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未成熟な僕等の秘密
幕間 弟と使用人の娘について
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復活祭の日、使用人のアリエッタと出かけた弟のエミリオは、日が暮れても帰ってこなかった。
仕事熱心なアリエッタが祭りに出かけたのは随分と久しぶりのことだったから、ふたりで童心に返ってはしゃいでいるのだろうなどと、晩餐の料理を前に、父も母もそれは呑気に構えていた。けれど、最近のふたりの様子を省みるにあたり、ウルバーノは気が気でない思いだった。
エミリオも馬鹿ではないはずだ。ぎりぎり中流に引っかかる程度のものとはいえ、貴族の端くれである以上、使用人の娘と関係を持つような軽率な行動はしないと信じたい。
けれど、なまじ姉弟感覚で育ったせいか、あのふたりの関係は通常の家人と使用人の域を超えている節がある。
先の冬季休暇、朝からアリエッタを押し倒している弟を目にしたときは、さすがのウルバーノも眩暈を覚えそうになったものだったが、それ以降はとくに、ふたりのあいだに進展は見られなかった。
この春の帰省にあたりエミリオにもアリエッタにも釘をさしておいたから、おかしな真似はしないはずだ……と思いたい。
けれど、エミリオは多感な年頃であり、情緒不安定にもなりやすい。性欲と恋愛感情を履き違えて間違いを犯す可能性も大いにありそうだ。
ウルバーノはそわそわと落ち着かないまま、アリエッタが準備したらしい羊の肉を頬張った。味は悪くなかったけれど、未だ戻らない弟のことを考えると、褒めてやる気にはなれなかった。
エミリオが帰宅したのは、ウルバーノと両親が晩餐を終え、それぞれの部屋に戻ろうと席を立ったときのことだった。
晩餐に間に合わなかったことを両親に詫びるエミリオの傍らで、アリエッタは小さくなってうつむいていた。ウルバーノの母親が貸したデイドレスの裾が僅かに汚れていたのは気になったけれど、それ以外はとくに乱れた様子もない。
エミリオが両親との会話を切り上げると、アリエッタはぺこりと頭を下げて、そそくさと階下に降りていった。
数分後、ウルバーノが階下に降りてこっそりと様子を確認したときには、彼女はいつもの地味なドレスに着替え、厨房で母親の仕事を手伝っていた。
一見、ふたりのあいだには何事もなかったように見えた。けれど、これだけ遅くなったのに、祭りで気分が高揚している様子は何処にも感じられないことが、却ってウルバーノの不審感を煽った。
くるりと踵を返し、弟の部屋へと向かう。ちょうど部屋の扉を開こうとしていたエミリオに、ウルバーノは声を掛けた。
「こんな遅くまで、ふたりで何してたの」
ウルバーノが問うと、エミリオは振り返り、目を丸くして動きを止めた。ほんの少し視線を泳がせて、軽く唇を尖らせる。
「別に……」
素っ気なく呟く弟のこの態度の意味を、ウルバーノは知っていた。幼い頃から変わらない、人に言えない、やましいことがあるときのものだ。
若干の目眩を感じる。ちくりと痛む額を手で押さえて、ウルバーノはエミリオに詰め寄った。
「お前、自分の立場わかってるの?」
「わかってるよ」
「先のことも考えたうえで、今回みたいなことしてるんだな?」
「ちゃんと考えてるよ。アリエッタのことは、時期がきたら父さんや母さんにも順を追って説明する」
あっさりと、エミリオは自白した。とウルバーノは解釈した。
どうやら、両親に説明しなければならないような関係まで、ふたりの仲は進展してしまったらしい。
「……ふぅん」
「今、こいつ馬鹿だって思っただろ」
拗ねたように上目でこちらを睨め付けるエミリオに、若干の溜め息が漏れる。
「別に。父さんも母さんも頭ごなしに否定はしないだろうし、僕はお前のそういう無謀なところが結構好きだからね」
ウルバーノが黄金色の頭をわしわしと撫でてやると、エミリオはほっとしたように表情を和らげて、部屋に入り、扉を閉めた。
愛すべき愚かな弟の未来を思い、ウルバーノは宙を見上げた。
「さて、どうしようか……」
***
「言ったよね、身の程をわきまえなよって」
燭台の灯りの他に何も見えない暗闇の廊下に、いつもより低めのウルバーノの声が響く。
