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第二部 宰相閣下の謹慎事情
342 焔舞う夜(後)
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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。
「セルヴァン、代理光源用の灯火道具を一つと、書類を破棄する為の耐火性のある器を部屋に運んでくれ」
ダイニングの隅で待機をしていたセルヴァンが「お仕事ですか?」と問いかけていたけど、エドヴァルドはやんわりと首を横に振った。
「仕事と言う程の事ではない。破棄したい書類があるだけだ」
「でしたら私の方で――」
きっと普段は、セルヴァンが不要な書類をエドヴァルドから受け取って、どこか他の場所で燃やしたりしているんだろう。
そんなセルヴァンを「いいんだ」と、エドヴァルドが遮った。
「これは、私とレイナと、二人で処分をしてこそ価値のある書類なんだ」
「旦那様……」
「用意を頼む」
セルヴァンは、エドヴァルドの表情からその真剣さを察したんだろう。
それ以上をくどくは聞く事なく「かしこまりました」とだけ、頭を下げた。
「エドヴァルド様。耐火性のある器と言うのは分かりましたけど、代理光源用の灯火道具と言うのは……?」
ダイニングからエドヴァルドの部屋へと歩く傍ら、素朴な疑問をぶつけてみたところ、エドヴァルドは特に無知を笑う事もなく「ああ」と、答えてくれた。
「普段、邸宅の灯りは魔道具頼りだろう?全く故障をしないと言う訳ではない。そう言った際に、修理が終わるまでの代替手段として、多少原始的にはなるが、容器に満たした油を使って、灯芯を燃やす――そう言う灯火道具がある。今はむしろ燃やしたい物がある訳だから、その方が良いと思ったんだ」
なるほど。イメージとしては、化け猫が油を舐める絵姿でお馴染み?の行燈みたいなものかな。
暖炉自体は見た目重視のお飾りの様な物らしいから、どうしてもそうなるんだろう。
「旦那様。並行して、入浴やご就寝の準備をしてもよろしゅうございますか?それとも、まだご予定はございますか?」
消火の為か飲む為か、あるいは両方か。
水差しとコップを持って、後ろからやって来たヨンナが、エドヴァルドに問いかけている。
「ああ…そうだな。この書類を燃やすだけだ。後はもう何もない」
「かしこまりました。ではそのように――」
多分ヨンナは、その後も何かを言おうとしていた気がするんだけど、それを振り切ろうとでもするかの様に、エドヴァルドの廊下を歩く速度が、やや早くなっていた。
旦那様…とため息が洩れているのが聞こえる。
「――とりあえず、燃やしてしまおうか」
部屋に入ったところで、ようやく足を止めたエドヴァルドが、そう言ってこちらを見下ろした。
「あ……はい、そうですね」
何がとりあえずなのか、一瞬小首を傾げながらも、そう言えば、手紙と言うよりは紙片と言って良いあの紙は、今日までどうしてあったんだろう――と視線でエドヴァルドの姿を追えば、当人は鍵付きのデスクの引き出しを開けて、ちょうどそこから紙片を取り出したところだった。
「旦那様。それほど量がないにしても、火の粉が落ちる可能性がない訳ではありませんし、どうしてもと仰るのであれば、せめてベランダへ出られては如何かと……」
器と行燈、もといランプ的な道具を持って来たセルヴァンが、部屋の入口近くから、そうエドヴァルドに声をかけた。
思わぬ事を聞かされた、と言う風に、エドヴァルドも窓の外に視線を投げていた。
「確かにその方が良いか……」
アンジェス国に関しては、特に王都は年間を通じて気温の上下幅が狭いらしく、四季らしき気候はあれど、日本のようにはっきりと四季を感じることはないみたいだった。
王都の外、各領地に行けばそこそこの差が出てくるみたいで、だからこそ地域ごとの特産品も生まれているんだろうけど。
少なくとも王都にいる限りは、お米もそうだけど「桜」を見る事もないだろうなと、アンジェスに来てから割と早い段階で寂しく思ったのは確かだった。
