815 / 816
第三部 宰相閣下の婚約者
815 ラハデ公爵の来訪(中)
しおりを挟む
ギーレンではブランデヴァインと呼ばれているようだけれど、聞いている限りはアップル・ブランデーだ。
リンゴの果汁を発酵させて作ったお酒を元にした蒸留酒。葡萄の果汁を発酵させて造られるブランデーと、主要材料が違うだけのお酒。
リキュールとの違いは、そこに何か漬け込んだり砂糖を加えたりしていないこと。
元の世界だとブランデー誕生のきっかけは、長距離輸送中に酸っぱくなってしまったワインを何とか出来ないかと蒸留してみたところ、想定外に香り高いお酒に変貌を遂げた……だったような気がする。
その仕組みがここでも大きく異なっていないのなら、バリエンダールの「エプレの調味料」に似た、天然発酵という過程がそこには含まれているはずなのだ。
リンゴ以外にも、スモモ、セイヨウナシ、キイチゴ、ミカン、メロンなんかで作れる――それは後でもいい。
まずは安定した発酵過程を確立させるための試行錯誤に、このブランデヴァインも一役買ってくれればというのが私の狙いだった。
三国会談がひと段落すれば、国内貴族の勢力図は大きく動く。
クヴィスト公爵領やコンティオラ公爵領の一部が処罰を余儀なくされるだろう中で、クヴィスト公爵領の乳牛酪農事業がまずこれを機に縮小させられる。イデオン公爵領内、キヴェカス伯爵領との長年の確執を決着させるのに、ちょうどいい口実となるからだ。
けれどただ縮小させるだけでは遺恨が残る。そこで、スヴェンテ公爵領内の養羊業を一部譲渡すること、心機一転リンゴ事業(メインは安定した発酵過程の確立)を手掛けてもいいという畜産家や酪農家を募ることとで、反発を少しでも減らしておきたい……のだけれど、肝心の、スヴェンテ公爵領内の養羊業の勢いを抑えこみたいロイヴァス長官が、今はそれどころではない。
なので、今のうちにミルテ王女の引き合わせと絡めて、リンゴ事業を立ち上げる下地を先に作っておければと思ったのだ。
ラハデ公爵にアンジェスに来てもらうための口実を考えた時にこのブランデヴァインの話を聞き、同じリンゴを発酵させて製造する産業があるのなら、開発協力という点でこのブランデヴァインは使えると閃いた。
上手くいけば、バリエンダールの北の地域で、カラハティ以外の産業を定着させられる。
葡萄栽培の北限よりも更に北にある北方遊牧民たちの居住地域でも、エプレは栽培されている。
今は個人がバラバラに作っているようだけど、これが軌道に乗れば紅茶の開発と共に、ミルテ王女の「手土産」にだってなり得る。
もともと、生半可なところには嫁がせられない身分のミルテ王女だ。
ギーレンの王や王子が少々頼りなかろうと、エヴェリーナ妃という事実上の女王がいる限りは、もっとも王女の安寧が保証されるのがギーレンなのだ。
それは、私もシャルリーヌも共通認識としているところだったし、私からすればバリエンダール国内も、公爵家や宰相家は問題が多い。
それが王族、高位貴族の結婚だ――と言ってしまえる範囲を超えている。
ゲームのシナリオには、護衛騎士と結ばれてのエンドがある。
ただ、そのエンドがあるからと言って、現時点で騎士が英雄並みの功績を挙げたり、王女が騎士にベタ惚れだったりしていなければ、現実世界でのそのカップリングは苦労しかないし、監禁エンドルートを持つミラン王太子が既に婚約者と良好な関係を築いている以上は、国内の勢力バランス上、騎士に降嫁させることは絶望的だ。
(決して無作為に王女をギーレンに嫁がせようとしているわけじゃないのよ、うん)
どうしても自分の中に言い訳じみた言葉が次々と浮かんでしまうのは、あまりにミルテ王女が純粋無垢な性格をしているからだろうなと頭を振る。
