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しおりを挟む「それで、だから、貴方の名前はいったい何というのか、」
眉をひそめながらの俺の問いに、慌てて男が名乗った名は、
「あ、申し遅れました、すみません。私の名はリザルセス・ホーシウル・パニレシエ。どうぞジセスとお呼び下さい。魔術士団に所属しています」
というもので。
魔術士であるらしい。
見た目からすると騎士の方が向いていそうだったので少し意外だった。
もっとも、実際に騎士団に所属していたとしたら、俺が顔を知らないことの方がおかしいのだが。
魔術士団では流石にかかわりがないので、見たことのない顔であったのも頷ける。
パニレシエと言えば侯爵家だったはずだ。
見た目通り高位貴族の家の者だったらしい。
ならばここは侯爵邸か。なるほど立派な屋敷であるはずである。
俺は頷いた。
「なるほど、パニレシエの。……確か今代当主は女性であったと記憶しているが」
とは言え今まで俺とは交流がなく、社交の場や他でで数度、顔を見たことがある程度。
そういえばどことなくこの男と似ていただろうか。
少なくとも髪の色は同じ、鮮やかな緑色をしていたはずだ。
今、俺の腕の中の赤ん坊と同じ色。
「……よく、ご存じですね。そうです、姉が現当主でした。……10日ほど前までは」
10日前。
ともなるとごく最近のことだ。いったい何があったのか。
確か彼女は騎士団所属だったと記憶している。とは言え、俺が顔を出すのは主に近衛ばかり、王都騎士団所属であったらしい彼女とはやはり接触などはほとんどなかった。
「何かあったのか?」
詳しいことは何もわからないが、魔力から見ても、この赤ん坊は彼女の子供ではないだろうか。そう思った。
「ええ、10日前、姉は見回りに出たんです。この子が小さいので、出来るだけ仕事は休むようにしていたんですが、それでもまったく休んでしまうわけにはいかなくて。せめてと久々に出勤していきました。本来ならあくまでも見回りで、そう危険があることでもありませんからね。ですが……」
男が其処で言葉を濁す。
「見回り、というからには魔の森か」
騎士団の仕事の中には確かに、そういったものも含まれていた。近衛も王宮騎士団も同じ仕事を請け負ってはいるが、こと役割と騎士団の規模もあり、王都騎士団が一番そちらを請け負う割り当てが多かったはずだ。
騎士ならば誰もが請け負う仕事。
そして場所が魔の森ともなると。
俺の確認に男は頷いた。
「そうです。魔の森の見回りです。そこで姉は運悪く……」
「魔獣に出くわした、と……」
稀にではあるが、実際に何度か起こっていることではあった。
魔の森には魔獣が出る。だからこその魔の森であり、その為の騎士団の見回りなのである。
「新人の女性騎士と組んでいたそうなのですが、運悪く大型の魔獣と出くわし、新人を庇って……他の騎士が駆け付けた時には、もう……」
時折ある話、と言ってしまえばそうだろう。
しかしその為に騎士団には治癒魔術が得意な者も配置されていたはずだ。
「救助は、」
男は首を横に振った。
「即死だったそうです。流石に一瞬で上半身が消し飛んだ者を、治癒することなど出来ません」
痛ましい。
言うならば事故である。
運が悪かった、それに尽きるのだろう。
「幸い、魔獣は駆け付けた他の騎士で対応できたそうで、大事にはならなかったようなのですが……」
おそらく犠牲は男の姉のみだったのだろう。
流石の俺もそういった報告全てを把握しているわけではない。
そもそも正式に騎士団に所属してもいないのだから。
俺はなんと声をかけて良いのかわからなくなった。
赤ん坊を見下ろす。
腹がくちくなったのか、もう口を離してもにゃもにゃと微睡んでいるようだった。
このような幼い身空で親を亡くしただなんて。
「……彼女の伴侶はどうしたんだ」
子供は一人ではできない。
この子の親はもう一人いるはずだ。
男はまた首を横に振った。
「姉はラセディス伯爵家のトゥキニシア嬢を伴侶に迎えていました。この子の母親となります。しかしトゥキニシア嬢は、姉が亡くなったことを知って、そのまま……」
