【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第一章 呪われた王子

光の庭

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 池に落ちた俺は、近くにいた衛兵に救助された。意識のない俺を診察した王宮の若い医師が、俺の栄養状態の悪さと体罰の痕に驚き、国王はようやく、俺への虐待に気づいた。王妃が末の王子を虐待していたなんて、外部に漏れたらとんだ醜聞スキャンダルだ。だから、国王は事を表沙汰にしないよう、特務将校であるマクシミリアン・アシュバートン少佐を呼び出し、俺を預けた。……というよりは、押し付けたが正しい。それで、マックスは俺を表向き寄宿学校に入れたことにして、自分の領地である、ストラスシャーのリンドホルムに連れていった。

 王都から汽車で一日、ストラスシャーの広大な荒地ムアのほとりにある、古く堅牢で、巨大なカッスルに。

 馬車は荒地を横切り、車窓から見えるのはひたすら続く荒涼とした風景。三月の頭、どんよりと灰色の分厚い雲が垂れこめ、西の山際に薄っすら茜色が覗く夕暮れ。東からは黒々とした夜が忍び寄り、奇妙に曲がった灌木のシルエットが、荒野を吹き抜ける風に揺れる。

「吸血鬼でも住んでそうだね」

 俺がポツリと呟けば、対面に座るマックス・アシュバートンが笑った。インバネス・コートを着込み、トップハットをかぶったガッチリした体格は、一見、厳しそうに見えるが、ブルーグレーの瞳は慈愛に満ちていた。

「残念ながら見たことはないな。ほら、あれがリンドホルム城カッスル・リンドホルム。代々の、リンドホルム伯爵の居城で、――君の母親が育った城だ」
「ローズが……もしかして、あなたはローズの兄?」

 マックスが首を振る。

「ローズは私の母の、従妹の娘だ。父親は隣国グリージャの子爵で、両親が死んだので、母が後見人として引き取った」

 俺は夕闇に包まれたカッスルと周囲の荒地を眺めて、呟いた。

「僕はローズが本当の母親だなんて、ローズが死ぬまで、知らなかった」
「あなたは表向き、王妃から生まれた国王の嫡子でなければならないからね。私の母は事情を知っているが、妻も、他の使用人も何も知らないし、知られてはならない」
「わかってる。僕がアルバート王子ってことは内緒なんでしょ?」

 俺が言えば、マックスも頷く。

「そう、君はオーランド伯爵の息子で――バーティ、だとバレるな。アルバート・アーネスト・ヴィクターだから……」
「リジーって呼んでよ」
「リジー?」

 俺が彼を遮るように言えば、マックスが首を傾げる。

「洗礼名がレジナルドだから、リジー。ローズはいつも、そう呼んでた」
「そう、じゃあ、君の名はリジー・オーランドだ。リジーはローズが産んだ息子で、少し訳ありで、オーランド邸で体を壊したから、転地療養だと言ってある」
「じゃあ、ずっと寝てた方がいいの?」

 俺の問いに、マックスは首を振った。

「君の健康を取り戻すために、わざわざ王都を離れたんだよ。ずって寝ていたら意味がない。あの城の庭は広い。年の近い友人はいないが、幼い子供が二人いる」
「子供? あなたの子供?」
「そう。七歳の娘と五歳の息子。娘がエルスペス、息子がウィリアム」
「エルスペスと、ウィリアムだね。わかった。……小さい子のわがままはステファニーで慣れているから、大丈夫」

 俺の言葉に、マックスは複雑そうな表情をした。王妃が俺を実の息子として育てる条件の一つが、王妃の姪のステファニーとの婚約だったそうだ。王妃は俺よりも姪のステファニーを露骨に可愛がって、ステファニーは俺に対して我がまま放題だった。

「エルスペスは幼いが、弟の面倒をよく見るいい子だよ。いい子過ぎて、少し心配になるくらいね。妻のヴェロニカは、後継ぎのウィリアムばかり構って、娘は放置気味なんだ。母が何度注意しても改まらないらしい。――君が、エルスペスを甘やかしてちょうどいいくらいかもね」
「へえ――」

