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番外編 聖地巡礼

馬車の旅

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 夜、たまたま訪問を知らせてきたユリウスを港で拾い、海を渡って聖地の総督別邸で一泊した一行は、翌、早朝に馬車を仕立てて聖地の太陽宮へと出発した。

 馬車に乗っているのは恭親王とその隣にユリウス、向かい合わせの席に正傅のゲルという面々だ。エールライヒは馬車の上空を滑空中である。

「それにしてもユリウス、率直に、おぬしはソリスティアに遊びに来すぎだと思うぞ」

 狭い車内で長い脚を窮屈そうに折り曲げ、窓枠に肘をついて頭をもたせかけた恭親王が義兄を胡乱な眼差しで見る。

「いいじゃないか。どうせ正月休みで暇してるだろうと思って、お兄様が気を使ってやったというのに」

 そうなのだ。あの後突然、「遊びに行く」という連絡が入り、「これから出かけるから」との返事が間に合わなかったのだ。
 で、港で待ち伏せして聖地に行くと告げると、ユリウスも着いてきてしまったというわけだ。

「太陽宮なんか行っても、おぬしは面白くもなんともあるまい。神殿娼婦と遊んでいた方がいいんじゃないのか?」

 恭親王が今ならまだ間に合う、とユリウスに告げるが、ユリウスは長いダークブロンドを揺らして首を振った。

「僕は金銭を払って女を抱く趣味はないんだよ。そういう行為は自らを貶めるものだからね」

 やはり長い脚を優雅に組み、背後のクッションに身を委ねてユリウスは言う。なるほど、一見ただの花花公子チャラ男だが、彼なりに性に対する倫理感はあるのだろう。恭親王は内心、ほうと感心した。

「だいたい馬鹿馬鹿しいじゃないか。総督府ならタダで獣人奴隷とヤり放題なのに。なぜこの僕が自腹を切って娼婦を買わなきゃならないのさ」

 訂正する。――ただのケチだ。
 一瞬でも義兄を見直した自分の時間を返してくれ、と言いたくなった恭親王は、溜息をついて窓の外の景色に視線を移した。
 
 馬車は市街を出て、北へ向かう街道をひた走っている。正直馬に乗った方が早いのだが、聖地の中は基本的に騎馬の移動は禁じられている。例外は総督別邸の警備の名目で聖地に貼りついている騎士たちと、貴人の馬車を護衛する騎士だけである。 護衛される貴人とは、この際、総督である恭親王自身であるから、彼が馬に乗ってしまうと警備する対象がいなくなってしまう。以前、月神殿からの帰りに恭親王が騎乗したのは、アデライード姫の馬車を守るという名目があったのだ。

 〈港街〉の総督別邸から太陽宮中心の太陽神殿まで、馬車で走るとだいたい一日半、かかるという。高位の聖職者や公用の場合は各神殿を結ぶ転移門(ゲート)を使用できるのだが、総督といえどえも今回は私用であり、一般の巡礼者と同様、地上を馬車で行かねばならない。それでも、巡礼者の多くは徒歩で聖地の中を巡り、中には五体投地と言って両手、両膝、額を地面に投げ伏して、礼拝しながら聖地を回る過酷な巡礼を行う者もいる。恭親王らの馬車も、多くの徒歩の巡礼者を追い越し、時に五体投地しながら遅々として進む者たちを車輪にかけぬように道を避けながら、北へ北へ、真っ白な雪を纏った聖山プルミンテルンへと向かい、ひたすらに走るのである。

 二刻近く走り、街道が二つに分かれる大きな辻で休憩を取る。ここで西に向かうと太陰宮の中心地、月神殿に出る。太陽宮へはまだまだこれから真っ直ぐに走り続けねばならない。

 大きな辻には休憩所、宿泊所、食料品店、雑貨屋、巡礼者のための聖具屋などが居並ぶ。貨幣が利用できる最後の場所だ。旅人はここで最後の食糧や装備の調達を行い、後は野宿や小神殿や僧院に泊まって、喜捨を受けながら旅を続けることになる。

 二匹の龍が絡み合う皇家の紋章――つまり総督府の紋章――をつけた馬車が辻に止まり、中から恭親王が降り立つと、遠巻きに見ていた巡礼者たちがざわめいた。黒貂の毛皮を裏打ちしたフード付きのマント、フードは被らずに美しい顔を露わにし、黒地に金糸刺繍の入った上下、黒いブーツという黒づくめの出で立ちが、恭親王の際だった美貌をいっそう引き立てる。口笛を吹いて左手を頭上に掲げると、空中を飛んできたエールライヒがふわりとその指に止まる。