「ああ……」
おそらくは儚くなってしまったのだろう。
伴侶の後を追った。
自殺というとらえ方も出来るが、きっとそう間違ってはいない。
これもまたない話ではなかった。
愛が深ければ深いほど、最愛の伴侶を失ってなお、生き永らえることは難しい。
こんなにも幼い子供を残して…….。
思わないではないがつまり、この子の母親にとって、この子よりも伴侶の方が大切だったということでしかないのだろう。
何より、伴侶を失った母親が子供を育てなければならないともなると……魔力の補充は必須。
つまりほんの先程までの俺自身のように。
元より伯爵家の令嬢だ。
人一倍身持ちも硬かったことだろう。
この先を悲観したとしても何らおかしい話というわけではなかった。
もっとも高位貴族でこのような話など、珍しいことは間違いなかったが。
魔力の多い者は、自身の生き死にさえ自分の気持ち一つ。
生きるのを諦めてしまえば、他者からの干渉で生を永らえさせるのが難しいのは事実だ。
魔力が多ければ多いほど、その傾向が顕著で。魔力量に比例して寿命が長く、治癒魔術が身近であれば、病気や怪我とも縁遠い。そんな高位貴族のほとんどの死因は自死なのだから。
伴侶の後を追う。
それ自体も、何も珍しいことではない。
しかし男の姉、当代侯爵は確か。
「パニレシエ侯爵は確かまだ30かそれぐらいじゃなかったか」
「はい。今年32歳だったはずです。トゥキニシア嬢は20歳になったばかりでしたね」
若すぎる死。
それは流石にやはりそうあることではないし、痛ましいことに違いはない。
子供を残して。
それも、どうしても思ってはしまうけれど。
「トゥキニシア嬢は元より心の強い方ではありませんでしたし、姉への依存が強いのはわかっていたことではありますから」
子供にしてみればそんなことは何の言い訳にもならないことだろう。そうは思っても、すでに亡くなった者はもう戻っては来ないのだ。
「この子は……もともと、実はトゥキニシア嬢にも余り懐いていなくて。授乳も、半ば無理やり取らせなければならないような状況でした。以前からトゥキニシア嬢はもうずっと疲弊していて……そこへきての姉の死です。最後にはほとんど無理やり、この子に自分の持っている魔力、全てを渡して、そして……死因は一応は魔力欠乏になりますが、本人にこれ以上生きる気力がなかったのは確かですね。私達では彼女を引き留められなかった」
だから、治療も何もかもが意味を成さなかったのだと続ける男の声は悲痛に塗れていた。
トゥキニシア嬢を支えきれなかった家族の悲哀もいかばかりか。
それにしても、子供が母親に懐いていなかったというのも珍しい。
だがこれもまた、全く聞かないというような話ではなかった。
「姉も渋々向かった久しぶりの仕事でこんなことになるだなんて、思ってもみなかったことでしょう」
そして彼の姉に関しては、やはり事故というより他はない。
もし今、出来ることがあるとするならば。
「……騎士団の勤務状況は、一度見直した方がいいかもしれないな。俺からも一応働きかけておくようにしよう」
俺がよく顔を出すところとは所属が違うので、何処まで話が通るかはわからないけれど、全く無意味ということもないだろう。
不幸な事故など、防げるなら防げた方がいいし、出来ることはきっとあるはずだ。
男は俺の言葉に、きょとんと今度は首を傾げた。
「騎士団に働きかける……? 騎士団の所属なんですか?」
そこで俺もはたと思い至る。
そうだった、今、男は名乗ったけれど、今度は俺が、まだ名乗ってはいなかったと。
俺は頷いた。
「ああ。正式に所属しているわけではないが、たまに顔を出してはいるんだ。俺の名はシーピファル・カデラリア・ナウラティス。シーファとでも呼んでくれればいい。これでも一応は王族なんだよ」
だから騎士団へも意見ぐらいは申し伝えられるのだと。そう、小さく苦笑する。
男はまたしても目を見開いて驚いていた。
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