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わたしの意地悪なご主人様
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そうして一年が過ぎ、エミリオが寄宿学校に入学して二度目の冬が訪れた。
どうしてもエミリオに会いたかったアリエッタは、ある晩、夕食の際に、エミリオの両親に「聖夜祭にご家族が揃わないのは淋しいですね」と、それとなく告げてみた。それが功を成したのか、その冬、エミリオが一年ぶりに帰郷することになった。
ウルバーノの手紙に記されていた帰省の日、アリエッタは昨年と同じように屋敷の前で雪掻きをしていた。
その日は朝から雪が降っていて、けれど昼も過ぎると小降りになって、夕方にはすっかり雪雲は消えていた。
アリエッタが、明日は久しぶりに晴れそうだ、と空を見上げていると、坂道の向こうから石畳を通る馬車の音が聞こえてきた。
屋敷の門を通り抜け、玄関前に回り込んで馬車が停まる。雪掻き用のシャベルを庭の隅に立て掛けると、アリエッタは玄関前に駆け戻った。玄関ポーチで姿勢を正したところで馬車の扉が開き、コートと帽子に身を包んだウルバーノとエミリオが降りてきた。
「ウルバーノ様、エミリオ様、お帰りなさい」
「ただいま、アリエッタ」
アリエッタが慎ましくお辞儀をしてみせると、ウルバーノがいつものように笑って言った。その後ろを歩いていたエミリオは、アリエッタと目が合うと、ぷいとそっぽを向いた。
ブラウンのコートの襟を立てて、無造作に巻き付けたマフラーから黄金色の癖っ毛をのぞかせて、エミリオはコートのポケットに両手を突っ込んだまま、アリエッタの横を通り過ぎた。一年前は目線が同じだったのに、いつの間にかエミリオは背が随分と伸びていて、今ではアリエッタよりもずっと目線が高くなっていた。
エミリオは振り向いてもくれなかったのに、気が付けばアリエッタの頬はぽかぽかと熱を持っていた。
その日、夕食のデザートには、アリエッタが作ったベリーパイを出した。母に教わって作ったもので、この日の為に何度も練習してきたものだった。
エミリオの両親もウルバーノも、口々に美味しいと褒めてたくさん食べてくれたけれど、エミリオは夕食の席に顔を出さなかった。
アリエッタが少ししゅんとして廊下を歩いていると、ウルバーノが早足で追いかけてきて耳元で囁いた。
「ねえ、アリエッタ。最近エミリオとはどうなの」
「どうって……」
「だってあいつ、ずっと帰ってきてなかったでしょ。今日だって結局顔を見せもしない。ほったらかしにされて寂しくないの?」
そう言うと、ウルバーノはアリエッタの頬に張り付いていた髪を指先で撫でるようにして耳にかけた。背筋がぞわぞわして、アリエッタは両手を胸の前で握り、ウルバーノとの間に壁を作った。
どうやらウルバーノは、アリエッタとエミリオのことを誤解しているようだった。
あのときエミリオが言った「アリエッタは俺の」という言葉には、ウルバーノが考えているような卑猥な意味は含まれていないというのに。単純に憂さ晴らしをする相手として、自分に逆らわない身近な人間であるアリエッタを、エミリオは自分のものだと言い張っただけに過ぎないのに。
ウルバーノは、エミリオがアリエッタを手篭めにしているとでも思っているようだった。
「ひとりでするのはつまらないんだよね。暇なら付き合って欲しいんだけど」
素早く伸びたウルバーノの手がアリエッタの手首を握って、アリエッタはびくりと後退った。
「そういうことを仰らないでください。エミリオ様に勘違いされたくありません」
いっそ?据げてしまえばいいのにと思いながら、アリエッタがウルバーノの手を振りほどくと、彼は「冷たいなぁ」と微笑んで、手のひらをひらひらさせて廊下を去っていった。
廊下にひとり残されて、アリエッタは急ぎ足で自室に戻った。
エミリオはアリエッタを苛めたいだけだから、アリエッタがウルバーノに夜の奉仕を強要されても、きっと止めたりはしない。
けれど、エミリオとの関係を勘違いされていることでウルバーノの性欲の捌け口にならずに済むのなら、エミリオの捌け口になっていると思われているほうがずっと良い、とアリエッタは思った。
エミリオはアリエッタを昔のようには見てくれない。理由はわからないけれど、彼がアリエッタに冷たくなったのは、ウルバーノにいけない遊びを教えられたあの夏からのような気がしていた。
もしかしたら、エミリオはアリエッタとウルバーノの遊びのことを知っていて、アリエッタのことを穢らわしい存在だと思っているのかもしれない。
けれど、弁解する機会は何処にもなかった。問い詰められでもしたのならともかく、エミリオはアリエッタに興味を示さないのだから。
アリエッタの頬を、はらはらと涙がこぼれ落ちた。
明日からのエミリオの世話は、以前と同じようにアリエッタに任されていた。朝一番にエミリオの部屋を訪れて、顔を見ることだってできる。以前のように、悪戯をされるかもしれない。アリエッタはもう、芋虫も蚯蚓も怖くないけれど、アリエッタが泣くことでエミリオの気が晴れるなら、以前のように悲鳴をあげて逃げ回ることだってできる。
