【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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第二章 忘れられた男 

「愛人」

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 歌劇場でキスをしてからも、俺は忙しい公務の合間を縫って、エルシーと出かけた。
 旧ワーズワース邸での催しは、やはり違法な取引の仲介場となっているらしく、さまざまな情報が上がってきた。だが、主催者の資本家は最近、王都で力をつけたヤリ手で、閣僚とも裏では付き合いがあって、いきなりしょっぴくのは難しいようだった。

「邸のオーナーは場所を提供しているだけで、黒幕は他にいるようです」
「黒幕?」
「あの邸に居候して、資金援助を受けている芸術家が、絵画や宝石の闇市場ブラック・マーケットとつながっています。以前に贋作を手掛けているようで――」

 ラルフ・シモンズの報告を受けて、俺は眉を寄せる。
 俺はマックス・アシュバートンの部下を一部引き継ぎ、いずれ特務機関を管掌する予定のはずだが、現在、特務を仕切っているマールバラ公爵から完全に引き継いだわけではない。俺が使える特務はごく一部に過ぎず、あまり大掛かりな捕り物は荷が重い。

「……実は、近々、競売オークションが開かれるようなのですが、目録に、『レザンの聖母』があると」
「なんだと?」

 『レザンの聖母』は、巨匠エル・グランの作品で王家の所蔵品だ。ところが、戦時中のチャリティーとして王立美術館ナショナル・ギャラリーを公開したときに、とある鑑定家が精巧な贋作であると指摘したのだ。その事実は内密にされているが、一部好事家こうずかの間では、盗難されて密かにコレクターの手に落ちている、などと噂されていた。

「……あれが闇市場に出回るわけか!」 

 盗品と知りながら所有していたコレクターが、何かの理由で手放すことになった。下手をすると国外に流出してしまう。

「この程度の事案なら、俺が動いてもよかろう。……競売で俺が落札する。兄上に連絡を」
「は」

 ラルフに指示し、俺は当日の競売に臨んだ。




 

「今日はホンモノの間諜スパイだ。ごっこじゃない」
「はい?」 

 俺に言われて、エルシーが首を傾げる。
 今日は深緑色のドレスに、黒い仮面。チュールのオーバースカートに、透ける同色のショール。森の妖精をイメージして、秋の木の葉模様のビーズの小物入れレティキュール。ふわっとしたスカートが、妖精の羽のようだ。

 俺はエルシーの耳元でささやく。

「今日の競売オークションは秘密だ。出品されるのは、盗品ばかり。……どうしても、落札しなければならない絵がある」
「絵……盗品を?」

 俺は出品のカタログを広げ、指さす。

「これは本来、王家の所蔵品だが、いつの間にか精巧な贋作とすり替えられていた。今日、ホンモノが出る。国内のコレクターならともなく、外国に流出したらまずい」
「へえ……」

 エルシーは仮面をつけた首を傾げる。

「……殿下はずいぶん、絵にお好きなのですね」

 聞かれて、俺はエルシーの顔を仮面越しに見つめた。俺はリンドホルムではいつも、絵を描いていた。……エルシーはリジーのことはすべて忘れてしまったのか……。

「……まあな、昔は画家になりたかったんだ」
「そうなのですか。……意外です。王子様なのに」

 ……たしかに、王子のくせに絵が趣味なんてのは、全く歓迎されなかった。油絵の道具は実は、マックス・アシュバートンが買ってくれたものだ。

「プロの画家になれるほど、上手くなかった」
「今はもう、趣味でもお描きにはならないのですか?」

 エルシーでいっぱいだったスケッチブックは、ステファニーに見せろと詰め寄られ、暖炉に投げ込んで焼いてしまった。あれ以来、風景をスケッチするくらいだ。

「最近は書いてないな……スケッチくらいだ。戦地では油絵を描く暇はなかった」

 何しろ塹壕ざんごうに籠っていたからな。光も射さないし、油絵のイーゼルを立てる場所すらなかった。

「スケッチされるなら、今度見せてくださいよ。……お金がかからなくていい趣味だわ」

 エルシーも、よく俺の絵を見たがった。それを思い出して、俺はつい、微笑んでいた。

「……ああ、そのうち、な」

 ちょうど競売が始まり、話はそこまでになった。






 無事に落札して、高級レストランで向かいあって食事をしながら、エルシーが言う。

「王族にとって、結婚は義務でしょう? ……よろしいんですか? こんなところで平民の秘書官とお食事なんかなさって。ゴシップ紙にでも嗅ぎつけられたら、とんだ浮気者だって騒がれますよ?」

 王族に生まれた以上、早く結婚しろ。――王宮で遇う人間ごとに説教されていたが、エルシー本人に言われるのは心外だった。俺とお前の結婚は、三年も前に父上だって許可を出している。お前となら今すぐにでも、俺は結婚したいんだ、と力説したい。なのに――。

「そういうご身分に生まれたんですから、王族の義務だと思って諦めたらいかがです?」
「勝手なことを! お前だって、好きでもない男と結婚しろと言われて、はいわかりました、なんてならないだろう?」
「それが領地のためならしましたよ。……代襲相続の勅許が下りていたら、条件の合う相手と結婚するつもりでした」
 