ギーレンで王妃教育を受けていたシャルリーヌも、自分がエドベリ王子に嫁ぎたくないという思いだけはどうしても曲げられないらしく、ここまでミルテ王女を見ながら時々胸を押さえていたくらいだったから、私と似たような心境ではあるのだろう。
『サイアス様に認めてさえ頂ければ、あとはいいようにして下さるわ』
エドベリ王子の正妃候補、聖女のネームバリューを上回る名前と品格。諸々考えて「ミルテ王女なら……?」となった私に、そう後押し発言をしたのもシャルリーヌだから、互いにズキズキと罪悪感が疼いている。
ーー王女が気に入られなければいい、と断言してしまえないだけに余計に。
思わず私も胸を押さえる。
とはいえ、事態は既に動き出している。
ラハデ公爵とミルテ王女は、ここアンジェス国で対面を果たしていた。
「ユリア様、こちら私がギーレン国に居た頃、非常に良くして下さっていたサイアス様ですわ」
大公夫人よりも王女の方が身分が上ではあるけれど、ここはアンディション侯爵邸。シャルリーヌは、まずはこの邸宅の女主人であるユリア夫人の紹介を優先したようだった。
「……そう」
あ、と私は思った。
敢えて家名を省いて紹介をしたシャルリーヌに、それを咎めなかったユリア夫人。
王族として公的な場で感情を表に出さないよう叩き込まれているはずの、夫人の表情筋が微妙に強張っている。
(やっぱりラハデ公爵のことご存知だった……)
高位貴族ともなれば、相手の顔と名前を一致させる事は必須。ラハデ公爵は、隣国とは言え正妃のパートナーを務めることもあるほどの御仁だ。言葉を交わしていようがいまいが、夫人は分かったのだろう。さすがである。
「サイアス様……で、よろしくて?」
「…………は」
そしてラハデ公爵も、アンジェス国の王族外交を担っていたテオドル大公夫妻のことは把握していたのだろう。
動揺を悟られないようにか、胸に片手を当てて頭を下げていたものの、声には僅かの揺らぎがあった。
そのままチラリとシャルリーヌを一瞥したあたり、後で説明を求められるのは確実だった。
「家名は伏せさせて頂きたく……本日はベッティル商会の代理として接して頂ければ。私はその……夫人、とだけ呼ばせて頂いても?」
「そうね……」
そう言いながら、ユリア夫人の視線はシャルリーヌではなく私を捉えている。
どうやら後でそれぞれに説明は必要そうだけど、それはそうだろうと、私もシャルリーヌも既に覚悟はしていた。
普通に考えれば、少なくとも夫人からは、来客の家名を伏せていたことを叱られても仕方がない話なのだから。
「では、そういうことにさせて頂きますわ。元よりシャルリーヌ嬢とレイナ嬢のお客様ですものね。では私からは当家の賓客であるミルテ様を紹介させて頂きますわね。――ミルテ様」
「!」
名前を呼ばれたミルテ王女の背がピンっと伸びた。
ラハデ公爵の立場が分からずに戸惑っているはずなのに、恐らくはユリア夫人の振る舞いから、それなりの立場の人だということは分かったのだろう。
あるいは「王女」ではなく「賓客」と紹介されたことで、何かしらの事情がそこにあることは分かったのかも知れない。
デビュタント前では、まだ他国の要人の把握までは授業が追い付いていないだろうと、ミルテ王女がラハデ公爵を認識したかしないかは、ここでは重要視されていない空気があった。
「デビュタント前だからというのもございますけれど、敢えて家名を名乗らない社交もあると、今回はご理解下さいませね、ミルテ様」
ユリア夫人は王女を安心させるかのように、そう言って微笑んだ。
「こちらは……サイアス様。ギーレン国でそれなりに名の知れた方であるとだけ、ご記憶下さい。後日、もしかしたら兄君の結婚式でお会いする可能性もある方ですわ」
