上 下
72 / 808
第一部 宰相家の居候

154 目標があるのは良い事です?

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「………すまなかった」

 朝。
 ダイニングでのエドヴァルドの開口一番が、それだった。

 昨晩、悲鳴と共にセルヴァンとファルコがまず部屋に来てくれたは良いけど、イザクが薬作りに引きこもっていた為に、ファルコが手持ちの薬で寝かせようとして――イザクほど細かい加減が出来ずに、私もエドヴァルドも朝まで目を覚まさなかったと、そう言うオチがあったらしい。

 ファルコが「俺…大丈夫だよな?殺されねぇよな?」と真剣に呟いていたらしいので、後でお礼言っておこう。

「いえ…その…書庫にこもってた事も確かな訳で…」

 エドヴァルドが顔をしかめているのが、二日酔いなのか夜更かしに腹を立てているのかは、私では判断が出来ない。

「酔った上での戯言と聞き流されるのも不本意だし……あまり怯えられるのも、地味に堪える。ギーレンから戻ったら、きちんと話がしたい。そうだな… 〝アンブローシュ〟で話をするのも、ちょうど良さそうだな」

「……っ」

 帰ったら◯◯しよう――は、むしろ不吉なフラグなのでやめてほしいです。
 そんな事を内心で思うあたり、ちょっと動揺しているのかも知れない。

「あの…多分色々と妨害トラブルはあると思うので…気を付けて下さい……」

 今のところ、私にはそれしか言えない。

「……ああ」

 ただ何となく気まずい分『賭け』の存在を気取られずに済んだのは、幸か不幸か。

「はあぁ……」

 そもそも、天下の宰相閣下エドヴァルド相手に隠し事をさせる国王陛下フィルバートこそ、無茶振りだ。

 エドヴァルドの出発を見届けた私は、思わずその場に崩れ落ちそうになりながらも、ため息をつく事でギリギリ踏み止まった。

「…キヴェカス家のカフェに行かれるのは、予定通りですか?」

 不審な行動には目を瞑ってくれるらしいセルヴァンに、私も黙って頷く事しか出来なかった。

*          *          *

「うわぁ…うわぁ…これが〝チーズケーキ〟と〝アイスクリーム〟……」

 そして午後。
 王都中心街〝カフェ・キヴェカス〟でテーブルを囲んだミカ君は、初めて見るスイーツに目を輝かせていた。

「氷を入手保管できる設備がないと出来ないそうだから、こればかりはここでしか食べられないの。せっかく王都に来たんだし、ミカ君も食べた方が良いと思って。あとここは、ハルヴァラの器を使ってくれているって言うのもあったからね?」

「それは見て分かったよ、レイナ様!トニさんマーリンさん、ありがとうございます!新しい器が出来たら、また見て貰いに来て、このお菓子もいただきます!」

 チーズケーキとアイスクリーム、コーヒーと紅茶を持ってきたキヴェカス夫妻が、微笑ましいと言った感じでミカ君を見やる。

 ブレンダ夫人やヘンリ青年も、このカフェに来るのは初めてだったらしく、興味深げに店内を見回していた。

「そうね……このお店なら、白ぶどうジュースでフルーツを浮かべたドリンクは、確かに雰囲気を損ねないかしらね……」

「僕、思ったんですけど……最初に蓋つきのガラスのボトルでワインとフルーツの風味を閉じ込めてしまって、それをお客さんの注文に合わせて、目の前でハルヴァラのカップに給仕する――とかにすれば、長時間風味も維持しつつ、お客さんに向けても結構良いアピールになりませんか?」

「あら、良いかも知れないわね。お客様が口にする方までガラスカップにしてしまうと、飲んで量が少なくなってきた時に、見た目にあまり美しくないものね」

 ヘンリ・リリアート伯爵令息は、経営実務よりもガラス職人として、リリアート領でも一、二を争う腕を持つとあってか、言動や行動の一部は貴族らしからぬ、突飛なところも多いと、短い邂逅の中でも思うのだけれど、ブレンダ夫人がしっかり手綱をとっているようで、誰の息子か分からないと周囲からも思われているくらいだった。

 私の表情にも出ていたのか、ブレンダ夫人が酒の肴ならぬお茶請け代わりに教えてくれた話によると、リリアート伯爵は、爵位を継ぐ前、領内最大のガラス工房の親方の娘さんに一目惚れをしたんだそうで、娘さんの方も伯爵に好意は持っていたけど、身分差がありすぎる…と二の足を踏んでいたところに、伯爵の方が、父親と大喧嘩の末に、継承権を放棄する!と言って工房に一職人として弟子入りをしたらしい。

 そうして一平民として工房を継ぐべく技術を磨いて、後のヘンリ青年がお腹に宿ったあたりで、事態が一変。

 長男の継承権放棄で後継者となった次男が、もともとあまりガラが良くなかったらしいところが、領内の荒くれ者たちゴロツキと酒場でトラブルを起こして刺殺されると言う、いわば伯爵家にとっての醜聞を巻き起こしてしまい、跡取りがいなくなったのだ。

 長女も既に嫁いでいたため、背に腹が代えられなくなった先代伯爵が、毎日のように使者をガラス工房に寄越すようになり、ほとほと困り果てていたところに、ワイングラスの発注の相談にたまたま訪れていたブレンダ夫人(当時はまだ、父親が侯爵位にあり、あくまでの一環で各地をまわっていたそうだ)が遭遇して、そこに知恵を貸したとの事だった。

