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番外編
トルフィンの結婚④
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驚いてミハルがアリナに尋ねると、アリナが大きく頷いた。
「ええ。別に男が好きってわけではないみたいです。殿下が女だったら、間違いなく惚れたって言っていましたけれど。でもどこか、男っぽい女が好きだったのかもしれませんね。わたしみたいなのに興味を持つわけですから」
アリナの話によれば、アリナの父が将軍を務める州の騎士団にゾーイがやってきて、そこで男に交じって鍛錬していたアリナを見初めたということであった。
「最初は男だと思ったらしいのですよ。失礼な話ですけれど」
「……あーそれじゃあ、そちらの筋の人なのかと勘違いしてもしょうがありませんわね」
ミハルが納得する。
「お会いになったのは、おいくつの時ですの?」
「わたしが十五歳のときですから、もう六年も前ですね。時々稽古をつけてもらったりして、十六の時に婚約がなりました」
「……それは随分、待たされましたのね?」
五年前に婚約して、数か月前まで結婚が延び延びになっていたわけだ。
「……ちょうど殿下が以前のご結婚をなさって、周囲がごたごたしていたそうですの。その後、南方に戦争に行ったりもしましたし……でも、神殿で式を挙げたのはこの秋ですが、実は昨年の冬に、結婚はしていたのですよ。あちらのお義父様がおよろしくないということで、その機会を延ばすと三年の服喪期間に入ってしまいますからね。お義父様が生きておられるうちに、あちらの家に三日婦として入りましたから」
三日婦というのは、新婦が新郎の家で三日過ごして、三日目の朝に相手の親に挨拶することで成立する、略式の結婚方式である。正式な結婚をするには手順を踏む必要もあり、準備も大変だが、例えばどちらかの親が死んだりすると服喪期間が長くて、しばらく結婚できなくなってしまう。そうなると婚期を逸してしまうこともあり得るので、親が死ぬ前に略式で結婚だけはしてしまうのだ。一種、内縁の妻のような形になってしまうので、新婦側としてはあまり望まれない形式なのだが、アリナの家は気にしなかった。
「殿下の方には神殿で誓いの式を挙げてからご報告したいと彼は言っていて……それでこういう形になったのですよ」
アリナの話に、ミハルはそういう手もあったのかと、目から鱗であった。
「わたくしもダルバンダルで、式だけでも挙げてしまえばよかったわ……」
肩を落として項垂れるミハルを、アリナは慰める。
「貴族の結婚としては、きちんとした手順を踏んで嫁ぐのがいいに決まっています。トルフィン殿も今頃頑張ってくださっているでしょう。あなたが気をしっかり持たなくては」
家出をしている時点で、きちんとした手順もへったくれもないのだが、やはりアリナはどこか常識がぶっとんでいた。
「もし、覚悟があるのならば、いっそ、子を孕んでしまうという手もありますね」
しれっと言い切るアリナに対し、ミハルもアンジェリカも、少し離れてお茶を淹れていたリリアも、ぎょっとして凍り付いた。アデライードだけが、相変わらずニコニコとしている。
「赤ちゃん可愛いですよね!」
全く空気を読まないアデライードの発言も、アリナはにっこりと受流す。
「はい。いかなゲスト家とはいえ、孕ませてしまったご令嬢に責任をとらないわけにはいきませんからね。話し合いの結果に依っては、今夜からトルフィン殿の部屋に夜這いをかけるくらいの心意気で……」
「えええっ、そ、それはちょっと……。トルフィン兄様は口調はくだけていますけれど、けっこう固い考え方をしているのですから、そんな破廉恥なのは……」
アンジェリカもリリアも、あまりの展開に息を飲んでいる。
「大丈夫ですよ。案ずるより産むがやすしとも申します。わたしもやってみましたけれど、案外、男なんてものは、口では偉そうなことを言っておりますけれど、いざ、その時になったらあっさり前言など翻して圧し掛かってくるものですよ。ねえ、姫様」
うんうんとアデライードが頷くのに、ミハルは顔面蒼白になる。
「実はわたしも、あちらのお義父様と話はついておりましたのですが、三日婦という略式の結婚に、ゾーイ殿本人がなかなか首を縦にふらなくて……それで家人と示し合わせて、あの人のお部屋に乗り込んだのですよ」
これにはアンジェリカもリリアも吃驚だ。
「えええええっ! アリナさん、夜這いしかけたのっ? マジでっ! 男前すぎるでしょっ!」
「女といえども、やると決めたらやらなければ、機を逸してしまいます! あの機会を逃していたら、今頃はまだ結婚できないでいたかもしれません。しないでする後悔よりは、して後悔した方がいいに決まっています!」
拳を握りしめて傲然と胸を張るアリナは、まさしく勝利の女神そのままだ。
「そそそそんな、急に言われても、む、むむむ無理ですわ!」
従弟のランパが乗り移ったようなどもりを披露しながら、ミハルは真っ赤になって首を振った。
「心配無用ですよ。夫の話によれば、トルフィン殿も真面目なフリをして、結構ゾラ殿と一緒にあちこち遊び回っていたそうですからね。そっちの方の経験はそれなりにお持ちのようですから、ミハル殿はただ、トルフィン殿に任せておけばいいのです」
「えええええっ! そんなの聞いてませんわっ!」
夜這いだの許嫁の女遊びの話だのを一気に聞かされて、ミハルの脳はすっかり処理能力を超えて固まってしまった。
