずに困っていると、ここでもアンジェリカがはっきり言った。
「えーっと、要するに男の方が好きだという類の人だということですよ」
普通、貴族の侍女はこんな風に会話に口を出したりするのは厳禁なのだが、もともと口のきけないアデライードの話し相手を兼ねて雇われているアンジェリカは基本、フリーダムである。
「えええっ!そ、それは……ないですよね?」
恭親王の居室を挟んで、書斎の反対側になる、アデライードの居室、日当たりのいい窓辺で、アデライードはアリナとミハルと三人でお茶を飲んでいた。
先ほどまでアリナと棒術の稽古をしながら魔力循環の練習をしていたアデライードは、普段より少しばかり魔力が制御できているために気分がいい。身体を動かすのも楽しいし、お腹もすいてお菓子も美味しい。恭親王が何か話し合いだと言って書斎に籠っている間、エールライヒも貸してもらっていて、窓辺のヤドリギに止まって時折羽ばたくのを見るのも楽しい。恭親王はアデライードに、と白い綺麗な子猫まで用意してくれて、アデライードはご機嫌だ。余剰な魔力が澱んで頭痛さえ起きなければ、そしてそれを制御するという名目で、恭親王に過剰な密着を迫られなければ、総督府の生活は文句なかった。
(殿下のことは好きなんだけれど、ああまでくっつかれるとちょっと身動き取れないし、何より恥ずかしいし……)
どんなに好きでもやはり、たまには息抜きがしたい、とアデライードはひとりごち、アンジェリカの淹れたお茶を飲んだ。
一方、書斎の話し合いの行方が気になって、心ここにあらずなミハルは、膝の上で白い子猫のリンリンを撫でながら、ついつい溜息をついてしまう。
このリンリンは恭親王の命でトルフィンが調達してきた子猫だが、アデライードが到着するまではミハルが面倒を見ていたので、ミハルによく懐いている。
子猫の縁で、ミハルはアデライードのお茶によばれる仲になった。
当初、恭親王はミハルをアデライードに会わせるのを拒んだ。ミハルがアデライードを虐めるのではないかと、思ったからだ。確かにミハルは我儘公爵令嬢ではあるが、王族への礼法は心得ている。新年の宴に向け、東の国の貴族について、アデライードに予備知識を教授するのはミハルが一番の適役だ。アリナも公爵令嬢ではあるが、何しろ女騎士などしているだけあって、貴族女性としての常識とはかなり外れたところがあるからだ。
「ミハル殿は、何か心配ごとでもあるのですか?」
さっきから猫を撫でては溜息ばかりついているミハルを、アリナが気づかわし気に尋ねる。
およそ人の心情には全く無関心なアデライードが、驚いてミハルを見る。アデライードの背後で、アンジェリカが興味津々に聞き耳を立てている。ミハルは舌打ちしたいのを懸命に堪えた。
アンジェリカもリリアも、王族に仕える侍女としては全然失格だ。だがアデライード自身が全く気にしていないのに、ミハルが説教するわけにもいかない。
「……トルフィン兄様との結婚が認められるかどうか、現在、話合いの最中ですの」
仕方なくミハルが答えると、アリナが軽く目を見開いた。
「もともと許嫁だったのではないのですか?」
アリナの問いに、ミハルが項垂れた。
「そうなのですが……父が欲を出して婚約を解消すると言い出し、わたくしが家出までしたものですから、トルフィン兄様のおうちの方が、すっかり臍を曲げてしまったのですわ」
アデライードは首を傾げて考えている。アンジェリカは最近、アデライードの考えていることがかなりわかるようになってきていた。これはおそらく、トルフィンとゾラのどっちがどうだっけ、と考えているに違いない。
「若い二人のうちの、髪が長くて、言葉遣いが比較的マシな方がトルフィンさんですよ」
ぽそっとアンジェリカがアデライードに耳打ちする。ああっ、とアデライードが満面の笑みで頷いたところからみて、アンジェリカの予想は当たりであった。
ちなみにアデライードは、ゲル=優しそうなおじさま、エンロン=ちょっと厳しそうなおじさま、ゾーイ=大きい人、ランパ=ひょろ長い顔が半分見えない人、ゾラ=若くて髪の短い人、トルフィン=若くて髪が長めの人、と言う風に覚えているらしいが、どうしてもゾラとトルフィンの区別がつかないらしかった。
「アリナさんとゾーイさんは、結婚は反対されませんでしたの?」
いきなりミハルに話を振られて、アリナは飲みかけの紅茶を噴きそうになった。
「何ですか、突然。……わたしの家では、わたしが嫁に行くなんてことはほぼ、諦めていましたからね。ゾーイ卿がもらってくれると言った時は、万々歳ですよ」
「ゾーイ卿のおうち、マフ家の方は大丈夫でしたの?」
「それなりに縁談はあったようですが、あの人は殿下一筋でしたからね……わたしも初めて会った頃は、話す内容がすべて殿下のことばかりでしたから、てっきりそちらの筋の方なのかと……」
少し言葉を濁すアリナに、アデライードとミハルが同時に首を傾げる。
「そちらの筋ってどの筋のことですの?」
「えっその……そちらの筋と言いましたら、そちらの筋ですよ」
さすがにアリナは自身で口にできずに困っていると、ここでもアンジェリカがはっきり言った。
「えーっと、要するに男の方が好きだという類の人だということですよ」
普通、貴族の侍女はこんな風に会話に口を出したりするのは厳禁なのだが、もともと口のきけないアデライードの話し相手を兼ねて雇われているアンジェリカは基本、フリーダムである。
「えええっ!そ、それは……ないですよね?」
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