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第二部 宰相閣下の謹慎事情
532 陛下、戻りました
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そして、バルトリやリックとは別に、アンジェス王宮の〝草〟であるリーシンも、今は帰らないと言った。
「基本的にはヘルマン長官の指示優先だし、元々今回の件とは無関係に、情報収集の為に以前からバリエンダールとサレステーデを行き来している訳だし、長官の指示があるまでは、自分は引き続き居残りデス」
私たちの帰国を見届けたら、また市井に潜るらしい。
なるほど、と思いながらバリエンダール王宮内をしばらく歩いて、遠距離移動の為の〝転移扉〟のある部屋に足を踏み入れると、中には既にマリーカ・ノヴェッラ女伯爵がいて、こちらに……と言うよりはメダルド国王に向かって、頭を下げていた。
「色々とすまぬな、ノヴェッラ伯」
「いえ。これが私の役目でもありますので」
確かミラン王太子の執務室の修理もしていた筈なのに、魔力は大丈夫なんだろうか――。
そんな風に思っていた私の表情を読んだのか、マリーカさんはこちらを見てにこやかに微笑んだ。
大丈夫、とその目は語っているようだった。
マリーカさんは改めてメダルド国王とも視線を交わし合うと、部屋の奥にあった小さなテーブルに向かって歩を進めた。
大理石風の磨き上げられたテーブルの上に、ひときわ大きな石の様な何かが置かれている。
なるほど、あれが簡易ではなく、本格的な起動装置と言う事なんだろう。
陛下、と最後テオドル大公がメダルド国王に話しかけた。
「もし少し長めの滞在時間が取れる様ならば、アンディション侯爵領にも立ち寄られると良い。今、妻はそこにおるのでな」
アンジェスの王宮内、今は不審者で満員御礼状態な事もあって、テオドル大公の臨時復帰以降も、ユリア夫人はアンディション侯爵領に留まったままだと聞いている。
テオドル大公も、今回の件が片付いたら再び王宮からは退くのだからと、外国からの賓客用の客室に滞在しているのだ。
「最近『釣り』と言う新しい娯楽も覚えてな。息抜きになるのは保証するぞ」
確かに、ここ数日色々とありすぎて、メダルド国王陛下の精神はさぞや擦り減っているだろう。
テオドル大公なりの、それは気遣いに違いなかった。
「うむ……そうだな。この後まだ会議を続ける予定だが、もし時間を捻出出来る様なら、ぜひそうしたいところだな」
本気と受け取ったか、社交辞令と受け取ったかは分からないけど、メダルド国王も微かに頷いていた。
そしてそれを合図とするかの様に、部屋の中央から全体へと光が広がっていった。
「――ようやく帰れるな」
「!」
私の手をギュッと握りしめたエドヴァルドが、不意に耳元でそんな風に囁いてきた。
「そ、そうですね」
繋いだ手に力がこもったのは〝転移扉〟を通るから。
私を気遣ってくれたんだろうけど、低音の囁き声は、こちらが身体を強張らせてしまうくらい、目の毒ならぬ耳に毒だ。
……私がそれに弱いのを分かっていてやってるんじゃないかと、最近は思わなくもない。
「では、また」
テオドル大公のその声を合図に、バリエンダールの地を後にする事になった。
* * *
光の向こう、扉を抜けた先。
一度歪んだ視界が回復した後には、メダルド国王ではなく、フィルバート・アンジェス国王陛下を目の前に認識していた。
「やれやれ、ようやく揃ってのご帰国か」
「陛下」
扉が起動していた事によって広がっていた光が収束した頃を見計らって、テオドル大公がフィルバートに対し一礼した。
「帰国が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。ただいま帰還致しました」
