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一部
◇美しいひと 2◆
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以降、当然のようにアリシャも騎士団に居座るようになって数日。
彼女は黒いドレスのままで、制服は着ていない。
なぜこうも、上層部は魔族を信頼するのかとシェラには疑問だったが、決められたことには従わねばならない。
(きっとリヒト様の意向でもあるのでしょうし……)
自室で髪を結びながら、シェラは考える。
シェラを拾った王子殿下。
彼は三番目の王子ながら、父王の信頼を得ているという噂をよく耳にする。
一番目の王子と二番目の王子より、有能だとか。
魔族を頭ごなしに敵と見なしていないこともあり、敵である彼らが接触を試みるのもリヒトだけだ。イスト、ジェシカがそうだったように。
(毒は毒をもって制すというのは間違っていませんけれど……それが仇にならなければよいのですが……)
実際、人間だけで上位の魔族と戦うのは骨が折れる。
どんな兵器を用いても、多くの犠牲を避けられない。
それならば、魔族の協力者が居たほうがいい、それは分かるのだ。
(このあいだの銀色の狼だって……きっと腕の一振りで、何十人も引き裂いてしまうでしょうし……)
ぶるりと震えが走った。あの巨大な狼、その爪ともなれば……。
(ダメです、ダメ、これ以上考えたら恐れが勝ってしまいます)
ぶんぶんと首を横に振って、シェラは頬を叩くと制服に袖を通し、部屋の外に出た。
アリシャが騎士団に居座るようになってから、シェラにはもう一つ、悩みというほどでもないが、問題と言えば問題であるように感じていることがあった。
石造りの廊下を歩き、食堂に向かうとローレントの姿を見かける。
けれど、彼のそばにはぴったりとアリシャが寄り添っていた。
(……アリシャさんって、魔族ですよね。それなのになぜローレントにくっついているんでしょうか……)
いつも、いつも、いつも、それはもう、いつも。
アリシャとローレントは一緒に居ることが奇妙なほど多い。
それにどうしてかもやもやした感情を抱き、シェラは自身の変化に困惑していた。
(べつに、ローレントやアリシャさんが誰と一緒に居ようと、良いではありませんか)
ちらりと盗み見ると、ローレントはいたって普段通りで、アリシャを気にしたふうでもない。
(あれだけの美人が傍にいても普段通りなんですよね……)
アリシャの姿は周囲に見えていないようだが、見えれば誰もが振り返るだろう。言い寄る者も大勢いることだろう。
ふと窓に映った自分の姿を見て、シェラは眉を寄せた。
アリシャと比べればせいぜい十人並み、平凡な容姿だ。
(……私、最近ヘンですね)
ため息を吐いて、彼女は食堂に足を踏み入れた。
今までは、ローレントと食事をとることもよくあったが、最近はどうにも話しかけずらくて、一人でとることが多い。
最初こそエトワールと、シェラを気にしていたアリシャだが、騎士団に来てからはずっとローレントの傍に居る。
(……私には、関係ないではありませんか)
シェラは受付で食事を受け取って、あいている席につく。
彼女が不機嫌そうに食事をとっている頃、ローレントはそこから少し離れた席ですぐ傍で微笑んでいるアリシャに眉を寄せた。
「……いつまでそうしているんですか」
「いつまでもよ。シェラにつく悪い虫なんて……見過ごせないもの」
ふふっと笑いながらも、アリシャはヒールの高い靴でローレントの足を踏み躙っている。
「はあ……私はともかく、彼女は私をそんなふうに思っていませんよ」
ローレントの言葉に、アリシャはスッと紅い瞳を開いて、氷のような微笑みをうかべた。
「あらあらまあ、鈍感なのね」
「……っ」
がんっと思いきり足を踏みつけられて、さすがのローレントも歯を食いしばる。
アリシャは華奢で細い女性だが、その本質はヴァンピールだ、容姿に似合わない怪力を持ち合わせている。
「まあ……わたくしとしたことが……力加減を間違えたのかしら? ごめんなさいね? つい、うっかり」
くすくすと笑った彼女に、ローレントは苦々しげな表情で答える。
「私とシェラは仲間です、その関係を崩すような真似は慎んで頂きたいのですが?」
