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4・これからの為の覚悟
4-10・苦汁を飲む
しおりを挟む意識が泳ぐ。もう、何もわからない。
わかるのは痛みと苦しさ、後は熱。腹の中、わだかまる。俺の子供。
朦朧とする意識の中で、時折、声が聞こえた。
「ティアリィ」
それは殿下の声。あるいは。
「妃殿下」
医師や、女官や、そういった者達の声だろうか。皆、気づかわしげに、俺に呼びかける。
手に、熱を感じた。殿下の魔力だ。今の俺では、少しもとどめておけないのに。それでも殿下は絶え間なく、俺に魔力を注ぎ続ける。
「ティアリィ」
その声に籠められたのは、祈りだった。
意識はずっと判然とせず、誰かが体に触れて、世話をしてくれているのは分かるけど、俺にできるのは微かに呻き、身じろぐことだけ。時折どろり、口へと流し込まれたのは、栄養剤的な用途の薬液だろう。俺はその都度、努めて可能な限り嚥下したが、水も食事も少しだって摂れていない中で、そんなもので足りるはずもない。
「ティアリィ」
希う声がずっと。俺のそばで。
「……、……殿下、もう限界です」
ふと、いつもより少しだけ鮮明になった意識の元へ、声が届いた。耳慣れない、しかし聞き覚えのある声は、確か医師のそれだったろうか。どうやら俺の傍らで俺の手を握り、魔力を注ぎ込み続けているらしい殿下に、話しかけている。
「今、少し試した限りでも、私の魔力なら、お受け付けになられるようです。おそらく、殿下の魔力以外でしたら、妃殿下はお留めになられる」
殿下の魔力だけを、受け付けない。
「だが、この子は王族だ」
他者の魔力など、出来るだけ混ぜたくはない。
俺の手を握る殿下の指に、ぎりと強く力が籠った。
俺は、少し話を聞ける程度に意識が鮮明になったとは言え、反応を返せるほどには復調していない。俺に構わず、二人は話を続けていく。
「そうです、殿下と妃殿下の初めてのお子だ。ですが、このままだと、妃殿下がもちません。殿下だっておわかりでしょう?」
「だが、」
「殿下が妃殿下に、殿下以外の魔力をお注ぎになられたくないお気持ちは、私にだってわかるつもりです。仲の良い夫婦なら、それは当たり前の感情だ。ですが、今、妃殿下は殿下の魔力だけをお受け取りになれない。殿下方のお子様は育つため、通常のお子様より非常に多くの魔力を必要としていらっしゃいます。妃殿下はよく頑張っていらっしゃる。これほど重篤な魔力欠乏の状態になるほど、ご自身の魔力を全てお子様に注がれて。これなら、お子様は大丈夫でしょう。出産時に気を付けさえすれば、無事にお生まれになれる可能性が高い。しかし」
子供は、無事だと聞いて、少しだけほっとした。熱く、腹に凝ったこの子が無事なら、もうなんだかそれでいいような気がして。
意識してのことではなかったけれど、俺は子供を自分自身のことより優先できていたのだろう。だからこそのこの状態なのだろうけど。
殿下に取られた手が熱い。
殿下。
揺れる意識では視線さえ動かせず。二人は俺に気付かない。
「殿下。妃殿下は、もちません。お子様が無事にお生まれになっても、おそらく、妃殿下は……」
それは、当たり前のことだった。この世界で、子供を母体のみで育てるのはほぼ不可能に近い。子供を腹の中で育てるには、母体以外からの魔力が必要不可欠なのだ。もし母体のみで育てた場合、生まれた子供は生まれつき魔力欠乏に陥りやすくなるか、極端に保有魔力量の少ない子供になる。否、それで母体が無事ならまだいい方で、それよりも子供と引き換えのように母体が先に力尽きることの方が多かった。
俺も、今、同じ状況なのだろう。わかっている。殿下も、わかっている。
幸いにして、先程、医師が言っていたのが本当だとすると、俺は殿下以外の魔力なら受け付けられるらしい。だが、それでは殿下は。
「お子様は、非常に濃い王家の血をお引きになっておられる。それでなくとも殿下の心情では、他の誰かに妃殿下を任すことなどできないでしょう。ならばせめて、妃殿下のご兄妹や両陛下方ならいかがです? それが唯一、妃殿下をお救いになれる方法でしょう」
せめて、注ぐ魔力が近親者のそれならば。少量でもいい。ほんの僅かであっても、今の状況は緩和されるはずだ。今、殿下がしているように手を握る、それだけでも。それだと、もしかしたら俺は、長くベッドから起き上がれないままになるかもしれないが、子供より先に力尽きるなどという最悪の事態だけなら回避できるだろう。
俺も同意見だ。そして多分、殿下も。わかってはいるのだ。わかっていて、だけど。
「……わかった。明日、……――を呼ぼう。それと、あの場所で、今一度、試みてみる」
意識がまた、揺蕩い始める。長い、長い躊躇いの後、殿下は誰を、呼ぶと言ったのか。俺の耳には届かないままで。
「あの場所……古代の魔術ですか?」
「ああ。あそこなら、あるいは。それでもダメなら、その時は……」
あの場所、は、何処……? いったい誰を。
苦く、痛みに満ちた殿下の声も、また。だんだんと、俺の意識から、遠ざかっていった。
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