忘却の時魔術師

語り手ラプラス

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第一部 第四章「趣舎万殊」

第42話 プロローグ

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 少女は急いでいた。
 別に誰かから逃げているわけじゃ無い。
 呼ばれているのだ。

「行かなきゃ……」
 譫言のように呟きながら、少女はいつもの通学路とは違う道を進み、路地裏へと入っていく。

「行かなきゃ……」
 日が差し込まない暗い道を歩いているはずなのに、少女は迷ったりすることはせず、まるで、その道を一度は歩いたことのある様な足取りで奥へ奥へと入っていく。

『こっちへおいで。こっちだよ』
 敢えて言葉で例えるのなら、“不気味”そう称した方が良さそうな声が少女のいる空間で響き、少女の虚な瞳は更に更にと色を無くしていき、光を失っていく。

「行かなきゃ……。行かなきゃ……」
 少女の呟きは、徐々に遠くなっていき、暗闇へと消えていった。

 ・・・

 side:玄野零

「今回も酷い怪我だねぇ」
 苦笑いをしつつも、消毒液を染み込ませた綿で治療をしてくれるマルティンドクター

「痛っ! ルナの奴、手加減知らないから。結構本気でぶっ叩いて来るんすよ。痛っ‼︎」
 現在、俺は2週間前辺りから始め出したルナとの特訓で負った怪我……とは言っても大半は打撲なのだが、それら負傷の治療の為、マルティン先生がいる『アガルタ』の医務室にお世話になっていた。

「もう、君達が特訓を始めて、3週間も経つんだね。早いねぇ。最初、ボロボロな状態で医務室へ来たのがつい最近のようだよ」
「何言ってんすか。普通につい最近ですよ」
 あまりに通い過ぎたせいか、マルティン先生と軽口を言い合える仲にまで発展してはいるが、その代わりに……。

「──痛っ‼︎⁉︎」
 背中に突然、電撃が走ったかのような痛みが起こり、顔を顰める。

「あれ? 強く押し過ぎたかな? まあ、いっか。玄野君だしね」
 と、まあ。この様に治療も杜撰になっていくわけで……。

「ひでぇ。訴えてやる」
「やれるものならどうぞ」
「──くっ!」
 睨む俺をニヤリと意地悪く笑う先生。
 言い返してやりたいが、治療して貰ってる身のため、なかなか文句が言えない。

「それで? あの子には勝てそうかい?」
「あの子?」
「決闘相手だよ」
「あぁ……」
 マルティン先生の言葉に俺は、ハリスさんとの会話の内容を思い出す。

『彼に勝てるかどうか? うーん。そうだねぇ。今の君。あ、勿論。魔力回路が回復した状態の君だよ? その状態の君が彼と戦っても100%の確率で君が負けるだろうね』
『な、なんで!』
『そんなの簡単な話さ。まず、1つ目。君の対戦相手が普通に強いという事。彼はね。うちの娘に迫る実力者だ。うちの娘と相性が悪くさえなければ、勝っていたと言っていい程にはね。強いよ』
『アリスに……』
『そして、2つ目。これは僕が報告で聞いた情報をベースに考えた事だけど……。事件の時の事を調べる限り、君は、物理攻撃しか出来ない……そうだろ?』
『……はい』
『彼は娘と同じように精霊の加護を持ってる。今の君じゃ、相手の魔力切れを狙うしか太刀打ち出来ないよ?』

 今、一番ネックなのは、物理攻撃を無効にする“精霊の加護”だ。

 魔力回路は1週間前に回復したから、今現在の悩みの中からは消えたけど……。

 精霊の加護。
 あれの対処法は未だに見つかっていない。

「……アイツに勝てるかどうかは分からないです。やっぱり、精霊の加護の効果はデカいし」
「なるほどね」
「──でもッ! 絶対勝って見せます! だから、見ていてください! 先生!」
「……そうかい。なら、応援してるよ」
 マルティン先生はそう言いながら、袋から取り出した湿布をペタリと背中に貼り付けてくる。

「──ッ!?」
 突然、ゾゾっと伝わってくる冷たさにビクリと全身を震わすと、マルティン先生は悪戯が成功した子供のような笑みをこぼす。

「ここでの治療が無駄にならないよう、勝つんだよ」
「──はい!」
 残すはあと、ちょうど1週間。
 絶対にそれまでにアイツの攻略法を見つけてみせる!

 ・・・

 side:一条霧夜

「61、62、63、64、……」
 玄野との決闘まで、残り1週間か。
 自宅のトレーニングルームにて、己を鍛えながら、俺は決闘相手のことを考えていた。

 派閥の幹部である叔父上の命令で、ワザと資料庫で待ち伏せていた時、初めて見た奴は取るに足らない存在。そのものだった。

 だが、その見解は少し違った。
 決闘騒ぎの後、奴がレベル4のキメラを倒せるのかと疑った俺は独自の調査で、奴が固有魔術を扱えるかもしれない数少ない1人だということを知った。

 まあ、だからといって、レベル4を倒せるかは別な話だが……。

 その時から、だろう。
 俺の中で奴は取るに足らない存在から油断出来ない存在へと変化していった。

「89、90、91、92、……」
 ベンチプレスによって噴き出る汗が凍っていき、小さな氷柱となっては砕け散って、霧散していく。

 ……負けられない。絶対に。

「100」
 一通り終わり、バーベルを置いたその時。
 トレーニングルームの扉の前に人の気配が現れる。

「失礼」
「なんだ?」
「若様。当主様がお呼びです」
「叔父上か。分かった。少し汗を落としてから向かうと伝えておいてくれ」
「御意」

 ・・・

 シャワーを浴び、服を着た後、叔父上の部屋前まで行き、ライオンの装飾が施されたドアノッカーを鳴らす。

「叔父上、私です」
「…………入れ」
 ドア奥から聞こえてくる渋い声に、俺はドアを開ける。

「来たか。霧夜」
「……はい。叔父上」
 視線の先には革張りのソファに腰を掛けた男がいる。

 白髪混ざりのオールバックにしっかり整えられた髭。
 その身に纏う覇気と光の無い鋭い眼光は間違いなく歴戦の猛者を連想させるものではあった。

 ……だが……。
 男の目元にくっきりと付いた黒い隈。
 特にここ数年で酷くなったようにも思うそれを見て。俺は眉間に軽く皺を寄せる。

「立ってないで座れ」
「……はい」
 近くのソファーへ座るように促され、腰を下ろす。

「要件は……」
「1週間後の決闘の件だ」
「……はい」
 ……話す事なんか無いはずなのに。
 何処か様子が変だな。

「必ず勝てとは、もう言わん。好きにしろ」
「……理由を聞いても?」
「必要がないからだ」

 ……必要がない?
 どう言う事だ?

「要件は以上だ。休め」
「……はっ!」
 ソファーから立ち上がり、ドアの前まで歩く。

「……もう直ぐだ。もう直ぐ……」
 扉を開けて、部屋から出る直前、叔父上の口からそんな言葉が聞こえたのは気のせいだと思いたかった。
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