エミリオとアリエッタ

柴咲もも

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番外編 弟の縁談と、その真相について

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 分厚い雪雲に覆われた灰色の空の下、ウルバーノは父と共に馬を走らせていた。空気は凍てつき、羽毛のような雪片がふわふわと宙を舞っている。
 父子ふたりでの遠駆けは久しぶりのことだ、などと能天気なことは露ほどにも考えていなかったが、先を行く父は楽しそうで、ウルバーノはどうにも気まずい思いで溜め息をついた。

 今回の件はとんだ災難だった。久しぶりの帰省で、しかも今夜は聖夜だというのに、このような悪天候のなか、馬を走らせる羽目になったのだから。

 ウルバーノの父は流されやすい性格で、昔から事前に何の相談もなく大切な話を決めてしまうきらいがあった。
 ウルバーノ自身、父のことで頭を痛めるのには慣れており、ようやく家の財政が持ち直した今、父の尻拭いもほどほどにと心掛けたばかりだったのだが、今回ばかりは話が別だった。
 よりにも寄って弟のエミリオに、ベッティーニ家からの縁談が寄せられていたのだから。

 馬の手綱を握る手に、ウルバーノはぎりとちからを込めた。

 エミリオの縁談の相手が他の令嬢であれば、アリエッタのことを憐れに思いこそすれ、縁談をどうこうしようとは考えもしなかっただろう。けれど、相手がベッティーニ家のヴィルジニア嬢となれば、そうもいかない。
 ウルバーノにはこの件を放ってはおけない事情があった。

 寒さのせいか、父が作り出したこの状況のせいか、こめかみのあたりがきりきりと痛む。革の手袋をはめた手のひらで額を軽く押さえると、ウルバーノは馬の尻に鞭を打った。


 ベッティーニ家の門番は、肩と帽子に雪を積もらせたウルバーノと父を見ると、それはもう訝しげに顔を顰めてみせた。けれど、ウルバーノは躊躇うことなく門番の前に進み出た。

「ヴィルジニア嬢に、ヴァレンティーノ家のウルバーノが会いに来たと伝えて」

 反論を許さない冷酷さを滲ませてウルバーノが告げると、門番は怯えるように門柱の傍に建つ小屋のなかに姿を消し、鍵を手に現れて門を開けた。
 ウルバーノは父を連れてベッティーニ家の門をくぐると、馬丁に馬を預け、雪に覆われた庭園の先に見える屋敷へと向かった。


***


 ウルバーノが通された部屋は四方が白い壁で囲まれており、すべての窓が金の刺繍で彩られた深紅のカーテンで覆われていた。中央に備え付けられた暖炉では火の粉がぱちぱちと音を立てていて、マントルピースの上に洒落た燭台と花瓶が飾られていた。
 一人掛けの肘掛けソファの横に立ってウルバーノが室内を眺めていると、程なくして扉が開かれ、女性がひとりで部屋に入ってきた。
 緩やかに巻いた赤毛を煌びやかな宝石で飾りたて、白と金を基調とした華美なドレープドレスを身に纏ったその女性は、ウルバーノに眼を止めると紅を引いた唇に弧を描かせた。

「ごきげんよう、ウルバーノ様。随分と急なご訪問ですのね」
「不躾で悪かったね、ヴィルジニア。のっぴきならない事情があってさ」

 ウルバーノが肩を竦めてみせると、ヴィルジニアは艶やかに礼をとって、暖炉のそばに置かれたカウチにゆったりと腰を下ろし、ウルバーノに席を勧めた。
 ヴィルジニアに勧められるままにウルバーノが肘掛けソファに腰掛けると、ヴィルジニアは嬉しそうにウルバーノに訊ねた。
 
「それで、話ってなんですの?」
「単刀直入に言うけどさ、弟に縁談を持ちかけるなんて、どういうつもり?」

 軽口を叩くようなノリでウルバーノが笑う。けれど、その笑みはまるで作り物のように薄ら寒く、冷徹なものだった。ヴィルジニアがごくりと息を飲み、一転して緊迫した視線をウルバーノに向けた。