「レイナ、外でも良いか?何か羽織るか?」
不意にエドヴァルドに話しかけられて、私は慌てて思考を切り替える。
「あっ、えっと、ベランダで構わないです!あと、特に寒くないのでこのままで大丈夫です!」
咄嗟にそう答えると、エドヴァルドは右手に紙片を持ったまま、左手を私の方へと差し出した。
いやいや、この距離でエスコートは別に……!と思ったところを見透かされたのか、あっと言う間にエドヴァルドの方から手を掴まれてしまった。
「なら、このまま外に出よう」
どうやら今日はそれほどの星月夜ではないみたいだけれど、紙片を燃やすだけなら、さして関係もない話だ。
アイアンテーブルの上にセルヴァンが道具を、ヨンナが水差しとコップを置いたところで、二人は一礼して部屋の中へと戻って行った。
ただ、エドヴァルドの部屋からまでは退出するつもりがないみたいで、ベッドメイクをしたり、浴室の方へ出たり入ったりしながらも、時折気遣わしげな視線がこちらに向いているように見えた。
もちろん、こちらからは灯りのともる部屋の中は見えていても、部屋の中からは、夜の闇が広がる外のベランダはほとんど見えない筈だけど、それでも――と言う事なんだろう。
「……レイナ」
「はい」
「せっかくギーレンから無事に戻って来れたのに、今度はバリエンダールとは何だ!――とまでは直接的に口にしないにせよ、セルヴァンもヨンナも、彼らなりに貴女の身を案じている。今まで他人から心配をされてこなかったかの様な事を貴女は口にしていたが、少なくとも、あの二人の思いは信じてやって欲しい」
私が見ていた視線の先に気付いたエドヴァルドが、そう声をかけてくる。
「まあただ、その前に一番心配をしているのが私だと言うところから学習をして貰わないと困る訳なんだが」
「エドヴァルド様……」
「貴女の身分に関しては、私なりに考えていた事もあったから、確定したところで話をしようとは思っていたんだ。その時に改めて『ソガワ』の名を手放すつもりがあるかどうかを聞こう、と」
舞菜と言う軛から自由になったなら、どこか高位貴族家との養子縁組を執り行って、キチンとした家名を持った上で、アンジェスで地に足を付けて暮らしていけるようにと、そう考えていたとエドヴァルドは言った。
「既に候補はあって、好感触も得ている。多分『ユングベリ』よりも地位はあって、充分貴女の後ろ楯になれる、そんな家名だ。まだ口約束の段階で、細かい取り決めを交わしてはいないが、貴女が『ユングベリ』を名乗っても、恐らく短い期間でまた家名を変えた方が良いと言う話が出て来るだろう。貴女次第だが、そこまでは『ソガワ』のままでいる事も可能だが……?」
「あ……そう言う事なら、逆に『ユングベリ』を早めに名乗って、独立した方が……?」
養子縁組、と言う事はこの公爵邸から出て行くと言う事だろうか。
それなら早い方が――と思って言いかけたつもりが、エドヴァルドから返って来たのは、今にも凍りそうな冷たい空気だった。
「レイナ……どうしてそうなる」
「え?」
「私は、貴女が『ソガワ』の家名を持ったままだと、いつまでも公爵邸の『賓客』、いつか去る立場だとの意識が残ったままになるだろうからと、むしろ胸を張って残るための手だてとして、新たな家名を貴女にと思ったんだ。決して公爵邸から出す為の話じゃない。そこは勘違いをしないで欲しい。――と言うか貴女こそ、商業ギルドで登録を済ませたら、公爵邸を出るつもりだったのか?」
「え…いや…そこまでは、まだ……」
「まだ?」
どうしよう。口を開けば開く程、エドヴァルドが不機嫌になっていく気がする。
今の心境を何と説明したものか、頭の中でグルグルと言葉が巡っていた。
「ええっと…とにかく私はエドヴァルド様の役に立ちたかっただけで、将来の事はまだ考えていなかったって言う意味で…ただ、今の話で、私に独立を薦めているのかと思っただけで……」
しどろもどろになって答える私に、エドヴァルドも自分の言葉を振り返ったのか「しまった」とでも言うかのように、口元を手で覆っていた。
「…すまない。私の言い方も、言葉足らずだったんだな」
