【R18】渾沌の七竅

無憂

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六竅

31、誘拐

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 六月の半ば――。帝都の街中を流れるイルマ河の支流、天河は両岸に料亭や茶屋が立ち並び、一角は花街となっている。夏になると、天河を跨ぐように川床が設置され、涼と風流と洒落た食事を求めて、帝都の余裕ある市民の人気を集めていた。さらに、周辺の料亭や花街の店が天河に蛍を放つというので、天河街周辺は宵闇にそぞろ歩く人が絶えず、屋台なども出て夜遅くまで賑わう。

 その話をゾラから聞き込んだ恭親王シウはユイファを誘い、夕刻から二人で骨董街で店を冷やかした後、夕暮れの街を連れ立って歩いた。骨董街から天河の方へ抜けて、予約しておいた料亭の川床に上がり、食事をする。
 かつて、夫が生きていた時は、幾度か川床で食事をしたこともあり、ユイファも懐かしい思いにかられる。

「ここ、美味しいって評判らしいけど、知ってる?」

 シウが冷たい手ぬぐいで汗を拭いながらユイファに尋ねる。

「以前、主人と来たことがあります。ここは川魚料理の専門店です。イルマ河の魚だけじゃなくて、遠く、山の方の清流ででしか取れない魚なんかも、運んでくるんです。特に有名なのは、香魚アユと鰻ですね」
「そうなんだ。僕が魚が好きだから、ここを薦めてくれたんだろうね」

 シウは優雅に川床に胡坐をかき、お茶を運んできた女将ににこやかに微笑みかける。身分はぼかされているのだろうが、シウはどっからどう見ても、大家の若君だ。護衛の青年とトルフィンが隣の卓に陣取り、早速お品書きを見ている。

「今日はゲルフィンさんは?」
 
 ユイファが尋ねると、トルフィンが可笑しそうに言った。

「来る予定だったのですけどね。昨夜、大嫂ねえさんとひと悶着ありましてね。それで、大嫂ねえさんが怒って実家帰っちゃったんで、慌てて迎えに行っているんですよ」
「まあ、そうですの!」

 いかにも堅物そうなゲルフィンの、意外な家庭生活に、ユイファは目を丸くする。

「ゲル兄さん、骨董趣味が高じすぎて、大嫂ねえさんをほったらかしにしてたもんでね。そのくせ、ヤンデレだもんだから、まあその、愛想をつかされちゃったんですよ」
「まあ……」
「そりゃあ、ヤンデレの癖に放置プレーじゃあ、奥さんもキレるっすよね」

 ユイファとその夫は、どちらも骨董が趣味であったが、たしかに金のかかる趣味だし、年寄りくさいと嫌う人もいる。骨董好きでもない妻にとっては、骨董一筋の夫には不満も溜まるだろう。

 鯉の清蒸あんかけ、泥鰌豆腐、川魚と夏野菜の天ぷら、鰻の白焼……と料理が並び、目玉の香魚アユが出る。帝都北方の山地の清流でやなを仕掛けて捕え、生きたまま店まで運ぶのだと、女将が説明する。宮中でも時々出るのだが、どうしても鮮度が劣り、塩焼きは滅多に食べられない。
 かつて聖地にいた時、夏になるとよく川で捕えてはその場で焼いて食べていたなと、シウは捕れたての香魚の風味を懐かしく思い出す。さすが有名店だけあって鮮度も文句なく、シウは二匹もお替わりをした。最後は細切りにした鰻の蒲焼を混ぜ込んだ飯と鰻の胆を入れた吸い物、そしてデザートの冷たい水菓子まで食べて、満足して店を出た。

 花街と骨董街の間には蓮池があって、周囲に屋台が並び、帝都の民の憩いの場になっていた。赤い提灯が飾られた柳の木立が蓮池をめぐり、夕闇を照らす。お伴の二人は少し離れて、蓮池の回りをユイファとシウの二人で散策する。さっきあれだけ食べたのに育ち盛りの食欲なのか、シウは屋台の食べ物に興味を示す。屋台で甕の焼酎を売るのを見つけてそれを飲みながら、牛肉の串焼きにかぶりつく。シウが食べている串焼きのタレが衣服に垂れるのを、ユイファが手巾を出して拭いてやる。その姿は、傍目にはやんちゃな弟の世話を焼く姉にしか見えない。

 そんな風にして二人が少し人気の途切れた池の端に来た時。薄暮の暗がりから数人の男たちが現れ、二人を取り囲み、刃物をちらつかせる。

「だ、誰?!」
「見せつけてくれるねぇ。とあるお方に頼まれてるんだ、悪く思わないでくれよ」

 どう見ても破落戸ごろつきの男が言うのに、シウは背中にユイファを庇うようにして言った。 

「いや、刃物で脅されたら普通、悪く思うよ。……お前たちも男なら、女性に乱暴はするな」
「あんたのことはちょっとばかし痛めつけろって命令だけど、そちらのお嬢さんは素直についてきてくれれば傷一つ負わせねぇよ」
「わかった。……約束だぞ」 
「シウ様!」

 男たちが二人を目立たないところに留めてあった馬車に連れて行き、乱暴に押し込む。手早く縄をかけられて後ろ手に縛られ、猿轡を噛ませられる。

「抵抗はしないから乱暴はよせっ!」

 猿轡にシウが抵抗すると、

「うるせぇ、色男のにーちゃん!」

 がっとつきとばされ、みぞおちに膝蹴りを加えられる。

「うぐっ」
ひふはわシウさま!」
「大人しくしてれば余計な痛い目合わずにすむのにな!」

 乱暴に猿轡を噛ませられ、馬車の中に転がされる。ユイファが縛られた身体で必死にシウに縋りつこうと身を寄せるのを、シウが優しい目で頷く。大丈夫、と言うかのように。
 ガラガラと馬車が走り出し、ユイファは恐怖で泣きそうになって震えていたが、その肩にそっとシウの身体が寄り添い、できるだけ身体を擦りつけあって座っていた。シウの体温だけが、ユイファの不安を少しだけ和らげる。

(どこに連れていかれるのだろう……)

 揺れる馬車の中で、ユイファはただただ怯えていた。
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