なるほど王が主役の式典であればともかく、皇太子の結婚式であれば、ギーレンも国王以外の王族を参加させる可能性がある。
まだ立太子されていないエドベリ王子を、これを機に次期国王として表に出すか、時期尚早となればエヴェリーナ妃が実弟であるラハデ公爵をパートナーとして参加する可能性もあるだろうから、ユリア夫人の言っていることは間違いではない。
「そうですのね……」
ユリア夫人の示唆を、王女も吞み込めたようだ。
ひとつ息を吸い込んで、私なんか足元にも及ばない、完璧な〝カーテシー〟をそこで披露して見せた。
ラハデ公爵も僅かに目を瞠っているところから言っても、その作法がミルテ王女自身の地位を無言で主張している。
「ミルテと申します。ユリア様には幼き頃より目をかけていただいており、実の祖母ではございませんが『ユリアお祖母さま』と呼ぶことを許していただいておりますわ」
さすがバリエンダールサイドのヒロインだと、私もシャルリーヌも内心で感心していたほどの、それは立ち居振る舞いだった。
「…………さようでしたか」
それはどういった第一印象だったのか。答えるラハデ公爵の声には、一瞬の間があった。
「本日は、シャルリーヌ嬢の紹介でユングベリ嬢との商談に訪れておりますので、どうぞサイアスと。私は……姫君と、呼ばせていただいてもよろしいか」
他国とはいえ、社交界デビュー前とはいえ、ミルテ王女は王族の一人だ。それも直系の。
こちらもこちらで、ラハデ公爵がその名を把握していないはずもなかった。
(さすがに「ミルテ」と言われれば、素性に察しはつくよね……)
ご令嬢ではなく、あえて「姫」と言ったのが、その証左だろう。
「え、ええ。もちろんです。商談の話は私も耳にしております。レイナさまには『おねえさま』呼びを許していただいているほどですから!」
……ミルテ王女、ラハデ公爵が戸惑うのでそこでドヤ顔と仲良しアピールはやめて下さい。
「サイアス様は高位貴族の方々との交流も多く、色々な物事に造詣が深いと聞いておりましたから、お時間があれば私の持っております紅茶についてもご意見をいただけたらと、おねえさまと話しておりましたの!」
「紅茶、ですか?」
「ええ。私の兄の結婚式に、私が組み合わせた茶葉をお贈りしたいと試行錯誤を繰り返しているのですけれど、なかなか味がまとまらず……今日、こちらのお邸宅で色々と助言をいただいて少し先が見えてきたのですけれど、せっかくですからサイアス様のご意見もうかがえたら、と」
そこに嘘はないので、私とシャルリーヌは王女の発言を肯定するように首を縦に振る。
「なるほど……身内の結婚式に、自らが手掛けた紅茶を振舞って差し上げたい、と。それはなかなかに斬新な試みと言えましょう」
ふむ、と口元に手をやるラハデ公爵に、ミルテ王女の表情がパッと輝いた。
「ええ、もちろん、レイナおねえさまとの商談の後で構いません! その、お話の合間に紅茶を出させていただいても……?」
「――いただきましょう」
まずは、表向きの本題から片付けてしまわないことには話が始まらない。
ラハデ公爵も、ここで迷っていても仕方がないと思ったのか、その返答はほぼ即答だった。
「では、私とミルテ様は一度席を外させていただきますわ」
私よりも、シャルリーヌの方がラハデ公爵に近いことを察したユリア夫人は、商談であるとはいえシャルリーヌに退出を促すことはしなかった。
そうして三人がその場に残されたところで、ラハデ公爵の深いため息が耳に届いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつも読んでいただき、応援コメントやいいね!を有難うございます!
