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第三部 宰相閣下の婚約者
788 負の遺産と救いの影
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バリエンダール・フレイア伯爵家から、エモニエ先代侯爵夫人宛に届いた手紙の写しを作り、フレイア伯爵家の寄り親ごと裁くための一助とする。
が、手紙そのものが夫人にとっての情状酌量の一助となるわけじゃない。
フィルバートが言ったのはそういうことであり、夫人もそんなことは最初から期待していないように見えた。
「……夫人、死にたいか?」
「!?」
ただ、そこはさすがのサイコパス陛下サマだ。
世間話のような口調で尋ねることにしては、内容が普通じゃなかった。
陛下、何を――とでも言おうとしたのかも知れない。身体ごと自分の方を向いたエドヴァルドを、フィルバートは片手で制した。
「未承認の茶葉を弟に盛ったり、格上の公爵家に対して投資詐欺を仕掛けたりと、言い訳の余地もないことをやっているのは、あくまでナルディーニ侯爵家だ。傍から見れば、そなたは未承認の茶葉に関してナルディーニ侯爵家が法を犯すよう誘導しただけだ」
「……それは……」
「フレイア伯爵家とやらに乗り込む手段が消滅したも同然の現状では、残念ながらその程度でそなた自身は死罪とまではいかぬだろうな」
せいぜいが教唆犯と不法輸入罪。裁判で検討されるとすれば、罪を償う年数とその方法。
「今のままでは死ねんだろうよ。残念ながら」
フレイア伯爵家に乗り込んで伯爵と刺し違える、あるいは伯爵に刃を向ける前に斬り捨てられても手紙は残る――いずれにしても、夫人は今以上に命を長らえるつもりはなかった気がした。そう考えた方が、行動に納得がいった。
倫理が行方不明。他人の死どころか自分の死にさえも無頓着であろうフィルバートだからこそ、それを無意識に察したのかも知れない。
普通に聞けば酷い言いようではあるけれど、夫人が反論をしないのがいい証左だ。
「本気で死にたいのであれば、今すぐここで私の短剣を貸してやろう。それをちょっと私に向かって振り上げれれば、実際に刺そうが刺すまいが、王族への殺害未遂で一発で死刑だ。いや、短剣もいらぬか? 殺してやるとでも叫んで私に飛びかかってくるだけでも充分だろうな」
「「陛下!」」
エドヴァルドが、イル義父様が、さすがに「それはない」とばかりに声を上げた。生きることに執着していない人間に、手っ取り早い自殺の方法を教えてどうするのかとでも言わんばかりだ。
しかも実際に、そういうことにして、故人となったクヴィスト公爵は命を落としているのだから、今、この場にいる息子のクヴィスト公爵代理などは、尚更に顔色が、青いどころか真っ白だ。
「くく……案ずるな。夫人にその気はないようだぞ? まあ、そんなことをしたとて誰の益にもならんからな。密かにバリエンダールに渡航させて、本懐を遂げる手助けでもしてやる方が余程面白いんじゃないか? なあ、夫人?」
「……面白い、面白くないで物事を判断しないで下さい……」
片手で額を覆ったイル義父様、えっと……陛下はそういう人だと既にご存知なのでは?
現にエドヴァルドの方は、ため息交じりに天井を仰いだだけだし。
他は……うん、単にリアクションが取れなくて固まってるっぽかった。
「そもそも先々代の王の御世などと、私はほぼ知らん。つい最近までは管理部で魔道具をいじるだけの第三王子だったのだからな。だが、知らぬ存ぜぬが通らぬのが王というもの。先々代の治世が愚行の産物とまで言われるのであれば、面白いか面白くないかくらいの基準でないとやってられんだろう」
どうせ恨まれるのであれば尚更に。
「恨み……」
いっそ清々しいまでの笑みを閃かせる当代国王を、エモニエ先代侯爵夫人は茫然と見つめた。
あれは多分、フィルバートの思考に驚愕している表情だ。
もしかしたら、理解くらいは出来ているのかも知れない。ただしそれは普通の王の思考じゃない。
鏡を見ているようで、いっそ薄気味悪いとさえ見えているようだった。
というか「愚行の産物」って……お祖父様のことですよね、陛下。
「夫人」
だからどうしたとでも言わんばかりの笑みを目元に残したまま、フィルバートが問いかけている。
うん。陛下の中の「倫理」は、行方不明どころか二度と戻っては来ないんだろう。
私の「自重」とか「懲りる」とかの方が、無害なんじゃなかろうか。
エドヴァルドに聞いたらブリザードが吹き荒れそうだけど。
「そなたは今、誰を恨む?」
エモニエ先代侯爵夫人のこめかみが、返事の代わりにピクリと動いた。
「誰……と仰いますか」
「実家だけか? エモニエ侯爵家もか? まあ、王家とて言えた義理でもなかろうが……今なら過去の犯罪だろうと、今回の事件を理由に相当深いところまで暴けるだろうからな。溜飲を下げたいところがあるのであれば、検討くらいはしてやってもいい」
王としては、コトの善悪がどうであれ、公には頭を下げられない。
とはいえ個人としては、高位貴族のスキャンダルを歓迎している風にしか見えない。
アンジェス国は今、王族が極端に少ない。
保身に走る性格でもないだろうけど、叛逆の芽は育たないにこしたことはない――くらいは思っている気がした。
