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第二章 忘れられた男 

初デート

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 成長したエルシーを着飾らせ、腕を組んで高級レストランでデートする。
 十二年前の初心な俺には想像もできない現実に、俺はいささか有頂天になっていた。
 まだ肝心な話は何もしていなくて、結婚の話もできない。でも、何だったらすぐにでもエルシーにプロポーズできるよう、俺はマックスの血染めの勅書だって、スーツの内ポケットに入れていたのだ。

 俺だって、エルシーに聞きたいことは山ほどあった。
 いったい何がどうして、リンドホルムを出て、王都に働きに出るなんて決断をしたのか。おばあ様はどうしているのか。心臓の具合はどんななのか。ビリーの死因だって気になる。
 
 だが、そんな質問はすぐにはできそうもない。

 落ち着けよ。エルシーは、俺がリジーだってことを知らないんだから。

 俺は、戸惑っていエルシーを落ち着かせようと、「これも業務の一環だ」と言った。エルシーは困ったような表情をしたが、仕事だと言われてしまうと逆らえないのか、諦めて食事を楽しむことにしたらしい。

 この後、「業務の一環」を濫発し過ぎて、エルシーのとんでもない誤解を招いてしまうことになる。

 さすが、あの口うるさいおばあ様に躾けられただけあって、エルシーの食事マナーは完璧だった。食事中の会話も機知ウィットに富んでいる。時々の返答に、幼い頃の、こまっしゃくれたような部分が残っていて、それも可愛かった。

 そして、デザートは特に、エルシーが大好きだったチョコレートを用意してもらっていた。

 給仕がチョコレートムースのグラスを前に置いた瞬間、エルシーのブルーグレイの瞳が輝き、白い頬が紅潮した。
いまだに、チョコレートに目がないのだな、と俺は嬉しくなる。俺は甘い物が苦手だからと、変わりに注文したブランデーをゆっくり舐めながら、エルシーがちびちびとチョコレートムースを食べる姿を観察した。

 可愛い。
 昔と変わらない。
 でも大人になって。
 すごく、綺麗になった。

 今夜は食事だけだと、ロベルトにも釘を刺されたけれど、ここで終わりなんて辛い。
 いっそオーランド邸に連れ込んで――。

 俺がそんなことを考えていると、チョコレートムースを食べ終わり、名残り惜しそうに空いたグラスを覗いていたエルシーが言った。

「そう言えば、さっきデザートはまた今度、とか仰っていましたが……」

 あまりのタイミングに俺はブフォッとブランデーを吹き、気管に入って咳き込んでしまう。

「大丈夫ですか」
「ああ、問題ない」

 心配そうにのぞき込む表情が昔のままのような気がして、俺は自分に言い聞かせる。

 焦るなよ。大事な相手なんだから。

「そうだなあ……は三度目のディナーの後くらいまではお預けかな」 

 連れ込むのは無理でも、キスくらいは許されるんじゃないか。俺は思うと同時に、デザートという言葉に何の含みも感じ取れないエルシーが少し、不安になった。十九になるのに、少し、初心すぎるんじゃないか?

「……その年まで、恋人らしきはいないのか?」
「恋人ですか? ……まさか!」
「ハートネルはご執心だったみたいだったが」

 エルシーは不愉快そうに首を振った。

「ああいうお家の次男、三男は、もっとお金持ちの女性を狙います。それか、後継ぎがいなくて代襲相続の勅許が降りている、貴族のご令嬢とかね」
「……お前の家はなぜ、勅許を願い出なかった」
 
 マックスは俺を庇って戦死したのだ。シャルロー村の状況は、その奇襲が上層部の情報リークによってもたらされた疑いがあり、詳細は秘密にされていた。だが、マックスが戦死である事実は動かないはずだった。

 戦死者に息子がおらず、直系の女児がいる場合、まず間違いなく、代襲相続は認められる。だから俺は、おばあ様かエルシーかの意向で、あえて勅許を願い出なかったのだろうかと考えていた。だが――。

「まさか!願い出たに決まっています。父は戦死でしたから、当然、勅許は降りると思っていましたのに」
「……まさか、却下されたってのか?」

 俺は思わず身を乗り出していた。

 そんな馬鹿な。俺はマックスの死の状況を、父上にも事細かく手紙で知らせていた。マックスが身を挺して俺を庇わなければ、俺は間違いなく死んでいた、とも。

 その俺の反応に、エルシーが尋ねる。

「父のことをご存じだったのですか?」

 その問いに、俺はハッとする。そう、俺は幼い時のエルシーを知っているけれど、エルシーは、あの時のリジーが俺だとは知らないし、マックスがアルバート王子の護衛として国王の勅命で出征したことも、詳しくは聞かされていないのかも、しれない。

 そうなってくると、俺はどこまでエルシーに話していいのかわからなくなる。

「ああ――実は――マックス・アシュバートン中佐は俺の、護衛だった」

 そして俺の盾になって死んだ。だがその事実を、俺はエルシーに語ることを躊躇った。俺が王子であろうが何だろうが、エルシーの父は俺を命がけで庇って死んだのだ。だから俺は、少しぼかした説明で、お茶を濁した。

「マックス・アシュバートンは特務将校だったんだ。だから功績などもあまり公にできなくて……だが、それを理由に申請が却下されたのなら、問題だ」
 
 命がけで王子を庇って死んだ人間の功績が無視されるどころか、その家族は爵位を継承できずに貧困にあえいでいるだなんて、とんでもない話だ。
 俺はエルシーに調査を約束し、その日はそこで別れた。 


 

 そして、俺はその時忘れていたけれど、マックスはそもそも、出征にあたって、何があっても直系に相続させる勅許を得ていたはずなのだ。

 そのことを思い出した俺は、翌日、王宮の法務省の史料室に向かい、アシュバートン家の詔勅の副本を捜した。

 だが――。

 リンドホルム伯爵にして陸軍中佐のマクシミリアン・アシュバートンに対する、国王からの従軍命令の詔勅の、副本はあった。
 が、慣例としてその際に認められる、出征前の請願の副本は、なかった。俺は資料室の責任者にも尋ねてみたが、「そこにないならば、ない」という素気ない答えが返ってきただけだった。

「誰かが、持ち去るようなことは? いや、あんたが職務怠慢だと責めるつもりは――」
「ええ、わかります。ただ、この部屋は出るときは身体検査がありましてね。それは私ども係官もなのです。ここの書類を持ち出すのは、我々を巻き込まない限り、無理です」

 そしてその初老の男は、絶対にそんな不正を許さないというような、外貌をしていた。

 俺が考え込んで、無意識に煙草をくわえると、係官が即座に言った。

「ここは火気厳禁です。煙草は吸えません。……もちろん、書類を燃やして証拠隠滅も、無理です」

 俺は慌てて胸ポケットに煙草を押し込み、両手をあげてみせた。

「すまない、うっかりしていた」
「いいえ、以後気をつけてください」

 そうして俺は得るものもなく、資料室を後にした。 
 
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