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10・婚約、そして始まりの日。⑩
しおりを挟む殿下はその時にもやはりぐずぐずと泣いていたし、声は不鮮明で途切れがちで、正直聞き取りづらかった。
けれど、どうしてだろう、嬉しい、とその一言を耳にしただけで、私はなんだか胸がぎゅっと引き絞られるような気持ちになったのだ。
その上、更に殿下は何処までもたどたどしく、けれど確かに言葉を続けられて。
「えっと……その、僕は泣き虫でしょう? けど、みんな優しくて。リーシャも優しくて。いつも我慢してくれてたし、僕をいっぱい気にしてくれてた。それはとても嬉しかったんだけど、でも、今、リーシャが怒ったの、僕は嬉しかったよ。僕、リーシャの気持ち、いっぱい聞きたいよ。どんなのでも、いっぱい聞きたい。だって僕、リーシャが好きだから」
好きだから。
そんなことをはっきりと、口に出して言われたのは初めてのことだったように思う。
殿下はいつも泣いていて、私はそれに、どう対応すればいいのかさえも分からなくて。
戸惑って、けれど気を使っていたのは確かだった。
それが殿下にも伝わっていたということなのだろう。
殿下はきっと、私が思っていたよりもずっと色々なことを理解しているのではないか、そう感じたのはこの時だった。
同時に、嬉しい、好き、なんて言ってくれた殿下に、私はもしかして何も偽らなくてもいいのではないかと、気付いたのも同時。
だって殿下は、私の気持ちを聞きたいと言ったのだ。
どんなのでも、聞きたいと。怒っても構わないのだと。
何かがすとんと胸に落ちた気がした。
(ああ、そうか、いいのか……)
そう思うと、気が抜けて、なんだか楽になったようにも思えた。そして。
(そうだ、この人は私の婚約者。これから長く、共に過ごす人。偽ったままでなんて、過ごし続けられるわけがない)
否、そもそも別に偽っていたわけではないけれど、色々と気にして心がけていたのは本当だったし、殿下に対してももしかしたら余所余所しくなってしまっていた部分があったかもしれない。
勿論、気を使うこと自体、人との良好な関係を構築するにおいて、重要なことだとは思う。けれど、そんな風に気を使ってばっかりで長い時を過ごし続けるのは、きっと、私には難しくて。けれどそれに私は気付いてはいなくて。
殿下はきっと、気付いていた。
私が殿下と接することに戸惑って、いつまでも慣れていないことをもしかしたら気にしてくれていたのかもしれない。
まだたった6歳の、私より二つも年下の殿下が。
ぞわっと、背筋によくわからないものが這い上がっていく。
もしかしたらこの人は、とんでもない人なのではないかと思えば恐ろしくさえあって、けれど、次の瞬間には、そんな一瞬の恐怖さえすぐに沈下してしまう。
だって殿下は殿下だったのだ。なにせ、
「うぅ~~……リーシャぁ~……」
結局はそんな風、べしょべしょと泣きながら、私の服を涙でぐしゃぐしゃにしていたのだから。
気付いた私は眉根を寄せ、
「殿下、お話しくださいませ。泣きすぎです。服がびしょびしょになってしまったではありませんか。抱き着かれるのは構いませんが、どうぞ涙をお納めになられてからになさってください」
今度は何も我慢せず、心のままに殿下を諫めた。
べりべりと自分から引き剥がしながら。
いったい、この泣き虫な婚約者にどう接すればいいのかと、戸惑うばかりだったその半年間からは考えられないぐらいにぞんざいに。
私がこれからは殿下に過剰に気を遣うのを辞めようと決めた時の話だ。
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