【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第二章 忘れられた男 

忘れられた男

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 一週間後の金曜の夜、旧ワーズワース邸の仮面舞踏会が開かれる。

 俺は司令部の奥の部屋でドレスシャツと黒いイブニング・コートに着替え、トップハットとステッキを手にエルシーをエスコートする。司令部の車寄せで、遠くからこちらを見ている人影に気づく。

 ――ニコラス・ハートネル中尉だった。表情まではわからない。が、俺はわざとエルシーの細い腰に手を回し、身体を密着させて、馬車に乗りこんだ。エルシーは事務職員の地味な制服のままだが、これから二人で出掛けるのだとわかるだろう。

 ハートネルに見せつけてやって、俺は少々いい気分で、ミス・リーンの店に向かった。

 奥の部屋で着替え、化粧や髪を整えたエルシーは、やはり目を見張るほどの美しさだ。光沢のある艶やかな青いドレスは、大きく開いた胸元とマーメイドラインのひざ下に、黒いアンティークレースがあしらわれ、モダンで上品なデザイン。亜麻色の髪に黒いレースの髪飾りをつけ、サファイアのイヤリングが耳元で長く垂れる。黒いレースの手袋に銀色のバッグを抱え、黒い蜘蛛の巣模様の仮面を持っている。

 黒いピンヒールが不安そうな足元を心配して、俺は腕を差し出す。

「視界が悪いなら俺に縋れ。ちゃんとエスコートしてやるから」
「はあ……乗りかかった舟ですからお供いたしますけど……」

 俺はエルシーの耳元に顔を寄せて、言った。

「ああ、それから、俺は……リジーだ。リジー・オーランド」
「リジー?」

 エルシーが至近距離で俺を見上げ、首を傾げる。

「……それが偽名ですか?」

 リジーという名を聞いても、エルシーに特段の反応はなく、俺はどう答えるべきか迷う。

「偽名……というかだな、おしのびの時はそれで通してる」
「ああ、なるほど。……殿下はたしか、オーランド伯爵の爵位をお持ちでしたね」

 ……まさか、エルシー、リジーを覚えていない……?





 俺は馬車の中でエルシーをじろじろ見ながら、いろいろ考えていた。
 十二年前、エルシーは七歳だ。……半年も一緒にいた、俺のことを忘れるってことが、あるか?
 自分が七歳の時の記憶をたどってみるが、ロクな思い出がなくて諦めた。

 名前……までは憶えていないか、リジーとアルバート王子がつながらないだけだ。きっと……。

 俺は気を取り直し、正面に座るエルシーをつくづくと見た。昔も可愛かったが、予想通り美少女に成長してくれた。せっかくの美貌だが、仮面をつけると隠れてしまうから、今のうちに見ておかないと。

「仮面で顔が隠れるのがもったいないな。……今度はオペラにしよう。ボックス席なら周囲から見えにくい」

 俺のつぶやきを拾ったエルシーが言う。

「オペラにパートナーは必要ないでしょう。一人で行ってくださいな」
「何が面白くて、野郎がボッチでオペラを見にゃならんのだ」
「じゃあ、例の公爵令嬢をお誘いになれば……」

 相変わらず、俺とステファニーが婚約寸前だという、デマを信じているらしい。
 ステファニーからも話し合いたい、などと申し入れがあるが、すべて断っている。俺はステファニーと結婚する気など毛頭ないから、話し合うだけ無駄だと言っているが、納得しないのだ。

『昔は歌劇場オペラハウスやパーティーにも、いつもバーティがエスコートしてくださったのに』

 と父上やフィリップ兄上にも泣きついたらしいが、仕方なく付き合っただけで、俺はステファニーと出かけても面白くもなんともなかった。そう思えば、ぜひ、歌劇場にもエルシーと出かけて、ステファニーとの嫌な思い出をリセットしたくなる。俺はパーティーから帰ったら、すぐにもチケットを手配しようと決めた。