しかしアリシャはその返事に、よりいっそう冷たい笑みをうかべた。
「仲間……? それだけかしら? あなたがあの子を見る目には、欲の炎があるように思えるわ、それも、わたくしの勘違いだとおっしゃるおつもり?」
にこにこと作り笑いをうかべ、紅色の瞳には冷酷な光を宿すアリシャに、ローレントはため息を吐いた。
「……いいえ」
「そうよね。そうだと思ったわ……でも、ダメよ。あなただけはダメ」
手を合わせて、見る者すべてを魅了するような笑をうかべ、アリシャはローレントの耳に唇を近づける。
「だってあなたはあの子を……」
「――ッ」
アリシャの言葉に、ローレントは翡翠の瞳を大きく見開き、やがて悔しそうに閉ざした。
そのようすを遠くから見ていたシェラは、さっさと食事をすませて席を立った。
なぜかは分からない、ただただ不快なのだ。
(……もう、私はどうしたんでしょう……関係ない、関係ない……)
呪文のように頭の中で唱えて、ローレントの耳に唇を寄せるアリシャを忘れようとするが、胸には嫌な感情が渦巻いていた。
「シェラ? どうしたの? 機嫌、悪い?」
食堂を出て廊下を歩いていると、ふと、イストの声が聞こえて彼女は立ち止まった。
「え? あ……イスト」
周囲に誰も居ないことを確認して小声で返事をすると、彼はひとの姿で首を傾げていた。
傍目にも分かるほど、自分は不機嫌そうだっただろうかと、シェラはまたひとつ自己嫌悪に陥る。
そんなシェラを背後から抱きしめて、いつの間にかやって来たジェシカが言う。
「アレってナニかしらねえ……? ローレントにも春が来たってことかしらぁ……? うかうかしてていいのぉ? シェラ」
「なんのことですか。いいですかジェシカ、私と彼は一応同僚です、つまりここでは男性同士なのです、ヘンなこと言わないでくださいよ」
「なんのことって聞いておきながら分かってるじゃなーい、ってことは、シェラもちょっとはローレントのこと男として見てた?」
「は⁉」
頬を人差し指でつつかれて、シェラは愕然とした。
確かに、ジェシカは何のことかまで言っていない。
つまり無意識にそういう話だと思ったということだ。
「え……シェラ、ローレントのこと好きなの?」
更に首を傾げるイストの言葉に、一気に頬に熱が集まる。
「な、な、ななななにを言ってるんですかっ! そんな馬鹿なこと、あるわけないでしょうっ!」
「あらカワイイ。でもさすがにあんな美人相手じゃ分が悪いわよシェラ、狙ってるならちゃんと――」
胸に鈍い痛みが走り、ジェシカから逃れるように身体を離す。
「いい加減にしてくださいっ、私は彼にそんな感情持っていません! 関係ないでしょう!」
そう、思わず大声をあげてしまったとき、足音が聞こえて青ざめた。
誰か来た、そう思ってそちらを向けば、ローレントとアリシャだった。
「――ローレント」
驚いている様子の彼の名をシェラが呼ぶ。
すると、彼は冷静さを取り戻したのか無表情に、シェラを見た。
「……シェラ、彼らと会話するときには注意するように。来たのが私であったから良かったものの、他の者だったら、怪しまれてしまうよ」
なぜか先程とは少し違う、切ないような胸の痛みを感じながら、シェラはローレントから視線をそらして言う。
「……そう、ですね。すみません、気をつけます」
ローレントはそれだけ言うと、シェラを横切って行く。
彼からは、かすかにアリシャと同じ匂いがした。
「……あーらら、聞かれちゃった」
ジェシカの言葉に、シェラは小さなため息を吐く。
「聞かれたところで問題ありません」
「アンタって素直じゃないわねえ」
「真実ですから、素直も何もありませんよ」
シェラは孤児だ。
一方、ローレントは少なくとも妹や家族の居る家庭で育っている。
彼のような、日の光を浴びて生きるひとの邪魔にはなりたくない。
俯いたシェラの頬をつつきながら、ジェシカが唸る。
「んー……ダケド、あの美人……どーっかで見たことあるのよねえ……イスト、アンタは見覚えない? あんなの、一度見たら忘れないでしょ?」
「……ない」
イストの返事には間があった、それを不自然に思ったシェラとジェシカが唇を開く前に、誰かが走ってくる音がした。
「シェラ! やっと見つけた、リヒト殿下がおまえを呼んでいる」
