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未成熟な僕等の秘密
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新緑に彩られた街路樹が窓の外を流れていく。伯父の家の馬車に揺られながら、エミリオはぼんやりと馴染みの街並みを眺めていた。
季節ごとの長期休暇になると、寄宿学校の生徒たちは各々の家の馬車で帰省する。エミリオの家は裕福ではないから、寄宿舎への送り迎えには、いつも伯父の家の馬車を借りていた。屋敷そのものは街からそう遠くはないため、馬車がなくとも日々の生活に不便はない。けれど、親戚とはいえ他家の使用人に送り迎えされるのは、どうにも気を使ってしまう。
今のような状況の場合は、特に。
「ごめん、ちょっと停めて!」
車両から身を乗り出して痩身の御者に声を掛ける。同乗していたウルバーノに荷物を任せ、エミリオは馬車が止まり切るより先に車両から飛び降りた。
膝ががくんと崩れかけ、転びそうになったけれど、そんなことはどうでも良かった。赤と茶の煉瓦敷きの歩道を、エミリオは一目散に駆け出した。
「アリエッタ!」
坂道を下った先に、アリエッタの姿があった。つばのある帽子を被り、濃紺色のデイドレスを着たアリエッタは、バケットや野菜の詰まった布袋を両手で抱えて歩いていた。布袋の陰から覗いた翠色の瞳が、エミリオを映してまるくなる。
「エミリオ様、今お帰りですか?」
「うん、そこで降ろしてもらった。アリエッタは買い出しの帰り?」
「はい。今日はエミリオ様とウルバーノ様がお戻りになるからって、母が張り切ってしまって」
せっつくようなエミリオの問いに、アリエッタはくすりと微笑んで答えた。
寄宿学校で過ごす間、毎日のようにその姿を思い浮かべていたものの、久しぶりに見るアリエッタは格別だった。きらめく瞳も、はにかむような表情も、淑やかで控えめな仕草も、記憶だけで構築していた想像上のアリエッタでは遠く及ばない。
見惚れていたのはほんのすこしの間だった。けれど、黙り込んだエミリオを不思議に思ったのか、アリエッタは布袋を抱え直すと、小さく首を傾けた。
がさりと音がして、エミリオがハッと我にかえる。
「それ、持ってやるよ」
「大丈夫です。慣れてますから」
「あー、そう……」
にっこりと笑って断られてはそれ以上食い下がることもできず、エミリオは空いた手をズボンのポケットに突っ込むと、煉瓦敷きの坂道を歩きはじめた。
エミリオに道を譲るように、アリエッタが一歩遅れて後に続く。使用人という立場を考えれば当然の行動なのかもしれない。けれど、エミリオは故意に歩調を遅らせてアリエッタの横に並んだ。
わざわざ馬車を降りてまで駆け付けたのは、なんとかアリエッタの隣に並んで歩きたかったからだ。想い合う恋人のように、連れ立って歩いてみたかったからだ。
エミリオが隣に並ぶたびに、アリエッタは気を利かせて足を止めていた。けれど、さすがに三度目ともなるとエミリオがわざとそうしていることに気が付いたのだろう。一度だけエミリオの表情を確認すると、アリエッタは観念したようにエミリオに歩調を合わせて歩きはじめた。
肩と肩が触れ合うたびに微かに頬が熱を帯び、エミリオの胸はほんの少しずつ高鳴っていった。
***
「それでは、わたしはここで。後ほどお部屋に伺って荷解きを致しますね」
門前に着くと、アリエッタはそう言ってエミリオにぺこりと頭を下げた。アリエッタの姿が屋敷の陰に消えるのを、エミリオはぼんやりと見送った。