「まったくだ。もう少し遅くなっていたら、よほど乗り込んでやろうかと思っていたぞ」
そう言って微笑うフィルバートの表情は、お世辞にも皆を心配していた表情じゃない。
むしろ本気で乗り込みたかったと思っているに違いない、裏のある微笑みだった。
「で、話はついたのか?」
基本的に、世間話をさほど好まないフィルバートが、ド直球に結論を問いかけてくる。
テオドル大公も「ええ」と答えると、身体を斜めにずらす形で、すぐ後ろにいたマトヴェイ外交部長をフィルバートの視界に入れた。
マトヴェイ外交部長の手には、メダルド国王からの親書が握られている。
「マトヴェイ卿が今手にしているのが、メダルド国王陛下からの親書です。こちらでご覧になられますか」
「内容的に、ここで立ってする話でもないだろう。場所を変える。悪いがもう少し付き合って貰うぞ」
「承知しました」
「ああ、おまえたちもまだ帰さないぞ」
テオドル大公の頷きに前後するかの様に、フィルバートがさも何でもない事の様にエドヴァルドと私にそう声をかけてきた。
繋いでいたエドヴァルドの手が、確かにピクリと反応した。
「……陛下」
「私的訪問だったなんて建前はいらん。そもそも姉君の方は私的ではないだろう。おまえ一人で帰る分には別に止めもしないが、姉君を引き止めるとなると、もれなくおまえも付いてくるだろうが」
四の五の言わずに付いて来い、と言われたエドヴァルドは反論出来ずに顔を顰めていた。
「……すみません」
何となく申し訳なくなってそう呟けば、困った様なエドヴァルドの視線とぶつかった。
「いや。貴女も疲れているだろうと思ったんだが……こちらこそ、すまない」
うん。
確かに陛下の言う通り、エドヴァルドに「先に帰って貰っても良いですよ?」だなんて、とても言える雰囲気にない。
ベルセリウス将軍や〝鷹の眼〟の面々には、閣議の間の控室で待機していて貰う形で、フィルバート、テオドル大公、マトヴェイ部長、エドヴァルドが本室に入って行く。
もちろん私も、エドヴァルドと一緒にその部屋に足を踏み入れる事になった。
「基本的にはヘルマン長官の指示優先だし、元々今回の件とは無関係に、情報収集の為に以前からバリエンダールとサレステーデを行き来している訳だし、長官の指示があるまでは、自分は引き続き居残りデス」
私たちの帰国を見届けたら、また市井に潜るらしい。
なるほど、と思いながらバリエンダール王宮内をしばらく歩いて、遠距離移動の為の〝転移扉〟のある部屋に足を踏み入れると、中には既にマリーカ・ノヴェッラ女伯爵がいて、こちらに……と言うよりはメダルド国王に向かって、頭を下げていた。
「色々とすまぬな、ノヴェッラ伯」
「いえ。これが私の役目でもありますので」
確かミラン王太子の執務室の修理もしていた筈なのに、魔力は大丈夫なんだろうか――。
そんな風に思っていた私の表情を読んだのか、マリーカさんはこちらを見てにこやかに微笑んだ。
大丈夫、とその目は語っているようだった。
マリーカさんは改めてメダルド国王とも視線を交わし合うと、部屋の奥にあった小さなテーブルに向かって歩を進めた。
大理石風の磨き上げられたテーブルの上に、ひときわ大きな石の様な何かが置かれている。
なるほど、あれが簡易ではなく、本格的な起動装置と言う事なんだろう。
陛下、と最後テオドル大公がメダルド国王に話しかけた。
「もし少し長めの滞在時間が取れる様ならば、アンディション侯爵領にも立ち寄られると良い。今、妻はそこにおるのでな」
アンジェスの王宮内、今は不審者で満員御礼状態な事もあって、テオドル大公の臨時復帰以降も、ユリア夫人はアンディション侯爵領に留まったままだと聞いている。
テオドル大公も、今回の件が片付いたら再び王宮からは退くのだからと、外国からの賓客用の客室に滞在しているのだ。