それはシェラと同じ、リヒトの手配で騎士団に入っている同僚だった――。
彼女は黒いドレスのままで、制服は着ていない。
なぜこうも、上層部は魔族を信頼するのかとシェラには疑問だったが、決められたことには従わねばならない。
(きっとリヒト様の意向でもあるのでしょうし……)
自室で髪を結びながら、シェラは考える。
シェラを拾った王子殿下。
彼は三番目の王子ながら、父王の信頼を得ているという噂をよく耳にする。
一番目の王子と二番目の王子より、有能だとか。
魔族を頭ごなしに敵と見なしていないこともあり、敵である彼らが接触を試みるのもリヒトだけだ。イスト、ジェシカがそうだったように。
(毒は毒をもって制すというのは間違っていませんけれど……それが仇にならなければよいのですが……)
実際、人間だけで上位の魔族と戦うのは骨が折れる。
どんな兵器を用いても、多くの犠牲を避けられない。
それならば、魔族の協力者が居たほうがいい、それは分かるのだ。
(このあいだの銀色の狼だって……きっと腕の一振りで、何十人も引き裂いてしまうでしょうし……)
ぶるりと震えが走った。あの巨大な狼、その爪ともなれば……。
(ダメです、ダメ、これ以上考えたら恐れが勝ってしまいます)
ぶんぶんと首を横に振って、シェラは頬を叩くと制服に袖を通し、部屋の外に出た。
アリシャが騎士団に居座るようになってから、シェラにはもう一つ、悩みというほどでもないが、問題と言えば問題であるように感じていることがあった。
石造りの廊下を歩き、食堂に向かうとローレントの姿を見かける。
けれど、彼のそばにはぴったりとアリシャが寄り添っていた。
(……アリシャさんって、魔族ですよね。それなのになぜローレントにくっついているんでしょうか……)
いつも、いつも、いつも、それはもう、いつも。
アリシャとローレントは一緒に居ることが奇妙なほど多い。
それにどうしてかもやもやした感情を抱き、シェラは自身の変化に困惑していた。
(べつに、ローレントやアリシャさんが誰と一緒に居ようと、良いではありませんか)
ちらりと盗み見ると、ローレントはいたって普段通りで、アリシャを気にしたふうでもない。
(あれだけの美人が傍にいても普段通りなんですよね……)
アリシャの姿は周囲に見えていないようだが、見えれば誰もが振り返るだろう。言い寄る者も大勢いることだろう。
ふと窓に映った自分の姿を見て、シェラは眉を寄せた。
アリシャと比べればせいぜい十人並み、平凡な容姿だ。
(……私、最近ヘンですね)
ため息を吐いて、彼女は食堂に足を踏み入れた。
今までは、ローレントと食事をとることもよくあったが、最近はどうにも話しかけずらくて、一人でとることが多い。
最初こそエトワールと、シェラを気にしていたアリシャだが、騎士団に来てからはずっとローレントの傍に居る。
(……私には、関係ないではありませんか)
シェラは受付で食事を受け取って、あいている席につく。
彼女が不機嫌そうに食事をとっている頃、ローレントはそこから少し離れた席ですぐ傍で微笑んでいるアリシャに眉を寄せた。
「……いつまでそうしているんですか」
「いつまでもよ。シェラにつく悪い虫なんて……見過ごせないもの」
ふふっと笑いながらも、アリシャはヒールの高い靴でローレントの足を踏み躙っている。
「はあ……私はともかく、彼女は私をそんなふうに思っていませんよ」
ローレントの言葉に、アリシャはスッと紅い瞳を開いて、氷のような微笑みをうかべた。
「あらあらまあ、鈍感なのね」
「……っ」
がんっと思いきり足を踏みつけられて、さすがのローレントも歯を食いしばる。
アリシャは華奢で細い女性だが、その本質はヴァンピールだ、容姿に似合わない怪力を持ち合わせている。
「まあ……わたくしとしたことが……力加減を間違えたのかしら? ごめんなさいね? つい、うっかり」
くすくすと笑った彼女に、ローレントは苦々しげな表情で答える。
「私とシェラは仲間です、その関係を崩すような真似は慎んで頂きたいのですが?」
しかしアリシャはその返事に、よりいっそう冷たい笑みをうかべた。
「仲間……? それだけかしら? あなたがあの子を見る目には、欲の炎があるように思えるわ、それも、わたくしの勘違いだとおっしゃるおつもり?」
