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第三部 宰相閣下の婚約者
815 ラハデ公爵の来訪(中)
ギーレンではブランデヴァインと呼ばれているようだけれど、聞いている限りはアップル・ブランデーだ。
リンゴの果汁を発酵させて作ったお酒を元にした蒸留酒。葡萄の果汁を発酵させて造られるブランデーと、主要材料が違うだけのお酒。
リキュールとの違いは、そこに何か漬け込んだり砂糖を加えたりしていないこと。
元の世界だとブランデー誕生のきっかけは、長距離輸送中に酸っぱくなってしまったワインを何とか出来ないかと蒸留してみたところ、想定外に香り高いお酒に変貌を遂げた……だったような気がする。
その仕組みがここでも大きく異なっていないのなら、バリエンダールの「エプレの調味料」に似た、天然発酵という過程がそこには含まれているはずなのだ。
リンゴ以外にも、スモモ、セイヨウナシ、キイチゴ、ミカン、メロンなんかで作れる――それは後でもいい。
まずは安定した発酵過程を確立させるための試行錯誤に、このブランデヴァインも一役買ってくれればというのが私の狙いだった。
三国会談がひと段落すれば、国内貴族の勢力図は大きく動く。
クヴィスト公爵領やコンティオラ公爵領の一部が処罰を余儀なくされるだろう中で、クヴィスト公爵領の乳牛酪農事業がまずこれを機に縮小させられる。イデオン公爵領内、キヴェカス伯爵領との長年の確執を決着させるのに、ちょうどいい口実となるからだ。
けれどただ縮小させるだけでは遺恨が残る。そこで、スヴェンテ公爵領内の養羊業を一部譲渡すること、心機一転リンゴ事業(メインは安定した発酵過程の確立)を手掛けてもいいという畜産家や酪農家を募ることとで、反発を少しでも減らしておきたい……のだけれど、肝心の、スヴェンテ公爵領内の養羊業の勢いを抑えこみたいロイヴァス長官が、今はそれどころではない。
なので、今のうちにミルテ王女の引き合わせと絡めて、リンゴ事業を立ち上げる下地を先に作っておければと思ったのだ。
ラハデ公爵にアンジェスに来てもらうための口実を考えた時にこのブランデヴァインの話を聞き、同じリンゴを発酵させて製造する産業があるのなら、開発協力という点でこのブランデヴァインは使えると閃いた。
上手くいけば、バリエンダールの北の地域で、カラハティ以外の産業を定着させられる。
葡萄栽培の北限よりも更に北にある北方遊牧民たちの居住地域でも、エプレは栽培されている。
今は個人がバラバラに作っているようだけど、これが軌道に乗れば紅茶の開発と共に、ミルテ王女の「手土産」にだってなり得る。
もともと、生半可なところには嫁がせられない身分のミルテ王女だ。
ギーレンの王や王子が少々頼りなかろうと、エヴェリーナ妃という事実上の女王がいる限りは、もっとも王女の安寧が保証されるのがギーレンなのだ。
それは、私もシャルリーヌも共通認識としているところだったし、私からすればバリエンダール国内も、公爵家や宰相家は問題が多い。
それが王族、高位貴族の結婚だ――と言ってしまえる範囲を超えている。
ゲームのシナリオには、護衛騎士と結ばれてのエンドがある。
ただ、そのエンドがあるからと言って、現時点で騎士が英雄並みの功績を挙げたり、王女が騎士にベタ惚れだったりしていなければ、現実世界でのそのカップリングは苦労しかないし、監禁エンドルートを持つミラン王太子が既に婚約者と良好な関係を築いている以上は、国内の勢力バランス上、騎士に降嫁させることは絶望的だ。
(決して無作為に王女をギーレンに嫁がせようとしているわけじゃないのよ、うん)
どうしても自分の中に言い訳じみた言葉が次々と浮かんでしまうのは、あまりにミルテ王女が純粋無垢な性格をしているからだろうなと頭を振る。
ギーレンで王妃教育を受けていたシャルリーヌも、自分がエドベリ王子に嫁ぎたくないという思いだけはどうしても曲げられないらしく、ここまでミルテ王女を見ながら時々胸を押さえていたくらいだったから、私と似たような心境ではあるのだろう。
『サイアス様に認めてさえ頂ければ、あとはいいようにして下さるわ』
エドベリ王子の正妃候補、聖女のネームバリューを上回る名前と品格。諸々考えて「ミルテ王女なら……?」となった私に、そう後押し発言をしたのもシャルリーヌだから、互いにズキズキと罪悪感が疼いている。
――王女が気に入られなければいい、と断言してしまえないだけに余計に。
