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第一章 呪われた王子
ゴーレム王子とミント・ケーキ
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「バーティ、お前は所詮、傀儡なの」
王妃宮を支配する雪の女王は、俺に繰り返し言った。
「お前はゴーレムなのよ。粘土でできた人形と同じ。ジョージが病に倒れ、フィリップに万一があったときに備えるために、あの卑しい女の腹を借りて生まれたスペアに過ぎないの。……フィリップに万一のことなんて、あるわけないわ。あの子はわたくしが産んだ、血筋正しきこの国の王太子。あの子を守るために、お前が生まれたんだから」
閉ざされた王妃宮で、些細な落ち度を咎められて鞭打たれ、そのたび彼女は俺にこんな呪詛を吐いた。
「お前はフィリップやジョージの代りに死ぬのよ、バーティ。お前が死ねば、ジョージの病は治るに違いないのに――」
俺の血塗れになった背中に、彼女は尖った爪で何やら唱えながら文字を書く。引き攣れる痛みに悲鳴がこぼれそうになるのを、俺は歯を食いしばって耐えた。悲鳴をあげたら、もっとひどい目に遭わされるから――。
Shem HaMephorash――。
ゴーレムを操る呪いの言葉。雪の女王は俺の背中に、その言葉を刻み込んだ。
「ゴーレムを動かすためには、額に『emeth(真実)』と書くの。ゴーレムは奴隷だから命令に逆らえない。破壊するときは、一文字を消せばいい。『meth(死)』の意味になって、ゴーレムは粘土に戻る」
痛みを堪えていても、堪えきれない涙が目尻から流れ落ちるのを見て、雪の女王は軽蔑したように喉の奥で嗤った。
「土人形のくせに泣くなんて、生意気だこと。……まあいいわ、せいぜい、人間の王子のフリをしていなさい。お前が用済みになる、その時まで。可哀そうな、醜いバーティ」
それはつまり、呪いだった。
幼い頃は、その意味するところが理解できなかった。母であるはずの王妃は俺を疎み、虐待した。庇ってくれるのは、乳母のローズだけ。国王である父上は王妃に遠慮があるのか、滅多に俺のもとにはやって来ないが、来た時はそれなりには親切だ。でも、そんな時間はとても短い。口数の少ない父上は俺を見ているだけで、特に交流はなかった。幼い子供は夜の七時にはベッドに入れられてしまう。
だから、俺を愛してくれているのは、ローズだけだった。
「リジー」
ローズは俺の黒い髪を撫でながら、言う。王妃や兄上たちが呼ぶ、バーティという愛称ではなくて、ローズは二人きりのときにだけ、洗礼名のレジナルドの愛称で呼んだ。
「この名前は秘密の名前なの。本当に愛しているわ、大切なリジー」
ローズに「リジー」と呼ばれる時間だけが、俺の愛される時間。
そのただ一人のローズは、俺が十三の歳に突然死んで、俺は王妃に真実を知らされる。
俺の、本当の母親はローズ。病に犯された第二王子ジョージのスペアとして、国王がローズに産ませた子。
「つまりバーティ、お前はゴーレムなのよ。用が済めば土に返る粘土の人形。ゆめゆめ、王になろうだなんて思わないことよ。お前は神様の許さない関係の結果、生まれた呪われた王子なのだから」
ローズの葬儀にも出られず、バールの離宮に閉じ込められ、執拗な折檻の上で、叩きこまれる。
俺は呪われた、醜い王子。ただのスペアで、本来なら生まれてはいけなかった。いつかは、ジョージの代りに死ぬ。俺が死ねば、ジョージの病が治る――。
バーティの名は、俺にとっては呪いの名前。
ほとんど殺されそうになったところを、従僕のヴァルターに救われた。だが、王妃の怒りを買ったヴァルターは、王宮をクビにされてしまった。
「明けない夜はなく、止まない雨はない。どれほど凍てついた氷も、いつか溶ける。雪の女王は、永遠ではない。いつか、どこかに必ず救いがあるはずです」
呪われた俺に救いなんてあるはずないと思ったが、ヴァルターは俺に、小さな缶を渡してきた。
「何これ、塩……?」
「極地への探検隊が物資の一つに加えたそうです。人は要するに、これと水さえあれば生き延びられる」
缶の中の白い塊は、キンダーという街で作っているミント・ケーキ。ケーキと言うけれど、つまり砂糖の塊。
食事を抜かれるたびに、ヴァルターのくれたミント・ケーキを齧り、俺は雪の女王の支配する凍てついた王宮を生き延びた。――そのおかげで、甘い物が嫌いになったけれど。
十四歳の冬の終わり、ミント・ケーキも食べ尽くし、空腹で半ば朦朧とした俺は、普段は近づかない蓮池の側を歩いていた。
最近読んだ東洋の物語。ブッダという東洋の神が蓮池から下界を覗いて、蜘蛛の糸を垂らす話があった。たまたま一度だけ蜘蛛を助けた罪人はその細い糸を辿り、地獄を抜けようとする。
――蓮池が天界につながるのなら、逆に、この蓮池から覗けば――。
薄暗い濁った蓮池の水に映った、痩せて冴えない少年の顔。
粘土できたゴーレムならば、水に落ちれば元の粘土に戻るのではないか。俺が王妃の実の子ではないという、真実が明らかになれば、額の文字は死に変わり、俺は粘土に戻ることができるのか。