「……いえ……」
「ともかく私は、貴女を公爵邸から出すつもりはない――ああ、違う。これだとまるで邸宅に閉じ込めて外に出さないかの様に聞こえてしまうな。だからつまり……」
話しているうちに、今度はエドヴァルドの方も要領を得なくなってきたらしい。
結局お互いが言葉に詰まってしまい、顔を見合わせた結果――どちらからともなく、笑い出すと言う状態に陥ってしまった。
「――レイナ」
「はい」
「燃やそうか」
「はい」
ユングベリ商会を、今更なかった事には出来ない。
エドヴァルドの言うように、私の立場を更に強化する為に、また家名を変えるかも知れないと言うのなら、その時はその時だと思う。
今ここで、エドヴァルドは「オーグレーン」の名と永遠に訣別をする。
そして私も「十河」の名と、ここで訣別する。
――それで良いと思う。
エドヴァルドは、手にしていた紙を、ランプに灯されていた火に近付けた。
「ふ……こうやってみると、存外あっけないものだな」
早々に風に飛ばされない様に、少し待ってから、じわじわと燃える紙を容器の中にそっと入れた。
所詮紙切れ1枚。
キャンプファイヤーみたいに天高く炎が舞う訳もない。
純日本人の発想からすると、火の玉レベルの炎が、短い時間の中で瞬いた――そんな感覚だった。
「オーグレーンの名には相応しいくらいかも知れないが……レイナも、これで良かったのか?」
椅子に座って眺める程の時間もなかったせいか、私もエドヴァルドも立ったままの状態だった。
水差しの水を数滴垂らして――エドヴァルドは、いつの間にか私のすぐ傍へと歩み寄って来ていた。
「そうですね……特に自分の家名に愛着もありませんでしたし、多分今のエドヴァルド様と同程度の気持ちな気がします」
そうか、と答える声は聞こえた気がしたけど、それは何故か頭上から降って来ていて――気付けば視界は、エドヴァルドの服で覆い尽くされていた。
「泣きたいなら今のうちだ。明日からはバリエンダールに行く準備で、もうこんな風な時間は取れないかも知れないぞ」
「……っ」
愛着なんてない。
むしろ手放せるなんて万々歳。
そう言いたかった筈なのに――気付けば黙って、エドヴァルドの服の袖を両手で握りしめていた。
「セルヴァン、代理光源用の灯火道具を一つと、書類を破棄する為の耐火性のある器を部屋に運んでくれ」
ダイニングの隅で待機をしていたセルヴァンが「お仕事ですか?」と問いかけていたけど、エドヴァルドはやんわりと首を横に振った。
「仕事と言う程の事ではない。破棄したい書類があるだけだ」
「でしたら私の方で――」
きっと普段は、セルヴァンが不要な書類をエドヴァルドから受け取って、どこか他の場所で燃やしたりしているんだろう。
そんなセルヴァンを「いいんだ」と、エドヴァルドが遮った。
「これは、私とレイナと、二人で処分をしてこそ価値のある書類なんだ」
「旦那様……」
「用意を頼む」
セルヴァンは、エドヴァルドの表情からその真剣さを察したんだろう。
それ以上をくどくは聞く事なく「かしこまりました」とだけ、頭を下げた。
「エドヴァルド様。耐火性のある器と言うのは分かりましたけど、代理光源用の灯火道具と言うのは……?」
ダイニングからエドヴァルドの部屋へと歩く傍ら、素朴な疑問をぶつけてみたところ、エドヴァルドは特に無知を笑う事もなく「ああ」と、答えてくれた。
「普段、邸宅の灯りは魔道具頼りだろう?全く故障をしないと言う訳ではない。そう言った際に、修理が終わるまでの代替手段として、多少原始的にはなるが、容器に満たした油を使って、灯芯を燃やす――そう言う灯火道具がある。今はむしろ燃やしたい物がある訳だから、その方が良いと思ったんだ」
なるほど。イメージとしては、化け猫が油を舐める絵姿でお馴染み?の行燈みたいなものかな。
暖炉自体は見た目重視のお飾りの様な物らしいから、どうしてもそうなるんだろう。
「旦那様。並行して、入浴やご就寝の準備をしてもよろしゅうございますか?それとも、まだご予定はございますか?」
消火の為か飲む為か、あるいは両方か。
水差しとコップを持って、後ろからやって来たヨンナが、エドヴァルドに問いかけている。