 曰く「後は継ぐが、他に妻は迎えない。押し付けてくるようなら、二度と伯爵家には足を踏み入れない」事や「本人も妻も生まれたての息子も、少なくとも後を継ぐまでは今まで通り工房内にある家で暮らす」事などを父親に約束させて、伯爵自身には「後を継ぐまでに優秀な家令を育てる」事や「息子に工房を継がせるつもりなら、伴侶には経営の知識がある女性を選ぶ」事をアドバイスしたらしい。

 今は、後を継いだ当代リリアート伯爵ブレスが一応邸宅やしきに戻りはしたものの、夫人はそのまま工房に残って、息子もそのまま工房で修行、言わば単身赴任状態になっているようだった。

 そしてブレンダ夫人のアドバイス通りに「経営の知識がある女性」を、夫人の紹介で息子の婚約者とした伯爵は、その女性の方に伯爵家後継としての教育を領地で施しているらしい。

 ヘンリ青年も、今後を考えて、貴族としての礼儀作法はもちろん最低限学ぶにしても、彼は実質「工房の跡取り」と言って良かった。

 目下の伯爵の悩みは、こちらは嫁ぐ事を考えて貴族教育を施してきた娘が、もうすぐ社交界デビューを迎えるため、どこと縁づかせるべきなのかと言う事らしい。

「地方の伯爵家だからこそ出来る事なのかも知れないわね。侯爵家であるウチもそうだけれど、伯爵家でも王都に販路を持つ規模の家なら、それほど自由はきかないでしょうから」

 ブレンダ夫人は、そう言って苦笑している。

「ヘンリの事は、言わば乗りかかった船。本当なら、ヨアキムの相手こそを探さなくてはならないのに」

 そもそもヘンリ青年のお相手は、経歴や能力だけなら、息子ヨアキムの相手でも良いくらいの女性なんだそうだ。

 ただヘンリ青年の日常生活が、ガラス製品への思い入れが強すぎる、言わばかなりの「ポンコツ」であるために、その婚約者の女性くらいしか、面倒が見れないと思い「息子の嫁」にする事は諦めたらしい。

 確かにヨアキム・オルセン侯爵令息は、大抵の事は自分で何とかしてしまえるタイプだと、私も思う。

「だからこそ、ヨアキムにはレイナ嬢くらいが相応しいと思ったのだけれど……」

 ブレンダ夫人の本気のため息に、私は苦笑しか返せなかった。

「今のリリアート伯爵家は、誰もブレンダ夫人に頭が上がらないんですよ」

 当のヘンリ青年は、そう言って笑っている。

「もちろんイデオン公爵様が、そう言ったリリアート伯爵家の経緯を聞き及びながらも、僕たちにもブレンダ夫人にも、貴族らしくないとか、正室を置くようにとか、何一つ強要をなさらなかったところも分かっている――いえ、夫人から教わりましたので、同じくらいに感謝はしているんですよ。僕も、家族も」
 
 ちょっと難しかったかな?と、ミカ君に視線を向けるヘンリ青年は、本当の兄のようにも見える。

「はい、ちょっと難しかったです。でも領に帰れば家令チャペックもいるので、これから勉強します!」

「そうだね。ガラス製品ばかり作っている僕も、貴族社会の何たるかをまだよく分かっていないから、きっと君と同じ出発点にいると思うよ。一緒に頑張ろうか」

「はい!」

「あ、それ私も加えていただきたいです!」

 ヘンリ青年とミカ君の話を耳にした私も、思わずそこで手を上げてしまった。

「私も〝聖女の姉〟などと言う肩書しか持たない、異国出身者ですから、そこはぜひ私も仲間に加えていただいて、ブレンダ夫人の教えを請いたいです!」

「あら、わたくし?」

 ブレンダ夫人の表情は、思いがけない事を言われたと言うよりは、むしろ楽しげだ。

「レイナ嬢は、今でも充分に数多の貴族と渡り合えていてよ?世の中が思うよりも世知辛いと知っている点に関しては、ヘンリやミカ君よりも一日の長があってよ?」

 褒められているのかどうか分からない、微妙な事をブレンダ夫人は言う。

「そうね、あと〝淑女教育〟を更に磨くと良いかも知れないかしらね?」

「ハイハイ!僕、もっと背が伸びたら、レイナ様とダンスの練習がしたいし、王都の夜会でも踊って欲しいです!」

 今度はミカ君が勢いよく片手を上げ、ブレンダ夫人が目を細めた。

「あらあら、ミカ君、そうなのね?それなら、ミカ君の背がもう少し伸びる頃には、お互いにちょうど良いダンスの腕前に成長するかも知れなくてよ?頑張って練習してちょうだいな」

「頑張ります!」

「え⁉ダメダメ、そんな低い目標じゃダメだよ、ミカ君!ミカ君が大きくなる頃には、きっともっと素敵なお姫さまが現れるよ⁉」

「僕のファーストダンス…あれ、女の子じゃなくてもファーストダンスって言うのかな?とにかく僕は、最初はレイナ様と踊りたいです!」

「……そ、そう」

 ミカ君の勢いに押される私に、ブレンダ夫人が嫣然うっそり微笑わらう。

「まさか公爵様も、他にこんなところにライバルがいたとは思わないでしょうねぇ……」

 え、どういう事ですかブレンダ夫人⁉
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

夫の裏切りの果てに

恋愛 / 完結 24h.ポイント:766pt お気に入り:1,249

聖女召喚に巻き添え異世界転移~だれもかれもが納得すると思うなよっ!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,108pt お気に入り:847

能力1のテイマー、加護を三つも授かっていました。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:10,786pt お気に入り:2,217

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,708pt お気に入り:95

異世界ライフは山あり谷あり

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:1,889pt お気に入り:1,552

クソザコ乳首アクメの一日

BL / 完結 24h.ポイント:220pt お気に入り:154

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。