昨年はかなりの不定期更新となっておりましたが、今年はなるべく間隔を詰めるべく頑張る所存です m(_ _)m
1月30日(金)出荷予定となる「聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?5」についても、書下ろしのエピローグが追加されております。どうぞ宜しくお願い致します……! m(_ _)m
リンゴの果汁を発酵させて作ったお酒を元にした蒸留酒。葡萄の果汁を発酵させて造られるブランデーと、主要材料が違うだけのお酒。
リキュールとの違いは、そこに何か漬け込んだり砂糖を加えたりしていないこと。
元の世界だとブランデー誕生のきっかけは、長距離輸送中に酸っぱくなってしまったワインを何とか出来ないかと蒸留してみたところ、想定外に香り高いお酒に変貌を遂げた……だったような気がする。
その仕組みがここでも大きく異なっていないのなら、バリエンダールの「エプレの調味料」に似た、天然発酵という過程がそこには含まれているはずなのだ。
リンゴ以外にも、スモモ、セイヨウナシ、キイチゴ、ミカン、メロンなんかで作れる――それは後でもいい。
まずは安定した発酵過程を確立させるための試行錯誤に、このブランデヴァインも一役買ってくれればというのが私の狙いだった。
三国会談がひと段落すれば、国内貴族の勢力図は大きく動く。
クヴィスト公爵領やコンティオラ公爵領の一部が処罰を余儀なくされるだろう中で、クヴィスト公爵領の乳牛酪農事業がまずこれを機に縮小させられる。イデオン公爵領内、キヴェカス伯爵領との長年の確執を決着させるのに、ちょうどいい口実となるからだ。
けれどただ縮小させるだけでは遺恨が残る。そこで、スヴェンテ公爵領内の養羊業を一部譲渡すること、心機一転リンゴ事業(メインは安定した発酵過程の確立)を手掛けてもいいという畜産家や酪農家を募ることとで、反発を少しでも減らしておきたい……のだけれど、肝心の、スヴェンテ公爵領内の養羊業の勢いを抑えこみたいロイヴァス長官が、今はそれどころではない。
なので、今のうちにミルテ王女の引き合わせと絡めて、リンゴ事業を立ち上げる下地を先に作っておければと思ったのだ。
ラハデ公爵にアンジェスに来てもらうための口実を考えた時にこのブランデヴァインの話を聞き、同じリンゴを発酵させて製造する産業があるのなら、開発協力という点でこのブランデヴァインは使えると閃いた。
上手くいけば、バリエンダールの北の地域で、カラハティ以外の産業を定着させられる。
葡萄栽培の北限よりも更に北にある北方遊牧民たちの居住地域でも、エプレは栽培されている。
今は個人がバラバラに作っているようだけど、これが軌道に乗れば紅茶の開発と共に、ミルテ王女の「手土産」にだってなり得る。
もともと、生半可なところには嫁がせられない身分のミルテ王女だ。
ギーレンの王や王子が少々頼りなかろうと、エヴェリーナ妃という事実上の女王がいる限りは、もっとも王女の安寧が保証されるのがギーレンなのだ。
それは、私もシャルリーヌも共通認識としているところだったし、私からすればバリエンダール国内も、公爵家や宰相家は問題が多い。
それが王族、高位貴族の結婚だ――と言ってしまえる範囲を超えている。
ゲームのシナリオには、護衛騎士と結ばれてのエンドがある。
ただ、そのエンドがあるからと言って、現時点で騎士が英雄並みの功績を挙げたり、王女が騎士にベタ惚れだったりしていなければ、現実世界でのそのカップリングは苦労しかないし、監禁エンドルートを持つミラン王太子が既に婚約者と良好な関係を築いている以上は、国内の勢力バランス上、騎士に降嫁させることは絶望的だ。
(決して無作為に王女をギーレンに嫁がせようとしているわけじゃないのよ、うん)
どうしても自分の中に言い訳じみた言葉が次々と浮かんでしまうのは、あまりにミルテ王女が純粋無垢な性格をしているからだろうなと頭を振る。
ギーレンで王妃教育を受けていたシャルリーヌも、自分がエドベリ王子に嫁ぎたくないという思いだけはどうしても曲げられないらしく、ここまでミルテ王女を見ながら時々胸を押さえていたくらいだったから、私と似たような心境ではあるのだろう。