「ああ…そうだな。この書類を燃やすだけだ。後はもう何もない」
「かしこまりました。ではそのように――」
多分ヨンナは、その後も何かを言おうとしていた気がするんだけど、それを振り切ろうとでもするかの様に、エドヴァルドの廊下を歩く速度が、やや早くなっていた。
旦那様…とため息が洩れているのが聞こえる。
「――とりあえず、燃やしてしまおうか」
部屋に入ったところで、ようやく足を止めたエドヴァルドが、そう言ってこちらを見下ろした。
「あ……はい、そうですね」
何がとりあえずなのか、一瞬小首を傾げながらも、そう言えば、手紙と言うよりは紙片と言って良いあの紙は、今日までどうしてあったんだろう――と視線でエドヴァルドの姿を追えば、当人は鍵付きのデスクの引き出しを開けて、ちょうどそこから紙片を取り出したところだった。
「旦那様。それほど量がないにしても、火の粉が落ちる可能性がない訳ではありませんし、どうしてもと仰るのであれば、せめてベランダへ出られては如何かと……」
器と行燈、もといランプ的な道具を持って来たセルヴァンが、部屋の入口近くから、そうエドヴァルドに声をかけた。
思わぬ事を聞かされた、と言う風に、エドヴァルドも窓の外に視線を投げていた。
「確かにその方が良いか……」
アンジェス国に関しては、特に王都は年間を通じて気温の上下幅が狭いらしく、四季らしき気候はあれど、日本のようにはっきりと四季を感じることはないみたいだった。
王都の外、各領地に行けばそこそこの差が出てくるみたいで、だからこそ地域ごとの特産品も生まれているんだろうけど。
少なくとも王都にいる限りは、お米もそうだけど「桜」を見る事もないだろうなと、アンジェスに来てから割と早い段階で寂しく思ったのは確かだった。
「レイナ、外でも良いか?何か羽織るか?」
不意にエドヴァルドに話しかけられて、私は慌てて思考を切り替える。
「あっ、えっと、ベランダで構わないです!あと、特に寒くないのでこのままで大丈夫です!」
咄嗟にそう答えると、エドヴァルドは右手に紙片を持ったまま、左手を私の方へと差し出した。
いやいや、この距離でエスコートは別に……!と思ったところを見透かされたのか、あっと言う間にエドヴァルドの方から手を掴まれてしまった。
「なら、このまま外に出よう」
どうやら今日はそれほどの星月夜ではないみたいだけれど、紙片を燃やすだけなら、さして関係もない話だ。
アイアンテーブルの上にセルヴァンが道具を、ヨンナが水差しとコップを置いたところで、二人は一礼して部屋の中へと戻って行った。
ただ、エドヴァルドの部屋からまでは退出するつもりがないみたいで、ベッドメイクをしたり、浴室の方へ出たり入ったりしながらも、時折気遣わしげな視線がこちらに向いているように見えた。
もちろん、こちらからは灯りのともる部屋の中は見えていても、部屋の中からは、夜の闇が広がる外のベランダはほとんど見えない筈だけど、それでも――と言う事なんだろう。
「……レイナ」
「はい」
「せっかくギーレンから無事に戻って来れたのに、今度はバリエンダールとは何だ!――とまでは直接的に口にしないにせよ、セルヴァンもヨンナも、彼らなりに貴女の身を案じている。今まで他人から心配をされてこなかったかの様な事を貴女は口にしていたが、少なくとも、あの二人の思いは信じてやって欲しい」
私が見ていた視線の先に気付いたエドヴァルドが、そう声をかけてくる。
「まあただ、その前に一番心配をしているのが私だと言うところから学習をして貰わないと困る訳なんだが」
「エドヴァルド様……」
「貴女の身分に関しては、私なりに考えていた事もあったから、確定したところで話をしようとは思っていたんだ。その時に改めて『ソガワ』の名を手放すつもりがあるかどうかを聞こう、と」
舞菜と言う軛から自由になったなら、どこか高位貴族家との養子縁組を執り行って、キチンとした家名を持った上で、アンジェスで地に足を付けて暮らしていけるようにと、そう考えていたとエドヴァルドは言った。