にこにこと作り笑いをうかべ、紅色の瞳には冷酷な光を宿すアリシャに、ローレントはため息を吐いた。
「……いいえ」
「そうよね。そうだと思ったわ……でも、ダメよ。あなただけはダメ」
手を合わせて、見る者すべてを魅了するような笑をうかべ、アリシャはローレントの耳に唇を近づける。
「だってあなたはあの子を……」
「――ッ」
アリシャの言葉に、ローレントは翡翠の瞳を大きく見開き、やがて悔しそうに閉ざした。
そのようすを遠くから見ていたシェラは、さっさと食事をすませて席を立った。
なぜかは分からない、ただただ不快なのだ。
(……もう、私はどうしたんでしょう……関係ない、関係ない……)
呪文のように頭の中で唱えて、ローレントの耳に唇を寄せるアリシャを忘れようとするが、胸には嫌な感情が渦巻いていた。
「シェラ? どうしたの? 機嫌、悪い?」
食堂を出て廊下を歩いていると、ふと、イストの声が聞こえて彼女は立ち止まった。
「え? あ……イスト」
周囲に誰も居ないことを確認して小声で返事をすると、彼はひとの姿で首を傾げていた。
傍目にも分かるほど、自分は不機嫌そうだっただろうかと、シェラはまたひとつ自己嫌悪に陥る。
そんなシェラを背後から抱きしめて、いつの間にかやって来たジェシカが言う。
「アレってナニかしらねえ……? ローレントにも春が来たってことかしらぁ……? うかうかしてていいのぉ? シェラ」
「なんのことですか。いいですかジェシカ、私と彼は一応同僚です、つまりここでは男性同士なのです、ヘンなこと言わないでくださいよ」
「なんのことって聞いておきながら分かってるじゃなーい、ってことは、シェラもちょっとはローレントのこと男として見てた?」
「は⁉」
頬を人差し指でつつかれて、シェラは愕然とした。
確かに、ジェシカは何のことかまで言っていない。
つまり無意識にそういう話だと思ったということだ。
「え……シェラ、ローレントのこと好きなの?」
更に首を傾げるイストの言葉に、一気に頬に熱が集まる。
「な、な、ななななにを言ってるんですかっ! そんな馬鹿なこと、あるわけないでしょうっ!」
「あらカワイイ。でもさすがにあんな美人相手じゃ分が悪いわよシェラ、狙ってるならちゃんと――」
胸に鈍い痛みが走り、ジェシカから逃れるように身体を離す。
「いい加減にしてくださいっ、私は彼にそんな感情持っていません! 関係ないでしょう!」
そう、思わず大声をあげてしまったとき、足音が聞こえて青ざめた。
誰か来た、そう思ってそちらを向けば、ローレントとアリシャだった。
「――ローレント」
驚いている様子の彼の名をシェラが呼ぶ。
すると、彼は冷静さを取り戻したのか無表情に、シェラを見た。
「……シェラ、彼らと会話するときには注意するように。来たのが私であったから良かったものの、他の者だったら、怪しまれてしまうよ」
なぜか先程とは少し違う、切ないような胸の痛みを感じながら、シェラはローレントから視線をそらして言う。
「……そう、ですね。すみません、気をつけます」
ローレントはそれだけ言うと、シェラを横切って行く。
彼からは、かすかにアリシャと同じ匂いがした。
「……あーらら、聞かれちゃった」
ジェシカの言葉に、シェラは小さなため息を吐く。
「聞かれたところで問題ありません」
「アンタって素直じゃないわねえ」
「真実ですから、素直も何もありませんよ」
シェラは孤児だ。
一方、ローレントは少なくとも妹や家族の居る家庭で育っている。
彼のような、日の光を浴びて生きるひとの邪魔にはなりたくない。
俯いたシェラの頬をつつきながら、ジェシカが唸る。
「んー……ダケド、あの美人……どーっかで見たことあるのよねえ……イスト、アンタは見覚えない? あんなの、一度見たら忘れないでしょ?」
「……ない」
イストの返事には間があった、それを不自然に思ったシェラとジェシカが唇を開く前に、誰かが走ってくる音がした。
「シェラ! やっと見つけた、リヒト殿下がおまえを呼んでいる」
それはシェラと同じ、リヒトの手配で騎士団に入っている同僚だった――。
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