思わず私も胸を押さえる。
とはいえ、事態は既に動き出している。
ラハデ公爵とミルテ王女は、ここアンジェス国で対面を果たしていた。
「ユリア様、こちら私がギーレン国に居た頃、非常に良くして下さっていたサイアス様ですわ」
大公夫人よりも王女の方が身分が上ではあるけれど、ここはアンディション侯爵邸。シャルリーヌは、まずはこの邸宅の女主人であるユリア夫人の紹介を優先したようだった。
「……そう」
あ、と私は思った。
敢えて家名を省いて紹介をしたシャルリーヌに、それを咎めなかったユリア夫人。
王族として公的な場で感情を表に出さないよう叩き込まれているはずの、夫人の表情筋が微妙に強張っている。
(やっぱりラハデ公爵のことご存知だった……)
高位貴族ともなれば、相手の顔と名前を一致させる事は必須。ラハデ公爵は、隣国とは言え正妃のパートナーを務めることもあるほどの御仁だ。言葉を交わしていようがいまいが、夫人は分かったのだろう。さすがである。
「サイアス様……で、よろしくて?」
「…………は」
そしてラハデ公爵も、アンジェス国の王族外交を担っていたテオドル大公夫妻のことは把握していたのだろう。
動揺を悟られないようにか、胸に片手を当てて頭を下げていたものの、声には僅かの揺らぎがあった。
そのままチラリとシャルリーヌを一瞥したあたり、後で説明を求められるのは確実だった。
「家名は伏せさせて頂きたく……本日はベッティル商会の代理として接して頂ければ。私はその……夫人、とだけ呼ばせて頂いても?」
「そうね……」
そう言いながら、ユリア夫人の視線はシャルリーヌではなく私を捉えている。
どうやら後でそれぞれに説明は必要そうだけど、それはそうだろうと、私もシャルリーヌも既に覚悟はしていた。
普通に考えれば、少なくとも夫人からは、来客の家名を伏せていたことを叱られても仕方がない話なのだから。
「では、そういうことにさせて頂きますわ。元よりシャルリーヌ嬢とレイナ嬢のお客様ですものね。では私からは当家の賓客であるミルテ様を紹介させて頂きますわね。――ミルテ様」
「!」
名前を呼ばれたミルテ王女の背がピンっと伸びた。
ラハデ公爵の立場が分からずに戸惑っているはずなのに、恐らくはユリア夫人の振る舞いから、それなりの立場の人だということは分かったのだろう。
あるいは「王女」ではなく「賓客」と紹介されたことで、何かしらの事情がそこにあることは分かったのかも知れない。
デビュタント前では、まだ他国の要人の把握までは授業が追い付いていないだろうと、ミルテ王女がラハデ公爵を認識したかしないかは、ここでは重要視されていない空気があった。
「デビュタント前だからというのもございますけれど、敢えて家名を名乗らない社交もあると、今回はご理解下さいませね、ミルテ様」
ユリア夫人は王女を安心させるかのように、そう言って微笑んだ。
「こちらは……サイアス様。ギーレン国でそれなりに名の知れた方であるとだけ、ご記憶下さい。後日、もしかしたら兄君の結婚式でお会いする可能性もある方ですわ」
なるほど王が主役の式典であればともかく、皇太子の結婚式であれば、ギーレンも国王以外の王族を参加させる可能性がある。
まだ立太子されていないエドベリ王子を、これを機に次期国王として表に出すか、時期尚早となればエヴェリーナ妃が実弟であるラハデ公爵をパートナーとして参加する可能性もあるだろうから、ユリア夫人の言っていることは間違いではない。
「そうですのね……」
ユリア夫人の示唆を、王女も吞み込めたようだ。
ひとつ息を吸い込んで、私なんか足元にも及ばない、完璧な〝カーテシー〟をそこで披露して見せた。
ラハデ公爵も僅かに目を瞠っているところから言っても、その作法がミルテ王女自身の地位を無言で主張している。
「ミルテと申します。ユリア様には幼き頃より目をかけていただいており、実の祖母ではございませんが『ユリアお祖母さま』と呼ぶことを許していただいておりますわ」
さすがバリエンダールサイドのヒロインだと、私もシャルリーヌも内心で感心していたほどの、それは立ち居振る舞いだった。
「…………さようでしたか」
それはどういった第一印象だったのか。答えるラハデ公爵の声には、一瞬の間があった。
「本日は、シャルリーヌ嬢の紹介でユングベリ嬢との商談に訪れておりますので、どうぞサイアスと。私は……姫君と、呼ばせていただいてもよろしいか」
他国とはいえ、社交界デビュー前とはいえ、ミルテ王女は王族の一人だ。それも直系の。
