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一部

◇美しいひと◆

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 その日はローレントと市街の巡回をする日だった。
 朝早くに騎士団本部を出て、貴族街までやって来たところで、不自然なものを目にする。

「まぁ、嫌だわ、行き倒れかしら……よりにもよってどうしてわたくしの屋敷の前に」
 貴族の女が嫌々そうにして、使用人にそれをどけるように命ずる。
 真っ黒なローブをまとっていて、遠目には女性なのか男性なのかも分からない。
 慌てて、シェラとローレントはその行き倒れに近づいた。
 貴族の女は二人が口を開く前に扇で口もとを隠して、吐き捨てるように言う。

「まぁまぁ、無能な騎士団のかたじゃありませんの、ゴミ処理も立派なお仕事でしょう? さっさとコレを持っていてちょうだい」
「――はい、お任せください」
 先に返事をしたのはローレントだった。
 シェラもローレントも笑顔を一切崩さずに敬礼し、女が去るのを待ってから行き倒れに声をかける。

「大丈夫ですか? まだ意識はありますか?」
 シェラが問いかけると、ローブの隙間から、紅色の双眸をした美しい女が姿を現す。
 漆黒の長い髪を背に流し、彼女はなぜか涙をうかべて微笑んだ。
「あぁ、やっと見つけた、わたくしのエトワール」
「はい? エトワール? って、ちょっと!」
 ぎゅうと抱きしめられると、香水の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

(こ、このひと、もしかして身分が高いのでは?)
 シェラは驚きとともに、なんとか女性を引き離そうと試みるが、意外と力が強い。
(こんなに細いひとを引き離すこともできないなんて……! 最近、鍛錬が足りていないのでしょうか……っ)
 自己嫌悪に陥りながらも、せめて事情を聞くことにした。
 このままでは誤解されたままになってしまうのもある。

「あの、どうなさったんです? 私はエトワールというかたではありませんが……どなたか探していらっしゃるのですか?」
 そう言うと、するりと少しだけ身体を離した女は微笑んだ。
 薄幸そうな雰囲気があるが、妙に色気のある絶世の美人だ。

「いいえ? ひと探しではないの……それは、もう終わったの」
 女性の言葉に、ローレントが怪訝そうにたずねる。
「終わったとおっしゃいますが、それが彼のことであれば、シェラという名の少年で……エトワールというかたではないのですが……」
「今はシェラというの? まぁ、悲しいわ、あのひとと一緒につけた名前だったのに」
 シェラはいい加減にめまいを覚えはじめていた。
 彼女にはまったく話が通じず、シェラをエトワールという誰かだと思っている。
 ひとまず、この誤解をとかなくては……。

「申し訳ないのですが、私はそのかたではありませんので……ええと、とにかく、行くあてはあるのですか? あるのなら、そこまで案内しますし、ないのなら――」
 シェラは押し寄せる罪悪感に耐えながら、女性にたずねる。
 すると彼女は頷いた。

「行き先のことなら心配なさらないで……大丈夫だから。それより、もっと顔をよく見せて、エトワール……いいえ、シェラだったわね」
「あの、困ります。私はそのかたではなくて……」
 あまりに純粋な紅色の瞳に余計に胸が痛む。
 有り余る色気をまといながら、女性は少女のように微笑んで言う。

「わたくし、アリシャというの。ここにはね、あなたを助けたくて来たの」
「は? 助ける……?」
 いったい何のことを言っているのかと首をかしげたシェラと女を、いきなりローレントが引き離した。
 そして、静かな口調で言う。
「……あなたは人間ではないのですね」
 どういうことかと驚いているシェラの一方、アリシャと名乗った女性はくすっと小さく笑う。

「まぁ……乱暴な殿方ね。この子のことが心配だった? その細くておいしそうな首筋に、噛みつくのではないかって……」
「――え」
 シェラは呆然として女を見た。
(噛みつくってことは……このひと、吸血種ですか?)
 アリシャは嫣然と微笑んで、赤い唇に人差し指ををあてる。

「いくらわたくしでも、エトワールにそんなことをしたりしないわ」
「どうでしょうね、あなたがたの吸血衝動は本能ですから」
 にこりと微笑んで言うと、ローレントは女に手錠をかけた。
「話は本部で聞きます、同行願いますよ?」
「ええ、最初からそこへ行くつもりだったから……手が不自由なのはちょっと嫌だけれど、べつに構わないわ。イストとジェシカも居るんでしょう?」
 アリシャは動じることなくゆったりと、笑みを含んだ口調で言うと、シェラに視線を向けて微笑む。
 びくりと身体を強張らせたシェラに、彼女は言う。

「これからよろしくね? わたくしの愛しい子」
「は……はぁ……」
 シェラはがっくりと肩を落とす。結局、彼女の誤解を解くことはできなかったようだ。
(私はエトワールというかたではありませんのに……)
 見知らぬ女性だ。少なくとも、出会っていれば忘れようもない美女なのだから。
(うーん、あとで人違いだったと分かったら……面倒なことになりそうです。このひとは、エトワールというかたのために魔族を裏切るのでしょうし……)
 まいった。とシェラは頭痛の種を抱えながら騎士団本部への道を歩くこととなった。
 さすがに、ただの盗人とは違う。ローレント一人に任せることはできないことだった。
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