『サイアス様に認めてさえ頂ければ、あとはいいようにして下さるわ』
エドベリ王子の正妃候補、聖女のネームバリューを上回る名前と品格。諸々考えて「ミルテ王女なら……?」となった私に、そう後押し発言をしたのもシャルリーヌだから、互いにズキズキと罪悪感が疼いている。
ーー王女が気に入られなければいい、と断言してしまえないだけに余計に。
思わず私も胸を押さえる。
とはいえ、事態は既に動き出している。
ラハデ公爵とミルテ王女は、ここアンジェス国で対面を果たしていた。
「ユリア様、こちら私がギーレン国に居た頃、非常に良くして下さっていたサイアス様ですわ」
大公夫人よりも王女の方が身分が上ではあるけれど、ここはアンディション侯爵邸。シャルリーヌは、まずはこの邸宅の女主人であるユリア夫人の紹介を優先したようだった。
「……そう」
あ、と私は思った。
敢えて家名を省いて紹介をしたシャルリーヌに、それを咎めなかったユリア夫人。
王族として公的な場で感情を表に出さないよう叩き込まれているはずの、夫人の表情筋が微妙に強張っている。
(やっぱりラハデ公爵のことご存知だった……)
高位貴族ともなれば、相手の顔と名前を一致させる事は必須。ラハデ公爵は、隣国とは言え正妃のパートナーを務めることもあるほどの御仁だ。言葉を交わしていようがいまいが、夫人は分かったのだろう。さすがである。
「サイアス様……で、よろしくて?」
「…………は」
そしてラハデ公爵も、アンジェス国の王族外交を担っていたテオドル大公夫妻のことは把握していたのだろう。
動揺を悟られないようにか、胸に片手を当てて頭を下げていたものの、声には僅かの揺らぎがあった。
そのままチラリとシャルリーヌを一瞥したあたり、後で説明を求められるのは確実だった。
「家名は伏せさせて頂きたく……本日はベッティル商会の代理として接して頂ければ。私はその……夫人、とだけ呼ばせて頂いても?」
「そうね……」
そう言いながら、ユリア夫人の視線はシャルリーヌではなく私を捉えている。
どうやら後でそれぞれに説明は必要そうだけど、それはそうだろうと、私もシャルリーヌも既に覚悟はしていた。
普通に考えれば、少なくとも夫人からは、来客の家名を伏せていたことを叱られても仕方がない話なのだから。
「では、そういうことにさせて頂きますわ。元よりシャルリーヌ嬢とレイナ嬢のお客様ですものね。では私からは当家の賓客であるミルテ様を紹介させて頂きますわね。――ミルテ様」
「!」
名前を呼ばれたミルテ王女の背がピンっと伸びた。
ラハデ公爵の立場が分からずに戸惑っているはずなのに、恐らくはユリア夫人の振る舞いから、それなりの立場の人だということは分かったのだろう。
あるいは「王女」ではなく「賓客」と紹介されたことで、何かしらの事情がそこにあることは分かったのかも知れない。
デビュタント前では、まだ他国の要人の把握までは授業が追い付いていないだろうと、ミルテ王女がラハデ公爵を認識したかしないかは、ここでは重要視されていない空気があった。
「デビュタント前だからというのもございますけれど、敢えて家名を名乗らない社交もあると、今回はご理解下さいませね、ミルテ様」
ユリア夫人は王女を安心させるかのように、そう言って微笑んだ。
「こちらは……サイアス様。ギーレン国でそれなりに名の知れた方であるとだけ、ご記憶下さい。後日、もしかしたら兄君の結婚式でお会いする可能性もある方ですわ」
なるほど王が主役の式典であればともかく、皇太子の結婚式であれば、ギーレンも国王以外の王族を参加させる可能性がある。
まだ立太子されていないエドベリ王子を、これを機に次期国王として表に出すか、時期尚早となればエヴェリーナ妃が実弟であるラハデ公爵をパートナーとして参加する可能性もあるだろうから、ユリア夫人の言っていることは間違いではない。
「そうですのね……」
ユリア夫人の示唆を、王女も吞み込めたようだ。
ひとつ息を吸い込んで、私なんか足元にも及ばない、完璧な〝カーテシー〟をそこで披露して見せた。
ラハデ公爵も僅かに目を瞠っているところから言っても、その作法がミルテ王女自身の地位を無言で主張している。
「ミルテと申します。ユリア様には幼き頃より目をかけていただいており、実の祖母ではございませんが『ユリアお祖母さま』と呼ぶことを許していただいておりますわ」