使用人であるアリエッタは通常正面玄関を使わない。屋敷の中では使用人通路を使い、食事から空いた時間までを階下で過ごす。同じ屋敷で暮らしていても、エミリオとアリエッタが直接会って話せるのは、朝の身支度を整えるまでのほんのひと時だけだ。私用で呼び付けでもしない限り、ふたりきりで会うことは難しい。
荷解きの手伝いに来るとは言っていたけど、それだって――
正面玄関に向かいかけた足を止め、エミリオは屋敷脇の小径へ目を向けた。しばらく逡巡したあと、ぐっと口元を引き結ぶと、エミリオは踵を返してアリエッタを追いかけた。
塀に沿ってすっきりと剪定された樹々が立ち並ぶ小径を、足早に通り抜ける。屋敷の角を曲がったところで、布袋を器用に脇に抱え、勝手口の取っ手に手を掛けるアリエッタが目に入った。
「アリエッタ!」
張り上げた呼び声に、アリエッタが驚いて振り返る。翠色の瞳をぱちくりと瞬かせるアリエッタに、エミリオは息を切らせて駆け寄った。春先の陽気にあてられたせいか、柄にもなく走ったせいか、黄金色の横髪が汗で湿ったエミリオの頬に張り付いていた。
「……御髪が乱れてますよ?」
困ったように微笑んだアリエッタの指先が、黄金色の髪を掬ってエミリオの頬に触れた。
どうしようもなく胸が締め付けられ、息が詰まる。苦々しく眉を顰めたエミリオの瞳を、アリエッタが小首を傾げて覗き込んだ。
――身体が勝手に動いていた。
アリエッタの頬にエミリオの手が触れる。それと同時に、アリエッタの淡く色付いた唇にエミリオのかさついた唇が重なった。
ほんの一瞬、瞬きひとつするあいだの出来事だった。吐息を感じる距離まで離れると、エミリオは呆然とするアリエッタの瞳を食い入るようにみつめた。
「悪い。……嫌だった?」
吐息混じりに訊ねると、アリエッタは真っ赤に顔を染め上げて、ぶんぶんと大きく首を振った。
「い、いいえ! ただ、驚いてしまって……」
「……よかった」
安堵の息を漏らすとともに、肩のちからがふっと抜けた。そのとき、自分がどんな表情をしていたか、エミリオにはわからなかった。
季節ごとの長期休暇になると、寄宿学校の生徒たちは各々の家の馬車で帰省する。エミリオの家は裕福ではないから、寄宿舎への送り迎えには、いつも伯父の家の馬車を借りていた。屋敷そのものは街からそう遠くはないため、馬車がなくとも日々の生活に不便はない。けれど、親戚とはいえ他家の使用人に送り迎えされるのは、どうにも気を使ってしまう。
今のような状況の場合は、特に。
「ごめん、ちょっと停めて!」
車両から身を乗り出して痩身の御者に声を掛ける。同乗していたウルバーノに荷物を任せ、エミリオは馬車が止まり切るより先に車両から飛び降りた。
膝ががくんと崩れかけ、転びそうになったけれど、そんなことはどうでも良かった。赤と茶の煉瓦敷きの歩道を、エミリオは一目散に駆け出した。
「アリエッタ!」
坂道を下った先に、アリエッタの姿があった。つばのある帽子を被り、濃紺色のデイドレスを着たアリエッタは、バケットや野菜の詰まった布袋を両手で抱えて歩いていた。布袋の陰から覗いた翠色の瞳が、エミリオを映してまるくなる。
「エミリオ様、今お帰りですか?」
「うん、そこで降ろしてもらった。アリエッタは買い出しの帰り?」
「はい。今日はエミリオ様とウルバーノ様がお戻りになるからって、母が張り切ってしまって」
せっつくようなエミリオの問いに、アリエッタはくすりと微笑んで答えた。
寄宿学校で過ごす間、毎日のようにその姿を思い浮かべていたものの、久しぶりに見るアリエッタは格別だった。きらめく瞳も、はにかむような表情も、淑やかで控えめな仕草も、記憶だけで構築していた想像上のアリエッタでは遠く及ばない。