「総督閣下だ――!」
「〈聖婚〉の皇子様だ!」
「アデライード姫様もご一緒だろうか?」
  
 続いてダークブロンドを揺らしながら、やはり毛皮を裏打ちした茶色いマントを羽織ったユリウスが降りてくると、皆がざわついた。

「じゃ、あの髪の長いのが姫様か?男の格好しとるが」
「というか、女にしてはデカすぎないか?」
「よく見ろ、ありゃあ男だ」

 すでに馬をつなぎ、民衆が近づきすぎないように警備していた護衛のゾーイに巡礼の親父が話しかけた。

「総督閣下は、今日は姫君とご一緒ではないので?」
「今日は太陽神殿へのご参拝故、姫君はご一緒ではない。姫君の兄上であらせられる、レイノークス辺境伯閣下がご同行なさっている」
「なあんだ」

 露骨にがっかりしている親父の横で、その娘たちらしい若い女が青い瞳を輝かせている。総督もだが、ユリウスも滅多にいないほどの美男子だからだ。

 辻にある一軒の休憩所にゲルの先導で二人が入ってしまうと、ゾーイも民衆を追い払い、その後を追った。

「ご苦労だな、ゾーイ」
「は」

 先に入っていた巡礼者をどけさせて一テーブル確保し、エールライヒを肩に止まらせた恭親王とユリウス、そして正傅のゲルが座る。ゲルの横に副傅で護衛も兼ねるゾーイが座り、その後にはすらりと背の高い、赤い髪をしたゾーイの従騎士が立つ。短く刈り込んだ髪に、釣り目がちの赤みがかった瞳、頬がややこけていて、唇はへの字に結ばれている。驚くほどの美貌のその騎士を、昨夜ソリスティアの船着き場で目にした恭親王は、最初誰だかわからなかった。

「しかし、つくづく見ても信じられんな。あのランパがこんな美形だったとは」

 今もゾーイの後ろに身じろぎもせずに立つランパを、矯めつ眇めつしながら恭親王が言う。
 ゾーイはランパの入門を許すに際して、騎士たるもの髪は短く刈り込むのが当然と、その顔半分を覆っていた長い前髪もばっさり切るように命じたのだ。そうして出来上がったのは赤い髪の超美形騎士だったというわけだ。恭親王はランパが一人前の騎士になった暁には、アデライードの護衛騎士に任じるつもりだったのだが、ここまでの美形の男をアデライードの身近に置くのも嫌なものだな、と少し考えなおすことにしたくらいである。

 最も、当のランパ本人は恭親王とユリウスの二人の美形を鑑賞できて内心嬉しがっているのだが。

「ここから、ジーノ殿の住む〈清脩〉僧院まで半日強かかります。予定では夜に着きますので、そちらで一泊し、翌朝まず太陽神殿に向かい参拝の後、夕刻に再び〈清脩〉僧院まで戻りそちらで一泊、翌朝僧院を出て別邸に帰り、時刻によって直接総督府に帰りますが、遅くなった場合はもう一泊の後、早朝に総督府へと出発することになります」

 ゲルが旅程表を見ながら説明する。馭者は一人だが、場合によってはゲルかランパが手綱を握ることになる。

「大旅行だねぇ。聖地って意外と広いんだ。月神殿までしか行ったことがなかったよ」

 ユリウスがランパの淹れた熱い茶を飲みながら言う。

「そうだな。ここから先は道も悪くなるから、注意していくように。水や食糧の備えはあるか?」
「はい。別邸の方より十分に持ち込んでございます。馬車の足元に魔導ヒーターを仕込んでございますから、寒くなりましたらお使いください」
「至れり尽くせりだね、君の正傅は」
「まあな」

 確かにゲルはいろいろとよく気の付く男である。どうしてこの男が付いていながら、恭親王が聖地から連れ出される時の、あの馬車の旅は飲まず食わずの強行軍だったのかと不思議でしょうがない。というより、死んだデュクトという正傅が、心底気の利かないヤツだったのだなと、改めて思う。

 温かい茶を飲んで焼き菓子をつまみ、食堂で道中に食べる昼食を調達して、再び出発した。

(帰ってきた――)

 目の前に聳える霊山プルミンテルンの威容に、恭親王はその感慨を強くする。
 これから太陰宮の北部、森と牧草地が点在する地域に入っていく。〈メルーシナ〉と出会った森の、すぐ近くも通るはずだ。

 十年の時を経て、今も変わらぬ聖地の自然を目にして、恭親王はつい、自身の黒い艶やかな髪に触れる。

 自然は変わらない。だが、人は、ずいぶんと変わるものだ――。
 汚れ、傷つき、悩んだ自身の十年を思いながら、恭親王は無言で窓の外の風景を眺めていた。
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