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「すまない。ちょっと報告してきてもいいだろうか」
「報告? どちらに?」
「ショーンだ。君と結婚するということを報告してくる。しばらく一人にさせてしまうが、すぐに戻ってくるから待っていてくれ」
「け、結婚ですか?」
 いきなり『結婚』と言われ、ファンヌも口をポカンと開けてしまった。
「家族でもない男女が一緒にいるには『結婚』する必要があるだろう」
「そうですけど」
「だから、ちょっと待っていろ」
 バタバタと激しく音を立てながら部屋を出て行ったのは、その辺の家具にぶつかっていったからだ。よほど慌てていたのだろう。
 眼鏡を落とさなければいいのだがと、ファンヌはなぜか彼の眼鏡を心配してしまった。エルランドが慌てて眼鏡を落として、それを自分で踏んづけて壊すという出来事は、過去に三回あった。だが、すぐに予備の眼鏡を取り出しているので、彼にとっては想定内のことなのだろう。
 一人部屋に残されたファンヌは、白茶の残りをゆっくりと味わう。そうすることで、次第に頭がすっきりとしてきて、満足感と恥ずかしが込み上げてきた。
(でも……。胸の痛みが無くなったような気がする)
 先ほどはエルランドと離れることが怖いと思っていたのに、今は彼がいなくても不安は感じない。不思議なことに、その気持ちも胸の痛みと共に、すっと消え去った。
 彼に胸の内を伝え、それを受け入れてもらえたことが原因だろうか。
 エルランドがファンヌに好意を抱いてくれていることは、ここに来た時にたくさんの人の前で聞かされた。それに、運命の番と呼ばれるような相手であることも理解しているつもりだ。
 それでもエルランドはファンヌの気持ちを尊重してくれると言ってくれたため、彼の言葉に甘えていたことは認める。だから、彼への気持ちに気づいてしまった以上、彼に伝えるべきであると思った。それがエルランドに対する礼儀でもあると。
 そもそもエルランドはファンヌに対して、番の自覚を持ってほしいとも口にしていた。だからその気持ちに答えただけにすぎない。
 その結果、ファンヌの気持ちもやっと落ち着いたのだろう。だから胸の苦しさや、わけのわからない不安から解放されたのだ。
(あれ? だけど結婚って、そんなにすぐのできるものなのかしら)
 ファンヌも結婚できる年齢に達してはいるが、クラウスとの関係も婚約から始まった。あのまま何もなければ、あと半年後には彼と結婚していただろう。
(そうか……。クラウス様の側にいるのは、そうしなければならないと思っていたから。だけど、先生とは一緒にいたいって思う……)
 クラウスに感じることのなかった気持ちが、ファンヌの中にどんどんと溢れ出てくる。
 不思議なもので自覚した上に口にしてしまうと、その想いが次第に大きくなっていく。
 トントントン――。
 扉を叩く音で、ファンヌは現実へと引き戻された。
「はい」
「失礼します、ファンヌ様。お風呂の準備もお食事の準備も整っておりますが、いかがなさいますか?」
 ファンヌが返事をすると、扉を開けて部屋に入ってきたのは満面の笑みを浮かべたカーラであった。
 風呂か食事か。ファンヌは、暑くて寝苦しい思いをした記憶があった。エルランドも、ファンヌが熱を出したと言っていたから、たくさん汗をかいたにちがいない。先に身体の汗を流すことを望んだ。
 ゆっくりと湯船に浸かると、気持ちも身体も落ち着いてきたのか、急にお腹がグーグーと鳴り出して、一気に空腹を感じた。
 身体の芯から温まり、厚手のワンピースに袖を通す。そのままカーラに食堂まで連れていかれ、久しぶりの食事にありつくことができた。
 ふんわりと湯気の立ち込めるスープを一口飲んだところで、やっと一息ついた。
「カーラ。エルさんは?」
 大慌てで部屋を出ていったエルランドの姿が先ほどから見えない。彼のことだから、ファンヌが食事をするときには近くにいるだろうと思っていたのだ。
「エルランド様が、突然、ファンヌ様と結婚すると騒がれておりましたので。とりあえず、王宮にいってもらうことにいたしました」
 笑顔に満ちているカーラであるのだが、エルランドのことを口にするときだけ口調も冷たくなるし、視線も冷たかった。
「ファンヌ様。エルランド様がいろいろと暴走なされたようで、本当に申し訳ありませんでした」
 なぜかカーラが深々と頭を下げる。
「エルランド様は、それはもう大変喜ばれておりまして」
 カーラの言葉を聞いただけで、ファンヌはなぜか恥ずかしくなってしまう。
「ですが。物事には何事も順序というものがございます。エルランド様には、そのことをきつく言ったところでございます」
 つまり、エルランドが先ほど「結婚する」と言ったことが、周囲から見たら暴走と認定されたのであろう。すぐに結婚できるのかと思っていたが、どうやらそれは正しい疑問だったようだ。
 ファンヌはスープを飲みながらカーラの話を黙って聞いていた。恥ずかしいとは思ったが、悪い気はしない。
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