黒く澱んだ池に身を乗り出し――。
そこで、俺の記憶は途絶えている。
王妃宮を支配する雪の女王は、俺に繰り返し言った。
「お前はゴーレムなのよ。粘土でできた人形と同じ。ジョージが病に倒れ、フィリップに万一があったときに備えるために、あの卑しい女の腹を借りて生まれたスペアに過ぎないの。……フィリップに万一のことなんて、あるわけないわ。あの子はわたくしが産んだ、血筋正しきこの国の王太子。あの子を守るために、お前が生まれたんだから」
閉ざされた王妃宮で、些細な落ち度を咎められて鞭打たれ、そのたび彼女は俺にこんな呪詛を吐いた。
「お前はフィリップやジョージの代りに死ぬのよ、バーティ。お前が死ねば、ジョージの病は治るに違いないのに――」
俺の血塗れになった背中に、彼女は尖った爪で何やら唱えながら文字を書く。引き攣れる痛みに悲鳴がこぼれそうになるのを、俺は歯を食いしばって耐えた。悲鳴をあげたら、もっとひどい目に遭わされるから――。
Shem HaMephorash――。
ゴーレムを操る呪いの言葉。雪の女王は俺の背中に、その言葉を刻み込んだ。
「ゴーレムを動かすためには、額に『emeth(真実)』と書くの。ゴーレムは奴隷だから命令に逆らえない。破壊するときは、一文字を消せばいい。『meth(死)』の意味になって、ゴーレムは粘土に戻る」
痛みを堪えていても、堪えきれない涙が目尻から流れ落ちるのを見て、雪の女王は軽蔑したように喉の奥で嗤った。
「土人形のくせに泣くなんて、生意気だこと。……まあいいわ、せいぜい、人間の王子のフリをしていなさい。お前が用済みになる、その時まで。可哀そうな、醜いバーティ」
それはつまり、呪いだった。
幼い頃は、その意味するところが理解できなかった。母であるはずの王妃は俺を疎み、虐待した。庇ってくれるのは、乳母のローズだけ。国王である父上は王妃に遠慮があるのか、滅多に俺のもとにはやって来ないが、来た時はそれなりには親切だ。でも、そんな時間はとても短い。口数の少ない父上は俺を見ているだけで、特に交流はなかった。幼い子供は夜の七時にはベッドに入れられてしまう。
だから、俺を愛してくれているのは、ローズだけだった。
「リジー」
ローズは俺の黒い髪を撫でながら、言う。王妃や兄上たちが呼ぶ、バーティという愛称ではなくて、ローズは二人きりのときにだけ、洗礼名のレジナルドの愛称で呼んだ。
「この名前は秘密の名前なの。本当に愛しているわ、大切なリジー」
ローズに「リジー」と呼ばれる時間だけが、俺の愛される時間。
そのただ一人のローズは、俺が十三の歳に突然死んで、俺は王妃に真実を知らされる。
俺の、本当の母親はローズ。病に犯された第二王子ジョージのスペアとして、国王がローズに産ませた子。
「つまりバーティ、お前はゴーレムなのよ。用が済めば土に返る粘土の人形。ゆめゆめ、王になろうだなんて思わないことよ。お前は神様の許さない関係の結果、生まれた呪われた王子なのだから」
ローズの葬儀にも出られず、バールの離宮に閉じ込められ、執拗な折檻の上で、叩きこまれる。
俺は呪われた、醜い王子。ただのスペアで、本来なら生まれてはいけなかった。いつかは、ジョージの代りに死ぬ。俺が死ねば、ジョージの病が治る――。
バーティの名は、俺にとっては呪いの名前。
ほとんど殺されそうになったところを、従僕のヴァルターに救われた。だが、王妃の怒りを買ったヴァルターは、王宮をクビにされてしまった。
「明けない夜はなく、止まない雨はない。どれほど凍てついた氷も、いつか溶ける。雪の女王は、永遠ではない。いつか、どこかに必ず救いがあるはずです」
呪われた俺に救いなんてあるはずないと思ったが、ヴァルターは俺に、小さな缶を渡してきた。
「何これ、塩……?」
「極地への探検隊が物資の一つに加えたそうです。人は要するに、これと水さえあれば生き延びられる」
缶の中の白い塊は、キンダーという街で作っているミント・ケーキ。ケーキと言うけれど、つまり砂糖の塊。
食事を抜かれるたびに、ヴァルターのくれたミント・ケーキを齧り、俺は雪の女王の支配する凍てついた王宮を生き延びた。――そのおかげで、甘い物が嫌いになったけれど。
十四歳の冬の終わり、ミント・ケーキも食べ尽くし、空腹で半ば朦朧とした俺は、普段は近づかない蓮池の側を歩いていた。
最近読んだ東洋の物語。ブッダという東洋の神が蓮池から下界を覗いて、蜘蛛の糸を垂らす話があった。たまたま一度だけ蜘蛛を助けた罪人はその細い糸を辿り、地獄を抜けようとする。
――蓮池が天界につながるのなら、逆に、この蓮池から覗けば――。
薄暗い濁った蓮池の水に映った、痩せて冴えない少年の顔。
粘土できたゴーレムならば、水に落ちれば元の粘土に戻るのではないか。俺が王妃の実の子ではないという、真実が明らかになれば、額の文字は死に変わり、俺は粘土に戻ることができるのか。
黒く澱んだ池に身を乗り出し――。
そこで、俺の記憶は途絶えている。
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