こちらもこちらで、ラハデ公爵がその名を把握していないはずもなかった。
(さすがに「ミルテ」と言われれば、素性に察しはつくよね……)
ご令嬢ではなく、あえて「姫」と言ったのが、その証左だろう。
「え、ええ。もちろんです。商談の話は私も耳にしております。レイナさまには『おねえさま』呼びを許していただいているほどですから!」
……ミルテ王女、ラハデ公爵が戸惑うのでそこでドヤ顔と仲良しアピールはやめて下さい。
「サイアス様は高位貴族の方々との交流も多く、色々な物事に造詣が深いと聞いておりましたから、お時間があれば私の持っております紅茶についてもご意見をいただけたらと、おねえさまと話しておりましたの!」
「紅茶、ですか?」
「ええ。私の兄の結婚式に、私が組み合わせた茶葉をお贈りしたいと試行錯誤を繰り返しているのですけれど、なかなか味がまとまらず……今日、こちらのお邸宅で色々と助言をいただいて少し先が見えてきたのですけれど、せっかくですからサイアス様のご意見もうかがえたら、と」
そこに嘘はないので、私とシャルリーヌは王女の発言を肯定するように首を縦に振る。
「なるほど……身内の結婚式に、自らが手掛けた紅茶を振舞って差し上げたい、と。それはなかなかに斬新な試みと言えましょう」
ふむ、と口元に手をやるラハデ公爵に、ミルテ王女の表情がパッと輝いた。
「ええ、もちろん、レイナおねえさまとの商談の後で構いません! その、お話の合間に紅茶を出させていただいても……?」
「――いただきましょう」
まずは、表向きの本題から片付けてしまわないことには話が始まらない。
ラハデ公爵も、ここで迷っていても仕方がないと思ったのか、その返答はほぼ即答だった。
「では、私とミルテ様は一度席を外させていただきますわ」
私よりも、シャルリーヌの方がラハデ公爵に近いことを察したユリア夫人は、商談であるとはいえシャルリーヌに退出を促すことはしなかった。
そうして三人がその場に残されたところで、ラハデ公爵の深いため息が耳に届いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつも読んでいただき、応援コメントやいいね!を有難うございます!
昨年はかなりの不定期更新となっておりましたが、今年はなるべく間隔を詰めるべく頑張る所存です m(_ _)m
1月30日(金)出荷予定となる「聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?5」についても、書下ろしのエピローグが追加されております。どうぞ宜しくお願い致します……! m(_ _)m
リンゴの果汁を発酵させて作ったお酒を元にした蒸留酒。葡萄の果汁を発酵させて造られるブランデーと、主要材料が違うだけのお酒。
リキュールとの違いは、そこに何か漬け込んだり砂糖を加えたりしていないこと。
元の世界だとブランデー誕生のきっかけは、長距離輸送中に酸っぱくなってしまったワインを何とか出来ないかと蒸留してみたところ、想定外に香り高いお酒に変貌を遂げた……だったような気がする。
その仕組みがここでも大きく異なっていないのなら、バリエンダールの「エプレの調味料」に似た、天然発酵という過程がそこには含まれているはずなのだ。
リンゴ以外にも、スモモ、セイヨウナシ、キイチゴ、ミカン、メロンなんかで作れる――それは後でもいい。
まずは安定した発酵過程を確立させるための試行錯誤に、このブランデヴァインも一役買ってくれればというのが私の狙いだった。
三国会談がひと段落すれば、国内貴族の勢力図は大きく動く。
クヴィスト公爵領やコンティオラ公爵領の一部が処罰を余儀なくされるだろう中で、クヴィスト公爵領の乳牛酪農事業がまずこれを機に縮小させられる。イデオン公爵領内、キヴェカス伯爵領との長年の確執を決着させるのに、ちょうどいい口実となるからだ。
けれどただ縮小させるだけでは遺恨が残る。そこで、スヴェンテ公爵領内の養羊業を一部譲渡すること、心機一転リンゴ事業(メインは安定した発酵過程の確立)を手掛けてもいいという畜産家や酪農家を募ることとで、反発を少しでも減らしておきたい……のだけれど、肝心の、スヴェンテ公爵領内の養羊業の勢いを抑えこみたいロイヴァス長官が、今はそれどころではない。
なので、今のうちにミルテ王女の引き合わせと絡めて、リンゴ事業を立ち上げる下地を先に作っておければと思ったのだ。
