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未成熟な僕等の秘密
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石造りの橋の下を、さらさらと川が流れてゆく。
屋敷へと向かう街道を橋の上から望めば、丘の向こうは夕闇に呑まれ、夜空に点々と星が輝きはじめていた。
とても、とても楽しい一日だった。子どもの頃と同じようにエミリオと過ごすことができた。
そばにいるだけで胸がどきどきして、時折りきゅうっと締め付けられる。何もかもが懐かしいのに、新鮮に感じられた。
おまけに、寄宿学校の友達とエミリオのやり取りまで見ることができた。
こんなに楽しい時間を過ごすことができたのは、全部エミリオのおかげだ。それなのに。
祭りのあいだの出来事を胸の奥で噛み締めて、じんわりと滲む涙を、アリエッタは手のひらで拭った。
エミリオに迷惑をかけてしまった。
せっかく友達と会えたのに、使用人のアリエッタなんかと一緒にいたせいで、要らない気を遣わせてしまった。
アリエッタがエミリオに相応しい家柄の令嬢だったら、エミリオがあんな風に返答に困ることもきっとなかった。友達に誘われるままに、晩餐に呼ばれることだってできたに違いない。
アリエッタが身の程をわきまえなかったから、エミリオを困らせてしまったのだ。
それなのに、このままではいけないと、わかっているのに。
迷惑をかけてでも、エミリオのそばに居たいと思ってしまうなんて。
「なに勝手にいなくなってんだよ」
唐突に声を掛けられて、アリエッタは慌てて顔をあげた。目元を拭って振り返ると、不機嫌な顔のエミリオがすぐそばに立っていた。
背筋を伸ばし、お腹の前で手を結んで。いつもそうしているように、エミリオと向かい合う。
「ご友人とお話をされていましたから、エミリオ様のお邪魔にならないようにと」
そう言って、アリエッタはにっこりと笑ってみせた。
けれど、エミリオは不愉快そうに眉を顰め、アリエッタを睨め付けるだけだ。
「あのさ、お前なんか勘違いしてない? 俺は祭りなんてどうでもいいの。寧ろ嫌いなの。でも、お前となら見て回っても良いかなって」
一息に捲し立てられて、アリエッタは頭の中が真っ白になった。口調はとても厳しいのに、話の内容はまるで正反対だ。
アリエッタが呆然とエミリオをみつめていたからだろうか。エミリオは不意に目を逸らすと、後ろ髪をぽりぽりと掻きながらぶっきらぼうに言い捨てた。
「お前と一緒にいたいから祭りに誘ったんだよ。それなのに、肝心のお前がいなくなったら意味ないじゃん。……わかる?」
「……はい」
呆気にとられたままアリエッタが頷くと、エミリオはようやく表情を和らげて。それから悪戯な笑みを浮かべ、踏ん反り返って言った。
「じゃあ、謝って」
「申し訳ございません」
「……全然ダメ。誠意が感じられない」
軽く首を振って、エミリオはまた、不機嫌そうに言い捨てた。一歩足を踏み出して、おろおろとするだけのアリエッタに詰め寄って。
その口から紡がれたのは、予想だにしない言葉だった。
「キスしてよ」
「え……」
思いがけない要求に、アリエッタは息を詰まらせた。たった今耳にした言葉の意味を、働かない頭の中で一生懸命咀嚼する。
アリエッタが答えられずにいると、エミリオはさらに一歩、アリエッタとの距離を詰めた。
「アリエッタからキスして欲しい」
頬がかあっと熱くなり、耳まで赤くなっているのが嫌でもわかった。自分から言い出したくせに、エミリオの顔も真っ赤だ。
ほんの数分前に、身の程をわきまえなかったことを後悔したはずなのに。
きっとまた、後悔することになるのに。
食い入るようにアリエッタをみつめる碧い瞳の誘惑に抗えない。
「……眼を……眼を、閉じていただけますか」
絞り出した声が震えていた。
エミリオが小さく頷いてまぶたを伏せる。黄金色の長い睫毛が、夜の闇の中でもはっきりと見えた。