壁際に追い詰めているというのに、アリエッタはいつにも増して気丈だった。
「わきまえています。でも、エミリオ様がわたしを必要としてくださるなら、拒むつもりもありません」
「どうなるかわかって言ってるの? エミリオにはエミリオの未来がある。きみは傷ものになるだけで、幸せにはなれないんだよ?」
これはわりと真面目に、アリエッタを心配しての言葉だった。
ウルバーノはエミリオに粉をかけるアリエッタをあまり気に入ってはいないけれど、幼い頃から共に育ったこともあり、彼なりに彼女のことを気にかけてはいた。
性的な奉仕を要求したこともあったけれど、決して肌に触れることをしなかったのは、純潔を失った未婚の女性の末路を知っていたからだ。
彼女には彼女の――相応の身分の男と結ばれて家庭を持つ、幸せな未来があるべきだと思っていたからだ。
それなのに、なぜこの娘は、こんなにもエミリオに拘るのだろう。エミリオに尽くそうとするのだろう。
「……わたしは、たとえエミリオ様が他の女性と結婚なさったとしても、変わらずこのお屋敷に仕えさせていただく心積もりです。誰かと結婚して家庭を持つなんて、そのような未来は望んでいません。エミリオ様がご家族と遊びにいらっしゃる日を、旦那様や奥様と一緒に楽しみに待ちます」
アリエッタの翠の瞳が、ウルバーノをきっと睨み付ける。まるで警戒心剥き出しの猫のようなその態度に、少しばかり唆られた。
このような反抗的な態度を取られると、普段は押さえつけている嗜虐趣味が呼び覚まされそうになる。
「ふぅん……それはまた、随分と殊勝なことで」
ゆっくりと、手を伸ばす。アリエッタがびくりと身を縮こまらせた。
指先で宙をかき、ウルバーノは手のひらを握り締めた。
これは本当に認めたくないことだけれど、エミリオはどうやらこの娘にぞっこんのようだ。下手に手を出せば可愛い弟との仲が険悪なものになってしまう。
「忠告はしたからね」
冷徹な口調で吐き捨てて、ウルバーノは足早にその場を後にした。
ほんとうに、どうかしている。
エミリオも、アリエッタも、――この僕も。
ふたりの関係は簡単に見過ごせるようなものではなかった。けれど、その想いは今のウルバーノがどうこうできるものではないような、そんな気がした。
仕事熱心なアリエッタが祭りに出かけたのは随分と久しぶりのことだったから、ふたりで童心に返ってはしゃいでいるのだろうなどと、晩餐の料理を前に、父も母もそれは呑気に構えていた。けれど、最近のふたりの様子を省みるにあたり、ウルバーノは気が気でない思いだった。
エミリオも馬鹿ではないはずだ。ぎりぎり中流に引っかかる程度のものとはいえ、貴族の端くれである以上、使用人の娘と関係を持つような軽率な行動はしないと信じたい。
けれど、なまじ姉弟感覚で育ったせいか、あのふたりの関係は通常の家人と使用人の域を超えている節がある。
先の冬季休暇、朝からアリエッタを押し倒している弟を目にしたときは、さすがのウルバーノも眩暈を覚えそうになったものだったが、それ以降はとくに、ふたりのあいだに進展は見られなかった。
この春の帰省にあたりエミリオにもアリエッタにも釘をさしておいたから、おかしな真似はしないはずだ……と思いたい。
けれど、エミリオは多感な年頃であり、情緒不安定にもなりやすい。性欲と恋愛感情を履き違えて間違いを犯す可能性も大いにありそうだ。
ウルバーノはそわそわと落ち着かないまま、アリエッタが準備したらしい羊の肉を頬張った。味は悪くなかったけれど、未だ戻らない弟のことを考えると、褒めてやる気にはなれなかった。
エミリオが帰宅したのは、ウルバーノと両親が晩餐を終え、それぞれの部屋に戻ろうと席を立ったときのことだった。
晩餐に間に合わなかったことを両親に詫びるエミリオの傍らで、アリエッタは小さくなってうつむいていた。ウルバーノの母親が貸したデイドレスの裾が僅かに汚れていたのは気になったけれど、それ以外はとくに乱れた様子もない。
エミリオが両親との会話を切り上げると、アリエッタはぺこりと頭を下げて、そそくさと階下に降りていった。
数分後、ウルバーノが階下に降りてこっそりと様子を確認したときには、彼女はいつもの地味なドレスに着替え、厨房で母親の仕事を手伝っていた。
