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未成熟な僕等の秘密
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エミリオが寄宿学校に入学して二度目の春が訪れた。
春季休暇で里帰りする生徒達が、迎えの馬車に次々と乗り込んでいく。爽やかな風が吹く石造りの渡り廊下に佇んで、広々とした校庭を眺めながら、エミリオは澄んだ碧い瞳を薄っすらと細めた。その横顔には、以前のような苛立ちは一切感じられない。ふとした瞬間に口元が弧を描き、柔らかな微笑みが浮かぶ。
長いあいだ胸に閊えていたわだかまりは、この冬、久しぶりの里帰りで、積もり積もった雪とともに溶け消えていた。思い返せば情調の欠片もない酷い告白ではあった。それでも、あのとき想いを伝えて正解だったのだと、彼女の笑顔を思い出すたびに確信できる。
薄紅色に頬を染めてはにかむように微笑むアリエッタ。子供の頃から何度も目にした穏やかな笑みとはまた違う、恋する少女の顔をした彼女のことを思い出すたびに、エミリオの胸はきゅんと締め付けられた。
街はすでに復活祭の準備で賑わっている。屋敷に戻ったら一番にアリエッタを祭りに誘って、そして――。
不純な想像が脳裏を過ぎり、エミリオは慌てて首を振った。柔らかく指先を包み込む、あの感触を思い出して、手のひらがじんと熱を帯びていた。
エミリオも年頃の男子だ。婚前の、交際を認められた訳ではない状況で、紳士にあるまじき行動だと理解はしていても、好きな異性には触れたいと思ってしまう。キスは勿論、その先だって考える。
爽やかな春の景色を背景に悶々と頭を悩ませていたところで、軽い靴音がエミリオの耳に届いた。
「こんな所に居たのか。もう迎えの馬車が来てるんだけど」
エミリオと揃いの黄金色の髪をなびかせて現れたのは、三つ年長の兄ウルバーノだった。細身の長身を春物のスーツで装う兄の姿は、端整な顔も相まって、弟のエミリオから見ても麗しい。
それなのに、これだけ容姿に恵まれて、社交の場に出向けば令嬢のあいだで引く手数多な癖に。ウルバーノは以前、無垢だったアリエッタに手を出したのだ。
握り締めた手のひらに無意識にちからが篭る。エミリオは意識せずとも仏頂面になっていた。
「なに拗ねてんだよ」
「別に」
「……へぇ」
返事をした矢先、エミリオの肩にずっしりとした重みが掛かる。バランスを崩して前のめりになりながら、エミリオは訴えるようにウルバーノを見上げた。
「ちょ、兄さん、重っ……」
「生意気な弟にはお仕置きが必要だろー」
ひらひらと手のひらを振りながら、ウルバーノは颯爽と進んでいく。ふたり分の肩掛け鞄を両肩に提げて、エミリオはよろよろと兄の背中を追った。
***
校庭には既に生徒の影がなく、辺りはひっそりと静まり返っていた。石畳の道を校門に向かって歩きながら、エミリオはウルバーノに訊ねた。
「そういえば兄さん、アリエッタに、その、悪さしてた時期あっただろ。あのとき、なんで最後までしなかったの」
それは、エミリオが長らく疑問に思っていたことだった。
エミリオにとっては幼馴染みで、家族と同様の大切な存在だとしても、ウルバーノにとってのアリエッタはただの使用人だ。アリエッタは例え自身が傷付けられても家人の秘密を口外したりしない。性欲の捌け口にするのなら、犯してしまっても変わらない筈だった。だから、ウルバーノが口での奉仕だけで済ませていたと知って、あのときエミリオは安堵したと同時に不思議に思ったのだ。
エミリオの問いが相当意に外れたものだったのか、ウルバーノは足を止め、碧い瞳を丸くしてエミリオを振り返った。
「なんでってお前、処女じゃなくなった未婚の女の扱いなんて悲惨なもんだよ。そんなの可哀想だろ」
「え、まあ、……うん」
「お前もさ、遊ぶのは良いけどそういうところはしっかり考えろよ」
「え、ああ、……うん」
諭すようにそう告げてエミリオを頷かせると、ウルバーノはエミリオの頭をわしわしと撫でて満足気な笑みを浮かべ、ふたたび校門へ向かって歩き出した。
言ってることは間違っていないのに、何故だか納得いかない。眉根を寄せて口をへの字に曲げ、エミリオは兄の背中を追いかけた。
三つ年長の兄は、エミリオよりもずっと背が高く、足が長い。ようやくエミリオが追いついたところで、ウルバーノが不意に振り返り、随分と真面目腐った顔でエミリオに告げた。