いつの間にこんなに背が高くなったのだろう。
去年まではほとんど目線が同じだったのに、今では背伸びをしなければ唇を重ねることができないなんて。
エミリオの胸元に手のひらで触れる。アリエッタは軽くつま先立って、エミリオの口元に唇を寄せた。
軽く触れ合った箇所から、柔らかなぬくもりと吐息が感じられた。と同時に、アリエッタの細い腰を、エミリオの腕が抱き寄せた。
唇が深く深く覆われる。溢れる吐息ごと飲み干すように、エミリオはアリエッタの舌を絡め取った。
「ん……ふっ……」
はじめてキスしたときよりも、もっとずっと激しい、貪るようなキスだった。
逃れようとしたけれど身を引いたぶんだけ攻められて、倒れそうになる身体を、強引に腕で支えられた。
唇から溢れる熱い吐息が自分のものなのかエミリオのものなのか、アリエッタにはわからなかった。
身の程をわきまえるべきなのに。
頭がくらくらして、何も考えられない。
ただ、縋るように、エミリオの首に腕を回した。
唇が解放される。
酸素を求めて喘ぐアリエッタの喉に口付けて、エミリオがくんと鼻をひくつかせた。
「この匂い……」
「あ……エミリオ様にいただいた……」
吐息交じりの艶っぽい声に、アリエッタは我が耳を疑った。
こんな色めいた声をエミリオに聞かれてしまうなんて、恥ずかしい。そう思っているのに、一度口を開いてしまっては、声を殺すだけで精一杯で、荒げた吐息を我慢することなんてできなかった。
「アリエッタの匂いのほうが、あまくて好きだ」
アリエッタの首筋に顔を埋めて、エミリオが誘うように囁いた。吐息が肌をかすめるだけで、背筋がぞくぞくと震えてしまう。
「エミリオ様……いけません」
「なんで」
「なんで、って……」
どうしていけないと思ったのだろう。
頭では考えようとするけれど、答えは出てこなかった。
ぼんやりと思考が霞みがかったままで、エミリオに手を引かれて草の上を走る。
街道を照らす街灯の明かりが遠ざかっていく。
立ち並ぶ樹々がさわさわとざわめいて、川のせせらぎが、すぐそばで聞こえていた。
屋敷へと向かう街道を橋の上から望めば、丘の向こうは夕闇に呑まれ、夜空に点々と星が輝きはじめていた。
とても、とても楽しい一日だった。子どもの頃と同じようにエミリオと過ごすことができた。
そばにいるだけで胸がどきどきして、時折りきゅうっと締め付けられる。何もかもが懐かしいのに、新鮮に感じられた。
おまけに、寄宿学校の友達とエミリオのやり取りまで見ることができた。
こんなに楽しい時間を過ごすことができたのは、全部エミリオのおかげだ。それなのに。
祭りのあいだの出来事を胸の奥で噛み締めて、じんわりと滲む涙を、アリエッタは手のひらで拭った。
エミリオに迷惑をかけてしまった。
せっかく友達と会えたのに、使用人のアリエッタなんかと一緒にいたせいで、要らない気を遣わせてしまった。
アリエッタがエミリオに相応しい家柄の令嬢だったら、エミリオがあんな風に返答に困ることもきっとなかった。友達に誘われるままに、晩餐に呼ばれることだってできたに違いない。
アリエッタが身の程をわきまえなかったから、エミリオを困らせてしまったのだ。
それなのに、このままではいけないと、わかっているのに。
迷惑をかけてでも、エミリオのそばに居たいと思ってしまうなんて。
「なに勝手にいなくなってんだよ」
唐突に声を掛けられて、アリエッタは慌てて顔をあげた。目元を拭って振り返ると、不機嫌な顔のエミリオがすぐそばに立っていた。
背筋を伸ばし、お腹の前で手を結んで。いつもそうしているように、エミリオと向かい合う。
「ご友人とお話をされていましたから、エミリオ様のお邪魔にならないようにと」
そう言って、アリエッタはにっこりと笑ってみせた。
けれど、エミリオは不愉快そうに眉を顰め、アリエッタを睨め付けるだけだ。
「あのさ、お前なんか勘違いしてない? 俺は祭りなんてどうでもいいの。寧ろ嫌いなの。でも、お前となら見て回っても良いかなって」