一見、ふたりのあいだには何事もなかったように見えた。けれど、これだけ遅くなったのに、祭りで気分が高揚している様子は何処にも感じられないことが、却ってウルバーノの不審感を煽った。
くるりと踵を返し、弟の部屋へと向かう。ちょうど部屋の扉を開こうとしていたエミリオに、ウルバーノは声を掛けた。
「こんな遅くまで、ふたりで何してたの」
ウルバーノが問うと、エミリオは振り返り、目を丸くして動きを止めた。ほんの少し視線を泳がせて、軽く唇を尖らせる。
「別に……」
素っ気なく呟く弟のこの態度の意味を、ウルバーノは知っていた。幼い頃から変わらない、人に言えない、やましいことがあるときのものだ。
若干の目眩を感じる。ちくりと痛む額を手で押さえて、ウルバーノはエミリオに詰め寄った。
「お前、自分の立場わかってるの?」
「わかってるよ」
「先のことも考えたうえで、今回みたいなことしてるんだな?」
「ちゃんと考えてるよ。アリエッタのことは、時期がきたら父さんや母さんにも順を追って説明する」
あっさりと、エミリオは自白した。とウルバーノは解釈した。
どうやら、両親に説明しなければならないような関係まで、ふたりの仲は進展してしまったらしい。
「……ふぅん」
「今、こいつ馬鹿だって思っただろ」
拗ねたように上目でこちらを睨め付けるエミリオに、若干の溜め息が漏れる。
「別に。父さんも母さんも頭ごなしに否定はしないだろうし、僕はお前のそういう無謀なところが結構好きだからね」
ウルバーノが黄金色の頭をわしわしと撫でてやると、エミリオはほっとしたように表情を和らげて、部屋に入り、扉を閉めた。
愛すべき愚かな弟の未来を思い、ウルバーノは宙を見上げた。
「さて、どうしようか……」
***
「言ったよね、身の程をわきまえなよって」
燭台の灯りの他に何も見えない暗闇の廊下に、いつもより低めのウルバーノの声が響く。
壁際に追い詰めているというのに、アリエッタはいつにも増して気丈だった。
「わきまえています。でも、エミリオ様がわたしを必要としてくださるなら、拒むつもりもありません」
「どうなるかわかって言ってるの? エミリオにはエミリオの未来がある。きみは傷ものになるだけで、幸せにはなれないんだよ?」
これはわりと真面目に、アリエッタを心配しての言葉だった。
ウルバーノはエミリオに粉をかけるアリエッタをあまり気に入ってはいないけれど、幼い頃から共に育ったこともあり、彼なりに彼女のことを気にかけてはいた。
性的な奉仕を要求したこともあったけれど、決して肌に触れることをしなかったのは、純潔を失った未婚の女性の末路を知っていたからだ。
彼女には彼女の――相応の身分の男と結ばれて家庭を持つ、幸せな未来があるべきだと思っていたからだ。
それなのに、なぜこの娘は、こんなにもエミリオに拘るのだろう。エミリオに尽くそうとするのだろう。
「……わたしは、たとえエミリオ様が他の女性と結婚なさったとしても、変わらずこのお屋敷に仕えさせていただく心積もりです。誰かと結婚して家庭を持つなんて、そのような未来は望んでいません。エミリオ様がご家族と遊びにいらっしゃる日を、旦那様や奥様と一緒に楽しみに待ちます」
アリエッタの翠の瞳が、ウルバーノをきっと睨み付ける。まるで警戒心剥き出しの猫のようなその態度に、少しばかり唆られた。
このような反抗的な態度を取られると、普段は押さえつけている嗜虐趣味が呼び覚まされそうになる。
「ふぅん……それはまた、随分と殊勝なことで」
ゆっくりと、手を伸ばす。アリエッタがびくりと身を縮こまらせた。
指先で宙をかき、ウルバーノは手のひらを握り締めた。
これは本当に認めたくないことだけれど、エミリオはどうやらこの娘にぞっこんのようだ。下手に手を出せば可愛い弟との仲が険悪なものになってしまう。
「忠告はしたからね」
冷徹な口調で吐き捨てて、ウルバーノは足早にその場を後にした。
ほんとうに、どうかしている。
エミリオも、アリエッタも、――この僕も。
ふたりの関係は簡単に見過ごせるようなものではなかった。けれど、その想いは今のウルバーノがどうこうできるものではないような、そんな気がした。
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