 あっさり反論され、俺は言葉に詰まる。
 そうなのだ。マックスが死んで三年。もし、エルシーの相続が認められていたとして、十六かそこらのエルシーに、領地経営なんてできるわけがない。……マックスが父上に俺とエルシーの結婚を求めたのも、万一、自分が死んだ時のことを考えていたはずなのだ。

 だが、あの詔勅は握り潰された。……詔勅の副本は紛失し、代襲相続まで却下されて……。

 結果的に、エルシーは領地のために結婚することを免れている。

「でも、お前もその、誰が好きな男はいなかったのか、幼馴染とか、親戚の男とか」

 少しでもリジーを憶えていないだろうかと、俺の藁にもすがるような質問に、しかし、エルシーはすごく嫌そうに顔を歪めた。

「幼馴染なんていません!……でも、代襲相続の勅許が下りていたら、親戚の……今のリンドホルム伯爵の息子と結婚させるなんて話もありましたけど。でも、おばあ様が断固拒否して、そのおかげで城にいづらくなったんですけどね!」
「そんな話があったのか!」
 
 ひとしきり、親族の男をくさすエルシーの話を聞いて、俺は一つ、謎が解けた気がした。爵位が親族に移るにしても、先代伯爵の母親と娘を領地から追い出すなんて、あまりに外聞が悪い。現伯爵の息子はどうやら、女に手の早い放蕩者らしい。そんな男にエルシーを任せられなくて、おばあ様は領地も城も捨てて王都に出てきたのだ。
 
 あの貴族的な老婦人が、王都の下町の家で、いったいどんな気持ちで暮らしているのだろうか。せめて、もう少し環境のいい家に移ってもらうことはできないか。

 考えに沈んでいた俺の耳に、エルシーが躊躇いがちに言う。

「その……わたしが、殿下と不適切な関係にある、という噂もあるようで、友人に注意されました。事務の引継ぎもだいぶ要領を得てきたし、そろそろ――」
「まさかお前、俺の秘書官をやめたいのか?」

 エルシーが視線を彷徨わせる。

「だいたいこの仕事をやめて、お前はどうするつもりだ? 祖母の薬代を払ってくれる、気前のいい金持ちと結婚するつもりか?」
「そんな……当てがあるわけでは――」

 目を伏せるエルシーを見て、俺は頭に血が上った。はあるんだ。――ニコラス・ハートネル! あいつが、しつこく言い寄っているのは聞いていた。

 ハートネルに奪われるのは嫌だ。
 いや、ハートネル以外も許しがたいが、あいつだけはなんだか嫌な予感がする。
 だいたい、エルシーと俺はキスまでした仲なのに、「不適切」とは何事だ!

 エルシーを手放すつもりのない俺は、強引に次の予定を取り付けた。




 
 
 翌日、司令部に出勤すると、クルツ主任事務官が寄ってきて、言いにくそうに言った。

「その……ミス・アシュバートンなのですが――」
「なんだ?」
「殿下と不適切な関係にあるとの、噂が回っておりまして――」
「彼女は俺の秘書官だ。別に不適切じゃない!」
「レストランで食事をするのは、秘書官の仕事を少々、逸脱しているかと――」
「俺だってメシくらい食うさ!」 
「こういった醜聞しゅうぶんで、悪評を被るのはたいてい、女性です。レコンフィールド公爵令嬢への同情が広まっておりますし、これ以上は、彼女の結婚に差し支えるかもしれません、どうか――」

 俺自身は気にしていなかったが、たしかに、その頃から俺に「愛人ミストレス」がいる、という噂が王都に出回り始めていた。俺らしき男が、ステファニー以外の、若い女を連れて高級レストランに足を運ぶのが目撃されるようになったからだ。

 レストランで個室を予約しても、当然、店への出入りは人の目に触れる。最近評判の、ランド川に面した眺望が自慢のレストランはテラス席でなければ意味がない。エルシーとのデートはレストランでの食事が中心だったが、先日の競売オークションや仮面舞踏会、歌劇場、それから前衛芸術の展覧会などは出かけたことはある。レストラン以外は仮面をつけた催しと、昼間の健全な催しだけだから、「秘書官」だと言い張れば問題ないと俺は思っていた。

 俺とステファニーの婚約は白紙に戻り、俺は誰とも婚約しておらず、誰とメシを食おうが俺の勝手だと思っていた。でも、世間はそんな風には見ない。



 俺はここにきてようやく、「アクセサリー」が欲しいなら他の女を誘え、と言ったエルシーの言葉の意味を理解した。
 俺がエルシーを着飾らせるのは、連れて歩くアクセサリーにするつもりなんかじゃない。
 俺はエルシーを愛しているし、エルシーは俺にとって、お姫様だからだ。当然、受け継ぐはずのものを全て奪われたエルシーに、せめて何か贈りたい。それが俺の、エルシーへの気持ちだった。

 でも、爵位も財産も失ったエルシーと、第三王子の俺には深い身分の差が立ち塞がる。没落したエルシーに、その壁はひどく大きく映るのだろう。でも再会に浮かれ、エルシーのことになると近視になって他が見えなくなる俺は、彼女の置かれた立ち場の危うさに気づかなった。


 
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