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第四章 嘘つき王子
楓並木
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その日のオペラはヴューラーの、神話を題材にしたもの。現代的な演出で、賛否両論だった。
ステファニーは流行りものは好きだったが、音楽やオペラに特に興味があったわけではない。まさか鉢合わせするとは、思ってもみなかった。
先にホワイエに降りたジョナサンが、見覚えのある男と話しているのを見て、俺は眉を顰めた。
あれは――。
その男がすぐに俺にも気づき、馴れ馴れしく話しかけてくる。――アイザック・グレンジャー、ステファニーの親友の、婚約者。ということは――。
「殿下、お久しぶり――」
俺は手を上げ、グレンジャーを制する。
「今日はお忍びだ。大きな声を出さないでくれ。……劇場に迷惑がかかる」
グレンジャーの背後に、まごうことなきステファニーの姿を見つけ、俺は舌打ちしたくなった。
「婚約者どのをお借りしているよ。何なら、次の幕はステファニー嬢と二人で――」
「連れがいる。それに、レディ・ステファニーとの婚約は白紙に戻っていて、俺と彼女は何でもない」
俺が首を振れば、グレンジャーが言う。
「その連れというのは例の――」
「誰でもいいだろう、俺の恋人だ。放っておいてくれ」
俺がはっきり断言すれば、ステファニーは息を飲み、蒼白な顔で俺を見た。
歌劇場のホワイエで揉めたくはなかった。チラチラこちらを気にしている者もいるし、目立ちすぎる。
「……とにかく、ここでは困る」
「ならば今から殿下のボックスに――」
「いい加減にしてくれ!」
俺が声を荒げれば、その場の年長者、マッケンジー侯爵がそっと口を出してきた。
「劇場がはねた後、近所のレストランを押さえておりまして。ぜひ殿下も――」
マッケンジー侯爵は、ステファニーの姉・アリスンの夫だが、母親が先代国王の第一王女――つまり、俺とは従兄になる。
「――約束がある」
「愛人と?!」
「グレンジャー、やめないか」
マッケンジー侯爵が窘め、さらに言う。
「少しだけでもお立ち寄りいただければ。戦争からお戻りになって、一度もちゃんとお話しもできていません。どうか、我が家の顔を立ててくださいませんか」
「……ならば、食前酒だけ」
マッケンジー侯爵家の顔を立てろと言われると、弱い。俺は仕方なく了承し、開演を知らせるベルを聞いて、身をひるがえした。
正直、行きたくはなかった。ステファニーを中心とする、高位貴族の付き合いは昔から苦手だし、エルシーを一人で待たせるのも不安だった。
ボックス席で事情を説明して詫びれば、エルシーは仕方ないと首を振る。
こそこそと隠すような扱い。本当に愛人のようで、反論もできない。
俺は肌身離さず持ち歩いている、マックスの詔勅の存在を、上着の上から確かめる。
俺とエルシーの結婚を、父上も一度は認めた。今、少しばかり歪んでいるだけで、俺はエルシーを愛人扱いするつもりなんてないのに。――俺が、強引に関係を持ったために、エルシーを日陰の立場においてしまった。
ロベルトに命じてこっそり、エルシーを劇場から出し、俺は気の進まない会食に出向いた。戦争前は、ステファニーの姉夫婦や、その取り巻きたちと出かけたり、パーティで顔を合わせることもしょっちゅうだった。レコンフィールド公爵家を中心とする、王都の青年貴族の集まりにも、頻繁に引っ張り出された。
オペラ、乗馬、競馬、園遊会。
たいして面白くもない集まり。俺はステファニーにいやいや付き合って、その裏でステファニーにあてつけるための火遊びを繰り返していたけれど、もしかしたら、俺も社交を楽しんでいると思われていたのだろうか。
ステファニーと縁が切れたことで、俺は彼らの社交グループからは意識的に距離を置いているが、グレンジャーたちは、戦争から戻ってから、俺の付き合いが悪くなったくらいに思っているのかもしれない。