「ああ、それとお前、勘違いしてそうだから言っておくけど、アリエッタにキスした奴はお前が初めてだから。とやかく言える立場じゃないけど、あまり気を持たせてやると可哀想だぞ」
春季休暇で里帰りする生徒達が、迎えの馬車に次々と乗り込んでいく。爽やかな風が吹く石造りの渡り廊下に佇んで、広々とした校庭を眺めながら、エミリオは澄んだ碧い瞳を薄っすらと細めた。その横顔には、以前のような苛立ちは一切感じられない。ふとした瞬間に口元が弧を描き、柔らかな微笑みが浮かぶ。
長いあいだ胸に閊えていたわだかまりは、この冬、久しぶりの里帰りで、積もり積もった雪とともに溶け消えていた。思い返せば情調の欠片もない酷い告白ではあった。それでも、あのとき想いを伝えて正解だったのだと、彼女の笑顔を思い出すたびに確信できる。
薄紅色に頬を染めてはにかむように微笑むアリエッタ。子供の頃から何度も目にした穏やかな笑みとはまた違う、恋する少女の顔をした彼女のことを思い出すたびに、エミリオの胸はきゅんと締め付けられた。
街はすでに復活祭の準備で賑わっている。屋敷に戻ったら一番にアリエッタを祭りに誘って、そして――。
不純な想像が脳裏を過ぎり、エミリオは慌てて首を振った。柔らかく指先を包み込む、あの感触を思い出して、手のひらがじんと熱を帯びていた。
エミリオも年頃の男子だ。婚前の、交際を認められた訳ではない状況で、紳士にあるまじき行動だと理解はしていても、好きな異性には触れたいと思ってしまう。キスは勿論、その先だって考える。
爽やかな春の景色を背景に悶々と頭を悩ませていたところで、軽い靴音がエミリオの耳に届いた。
「こんな所に居たのか。もう迎えの馬車が来てるんだけど」
エミリオと揃いの黄金色の髪をなびかせて現れたのは、三つ年長の兄ウルバーノだった。細身の長身を春物のスーツで装う兄の姿は、端整な顔も相まって、弟のエミリオから見ても麗しい。
それなのに、これだけ容姿に恵まれて、社交の場に出向けば令嬢のあいだで引く手数多な癖に。ウルバーノは以前、無垢だったアリエッタに手を出したのだ。
握り締めた手のひらに無意識にちからが篭る。エミリオは意識せずとも仏頂面になっていた。
「なに拗ねてんだよ」
「別に」
「……へぇ」
返事をした矢先、エミリオの肩にずっしりとした重みが掛かる。バランスを崩して前のめりになりながら、エミリオは訴えるようにウルバーノを見上げた。
「ちょ、兄さん、重っ……」
「生意気な弟にはお仕置きが必要だろー」
ひらひらと手のひらを振りながら、ウルバーノは颯爽と進んでいく。ふたり分の肩掛け鞄を両肩に提げて、エミリオはよろよろと兄の背中を追った。
***
校庭には既に生徒の影がなく、辺りはひっそりと静まり返っていた。石畳の道を校門に向かって歩きながら、エミリオはウルバーノに訊ねた。
「そういえば兄さん、アリエッタに、その、悪さしてた時期あっただろ。あのとき、なんで最後までしなかったの」
それは、エミリオが長らく疑問に思っていたことだった。
エミリオにとっては幼馴染みで、家族と同様の大切な存在だとしても、ウルバーノにとってのアリエッタはただの使用人だ。アリエッタは例え自身が傷付けられても家人の秘密を口外したりしない。性欲の捌け口にするのなら、犯してしまっても変わらない筈だった。だから、ウルバーノが口での奉仕だけで済ませていたと知って、あのときエミリオは安堵したと同時に不思議に思ったのだ。
エミリオの問いが相当意に外れたものだったのか、ウルバーノは足を止め、碧い瞳を丸くしてエミリオを振り返った。
「なんでってお前、処女じゃなくなった未婚の女の扱いなんて悲惨なもんだよ。そんなの可哀想だろ」
「え、まあ、……うん」
「お前もさ、遊ぶのは良いけどそういうところはしっかり考えろよ」
「え、ああ、……うん」
諭すようにそう告げてエミリオを頷かせると、ウルバーノはエミリオの頭をわしわしと撫でて満足気な笑みを浮かべ、ふたたび校門へ向かって歩き出した。
言ってることは間違っていないのに、何故だか納得いかない。眉根を寄せて口をへの字に曲げ、エミリオは兄の背中を追いかけた。
三つ年長の兄は、エミリオよりもずっと背が高く、足が長い。ようやくエミリオが追いついたところで、ウルバーノが不意に振り返り、随分と真面目腐った顔でエミリオに告げた。
「ああ、それとお前、勘違いしてそうだから言っておくけど、アリエッタにキスした奴はお前が初めてだから。とやかく言える立場じゃないけど、あまり気を持たせてやると可哀想だぞ」
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