さすがバリエンダールサイドのヒロインだと、私もシャルリーヌも内心で感心していたほどの、それは立ち居振る舞いだった。
「…………さようでしたか」
それはどういった第一印象だったのか。答えるラハデ公爵の声には、一瞬の間があった。
「本日は、シャルリーヌ嬢の紹介でユングベリ嬢との商談に訪れておりますので、どうぞサイアスと。私は……姫君と、呼ばせていただいてもよろしいか」
他国とはいえ、社交界デビュー前とはいえ、ミルテ王女は王族の一人だ。それも直系の。
こちらもこちらで、ラハデ公爵がその名を把握していないはずもなかった。
(さすがに「ミルテ」と言われれば、素性に察しはつくよね……)
ご令嬢ではなく、あえて「姫」と言ったのが、その証左だろう。
「え、ええ。もちろんです。商談の話は私も耳にしております。レイナさまには『おねえさま』呼びを許していただいているほどですから!」
……ミルテ王女、ラハデ公爵が戸惑うのでそこでドヤ顔と仲良しアピールはやめて下さい。
「サイアス様は高位貴族の方々との交流も多く、色々な物事に造詣が深いと聞いておりましたから、お時間があれば私の持っております紅茶についてもご意見をいただけたらと、おねえさまと話しておりましたの!」
「紅茶、ですか?」
「ええ。私の兄の結婚式に、私が組み合わせた茶葉をお贈りしたいと試行錯誤を繰り返しているのですけれど、なかなか味がまとまらず……今日、こちらのお邸宅で色々と助言をいただいて少し先が見えてきたのですけれど、せっかくですからサイアス様のご意見もうかがえたら、と」
そこに嘘はないので、私とシャルリーヌは王女の発言を肯定するように首を縦に振る。
「なるほど……身内の結婚式に、自らが手掛けた紅茶を振舞って差し上げたい、と。それはなかなかに斬新な試みと言えましょう」
ふむ、と口元に手をやるラハデ公爵に、ミルテ王女の表情がパッと輝いた。
「ええ、もちろん、レイナおねえさまとの商談の後で構いません! その、お話の合間に紅茶を出させていただいても……?」
「――いただきましょう」
まずは、表向きの本題から片付けてしまわないことには話が始まらない。
ラハデ公爵も、ここで迷っていても仕方がないと思ったのか、その返答はほぼ即答だった。
「では、私とミルテ様は一度席を外させていただきますわ」
私よりも、シャルリーヌの方がラハデ公爵に近いことを察したユリア夫人は、商談であるとはいえシャルリーヌに退出を促すことはしなかった。
そうして三人がその場に残されたところで、ラハデ公爵の深いため息が耳に届いたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
いつも読んでいただき、応援コメントやいいね!を有難うございます!
昨年はかなりの不定期更新となっておりましたが、今年はなるべく間隔を詰めるべく頑張る所存です m(_ _)m
1月30日(金)出荷予定となる「聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?5」についても、書下ろしのエピローグが追加されております。どうぞ宜しくお願い致します……! m(_ _)m
1,368
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された伯爵令嬢ですが、辺境で有能すぎて若き領主に求婚されました
おりあ
恋愛
アーデルベルト伯爵家の令嬢セリナは、王太子レオニスの婚約者として静かに、慎ましく、その務めを果たそうとしていた。
だが、感情を上手に伝えられない性格は誤解を生み、社交界で人気の令嬢リーナに心を奪われた王太子は、ある日一方的に婚約を破棄する。
失意のなかでも感情をあらわにすることなく、セリナは婚約を受け入れ、王都を離れ故郷へ戻る。そこで彼女は、自身の分析力や実務能力を買われ、辺境の行政視察に加わる機会を得る。
赴任先の北方の地で、若き領主アレイスターと出会ったセリナ。言葉で丁寧に思いを伝え、誠実に接する彼に少しずつ心を開いていく。
そして静かに、しかし確かに才能を発揮するセリナの姿は、やがて辺境を支える柱となっていく。