歌劇場の近くのレストランは、一角が貸し切りのようになっていて、奥の上席を薦められたけれど、俺は途中で失礼するからと、入り口に近い席に座った。早速グレンジャーが寄ってきて、シェリー酒を注文して、俺に言った。
「ずいぶんと、お見限りでしたね。いろいろお忙しかったようですが――」
「……まあな」
「レディ・ステファニーがずっと、沈んでいましたよ。どうして心変わりしたのかと――」
俺はシェリー酒を一口、飲んで、グラスをテーブルに置いてグレンジャーを見た。
「別に心変わりじゃない。……もともと、そんなに好きじゃなかった」
「まさか! あんなに仲睦まじかったのに! 彼女の我儘はすべて叶えていたじゃありませんか」
我儘を聞かないと、王妃に告げ口されるからな……。俺は、少し離れた場所から、俺の様子をうかがっているらしい、ステファニーの雰囲気を感じ取り、ため息をつく。
「戦争前に、婚約は白紙に戻っている。その話はもう、ないんだ。政府広報にも出ただろう」
俺とグレンジャーの様子を見た、年かさのマッケンジー侯爵が寄ってきて、とりなす。
「殿下の無事なご帰還について、直接お祝いを申し上げたいと思っていたのですよ。なかなか機会がなくて」
「ああ。……俺もいろいろ忙しくて。侯爵も変わりないようで、何よりです」
「愛人と出かける時間はあるのに。ステファニーがどれだけ待っていたか」
口をはさむグレンジャーに、俺は思わず反論する。
「ステファニーには、他に嫁ぐようにも言っていた。もうとっくに嫁に行っていると思っていたのに――」
「……まあまあ。グレンジャー、君もやめたまえ」
マッケンジー侯爵が鷹揚にグレンジャーを宥めるが、グレンジャーは収まらないようだった。
「本当にステファニーはあなただけを待っていたんです!それを――」
「勝手に待っておいて、責任取れと言われても、困る!」
俺たちの声がやや高くなり、奥で歓談していた女たちがハッと無言になり、俺とステファニーの目が合った。マッケンジー侯爵が穏やかに言った。
「――このたびの戦争で、婚約者や夫が不幸にも戦死し、別の男と結婚した例もあるし、生きて戻ってきても、怪我がひどかったりして、婚約や婚姻が解消になる場合も聞きます。……すべてが元通りというわけには、いかないさ」
「でも――!」
まだ不満そうなグレンジャーを見ながら、俺はシェリー酒を飲み干すと、空いたグラスをテーブルに置いて、言った。
「俺は戦場で地獄を見て、そこはから這い上がって戻ってきた。……俺の人生も、結婚相手も、自分で決める。――悪いが、他の約束があるので失礼する」
俺は立ち上がってマッケンジー侯爵に挨拶すると、侯爵も立ち上がり、握手をして別れた。
グレンジャーは不満そうな顔をしていたが、さすがにステファニーも空気を読み、無理に引き留めることはしなかった。――父親に釘を刺しておいたせいか。
俺は戦場で死ぬ目に遭った。俺はもう、人のいいなりの人生は嫌だと、戦場で誓った。
王妃の呪いも、国の思惑も、父上の配慮も、俺には必要ない。
俺は、ゴーレムじゃない。
約束のレストランで、待っていたエルシーに再会して、俺はホッとする。
「無理をなさらなくても、お食事は今度でよかったのに」
気を遣うエルシーに俺が笑う。
「俺が嫌だったんだ」
エルシーが困ったように首を傾げているのに、俺は言う。
「俺は地獄から生還したんだ結婚相手は自分で選ぶ」
エルシーはしばらく考えていたが、俺に尋ねた。
「戦争前から好きな方がいらっしゃったのですよね。どうして、その方とお付き合いされないのです?」
……戦争前から好きな女はお前で、俺は今、お前と付き合っているつもりなのだが――。
いつか、俺はエルシーに、真実を気づいてもらうことができるのだろうか――。
バーナード・ハドソン商会のプライヴェートサロンで、商用とエルシーの買い物をした帰り道。俺は楓並木が紅葉する時期だと気づき、馭者に命じて馬車を植物園に向かわせた。