ラハデ公爵にアンジェスに来てもらうための口実を考えた時にこのブランデヴァインの話を聞き、同じリンゴを発酵させて製造する産業があるのなら、開発協力という点でこのブランデヴァインは使えると閃いた。
上手くいけば、バリエンダールの北の地域で、カラハティ以外の産業を定着させられる。
葡萄栽培の北限よりも更に北にある北方遊牧民たちの居住地域でも、エプレは栽培されている。
今は個人がバラバラに作っているようだけど、これが軌道に乗れば紅茶の開発と共に、ミルテ王女の「手土産」にだってなり得る。
もともと、生半可なところには嫁がせられない身分のミルテ王女だ。
ギーレンの王や王子が少々頼りなかろうと、エヴェリーナ妃という事実上の女王がいる限りは、もっとも王女の安寧が保証されるのがギーレンなのだ。
それは、私もシャルリーヌも共通認識としているところだったし、私からすればバリエンダール国内も、公爵家や宰相家は問題が多い。
それが王族、高位貴族の結婚だ――と言ってしまえる範囲を超えている。
ゲームのシナリオには、護衛騎士と結ばれてのエンドがある。
ただ、そのエンドがあるからと言って、現時点で騎士が英雄並みの功績を挙げたり、王女が騎士にベタ惚れだったりしていなければ、現実世界でのそのカップリングは苦労しかないし、監禁エンドルートを持つミラン王太子が既に婚約者と良好な関係を築いている以上は、国内の勢力バランス上、騎士に降嫁させることは絶望的だ。
(決して無作為に王女をギーレンに嫁がせようとしているわけじゃないのよ、うん)
どうしても自分の中に言い訳じみた言葉が次々と浮かんでしまうのは、あまりにミルテ王女が純粋無垢な性格をしているからだろうなと頭を振る。
ギーレンで王妃教育を受けていたシャルリーヌも、自分がエドベリ王子に嫁ぎたくないという思いだけはどうしても曲げられないらしく、ここまでミルテ王女を見ながら時々胸を押さえていたくらいだったから、私と似たような心境ではあるのだろう。
『サイアス様に認めてさえ頂ければ、あとはいいようにして下さるわ』
エドベリ王子の正妃候補、聖女のネームバリューを上回る名前と品格。諸々考えて「ミルテ王女なら……?」となった私に、そう後押し発言をしたのもシャルリーヌだから、互いにズキズキと罪悪感が疼いている。
――王女が気に入られなければいい、と断言してしまえないだけに余計に。
思わず私も胸を押さえる。
とはいえ、事態は既に動き出している。
ラハデ公爵とミルテ王女は、ここアンジェス国で対面を果たしていた。
「ユリア様、こちら私がギーレン国に居た頃、非常に良くして下さっていたサイアス様ですわ」
大公夫人よりも王女の方が身分が上ではあるけれど、ここはアンディション侯爵邸。シャルリーヌは、まずはこの邸宅の女主人であるユリア夫人の紹介を優先したようだった。
「……そう」
あ、と私は思った。
敢えて家名を省いて紹介をしたシャルリーヌに、それを咎めなかったユリア夫人。
王族として公的な場で感情を表に出さないよう叩き込まれているはずの、夫人の表情筋が微妙に強張っている。
(やっぱりラハデ公爵のことご存知だった……)
高位貴族ともなれば、相手の顔と名前を一致させる事は必須。ラハデ公爵は、隣国とは言え正妃のパートナーを務めることもあるほどの御仁だ。言葉を交わしていようがいまいが、夫人は分かったのだろう。さすがである。
「サイアス様……で、よろしくて?」
「…………は」
そしてラハデ公爵も、アンジェス国の王族外交を担っていたテオドル大公夫妻のことは把握していたのだろう。
動揺を悟られないようにか、胸に片手を当てて頭を下げていたものの、声には僅かの揺らぎがあった。
そのままチラリとシャルリーヌを一瞥したあたり、後で説明を求められるのは確実だった。
「家名は伏せさせて頂きたく……本日はベッティル商会の代理として接して頂ければ。私はその……夫人、とだけ呼ばせて頂いても?」
「そうね……」
そう言いながら、ユリア夫人の視線はシャルリーヌではなく私を捉えている。
どうやら後でそれぞれに説明は必要そうだけど、それはそうだろうと、私もシャルリーヌも既に覚悟はしていた。
普通に考えれば、少なくとも夫人からは、来客の家名を伏せていたことを叱られても仕方がない話なのだから。
「では、そういうことにさせて頂きますわ。元よりシャルリーヌ嬢とレイナ嬢のお客様ですものね。では私からは当家の賓客であるミルテ様を紹介させて頂きますわね。――ミルテ様」
「!」
名前を呼ばれたミルテ王女の背がピンっと伸びた。