エミリオが喜ぶなら、笑ってくれるなら、なんだって出来る。
薄い毛布に潜り込んで、アリエッタは目を閉じた。
どうしてもエミリオに会いたかったアリエッタは、ある晩、夕食の際に、エミリオの両親に「聖夜祭にご家族が揃わないのは淋しいですね」と、それとなく告げてみた。それが功を成したのか、その冬、エミリオが一年ぶりに帰郷することになった。
ウルバーノの手紙に記されていた帰省の日、アリエッタは昨年と同じように屋敷の前で雪掻きをしていた。
その日は朝から雪が降っていて、けれど昼も過ぎると小降りになって、夕方にはすっかり雪雲は消えていた。
アリエッタが、明日は久しぶりに晴れそうだ、と空を見上げていると、坂道の向こうから石畳を通る馬車の音が聞こえてきた。
屋敷の門を通り抜け、玄関前に回り込んで馬車が停まる。雪掻き用のシャベルを庭の隅に立て掛けると、アリエッタは玄関前に駆け戻った。玄関ポーチで姿勢を正したところで馬車の扉が開き、コートと帽子に身を包んだウルバーノとエミリオが降りてきた。
「ウルバーノ様、エミリオ様、お帰りなさい」
「ただいま、アリエッタ」
アリエッタが慎ましくお辞儀をしてみせると、ウルバーノがいつものように笑って言った。その後ろを歩いていたエミリオは、アリエッタと目が合うと、ぷいとそっぽを向いた。
ブラウンのコートの襟を立てて、無造作に巻き付けたマフラーから黄金色の癖っ毛をのぞかせて、エミリオはコートのポケットに両手を突っ込んだまま、アリエッタの横を通り過ぎた。一年前は目線が同じだったのに、いつの間にかエミリオは背が随分と伸びていて、今ではアリエッタよりもずっと目線が高くなっていた。
エミリオは振り向いてもくれなかったのに、気が付けばアリエッタの頬はぽかぽかと熱を持っていた。
その日、夕食のデザートには、アリエッタが作ったベリーパイを出した。母に教わって作ったもので、この日の為に何度も練習してきたものだった。
エミリオの両親もウルバーノも、口々に美味しいと褒めてたくさん食べてくれたけれど、エミリオは夕食の席に顔を出さなかった。
アリエッタが少ししゅんとして廊下を歩いていると、ウルバーノが早足で追いかけてきて耳元で囁いた。
「ねえ、アリエッタ。最近エミリオとはどうなの」
「どうって……」
「だってあいつ、ずっと帰ってきてなかったでしょ。今日だって結局顔を見せもしない。ほったらかしにされて寂しくないの?」
そう言うと、ウルバーノはアリエッタの頬に張り付いていた髪を指先で撫でるようにして耳にかけた。背筋がぞわぞわして、アリエッタは両手を胸の前で握り、ウルバーノとの間に壁を作った。
どうやらウルバーノは、アリエッタとエミリオのことを誤解しているようだった。
あのときエミリオが言った「アリエッタは俺の」という言葉には、ウルバーノが考えているような卑猥な意味は含まれていないというのに。単純に憂さ晴らしをする相手として、自分に逆らわない身近な人間であるアリエッタを、エミリオは自分のものだと言い張っただけに過ぎないのに。
ウルバーノは、エミリオがアリエッタを手篭めにしているとでも思っているようだった。
「ひとりでするのはつまらないんだよね。暇なら付き合って欲しいんだけど」
素早く伸びたウルバーノの手がアリエッタの手首を握って、アリエッタはびくりと後退った。
「そういうことを仰らないでください。エミリオ様に勘違いされたくありません」
いっそ?据げてしまえばいいのにと思いながら、アリエッタがウルバーノの手を振りほどくと、彼は「冷たいなぁ」と微笑んで、手のひらをひらひらさせて廊下を去っていった。
廊下にひとり残されて、アリエッタは急ぎ足で自室に戻った。
エミリオはアリエッタを苛めたいだけだから、アリエッタがウルバーノに夜の奉仕を強要されても、きっと止めたりはしない。
けれど、エミリオとの関係を勘違いされていることでウルバーノの性欲の捌け口にならずに済むのなら、エミリオの捌け口になっていると思われているほうがずっと良い、とアリエッタは思った。
エミリオはアリエッタを昔のようには見てくれない。理由はわからないけれど、彼がアリエッタに冷たくなったのは、ウルバーノにいけない遊びを教えられたあの夏からのような気がしていた。
もしかしたら、エミリオはアリエッタとウルバーノの遊びのことを知っていて、アリエッタのことを穢らわしい存在だと思っているのかもしれない。
けれど、弁解する機会は何処にもなかった。問い詰められでもしたのならともかく、エミリオはアリエッタに興味を示さないのだから。
アリエッタの頬を、はらはらと涙がこぼれ落ちた。
明日からのエミリオの世話は、以前と同じようにアリエッタに任されていた。朝一番にエミリオの部屋を訪れて、顔を見ることだってできる。以前のように、悪戯をされるかもしれない。アリエッタはもう、芋虫も蚯蚓も怖くないけれど、アリエッタが泣くことでエミリオの気が晴れるなら、以前のように悲鳴をあげて逃げ回ることだってできる。
エミリオが喜ぶなら、笑ってくれるなら、なんだって出来る。
薄い毛布に潜り込んで、アリエッタは目を閉じた。
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