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第二章 忘れられた男 

再会

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 幸いにも、エルシーは王都の陸軍司令部で、マクガーニ中将の下で働いている。
 俺は陸軍大臣に就任予定のマクガーニの後任として、陸軍の司令に就任することが内定していた。

「俺はマクガーニの後任になる。新しい職場に下見したみだ! 今から行くと先触れを出せ!」
「今から? いくら何でも迷惑じゃ……」

 ロベルトはぶつぶつ言っていたが、俺は押し切った。とにかく一刻も早くエルシーに会い、無事を確認しなければ落ち着いて飯も食えない、そんな気分だった。

 

 エルシーは俺より七歳年下だから、今、十九歳だ。あの写真が十五の時で、あれからでも四年も経っている。俺がリンドホルムにいたのはもう、十二年も昔のことだ。
 
 きっと背も伸びて、あの写真よりもさらに美しくなっているはずだ。

 俺は柄にもなく緊張してそわそわしていたが、それを部下たちに悟られないよう、必死に取り繕う。
 よく考えたら、リジーがアルバート王子だってことは、マックスとおばあ様しか知らない秘密だ。エルシーは俺に気づくだろうか? どう、言いわけする?

 そんなことを考えているうちに、司令部に着く。
 俺が後任に内定しているのはマクガーニもわかっているので、まっすぐ応接室に通される。

 マホガニーの家具でまとめられた、重厚だが簡素な内装。深緑色の布張りのソファが置かれ、装飾もほとんどない。 マクガーニと事務官のクルツ主任に迎えられ、適当な挨拶を交わしてから、俺はすぐに本題に入った。

「マックス・アシュバートンの娘がこちらにいると聞いたが……」

 マクガーニも、俺の突然の訪問の理由を察していたらしく、あっさりと頷く。マクガーニも、なぜ相続ができずに王都に出てきたのか、細かい事情は知らないと言った。

「マックスの母親の体調がよくなく、薬代が家計を圧迫しているようです。令嬢を臨時の事務職員として採用しましたが、その給金でぎりぎり、やっているようです」

 俺は思わず眉を寄せてしまう。もし、マクガーニがアシュバートン家の窮状に気づかなかったら、いったいどうなっていたのか。だが、マクガーニは陸軍大臣への就任が決まっている。今後は王宮内の大臣執務室と議会を中心に執務することになるから、臨時採用の事務職員を雇い続けることは難しいだろう。

 エルシーやおばあ様の考えがわからない現状、第三王子の俺から金銭的援助を切り出しても、おばあ様は受け入れないかもしれない。ならば、このままエルシーを雇い続け、とりあえず給金を支払い続ける方がマシだ。
 俺がそこまで瞬時に考えた時、マクガーニが言う。

「年頃なのでいい縁談があればと思っていますが、なかなか、一朝一夕には」

 俺はギクリとした。俺が帰国前に最も恐れていたのは、エルシーがすでに、誰かに嫁いでいることだった。――もっとも、現状はそれをはるかに超える悲惨さだったわけだが――。マクガーニの言葉の通りなら、まだ、結婚相手すら決まっていない、ということだ。俺は内心、胸をなでおろす。が――。
 
「しかしあれでは、嫁の貰い手があるかどうか――」
「え? ブスなの?」

 横でクルツ主任とロベルトが不穏なことを言い出し、俺は瞬間的に頭に血が上る。
 俺のエルシーがブスなわけないだろうがああああ! 次言ったらぶっ殺すぞ!

 だが嫁の貰い手がないとは、どういうことだ?
 
 俺の不安に気づきもせず、クルツ主任が言う。

「容姿はいいのですが、何しろ愛想がなくて。誰に言い寄られても取り付く島もない態度で、『氷漬けの処女』なんてあだ名までつけられてしまい――」
「処女なのか!」

 俺は思わず身を乗り出していた。
 エルシーが爵位を失い没落したと聞いて、俺が一番、心配していたことだ。

 どこかの悪い奴に金で体をいいようにされていたり、それこそ娼婦に身を落としていたら――俺は王都のど真ん中で機関銃を乱射して暴れるかもしれない。たぶん、それぐらい、怒り狂う。

 少なくとも、そこはおばあ様がエルシーを守ったのだ。――あるいは、エルシー達が王都に出てきたことと、関係あるのでは――。

 そこにノックの音がして、クルツ主任が口に指をあてた。

「シッ! 彼女ですよ!」

 俺はゴクリと唾を飲み込んで、ドアが開くのを穴があくほど見つめた。両手は知らず知らず、固く握りしめている。

「失礼します」

 やや低く、しっとりとした声とともにスッとドアが開き、お茶の盆を捧げた若い女が入ってきた。その瞬間、俺の目は光が弾ける様を、幻視した。――亜麻色の髪をうなじで簡素にまとめ、陸軍の女性事務職員の地味な制服を着た、エルシー。

 全く飾りのない白いブラウスに、黒いタイ。その胸元に、マックスの青いサファイアが光る。身長はすらりと伸びて痩せ型で細い肩は華奢で折れそうなのに、でも胸は十分な膨らみがあり、ウエストは細くくびれている。脹脛を覆うロングスカートを華麗に捌いて近づいてくる、その歩き方の美しさに俺はしばし我を忘れる。
 
 陸軍の司令部というのは、戦争中の人手不足から女性事務職員を雇うようになったが、基本は男の職場だ。そんな無骨な場所で、明らかに彼女は異質だった。どう考えてもここで働いているのが不似合いなのだ。愛想笑い一つせず、お茶セットの乗ったお盆をテーブルに置いき、無表情でお茶を淹れていく。身のこなしも所作も、よく躾けられた貴族令嬢のもので、そしておばあ様の所作にそっくりだった。

 ――氷漬けの処女。

 他を寄せ付けない冷たさ。媚びない矜持。整った容貌とブルーグレーの瞳が、いっそう、手の届かない高嶺の花の印象を作り上げている。

 実を言えば俺は少しばかり面食らっていた。
 今まで、王子の俺が出向いた先で茶の接待をする女は、大概、好奇心で目を輝かせ、口元には媚びた笑みを浮かべていた。――あわよくば王子に見初められたい、という期待が溢れていた。

 だが、エルシーにはいっさいの媚びがなかった。
 まるで王宮で飼われている猫が、人間を小ばかにしているような、そんな風情すらある。

 ――たしかにこれは、愛想がない。エルシーの貴族としての矜持なのか、それとも領地を失い没落して、世を拗ねているのか――。

 俺が固唾を飲んで見守るなか、優雅な手つきで茶を淹れると、エルシーは盆を抱え、一礼して下がろうとした。
 俺は慌てて我に返り、エルシーを引き留める。

「お前が、マックス・アシュバートンの娘か?」

 一瞬、驚いてブルーグレイの瞳を丸くする。その表情に幼い頃の片鱗を確かに見て、俺は胸がいっぱいになる。

 俺だよ、エルシー! 

 が、エルシーの取り澄ました表情が変わったのは、その一瞬だけ。すぐに元の無表情に戻り、淡々と対応する。俺は気ばかり焦るけれど、彼女はリジーの正体を知らないのだ、と自分自身を宥める。

 そうだ、落ち着けよ。今ここで俺がリジーだと気づかれても厄介なだけだ。
 今はエルシーの無事を確認し、彼女を留任させて、昔のことはおいおい、説明していけばいい――。 
 

  
 この時の俺は、エルシーは俺がリジーだということにだけだと思っていた。
 まさか、エルシーがリジーのことをなんて、思っていなかった。 

 
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