ラハデ公爵の立場が分からずに戸惑っているはずなのに、恐らくはユリア夫人の振る舞いから、それなりの立場の人だということは分かったのだろう。
あるいは「王女」ではなく「賓客」と紹介されたことで、何かしらの事情がそこにあることは分かったのかも知れない。
デビュタント前では、まだ他国の要人の把握までは授業が追い付いていないだろうと、ミルテ王女がラハデ公爵を認識したかしないかは、ここでは重要視されていない空気があった。
「デビュタント前だからというのもございますけれど、敢えて家名を名乗らない社交もあると、今回はご理解下さいませね、ミルテ様」
ユリア夫人は王女を安心させるかのように、そう言って微笑んだ。
「こちらは……サイアス様。ギーレン国でそれなりに名の知れた方であるとだけ、ご記憶下さい。後日、もしかしたら兄君の結婚式でお会いする可能性もある方ですわ」
なるほど王が主役の式典であればともかく、皇太子の結婚式であれば、ギーレンも国王以外の王族を参加させる可能性がある。
まだ立太子されていないエドベリ王子を、これを機に次期国王として表に出すか、時期尚早となればエヴェリーナ妃が実弟であるラハデ公爵をパートナーとして参加する可能性もあるだろうから、ユリア夫人の言っていることは間違いではない。
「そうですのね……」
ユリア夫人の示唆を、王女も吞み込めたようだ。
ひとつ息を吸い込んで、私なんか足元にも及ばない、完璧な〝カーテシー〟をそこで披露して見せた。
ラハデ公爵も僅かに目を瞠っているところから言っても、その作法がミルテ王女自身の地位を無言で主張している。
「ミルテと申します。ユリア様には幼き頃より目をかけていただいており、実の祖母ではございませんが『ユリアお祖母さま』と呼ぶことを許していただいておりますわ」
さすがバリエンダールサイドのヒロインだと、私もシャルリーヌも内心で感心していたほどの、それは立ち居振る舞いだった。
「…………さようでしたか」
それはどういった第一印象だったのか。答えるラハデ公爵の声には、一瞬の間があった。
「本日は、シャルリーヌ嬢の紹介でユングベリ嬢との商談に訪れておりますので、どうぞサイアスと。私は……姫君と、呼ばせていただいてもよろしいか」
他国とはいえ、社交界デビュー前とはいえ、ミルテ王女は王族の一人だ。それも直系の。
こちらもこちらで、ラハデ公爵がその名を把握していないはずもなかった。
(さすがに「ミルテ」と言われれば、素性に察しはつくよね……)
ご令嬢ではなく、あえて「姫」と言ったのが、その証左だろう。
「え、ええ。もちろんです。商談の話は私も耳にしております。レイナさまには『おねえさま』呼びを許していただいているほどですから!」
……ミルテ王女、ラハデ公爵が戸惑うのでそこでドヤ顔と仲良しアピールはやめて下さい。
「サイアス様は高位貴族の方々との交流も多く、色々な物事に造詣が深いと聞いておりましたから、お時間があれば私の持っております紅茶についてもご意見をいただけたらと、おねえさまと話しておりましたの!」
「紅茶、ですか?」
「ええ。私の兄の結婚式に、私が組み合わせた茶葉をお贈りしたいと試行錯誤を繰り返しているのですけれど、なかなか味がまとまらず……今日、こちらのお邸宅で色々と助言をいただいて少し先が見えてきたのですけれど、せっかくですからサイアス様のご意見もうかがえたら、と」
そこに嘘はないので、私とシャルリーヌは王女の発言を肯定するように首を縦に振る。
「なるほど……身内の結婚式に、自らが手掛けた紅茶を振舞って差し上げたい、と。それはなかなかに斬新な試みと言えましょう」
ふむ、と口元に手をやるラハデ公爵に、ミルテ王女の表情がパッと輝いた。
「ええ、もちろん、レイナおねえさまとの商談の後で構いません! その、お話の合間に紅茶を出させていただいても……?」
「――いただきましょう」
まずは、表向きの本題から片付けてしまわないことには話が始まらない。
ラハデ公爵も、ここで迷っていても仕方がないと思ったのか、その返答はほぼ即答だった。
「では、私とミルテ様は一度席を外させていただきますわ」
私よりも、シャルリーヌの方がラハデ公爵に近いことを察したユリア夫人は、商談であるとはいえシャルリーヌに退出を促すことはしなかった。
そうして三人がその場に残されたところで、ラハデ公爵の深いため息が耳に届いたのだった。
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