トルフィンの従兄ゲルフィンが、稀覯本一冊のためにあっさりトルフィンの結婚を売り渡したことを、ミハルが知るのは、このすぐ後のことである。
「ええ。別に男が好きってわけではないみたいです。殿下が女だったら、間違いなく惚れたって言っていましたけれど。でもどこか、男っぽい女が好きだったのかもしれませんね。わたしみたいなのに興味を持つわけですから」
アリナの話によれば、アリナの父が将軍を務める州の騎士団にゾーイがやってきて、そこで男に交じって鍛錬していたアリナを見初めたということであった。
「最初は男だと思ったらしいのですよ。失礼な話ですけれど」
「……あーそれじゃあ、そちらの筋の人なのかと勘違いしてもしょうがありませんわね」
ミハルが納得する。
「お会いになったのは、おいくつの時ですの?」
「わたしが十五歳のときですから、もう六年も前ですね。時々稽古をつけてもらったりして、十六の時に婚約がなりました」
「……それは随分、待たされましたのね?」
五年前に婚約して、数か月前まで結婚が延び延びになっていたわけだ。
「……ちょうど殿下が以前のご結婚をなさって、周囲がごたごたしていたそうですの。その後、南方に戦争に行ったりもしましたし……でも、神殿で式を挙げたのはこの秋ですが、実は昨年の冬に、結婚はしていたのですよ。あちらのお義父様がおよろしくないということで、その機会を延ばすと三年の服喪期間に入ってしまいますからね。お義父様が生きておられるうちに、あちらの家に三日婦として入りましたから」
三日婦というのは、新婦が新郎の家で三日過ごして、三日目の朝に相手の親に挨拶することで成立する、略式の結婚方式である。正式な結婚をするには手順を踏む必要もあり、準備も大変だが、例えばどちらかの親が死んだりすると服喪期間が長くて、しばらく結婚できなくなってしまう。そうなると婚期を逸してしまうこともあり得るので、親が死ぬ前に略式で結婚だけはしてしまうのだ。一種、内縁の妻のような形になってしまうので、新婦側としてはあまり望まれない形式なのだが、アリナの家は気にしなかった。
「殿下の方には神殿で誓いの式を挙げてからご報告したいと彼は言っていて……それでこういう形になったのですよ」
アリナの話に、ミハルはそういう手もあったのかと、目から鱗であった。
「わたくしもダルバンダルで、式だけでも挙げてしまえばよかったわ……」
肩を落として項垂れるミハルを、アリナは慰める。
「貴族の結婚としては、きちんとした手順を踏んで嫁ぐのがいいに決まっています。トルフィン殿も今頃頑張ってくださっているでしょう。あなたが気をしっかり持たなくては」
家出をしている時点で、きちんとした手順もへったくれもないのだが、やはりアリナはどこか常識がぶっとんでいた。
「もし、覚悟があるのならば、いっそ、子を孕んでしまうという手もありますね」
しれっと言い切るアリナに対し、ミハルもアンジェリカも、少し離れてお茶を淹れていたリリアも、ぎょっとして凍り付いた。アデライードだけが、相変わらずニコニコとしている。
「赤ちゃん可愛いですよね!」
全く空気を読まないアデライードの発言も、アリナはにっこりと受流す。
「はい。いかなゲスト家とはいえ、孕ませてしまったご令嬢に責任をとらないわけにはいきませんからね。話し合いの結果に依っては、今夜からトルフィン殿の部屋に夜這いをかけるくらいの心意気で……」
「えええっ、そ、それはちょっと……。トルフィン兄様は口調はくだけていますけれど、けっこう固い考え方をしているのですから、そんな破廉恥なのは……」
アンジェリカもリリアも、あまりの展開に息を飲んでいる。
「大丈夫ですよ。案ずるより産むがやすしとも申します。わたしもやってみましたけれど、案外、男なんてものは、口では偉そうなことを言っておりますけれど、いざ、その時になったらあっさり前言など翻して圧し掛かってくるものですよ。ねえ、姫様」
うんうんとアデライードが頷くのに、ミハルは顔面蒼白になる。
「実はわたしも、あちらのお義父様と話はついておりましたのですが、三日婦という略式の結婚に、ゾーイ殿本人がなかなか首を縦にふらなくて……それで家人と示し合わせて、あの人のお部屋に乗り込んだのですよ」
これにはアンジェリカもリリアも吃驚だ。
「えええええっ! アリナさん、夜這いしかけたのっ? マジでっ! 男前すぎるでしょっ!」
「女といえども、やると決めたらやらなければ、機を逸してしまいます! あの機会を逃していたら、今頃はまだ結婚できないでいたかもしれません。しないでする後悔よりは、して後悔した方がいいに決まっています!」
拳を握りしめて傲然と胸を張るアリナは、まさしく勝利の女神そのままだ。
「そそそそんな、急に言われても、む、むむむ無理ですわ!」
従弟のランパが乗り移ったようなどもりを披露しながら、ミハルは真っ赤になって首を振った。
「心配無用ですよ。夫の話によれば、トルフィン殿も真面目なフリをして、結構ゾラ殿と一緒にあちこち遊び回っていたそうですからね。そっちの方の経験はそれなりにお持ちのようですから、ミハル殿はただ、トルフィン殿に任せておけばいいのです」
「えええええっ! そんなの聞いてませんわっ!」
夜這いだの許嫁の女遊びの話だのを一気に聞かされて、ミハルの脳はすっかり処理能力を超えて固まってしまった。
トルフィンの従兄ゲルフィンが、稀覯本一冊のためにあっさりトルフィンの結婚を売り渡したことを、ミハルが知るのは、このすぐ後のことである。
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