見惚れていたのはほんのすこしの間だった。けれど、黙り込んだエミリオを不思議に思ったのか、アリエッタは布袋を抱え直すと、小さく首を傾けた。
がさりと音がして、エミリオがハッと我にかえる。
「それ、持ってやるよ」
「大丈夫です。慣れてますから」
「あー、そう……」
にっこりと笑って断られてはそれ以上食い下がることもできず、エミリオは空いた手をズボンのポケットに突っ込むと、煉瓦敷きの坂道を歩きはじめた。
エミリオに道を譲るように、アリエッタが一歩遅れて後に続く。使用人という立場を考えれば当然の行動なのかもしれない。けれど、エミリオは故意に歩調を遅らせてアリエッタの横に並んだ。
わざわざ馬車を降りてまで駆け付けたのは、なんとかアリエッタの隣に並んで歩きたかったからだ。想い合う恋人のように、連れ立って歩いてみたかったからだ。
エミリオが隣に並ぶたびに、アリエッタは気を利かせて足を止めていた。けれど、さすがに三度目ともなるとエミリオがわざとそうしていることに気が付いたのだろう。一度だけエミリオの表情を確認すると、アリエッタは観念したようにエミリオに歩調を合わせて歩きはじめた。
肩と肩が触れ合うたびに微かに頬が熱を帯び、エミリオの胸はほんの少しずつ高鳴っていった。
***
「それでは、わたしはここで。後ほどお部屋に伺って荷解きを致しますね」
門前に着くと、アリエッタはそう言ってエミリオにぺこりと頭を下げた。アリエッタの姿が屋敷の陰に消えるのを、エミリオはぼんやりと見送った。
使用人であるアリエッタは通常正面玄関を使わない。屋敷の中では使用人通路を使い、食事から空いた時間までを階下で過ごす。同じ屋敷で暮らしていても、エミリオとアリエッタが直接会って話せるのは、朝の身支度を整えるまでのほんのひと時だけだ。私用で呼び付けでもしない限り、ふたりきりで会うことは難しい。
荷解きの手伝いに来るとは言っていたけど、それだって――
正面玄関に向かいかけた足を止め、エミリオは屋敷脇の小径へ目を向けた。しばらく逡巡したあと、ぐっと口元を引き結ぶと、エミリオは踵を返してアリエッタを追いかけた。
塀に沿ってすっきりと剪定された樹々が立ち並ぶ小径を、足早に通り抜ける。屋敷の角を曲がったところで、布袋を器用に脇に抱え、勝手口の取っ手に手を掛けるアリエッタが目に入った。
「アリエッタ!」
張り上げた呼び声に、アリエッタが驚いて振り返る。翠色の瞳をぱちくりと瞬かせるアリエッタに、エミリオは息を切らせて駆け寄った。春先の陽気にあてられたせいか、柄にもなく走ったせいか、黄金色の横髪が汗で湿ったエミリオの頬に張り付いていた。
「……御髪が乱れてますよ?」
困ったように微笑んだアリエッタの指先が、黄金色の髪を掬ってエミリオの頬に触れた。
どうしようもなく胸が締め付けられ、息が詰まる。苦々しく眉を顰めたエミリオの瞳を、アリエッタが小首を傾げて覗き込んだ。
――身体が勝手に動いていた。
アリエッタの頬にエミリオの手が触れる。それと同時に、アリエッタの淡く色付いた唇にエミリオのかさついた唇が重なった。
ほんの一瞬、瞬きひとつするあいだの出来事だった。吐息を感じる距離まで離れると、エミリオは呆然とするアリエッタの瞳を食い入るようにみつめた。
「悪い。……嫌だった?」
吐息混じりに訊ねると、アリエッタは真っ赤に顔を染め上げて、ぶんぶんと大きく首を振った。
「い、いいえ! ただ、驚いてしまって……」
「……よかった」
安堵の息を漏らすとともに、肩のちからがふっと抜けた。そのとき、自分がどんな表情をしていたか、エミリオにはわからなかった。
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