「最近『釣り』と言う新しい娯楽も覚えてな。息抜きになるのは保証するぞ」
確かに、ここ数日色々とありすぎて、メダルド国王陛下の精神はさぞや擦り減っているだろう。
テオドル大公なりの、それは気遣いに違いなかった。
「うむ……そうだな。この後まだ会議を続ける予定だが、もし時間を捻出出来る様なら、ぜひそうしたいところだな」
本気と受け取ったか、社交辞令と受け取ったかは分からないけど、メダルド国王も微かに頷いていた。
そしてそれを合図とするかの様に、部屋の中央から全体へと光が広がっていった。
「――ようやく帰れるな」
「!」
私の手をギュッと握りしめたエドヴァルドが、不意に耳元でそんな風に囁いてきた。
「そ、そうですね」
繋いだ手に力がこもったのは〝転移扉〟を通るから。
私を気遣ってくれたんだろうけど、低音の囁き声は、こちらが身体を強張らせてしまうくらい、目の毒ならぬ耳に毒だ。
……私がそれに弱いのを分かっていてやってるんじゃないかと、最近は思わなくもない。
「では、また」
テオドル大公のその声を合図に、バリエンダールの地を後にする事になった。
* * *
光の向こう、扉を抜けた先。
一度歪んだ視界が回復した後には、メダルド国王ではなく、フィルバート・アンジェス国王陛下を目の前に認識していた。
「やれやれ、ようやく揃ってのご帰国か」
「陛下」
扉が起動していた事によって広がっていた光が収束した頃を見計らって、テオドル大公がフィルバートに対し一礼した。
「帰国が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。ただいま帰還致しました」
「まったくだ。もう少し遅くなっていたら、よほど乗り込んでやろうかと思っていたぞ」
そう言って微笑うフィルバートの表情は、お世辞にも皆を心配していた表情じゃない。
むしろ本気で乗り込みたかったと思っているに違いない、裏のある微笑みだった。
「で、話はついたのか?」
基本的に、世間話をさほど好まないフィルバートが、ド直球に結論を問いかけてくる。
テオドル大公も「ええ」と答えると、身体を斜めにずらす形で、すぐ後ろにいたマトヴェイ外交部長をフィルバートの視界に入れた。
マトヴェイ外交部長の手には、メダルド国王からの親書が握られている。
「マトヴェイ卿が今手にしているのが、メダルド国王陛下からの親書です。こちらでご覧になられますか」
「内容的に、ここで立ってする話でもないだろう。場所を変える。悪いがもう少し付き合って貰うぞ」
「承知しました」
「ああ、おまえたちもまだ帰さないぞ」
テオドル大公の頷きに前後するかの様に、フィルバートがさも何でもない事の様にエドヴァルドと私にそう声をかけてきた。
繋いでいたエドヴァルドの手が、確かにピクリと反応した。
「……陛下」
「私的訪問だったなんて建前はいらん。そもそも姉君の方は私的ではないだろう。おまえ一人で帰る分には別に止めもしないが、姉君を引き止めるとなると、もれなくおまえも付いてくるだろうが」
四の五の言わずに付いて来い、と言われたエドヴァルドは反論出来ずに顔を顰めていた。
「……すみません」
何となく申し訳なくなってそう呟けば、困った様なエドヴァルドの視線とぶつかった。
「いや。貴女も疲れているだろうと思ったんだが……こちらこそ、すまない」
うん。
確かに陛下の言う通り、エドヴァルドに「先に帰って貰っても良いですよ?」だなんて、とても言える雰囲気にない。
ベルセリウス将軍や〝鷹の眼〟の面々には、閣議の間の控室で待機していて貰う形で、フィルバート、テオドル大公、マトヴェイ部長、エドヴァルドが本室に入って行く。
もちろん私も、エドヴァルドと一緒にその部屋に足を踏み入れる事になった。
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