一方、王太子レオニスとリーナの婚約生活には次第に綻びが生じ、セリナの名は再び王都でも囁かれるようになる。
静かで無表情だと思われた令嬢は、実は誰よりも他者に寄り添う力を持っていた。
これは、「声なき優しさ」が、真に理解され、尊ばれていく物語。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
私が張っている結界など存在しないと言われたから、消えることにしました
天宮有
恋愛
子爵令嬢の私エルノアは、12歳になった時に国を守る結界を張る者として選ばれた。
結界を張って4年後のある日、婚約者となった第二王子ドスラが婚約破棄を言い渡してくる。
国を守る結界は存在してないと言い出したドスラ王子は、公爵令嬢と婚約したいようだ。
結界を張っているから魔法を扱うことができなかった私は、言われた通り結界を放棄する。
数日後――国は困っているようで、新たに結界を張ろうとするも成功していないらしい。
結界を放棄したことで本来の力を取り戻した私は、冒険者の少年ラーサーを助ける。
その後、私も冒険者になって街で生活しながら、国の末路を確認することにしていた。
覚悟は良いですか、お父様? ―虐げられた娘はお家乗っ取りを企んだ婿の父とその愛人の娘である異母妹をまとめて追い出す―
Erin
恋愛
【完結済・全3話】伯爵令嬢のカメリアは母が死んだ直後に、父が屋敷に連れ込んだ愛人とその子に虐げられていた。その挙句、カメリアが十六歳の成人後に継ぐ予定の伯爵家から追い出し、伯爵家の血を一滴も引かない異母妹に継がせると言い出す。後を継がないカメリアには嗜虐趣味のある男に嫁がられることになった。絶対に父たちの言いなりになりたくないカメリアは家を出て復讐することにした。7/6に最終話投稿予定。
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
婚約破棄?ああ、どうぞお構いなく。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢アミュレットは、その完璧な美貌とは裏腹に、何事にも感情を揺らさず「はぁ、左様ですか」で済ませてしまう『塩対応』の令嬢。
ある夜会で、婚約者であるエリアス王子から一方的に婚約破棄を突きつけられるも、彼女は全く動じず、むしろ「面倒な義務からの解放」と清々していた。
お掃除侍女ですが、婚約破棄されたので辺境で「浄化」スキルを極めたら、氷の騎士様が「綺麗すぎて目が離せない」と溺愛してきます
咲月ねむと
恋愛
王宮で侍女として働く私、アリシアは、前世の記憶を持つ転生者。清掃員だった前世の知識を活かし、お掃除に情熱を燃やす日々を送っていた。その情熱はいつしか「浄化」というユニークスキルにまで開花!…したことに本人は全く気づいていない。
そんなある日、婚約者である第二王子から「お前の周りだけ綺麗すぎて不気味だ!俺の完璧な美貌が霞む!」という理不尽な理由で婚約破棄され、瘴気が漂うという辺境の地へ追放されてしまう。
しかし、アリシアはへこたれない。「これで思う存分お掃除ができる!」と目を輝かせ、意気揚々と辺境へ。そこで出会ったのは、「氷の騎士」と恐れられるほど冷徹で、実は極度の綺麗好きである辺境伯カイだった。
アリシアがただただ夢中で掃除をすると、瘴気に汚染された土地は浄化され、作物も豊かに実り始める。呪われた森は聖域に変わり、魔物さえも彼女に懐いてしまう。本人はただ掃除をしているだけなのに、周囲からは「伝説の浄化の聖女様」と崇められていく。
一方、カイはアリシアの完璧な仕事ぶり(浄化スキル)に心酔。「君の磨き上げた床は宝石よりも美しい。君こそ私の女神だ」と、猛烈なアタックを開始。アリシアは「お掃除道具をたくさんくれるなんて、なんて良いご主人様!」と、これまた盛大に勘違い。
これは、お掃除大好き侍女が、無自覚な浄化スキルで辺境をピカピカに改革し、綺麗好きなハイスペックヒーローに溺愛される、勘違いから始まる心温まる異世界ラブコメディ。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。