「大丈夫なんですか、そんなところに出掛けて、人に見られたら――」
エルシーは不安がったけれど、俺はどうしても、エルシーと楓並木が見たかった。
植物園の楓並木は、俺がずっと、エルシーとリンドホルムを思って、訪れていた場所だ。あの日、リンドホルムを去る俺とエルシーの、思い出の楓。
――エルシーは、覚えていないだろうが。
見事に色づいた楓並木の下を、並んで歩く。
「素敵だわ」
「ここはよく、一人になりたい時に来た」
俺が高い梢を見上げながら言えば、エルシーも上を見上げて言う。
「リンドホルムの城にも、楓並木がありました」
「知ってる。――いや、その、マックスに聞いた」
俺はエルシーの手を握って、笑いかける。
「ここには一度、二人で来たいと思っていたんだ。――紅葉の時期は一瞬だから」
エルシーは、首を傾げるようにして、言った。
「綺麗だけど、紅葉した楓並木を見ると、悲しい気持ちになるんです。なぜだかわからないけれど、大事な人とお別れしたときみたいな、辛い気分になって――リンドホルムでも、秋の紅葉の時期は悲しくて……」
おかしいでしょう、と笑うエルシ―に、俺は胸をつかれる。
エルシーは幼くて、何も覚えていない。
俺のことも、俺との約束も。楓並木の下の、別れも。
でも、その時の悲しい気持ちだけは覚えていて――。
俺は、繋いだエルシーの手に指と指を絡め、ぎゅっと握った。エルシーが気づいて俺を見上げ、見つめ合う。
ブルーグレーの瞳に映る、俺――。
思い出してほしい。ずっとエルシーだけを愛してきた、俺の気持ちを知ってほしい。
――でも、思い出さなくても、それでもいい。
エルシーの手が、少しだけ力を込めて、俺の手を握り返してくれた。胸の奥に火が灯る。
たとえ忘れられたままでも、これから先、二人で思い出を作っていけるのなら。
俺の額の、「emeth」の文字に命を吹き込んだのは、エルシーだけ。いつか、額の文字が「meth」に変わり、俺が泥に返るその日まで、ただ、エルシーだけ――。
ステファニーは流行りものは好きだったが、音楽やオペラに特に興味があったわけではない。まさか鉢合わせするとは、思ってもみなかった。
先にホワイエに降りたジョナサンが、見覚えのある男と話しているのを見て、俺は眉を顰めた。
あれは――。
その男がすぐに俺にも気づき、馴れ馴れしく話しかけてくる。――アイザック・グレンジャー、ステファニーの親友の、婚約者。ということは――。
「殿下、お久しぶり――」
俺は手を上げ、グレンジャーを制する。
「今日はお忍びだ。大きな声を出さないでくれ。……劇場に迷惑がかかる」
グレンジャーの背後に、まごうことなきステファニーの姿を見つけ、俺は舌打ちしたくなった。
「婚約者どのをお借りしているよ。何なら、次の幕はステファニー嬢と二人で――」
「連れがいる。それに、レディ・ステファニーとの婚約は白紙に戻っていて、俺と彼女は何でもない」
俺が首を振れば、グレンジャーが言う。
「その連れというのは例の――」
「誰でもいいだろう、俺の恋人だ。放っておいてくれ」
俺がはっきり断言すれば、ステファニーは息を飲み、蒼白な顔で俺を見た。
歌劇場のホワイエで揉めたくはなかった。チラチラこちらを気にしている者もいるし、目立ちすぎる。
「……とにかく、ここでは困る」
「ならば今から殿下のボックスに――」
「いい加減にしてくれ!」
俺が声を荒げれば、その場の年長者、マッケンジー侯爵がそっと口を出してきた。
「劇場がはねた後、近所のレストランを押さえておりまして。ぜひ殿下も――」
マッケンジー侯爵は、ステファニーの姉・アリスンの夫だが、母親が先代国王の第一王女――つまり、俺とは従兄になる。
「――約束がある」
「愛人と?!」
「グレンジャー、やめないか」
マッケンジー侯爵が窘め、さらに言う。