「最初に父がきみの名前を出したとき、変だなって思ったんだ。鬱陶しいほど僕にアプローチしていたくせに、しばらく音沙汰がないと思ったら、今度はエミリオに縁談だなんて言うからさ」

 悠然とソファに身を沈め、ウルバーノは長い足を組み替える。滲み出る苛立ちを隠そうともしないその態度は、普段から体裁を気に掛ける彼にしては非常に稀有なものだった。
 蔑むように冷ややかに、その口がヴィルジニアに問う。

「……なんでエミリオなの?」

 ウルバーノの問いに対し、ヴィルジニアは決まりが悪そうにうつむいた。けれど、しばらくの沈黙のあと、ドレスの膝をきゅっと握り締め、ウルバーノから目を逸らしたまま渋々口を開いた。

「だって、エミリオ様と結婚すればウルバーノ様とわたくしは家族になるでしょう? 妻として、女として愛されなくても貴方と繋がることができますし……それに、エミリオ様は貴方にとても良く似ていらっしゃるから……」

 拗ねた子供のようにヴィルジニアが答える。子供のようなその発想に、ウルバーノは堪らず盛大な溜め息を漏らした。

 大方、ウルバーノが予想した通りだった。
 エミリオへの求婚はウルバーノへの当て付け以外の何物でもなく、恋愛感情どころか家同士の利害関係すら考えられていない。
 件の舞踏会では、この令嬢はエミリオにウルバーノを重ね、エミリオは彼女の赤い髪にアリエッタを重ねていたのだろう。双方とも相手を本命の身代りにしていたという点では意外とお似合いなのかもしれないが、エミリオは彼女と違い、既に本命とも相思相愛の身だ。この縁談はエミリオにとっても、彼を可愛がるウルバーノにとっても、迷惑以外の何物でもない。

「随分と身勝手な理由だね。エミリオの人生を何だと思ってるの」
「だって、それ以外に方法がありまして? 放っておいたらわたくし、いずれ他の誰かに嫁がされてしまいますのよ」
「エミリオにはさ、好きながいるんだよ。ちょっと理由があって公にはしてないだけで、ふたりは真剣に想いあってるんだ」
「そんなことをわたくしに言われましても。貴族の家柄に生まれたのであれば、親の勧める相手と結婚するなんて当然のことではありませんの?」
「そりゃまあ、そうだけど。でも、弟はきみとの縁談を断りたいだろうね」
「お相手は? 公にできないなんて、どうせ碌な家柄の方ではないのでしょう?」
「そうだね」
「でしたら問題ありませんわ」

 そう言うと、ヴィルジニアは余裕たっぷりの艶やかな笑みを浮かべてみせた。

 ヴィルジニアの言い分は普段のウルバーノなら理解できないものでもなかった。拗らせた恋愛感情はいただけないが、両家にとって利があると判れば納得もできる。貴族の夫婦とは、男女の関係である以前に共同経営者でもあるからだ。
 けれど、今回に限っては別だった。この結婚には問題が大ありだ。
 ヴィルジニアがこのまま無理に話を進めたら、エミリオは父に肩身の狭い思いをさせることになる。生真面目な弟は責任を感じ、自ら縁を切って家を出ていくかもしれない。
 それでは困る。ウルバーノの幸せな家族計画がぶち壊しだ。

 幼い頃から、ウルバーノは品行方正な生き方に憧れてきた。生まれ持った嗜虐的な性質は彼が考える美徳からかけ離れたものだったから、自身の欲を満たすことは考えないように生きてきた。
 おおらかで優しい両親や常識にとらわれない可愛い弟の幸せを眺めること。それがウルバーノの生き甲斐だった。
 家族が不自由なく幸せに暮らせるように、出来ることならなんでもやってきた。その結果、ようやく事業が軌道に乗り、ヴァレンティーノ家の財政を立て直すことができたというのに。
 ここにきて最愛の弟に人生最大の不幸が降りかかっているのだ。そんなことがあってなるものか。