「既に候補はあって、好感触も得ている。多分『ユングベリ』よりも地位はあって、充分貴女の後ろ楯になれる、そんな家名だ。まだ口約束の段階で、細かい取り決めを交わしてはいないが、貴女が『ユングベリ』を名乗っても、恐らく短い期間でまた家名を変えた方が良いと言う話が出て来るだろう。貴女次第だが、そこまでは『ソガワ』のままでいる事も可能だが……?」
「あ……そう言う事なら、逆に『ユングベリ』を早めに名乗って、独立した方が……?」
養子縁組、と言う事はこの公爵邸から出て行くと言う事だろうか。
それなら早い方が――と思って言いかけたつもりが、エドヴァルドから返って来たのは、今にも凍りそうな冷たい空気だった。
「レイナ……どうしてそうなる」
「え?」
「私は、貴女が『ソガワ』の家名を持ったままだと、いつまでも公爵邸の『賓客』、いつか去る立場だとの意識が残ったままになるだろうからと、むしろ胸を張って残るための手だてとして、新たな家名を貴女にと思ったんだ。決して公爵邸から出す為の話じゃない。そこは勘違いをしないで欲しい。――と言うか貴女こそ、商業ギルドで登録を済ませたら、公爵邸を出るつもりだったのか?」
「え…いや…そこまでは、まだ……」
「まだ?」
どうしよう。口を開けば開く程、エドヴァルドが不機嫌になっていく気がする。
今の心境を何と説明したものか、頭の中でグルグルと言葉が巡っていた。
「ええっと…とにかく私はエドヴァルド様の役に立ちたかっただけで、将来の事はまだ考えていなかったって言う意味で…ただ、今の話で、私に独立を薦めているのかと思っただけで……」
しどろもどろになって答える私に、エドヴァルドも自分の言葉を振り返ったのか「しまった」とでも言うかのように、口元を手で覆っていた。
「…すまない。私の言い方も、言葉足らずだったんだな」
「……いえ……」
「ともかく私は、貴女を公爵邸から出すつもりはない――ああ、違う。これだとまるで邸宅に閉じ込めて外に出さないかの様に聞こえてしまうな。だからつまり……」
話しているうちに、今度はエドヴァルドの方も要領を得なくなってきたらしい。
結局お互いが言葉に詰まってしまい、顔を見合わせた結果――どちらからともなく、笑い出すと言う状態に陥ってしまった。
「――レイナ」
「はい」
「燃やそうか」
「はい」
ユングベリ商会を、今更なかった事には出来ない。
エドヴァルドの言うように、私の立場を更に強化する為に、また家名を変えるかも知れないと言うのなら、その時はその時だと思う。
今ここで、エドヴァルドは「オーグレーン」の名と永遠に訣別をする。
そして私も「十河」の名と、ここで訣別する。
――それで良いと思う。
エドヴァルドは、手にしていた紙を、ランプに灯されていた火に近付けた。
「ふ……こうやってみると、存外あっけないものだな」
早々に風に飛ばされない様に、少し待ってから、じわじわと燃える紙を容器の中にそっと入れた。
所詮紙切れ1枚。
キャンプファイヤーみたいに天高く炎が舞う訳もない。
純日本人の発想からすると、火の玉レベルの炎が、短い時間の中で瞬いた――そんな感覚だった。
「オーグレーンの名には相応しいくらいかも知れないが……レイナも、これで良かったのか?」
椅子に座って眺める程の時間もなかったせいか、私もエドヴァルドも立ったままの状態だった。
水差しの水を数滴垂らして――エドヴァルドは、いつの間にか私のすぐ傍へと歩み寄って来ていた。
「そうですね……特に自分の家名に愛着もありませんでしたし、多分今のエドヴァルド様と同程度の気持ちな気がします」
そうか、と答える声は聞こえた気がしたけど、それは何故か頭上から降って来ていて――気付けば視界は、エドヴァルドの服で覆い尽くされていた。
「泣きたいなら今のうちだ。明日からはバリエンダールに行く準備で、もうこんな風な時間は取れないかも知れないぞ」
「……っ」
愛着なんてない。
むしろ手放せるなんて万々歳。
そう言いたかった筈なのに――気付けば黙って、エドヴァルドの服の袖を両手で握りしめていた。
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