「少しだけでもお立ち寄りいただければ。戦争からお戻りになって、一度もちゃんとお話しもできていません。どうか、我が家の顔を立ててくださいませんか」
「……ならば、食前酒だけ」
マッケンジー侯爵家の顔を立てろと言われると、弱い。俺は仕方なく了承し、開演を知らせるベルを聞いて、身をひるがえした。
正直、行きたくはなかった。ステファニーを中心とする、高位貴族の付き合いは昔から苦手だし、エルシーを一人で待たせるのも不安だった。
ボックス席で事情を説明して詫びれば、エルシーは仕方ないと首を振る。
こそこそと隠すような扱い。本当に愛人のようで、反論もできない。
俺は肌身離さず持ち歩いている、マックスの詔勅の存在を、上着の上から確かめる。
俺とエルシーの結婚を、父上も一度は認めた。今、少しばかり歪んでいるだけで、俺はエルシーを愛人扱いするつもりなんてないのに。――俺が、強引に関係を持ったために、エルシーを日陰の立場においてしまった。
ロベルトに命じてこっそり、エルシーを劇場から出し、俺は気の進まない会食に出向いた。戦争前は、ステファニーの姉夫婦や、その取り巻きたちと出かけたり、パーティで顔を合わせることもしょっちゅうだった。レコンフィールド公爵家を中心とする、王都の青年貴族の集まりにも、頻繁に引っ張り出された。
オペラ、乗馬、競馬、園遊会。
たいして面白くもない集まり。俺はステファニーにいやいや付き合って、その裏でステファニーにあてつけるための火遊びを繰り返していたけれど、もしかしたら、俺も社交を楽しんでいると思われていたのだろうか。
ステファニーと縁が切れたことで、俺は彼らの社交グループからは意識的に距離を置いているが、グレンジャーたちは、戦争から戻ってから、俺の付き合いが悪くなったくらいに思っているのかもしれない。
歌劇場の近くのレストランは、一角が貸し切りのようになっていて、奥の上席を薦められたけれど、俺は途中で失礼するからと、入り口に近い席に座った。早速グレンジャーが寄ってきて、シェリー酒を注文して、俺に言った。
「ずいぶんと、お見限りでしたね。いろいろお忙しかったようですが――」
「……まあな」
「レディ・ステファニーがずっと、沈んでいましたよ。どうして心変わりしたのかと――」
俺はシェリー酒を一口、飲んで、グラスをテーブルに置いてグレンジャーを見た。
「別に心変わりじゃない。……もともと、そんなに好きじゃなかった」
「まさか! あんなに仲睦まじかったのに! 彼女の我儘はすべて叶えていたじゃありませんか」
我儘を聞かないと、王妃に告げ口されるからな……。俺は、少し離れた場所から、俺の様子をうかがっているらしい、ステファニーの雰囲気を感じ取り、ため息をつく。
「戦争前に、婚約は白紙に戻っている。その話はもう、ないんだ。政府広報にも出ただろう」
俺とグレンジャーの様子を見た、年かさのマッケンジー侯爵が寄ってきて、とりなす。
「殿下の無事なご帰還について、直接お祝いを申し上げたいと思っていたのですよ。なかなか機会がなくて」
「ああ。……俺もいろいろ忙しくて。侯爵も変わりないようで、何よりです」
「愛人と出かける時間はあるのに。ステファニーがどれだけ待っていたか」
口をはさむグレンジャーに、俺は思わず反論する。
「ステファニーには、他に嫁ぐようにも言っていた。もうとっくに嫁に行っていると思っていたのに――」
「……まあまあ。グレンジャー、君もやめたまえ」
マッケンジー侯爵が鷹揚にグレンジャーを宥めるが、グレンジャーは収まらないようだった。
「本当にステファニーはあなただけを待っていたんです!それを――」
「勝手に待っておいて、責任取れと言われても、困る!」
俺たちの声がやや高くなり、奥で歓談していた女たちがハッと無言になり、俺とステファニーの目が合った。マッケンジー侯爵が穏やかに言った。