 幼い女の子というのは、誰でもステファニーのようにわがまま放題なのかと思っていたので、マックスの言葉が少し意外だった。

「エルスペスは庭いじりが好きで、いつも〈ローズの庭〉にいるそうだ」

 〈ローズの庭〉という言葉に俺はハッとしたけれど、それが何かを問いかける前に、馬車は城門をくぐった。

 


 



 春はまだ浅く、寒々とした庭園の長い散歩道プロムナードを歩く。十字路の中心に小さな噴水があり、両側を蔦で覆われた壁がそびえる。……こんな庭は見たことがなかった。いくつか扉を開けて覗いてみれば、中は菜園だったり、果樹園だったり――だがある扉を開けた時、俺は思わず立ち尽くした。

 そこは光に溢れた小さな庭だった。生垣と花壇で囲まれた、石畳の小道。蔓薔薇のアーチの向こうで、白い大理石の噴水が涼し気な音を立てる。蔓薔薇の這ったレンガの壁の、壁泉から流れる小川が庭を横切り、小道は小さな石の橋で小川を跨いで、奥の丸い屋根の、白い四阿ガゼボまで続いている。横に張り出した巨木の枝には、さっきまで誰かが乗っていたのか、ブランコが揺れていた。
 今は花の季節ではないから、茶色と常緑樹の濃い緑に覆われているけれど、春になったらきっと薔薇の泉になるに違いない。

「誰かきたよ?」
「誰?」

 小さな子供の声がした。目を転ずれば、花壇の向こうに赤いコートと黒いコートを着た、幼い子供が二人。赤いコートの子は少しだけ背が高く、赤いベレー帽をかぶって、亜麻色の髪を肩に垂らしている。黒いコートの小さい方は無帽で、同じ亜麻色の髪は短い。どちらもコートの下から毛織のスカートが見えているが、小さい方は男の子だとわかった。――男児も、幼いうちはスカートを穿いて過ごすのが普通だから。

 彼らの背後で、庭師の服装をした老人が腰をさすりながら立ちあがる。厳しい目で俺を見つめ、手には雑草を刈る鎌を構えている。俺は慌てて両手をあげ、危害を与えるつもりはないと示した。
 と、赤いコートの、少しだけ大きな子が走り寄ってきて、俺を見上げる。ブル―グレーの瞳が、冬の日差しに煌く。赤い帽子の下に零れる、亜麻色の髪はゆるく波打って、彼女の細い肩を覆っている。陶器の人形ビスクドールのように愛らしく整った顔立ち。ミルク色の肌は、少し上気して頬が桃色に染まっていた。

「あなた、誰?」
「僕は――その……ええと、リジー。リジー・オーランド」
「お父様が言ってらした、おばあ様の親戚の人?」

 俺が頷くと、彼女は言った。

「ヒマなの? ヒマなら、雑草を抜くの手伝ってちょうだい!」
 
 見れば彼女の小さな手は泥で汚れ、片手には抜いたばかりの雑草があった。
 いきなり雑草を抜けと言われて、呆然としている俺の手を引っぱり、庭の奥へと小道を導く。四阿ガゼボの周囲に、緑の草が生い茂っている。

 俺は庭を見回した。
 壁に囲まれた庭。薔薇だらけの――ここが、〈ローズの庭〉? 

「僕は、ローズの息子なんだ。……ここは、〈ローズの庭ローズ・ガーデン〉?」
「……ローズ? ええ、そうよ、ここは薔薇園ローズ・ガーデンよ? 今はまだ季節じゃないけど、今からちゃんと手入れをしないと、薔薇は咲かないの。だから雑草を抜くのよ? ほら、あなたも早く!」
 
 女の子は、薔薇の根本の草を引き抜いた。

「この庭は特別な庭なの。知らない人は入っちゃダメなのよ。でも、雑草を抜いてくれたら、あなたは特別に許してあげる!」

 そう言って、僕を見上げたブルーグレーの瞳。


 あなたは特別に許してあげる――。


 彼女の周囲で光の粒が弾け、俺は彼女の背中に光の羽を幻視した。

 そう、彼女は、光そのもの。




 俺は光の妖精に、その庭での存在を許された。

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