 深々と溜め息をついて、ウルバーノはヴィルジニアに告げた。

「提案なんだけど、僕がきみと結婚するっていうのはどう?」
「……え?」

 ヴィルジニアは目を丸くして、それから頬を薔薇色に染め上げた。どうやら問題はないようだ、とウルバーノは確信する。

 ウルバーノ自身、この令嬢ヴィルジニアに興味はなかった。けれど、エミリオの幸せを優先するのであれば、この方法が一番手っ取り早く効率的だと考えた。
 ウルバーノが代わりになることで父の面目が保たれ、弟も望みどおりの結婚ができるなら、それで充分だった。生来の悪癖があるウルバーノには、どうせ幸せな結婚など出来ないのだから。

「僕がきみと結婚する。きみの話を聞く限り、僕が相手でも問題はないようだし」
「と、当然ですわ! 喜んでお受けします!」
「そっか、よかった」

 ウルバーノが顔を綻ばせると、前のめりになっていたヴィルジニアの顔色が、ますます赤く変色した。
 くすりと笑みを溢して席を立つと、ウルバーノは紳士らしく丁重にヴィルジニアの手を取った。

「では、お姫様、父君にご報告に行こうか」


***


 ウルバーノの父もヴィルジニアの父も、ふたりの結婚には大喜びのようだった。
 元々ウルバーノは社交界でも評判が良く、その気もないのに鬱陶しいほど縁談が寄せられていたのだから、なんら不思議ではない結果とも言えた。
 縁談がまとまったことで晩餐に誘われもしたけれど、ウルバーノは丁重に断りを入れてベッティーニの屋敷を発つことにした。

 馬丁が馬を用意するあいだ、ヴィルジニアは恥じらうように頬を染めてウルバーノの傍に寄り添っていた。
 ウルバーノはこの結婚に愛など求めるつもりもないが、彼女はきっと違うのだろう。彼女の期待に応えてやるのも良いけれど、そうなると少しばかり障害があった。

「ねえ、ヴィルジニア」
「なんですの?」
「僕さ、ちょっと趣味嗜好に良くない傾向があるんだけど、大丈夫かな」
「……どういうことですの?」

 きょとんと目を丸くして、ヴィルジニアがウルバーノを見上げる。華美な姿に似合わない、子どものような表情だ。
 微かに口の端を上げて、ウルバーノは続けた。

「嗜虐趣味があるんだ」
「しぎゃく……?」
「簡単に言っちゃうと、人が嫌がる姿に興奮するんだ。……わかるかな?」

 ウルバーノのさりげない性癖の暴露に、ヴィルジニアがぽかんと口を開けて目を瞬かせる。
 しばし呆然としていたヴィルジニアは、はっと我に返ると大きく力強く頷いた。

「わ、わかりますわ。大丈夫です。……たぶん」
「そっか、よかった」

 ウルバーノが和やかで可愛らしい笑みをつくってみせると、ヴィルジニアも釣られたように微笑んだ。
 一瞬だけ躊躇ったように見えたけれど、ウルバーノは多分気のせいだと思うことにした。

 一生、品行方正で通し続けるには無理があるというものだ。ひとりくらい、本当の僕を知っている相手がいてもいいだろう。
 幸い、彼女もそれを望んでいるようだ。

 作りものだった笑顔が自然と和らいだ気がした。
 結婚などというものに、これまでのウルバーノはなんの期待もしていなかった。
 けれど、このときウルバーノには、この先の未来がほんの少し楽しみに思えたのだった。

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みんなの感想(1件)

nyanchan
2018.05.18 nyanchan
ネタバレ含む
柴咲もも
2018.05.18 柴咲もも

nekoneko様

感想ありがとうございます。
兄は本当に好き嫌いが極端に分かれるキャラのようで、他サイトでも同様のご意見をいただきました。
兄には特に罰が当たったりはしませんが、エミリオが大学に通うお金やその間の生活費は実質兄が負担するも同然ですし、エミリオが大学卒業後に開業して軌道にのるまでの資金面での援助も兄がしてくれると思うので許してやってください。

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