「……その、今回は何を探る予定なんですか?」
「探る?」

 突然問われて、俺は咄嗟とっさにどう答えていいかわからなくなる。
 俺の目的はワーズワース邸の天井画を見せることだが、部下たちは不正な取引の現場に潜入して証拠固めをする予定だ。ただし、それは特務の仕事で、一介の事務職員であるエルシーは知らないはず。

「……探るって……そうだなあ……お前の好みのタイプとか、趣味とか、好きな食べ物とか……」

 とりあえず、今、俺が知りたいと思っていることを口にしてみたが、エルシーは首を傾げる。

「は?……間諜スパイに行くんですよね?」
「そうだった! 間諜だった!」

 間諜ごっこするって言って誘いだしたんだった。自分で設定忘れるなんて、俺は大馬鹿だ。俺は思わず組んでいた脚をほどき、姿勢を正す。

「あちらを別口で探っている、工作員エージェントの方とは接触なさるんですか? 合言葉決めたりして」

 ……たしかに、別口で潜入する特務の工作員はいるはずだが、今回は接触する予定はないし、合言葉も決めていない。というか……

「エルシー……やけに間諜に詳しいな?」

 マックス・アシュバートンは特務将校だったが、娘に職務内容を話したりはしないと思うのだが……
 エルシーはハッとして口元に手をやり、恥ずかしそうに言う。

「あ、ビリーの……その……弟の読んでいた本に、間諜の話があって……」

 形見に王都に持ってきているのだ、と目を伏せたエルシーを気遣いながらも、俺は気になっていたので尋ねた。

「ビリー……弟の死因はなんだったんだ?」
「食当たりです。……アレルギーじゃないかって」
「アレルギー?」

 俺は目を見開いた。十二年前、ビリーとは昼食を一緒に食べることはそこそこあったけれど、アレルギーを気にしたことはない。アレルギーについては最近、わかったばかりだから、まだまだ不明な点も多いが、死ぬようなものがあるんだろうか? せいぜい、湿疹ができたりする程度だと思っていた。
 
 ただ確実に、ビリーは何か食物を摂取した後に死んだのだ。食卓を共にした家族に症状がないために、医者がアレルギーと診断した。……それって、毒殺じゃないのか?

 ふいにそんな言葉が浮かんだけれど、あれだけ仲のよかった弟を亡くしたエルシーに、思いつきで言っていいことじゃない。

 折よく窓の外に目的地のワーズワース邸が見えてきて、俺は話を変えた。







『いつか、エルシーが王都に来たら、一緒に見に行こう』
『でもリジー、その絵、怖い……』
『大丈夫、ただの絵だよ』

 成金資本家に売却されたワーズワース邸は、昔の面影を残さないほど、奇妙なインテリアに覆いつくされていたが、ワーズワース侯爵自慢の、大広間の天井画はそのままだった。年代物のシャンデリアは電灯に作り変えられて、眩いほど巨匠の名画を照らしている。

 守れない約束だと思っていたのに、俺は今、エルシーと約束の絵を見上げている――。

「……この絵、たしかエル……」
「エル・グランだ」
「うちに画集がありました!」
「覚えていたのか!」

 俺の言葉をエルシーは聞き逃し、ただ茫然と絵を見上げている。

 俺の膝の上でその画集、一緒に見ただろう! 俺はそう、言いたいのだが、どこから話していいのかわからない。

「画集は――」
「ええ、うちの……というか、昔の家の、図書室ライブラリーにありました。時々、執事に鍵を借りて見ていました」 
「……一人で?」

 エルシーが当たり前だと言わんばかりに頷く。

「ビリーもおばあ様も、絵画には興味がなくて。画集は伯爵家の財産だから、持ってこられなかったのです。昨年、戦費を募るチャリティーだかで王立美術館ロイヤルギャラリーが開放された時に、王室所蔵のエル・グランをいくつか見て、画集と同じだと。……でもこの絵は天井画だったのですね……」 

 しみじみと言うエルシーの様子に、やはり一緒に画集を見た俺のことは覚えていないらしいとわかり、俺は衝撃を受ける。

 俺は戦場でもエルシーの夢を見ていたのに、エルシーは俺のことを忘れていたなんて――。
 

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