「――このたびの戦争で、婚約者や夫が不幸にも戦死し、別の男と結婚した例もあるし、生きて戻ってきても、怪我がひどかったりして、婚約や婚姻が解消になる場合も聞きます。……すべてが元通りというわけには、いかないさ」
「でも――!」
まだ不満そうなグレンジャーを見ながら、俺はシェリー酒を飲み干すと、空いたグラスをテーブルに置いて、言った。
「俺は戦場で地獄を見て、そこはから這い上がって戻ってきた。……俺の人生も、結婚相手も、自分で決める。――悪いが、他の約束があるので失礼する」
俺は立ち上がってマッケンジー侯爵に挨拶すると、侯爵も立ち上がり、握手をして別れた。
グレンジャーは不満そうな顔をしていたが、さすがにステファニーも空気を読み、無理に引き留めることはしなかった。――父親に釘を刺しておいたせいか。
俺は戦場で死ぬ目に遭った。俺はもう、人のいいなりの人生は嫌だと、戦場で誓った。
王妃の呪いも、国の思惑も、父上の配慮も、俺には必要ない。
俺は、ゴーレムじゃない。
約束のレストランで、待っていたエルシーに再会して、俺はホッとする。
「無理をなさらなくても、お食事は今度でよかったのに」
気を遣うエルシーに俺が笑う。
「俺が嫌だったんだ」
エルシーが困ったように首を傾げているのに、俺は言う。
「俺は地獄から生還したんだ結婚相手は自分で選ぶ」
エルシーはしばらく考えていたが、俺に尋ねた。
「戦争前から好きな方がいらっしゃったのですよね。どうして、その方とお付き合いされないのです?」
……戦争前から好きな女はお前で、俺は今、お前と付き合っているつもりなのだが――。
いつか、俺はエルシーに、真実を気づいてもらうことができるのだろうか――。
バーナード・ハドソン商会のプライヴェートサロンで、商用とエルシーの買い物をした帰り道。俺は楓並木が紅葉する時期だと気づき、馭者に命じて馬車を植物園に向かわせた。
「大丈夫なんですか、そんなところに出掛けて、人に見られたら――」
エルシーは不安がったけれど、俺はどうしても、エルシーと楓並木が見たかった。
植物園の楓並木は、俺がずっと、エルシーとリンドホルムを思って、訪れていた場所だ。あの日、リンドホルムを去る俺とエルシーの、思い出の楓。
――エルシーは、覚えていないだろうが。
見事に色づいた楓並木の下を、並んで歩く。
「素敵だわ」
「ここはよく、一人になりたい時に来た」
俺が高い梢を見上げながら言えば、エルシーも上を見上げて言う。
「リンドホルムの城にも、楓並木がありました」
「知ってる。――いや、その、マックスに聞いた」
俺はエルシーの手を握って、笑いかける。
「ここには一度、二人で来たいと思っていたんだ。――紅葉の時期は一瞬だから」
エルシーは、首を傾げるようにして、言った。
「綺麗だけど、紅葉した楓並木を見ると、悲しい気持ちになるんです。なぜだかわからないけれど、大事な人とお別れしたときみたいな、辛い気分になって――リンドホルムでも、秋の紅葉の時期は悲しくて……」
おかしいでしょう、と笑うエルシ―に、俺は胸をつかれる。
エルシーは幼くて、何も覚えていない。
俺のことも、俺との約束も。楓並木の下の、別れも。
でも、その時の悲しい気持ちだけは覚えていて――。
俺は、繋いだエルシーの手に指と指を絡め、ぎゅっと握った。エルシーが気づいて俺を見上げ、見つめ合う。
ブルーグレーの瞳に映る、俺――。
思い出してほしい。ずっとエルシーだけを愛してきた、俺の気持ちを知ってほしい。
――でも、思い出さなくても、それでもいい。
エルシーの手が、少しだけ力を込めて、俺の手を握り返してくれた。胸の奥に火が灯る。
たとえ忘れられたままでも、これから先、二人で思い出を作っていけるのなら。
俺の額の、「emeth」の文字に命を吹き込んだのは、エルシーだけ。いつか、額の文字が「meth」に変わり、俺が泥に返るその日まで、ただ、エルシーだけ――。
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