だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)

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だから彼女と結ばれた(6)

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 カメロンに案内された部屋は、いたって普通の貴賓室であった。寝室と応接間と控えの間がある。これなら、サディアスについてきた侍従も、ゆっくりと休めるはずだ。

 サディアスは侍従に荷物の整理を頼むと、カメロンと部屋を出ていく。これには侍従もついていくと口にしたが、それはサディアスが宥めた。

 この場所でサディアスの命を狙う者はいない。
 そう確信したためだ。

「サディアス殿下、こちらが中庭です」

 外へ出た瞬間、さわわわと草木が揺れた。今日は穏やかな風が吹いている。
 風がやみ、中庭で遊んでいる子どもに目を向ける。

「……あっ」

 サディアスは息を呑んだ。

「カメロンもいっしょに遊ぼう」

 こちらに気づいた子どもが、元気に手を振っている。

「カメロン殿。彼女は……」

 サディアスが目を奪われたのは、子どもと一緒に遊んでいる一人の女性。
 晴れた空を思わせるその髪の色。宝石を思わせる翡翠色の瞳。そんな彼女が、黙ってこちらを見つめている。

「あぁ。あとで紹介しようと思っていたのですが。私の妻です」

 カメロンが女性と子どもに向かって歩き出したので、サディアスもそれに従った。
 それでも今、心臓を鷲掴みにされたように、ぎゅっと胸が苦しかった。

 カメロンが妻と言った女性。それは間違いなくラティアーナである。
 だが、サディアスの知っている彼女とは少し違う。腰に届くほど長かった髪は、肩の長さで切り揃えられ、顔もいきいきと輝いている。
 身体つきもどこかふっくらとしているし、なによりもサディアスが目を奪われたのは彼女の腹部である。少しだけせり出している腹部。そこで新しい命を育んでいるのだろうと思わせるような。

「ねえ、カメロン。この人、だれ?」

 子どもの声で我に返る。

「王都から、牛さんを見に来た人だよ。ここの牛さんは美味しいからね」
「牛さんを見に来た人?」
「あ、うん。はじめまして。僕はサディアス」

 サディアスは身をかがめて、子どもと視線の高さを合わせた。

「サディアスは王子様みたいにきれいな人ね。わたし、リビー」
「よろしく、リビー」

 サディアスが手を出すと、リビーはにっこりと笑ってその手を握り返した。

「リビー。サディアスはラッティにお話があるそうなんだ。だから、その間、俺と一緒に本を読んでいよう」
「え~。カメロン、ご本の読み方、へたくそなんだもん」
「あら。だったら、リビーがカメロンに本の読み方を教えてあげたらどうかしら? リビーはとっても上手に読むものね」

 久しぶりに聞いた彼女の声。目の前の女性は、間違いなくラティアーナだ。

「しょうがないな、カメロン。リビーが教えてあげる」

 リビーはサディアスの手をぱっと離し、カメロンの手を握った。

「ラッティもサディアスも、牛さんのお話が終わったら、リビーと遊んでね」

 手を横に振ったリビーに、サディアスも手を振り返した。
 リビーの姿が見えなくなると、一気に静かになったような気がした。

 風に吹かれて揺れる草木のこすれ合う音が、異様に大きく聞こえる。

「ラティアーナ様。お久しぶりです」

 彼女と向き直り、サディアスは震えそうになる声をなんとか喉の奥から絞り出した。

「お久しぶりです、サディアス様。ですが、私はもう聖女ラティアーナではありません。ですから、どうかその名で呼ばないでください。それは、私が聖女となるときに、神殿側が勝手につけた名前なのです」

 ラティアーナの名はラティアーナではなかった。
 また、知らなかった事実に身体が震える。

「本当の名をお聞きしてもよろしいですか?」

 彼女はその言葉に静かに頷いた。
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