一息に捲し立てられて、アリエッタは頭の中が真っ白になった。口調はとても厳しいのに、話の内容はまるで正反対だ。
アリエッタが呆然とエミリオをみつめていたからだろうか。エミリオは不意に目を逸らすと、後ろ髪をぽりぽりと掻きながらぶっきらぼうに言い捨てた。
「お前と一緒にいたいから祭りに誘ったんだよ。それなのに、肝心のお前がいなくなったら意味ないじゃん。……わかる?」
「……はい」
呆気にとられたままアリエッタが頷くと、エミリオはようやく表情を和らげて。それから悪戯な笑みを浮かべ、踏ん反り返って言った。
「じゃあ、謝って」
「申し訳ございません」
「……全然ダメ。誠意が感じられない」
軽く首を振って、エミリオはまた、不機嫌そうに言い捨てた。一歩足を踏み出して、おろおろとするだけのアリエッタに詰め寄って。
その口から紡がれたのは、予想だにしない言葉だった。
「キスしてよ」
「え……」
思いがけない要求に、アリエッタは息を詰まらせた。たった今耳にした言葉の意味を、働かない頭の中で一生懸命咀嚼する。
アリエッタが答えられずにいると、エミリオはさらに一歩、アリエッタとの距離を詰めた。
「アリエッタからキスして欲しい」
頬がかあっと熱くなり、耳まで赤くなっているのが嫌でもわかった。自分から言い出したくせに、エミリオの顔も真っ赤だ。
ほんの数分前に、身の程をわきまえなかったことを後悔したはずなのに。
きっとまた、後悔することになるのに。
食い入るようにアリエッタをみつめる碧い瞳の誘惑に抗えない。
「……眼を……眼を、閉じていただけますか」
絞り出した声が震えていた。
エミリオが小さく頷いてまぶたを伏せる。黄金色の長い睫毛が、夜の闇の中でもはっきりと見えた。
いつの間にこんなに背が高くなったのだろう。
去年まではほとんど目線が同じだったのに、今では背伸びをしなければ唇を重ねることができないなんて。
エミリオの胸元に手のひらで触れる。アリエッタは軽くつま先立って、エミリオの口元に唇を寄せた。
軽く触れ合った箇所から、柔らかなぬくもりと吐息が感じられた。と同時に、アリエッタの細い腰を、エミリオの腕が抱き寄せた。
唇が深く深く覆われる。溢れる吐息ごと飲み干すように、エミリオはアリエッタの舌を絡め取った。
「ん……ふっ……」
はじめてキスしたときよりも、もっとずっと激しい、貪るようなキスだった。
逃れようとしたけれど身を引いたぶんだけ攻められて、倒れそうになる身体を、強引に腕で支えられた。
唇から溢れる熱い吐息が自分のものなのかエミリオのものなのか、アリエッタにはわからなかった。
身の程をわきまえるべきなのに。
頭がくらくらして、何も考えられない。
ただ、縋るように、エミリオの首に腕を回した。
唇が解放される。
酸素を求めて喘ぐアリエッタの喉に口付けて、エミリオがくんと鼻をひくつかせた。
「この匂い……」
「あ……エミリオ様にいただいた……」
吐息交じりの艶っぽい声に、アリエッタは我が耳を疑った。
こんな色めいた声をエミリオに聞かれてしまうなんて、恥ずかしい。そう思っているのに、一度口を開いてしまっては、声を殺すだけで精一杯で、荒げた吐息を我慢することなんてできなかった。
「アリエッタの匂いのほうが、あまくて好きだ」
アリエッタの首筋に顔を埋めて、エミリオが誘うように囁いた。吐息が肌をかすめるだけで、背筋がぞくぞくと震えてしまう。
「エミリオ様……いけません」
「なんで」
「なんで、って……」
どうしていけないと思ったのだろう。
頭では考えようとするけれど、答えは出てこなかった。
ぼんやりと思考が霞みがかったままで、エミリオに手を引かれて草の上を走る。
街道を照らす街灯の明かりが遠ざかっていく。
立ち並ぶ樹々がさわさわとざわめいて、川のせせらぎが、すぐそばで聞こえていた。
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