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夫42歳、妻23歳、娘7歳(7)

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 チャポン、チャポン……。

 どこからか水の滴る音が聞こえる。身体が痛くて、何かに触れているところからは冷気を感じる。

「んっ……」

 身じろぐと、意識がはっきりとしてきた。

「あら、お目覚め?」

 その声の主を確かめようと目を開けた。
 だが、見慣れぬこの場所。硬い石の床の上に転がされていた。身体が痛くて、冷たい。

「返事もできないのかしら? オネルヴァ・イドリアーナ・クレルー・キシュアス。いえ、今はただのオネルヴァ・プレンバリだったかしら? もう、キシュアスの第二王女でもなんでもないのよね。あ、違ったわ。あそこに第二王女なんてもともといなかったの」
「お母様……」
「あなたに、私をお母様と呼ぶ権利はありません。この『無力』が!」

 オネルヴァはのろのろと身体を起こした。身体を起こしながら、自分が置かれている場所を冷静に判断する。
 地下牢。そう呼べるような場所だ。

 目の前にいる彼女とは鉄格子によって隔てられている。オネルヴァがいるほうが牢である。

「『無力』であるあなたを産んで、私がどれだけ惨めだったかわかるかしら? 『無力』は罪なのよ?」

 鉄格子の向こう側から威圧的に見下ろしてくる。母親でありながらも、彼女はいつもこうやって冷たい視線でオネルヴァを見つめていた。
 胸がぎゅっと痛む。

「妃殿下、そのようなことをおっしゃってわざわざ追い詰めなくてもよろしいのでは?」

 オネルヴァはおもわず目を見開いた。

「ミラーン、さん……」
「申し訳ありません、奥様。私は妃殿下から、奥様をこちらに連れてくるようにと依頼されまして」

 先ほどから彼が口にしている妃殿下は、間違いなくオネルヴァの母親であるカトリオーナのことだろう。だが、国王が亡くなりその王がかわっている。それでもまだ彼女は『妃』と呼ばれるのだろうか。

 コツカツ、カツコツと複数の足音が響いた。

「これが、あの将軍の嫁か?」

 鉄格子越しにオネルヴァを見下ろす男性を、彼女は知らない。

 日に焼けた肌にぎょろっとした目、黒い前髪をすっきりと撫でつけてはいるが、後ろの髪は長くゆるやかにうねっている。そして、顔の半分は人目で見てわかるような火傷の痕が残されていた。

 彼の後ろにも数人の男がいるが、見知った顔は一つもない。

「そうよ、あなた」

 その男の腰にカトリオーナが手を回すと、同じように男も彼女の腰を抱き寄せる。

「そして、お前の娘……」
「私と血の繋がった娘は一人だけと言ったでしょう? その娘も嫁いでいる。あとは血の繋がらない義理の娘よ」
「その義理の娘も、今は他の男に抱かれて腰を振っていたら、もうお前の娘ではないだろう?」

 オネルヴァを産んだ母親は、アルヴィドたちによって修道院へと送られたはずだ。
 だが、目の前にいる女性は間違いなくオネルヴァの母親である。藍白の髪は艶を失っているが、深緑の眼はギラギラと輝いている。

「この子は私となんの関係もないの。あなたの好きにしてちょうだい」
「ふん。北の将軍にはいろいろと礼をしたいと思っていたところだからな」

 小さな扉がカチャリと開く。そこから身をかがめて入ってきたのはミラーンだった。

「では、こちらに来ていただきましょうか」
「ミラーン、さん……。どうして?」
「どうしてと言われましても。こちらのほうが私にとって有益なものであると判断しただけです」

 手首を乱暴に掴まれると、牢の外に引きずり出された。あまりにもミラーンの力が強かったため、彼らの足元に倒れ込むような形になった。

 カトリオーナが腰を折って、オネルヴァの顔をのぞきこんでくるが、けして顔をあげない。
 その態度が気に食わなかったのか、彼女はオネルヴァの髪をわしづかみにして無理矢理顔をあげさせた。

「あなたが、アルヴィドたぶらかしたのかしら? あなたが昔からこそこそアルヴィドと会っていたのは知っているのよ。そのたびに、二度と会わないようにと折檻していたのに。そこまでして、アルヴィドと会いたかったの?」

 バシン――。

 力強く頬をたれた。その勢いで、また床に倒れ込む。ひやっとした床の上に投げ出された手の上を、ぎりぎりとブーツで踏みしめる者がいた。そのブーツでわかる。間違いなくカトリオーナだ。

「カトリオーナ、やめなさい。商品に傷をつけるものではないよ」

 男の声で、彼女は足をどけた。ちっとはしたなく舌打ちをしている。
 それでも踏まれた左手は、ひりひりと痛むし打たれた頬は熱い。
 顔をあげてもまた打たれるのであれば、何もしないほうがいい。こうやって床に這いつくばっていたほうが、まだマシだ。


 感情を殺す方法はとっくに身に着けている。その術を、ゼセール王国にきてから使わなかっただけ。

「カトリオーナの娘でないのであれば、これは好きにしていいな?」

 男は許可を求めるかのように問うている。

「ええ。好きにしてちょうだい」

 ギリギリと頭皮が引き攣るくらいに、また髪を引っ張られた。ぶちぶちと何本かは抜けたかもしれない。
 無理矢理顔をあげられ、男と目が合った。

「かわいそうになぁ? 母親にも見捨てられて。旦那はゼセールの北の将軍。俺たちのことを、お前は知らないだろう?」

 問われても、オネルヴァは何も反応を示さない。

「システラ族……。そう言えば、わかるか? お前の旦那に何人もの仲間が殺されたな。あいつらは卑怯なことに、女と子どもを人質にとったんだ」

 ズキンと胸に響いた。

 システラ族との内戦の件はオネルヴァも知っているし、こちらに来てからヘニーにも詳しく聞いたばかりだ。だが、ゼセール側がシステラ族の女性と子どもたちを人質にしたという話は知らない。彼らが、ましてイグナーツがそのような卑怯な策をとるとは思えない。

「だから、俺たちも同じことをしてやろうと考えた。お前を人質にすればあの将軍はどう動くかな」

 このようなときは何もしゃべってはならない。

「だから当分、お前を殺しはしない。だが、死んだほうがマシだと思えるように生かしといてやる」

 そう思って二十年以上も耐えてきたきたのだ。今さら、どうってことない。前の生活に戻ったと思えばいい。
 それでも、心がチクリと痛む。オネルヴァがここにいることで、イグナーツの枷になってしまうのではないか。
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