「夫人に限って言えば、司法取引など愚の骨頂だろう。ただ手持ちの札を全てぶちまければ、恨みを買って牢の中で変死の憂き目に遭う可能性はある。ああ、どうせ死ぬならその方か本望か? 相手もそれで破滅するだろうからな」
「……私が、あることないこと陛下に申し上げるとは思われませんの?」
「思わん。夫人の矜持が許すまいよ」
「……っ」
陛下、ほぼ即答。
けれどそれは当てずっぽうじゃない。私でもそう思ったくらいなのだから、事実だろう。
案の定、エモニエ先代侯爵夫人は言い返す言葉を持たず、ただ、気圧されていた。
「もう一度、聞く。そなたは今――〝誰〟を恨む?」
「今は……」
既に多くが鬼籍に入っているのだろう。
夫人は辿るように視線を一度さまよわせた後、覚悟を決めた表情で、フィルバートに向かって頭を上げた。
「未だ裏から一族の手綱を握り、院政を敷く大老――ガエタノ・ベッカリーア先々代公爵と、もはや顔も思い出せない実家の父、ピエトロ・フレイア先代伯爵でしょうか。ラザロ・マルハレータ伯爵は代替わりをした息子ですから、父や大老の言いなりと言っていい小物ですわ。と言っても、どの家も救いようのない人間の方が多うございますから、家ごとお取り潰しになるのが私にとっては理想的と言えましょう」
「……ほう」
今更自分の命に頓着をしていないエモニエ先代侯爵夫人の発言には、怯えも恐れもない。
多少は濁すのかと思いきや、いっそ堂々と、フィルバートに向かって復讐を目論んだ相手の名を告げていた。
「全てバリエンダールの国内貴族の家門だな。アンジェス国内の貴族に対して、思うところがないとは思えぬのだが?」
「畏れ多くも先々代、先代の国王陛下には多少思うところもございますが、既にこの世の方ではございませんし……エモニエ侯爵家の先代様には、十二分に心を砕いて頂きましたわ。難を言えば、当代の侯爵閣下が全てに見て見ぬふりをしていらしたことには、苦言を呈したく思いますけれども」
半ば王家からのゴリ押しで突然降って湧いた後妻の存在を、今のエモニエ侯爵は綺麗に無視していたらしい。
憎悪をぶつけないだけマシ、といったところだったようだ。
「助けて欲しかったとでも?」
「いいえ? 良くも悪くも現状維持に終始されていらしたので、頼りたくとも頼れませんでしたわ。だからこそ、エモニエ侯爵家を出されたお嬢様の商会や、ナルディーニ侯爵家の力を借りようと思い立ったのですけれど」
エモニエ侯爵は、海の向こうに復讐を企てる夫人にとって、駒にもならなかったのだ。
波風を立てずに次の代に繋ぐことだけを考えているのであれば、領の発展だなんだと、何を説かれたところで腰を上げることもしなかっただろうから。
決して無能というわけではないのだろう。ただ、夫人の目的に適わなかっただけだ。
「先代のエモニエ侯爵は、夫人の立場を尊重していたということか」
「先代の宰相閣下が、当時の私の降嫁によって、先代様がいわれなき中傷を受けることのないようにと、影から助力されていると聞いておりました。私が直接御礼を申し上げる機会はございませんでしたけれど……」
国王個人に思うところはあれど「王家」までを憎んでいるわけではない。
エモニエ先代侯爵夫人は、そう言って仄かな笑みを口元に乗せた。
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が、手紙そのものが夫人にとっての情状酌量の一助となるわけじゃない。
フィルバートが言ったのはそういうことであり、夫人もそんなことは最初から期待していないように見えた。
「……夫人、死にたいか?」
「!?」
ただ、そこはさすがのサイコパス陛下サマだ。
世間話のような口調で尋ねることにしては、内容が普通じゃなかった。
陛下、何を――とでも言おうとしたのかも知れない。身体ごと自分の方を向いたエドヴァルドを、フィルバートは片手で制した。
「未承認の茶葉を弟に盛ったり、格上の公爵家に対して投資詐欺を仕掛けたりと、言い訳の余地もないことをやっているのは、あくまでナルディーニ侯爵家だ。傍から見れば、そなたは未承認の茶葉に関してナルディーニ侯爵家が法を犯すよう誘導しただけだ」
「……それは……」
「フレイア伯爵家とやらに乗り込む手段が消滅したも同然の現状では、残念ながらその程度でそなた自身は死罪とまではいかぬだろうな」
せいぜいが教唆犯と不法輸入罪。裁判で検討されるとすれば、罪を償う年数とその方法。
「今のままでは死ねんだろうよ。残念ながら」
フレイア伯爵家に乗り込んで伯爵と刺し違える、あるいは伯爵に刃を向ける前に斬り捨てられても手紙は残る――いずれにしても、夫人は今以上に命を長らえるつもりはなかった気がした。そう考えた方が、行動に納得がいった。
倫理が行方不明。他人の死どころか自分の死にさえも無頓着であろうフィルバートだからこそ、それを無意識に察したのかも知れない。
普通に聞けば酷い言いようではあるけれど、夫人が反論をしないのがいい証左だ。
「本気で死にたいのであれば、今すぐここで私の短剣を貸してやろう。それをちょっと私に向かって振り上げれれば、実際に刺そうが刺すまいが、王族への殺害未遂で一発で死刑だ。いや、短剣もいらぬか? 殺してやるとでも叫んで私に飛びかかってくるだけでも充分だろうな」
「「陛下!」」
エドヴァルドが、イル義父様が、さすがに「それはない」とばかりに声を上げた。生きることに執着していない人間に、手っ取り早い自殺の方法を教えてどうするのかとでも言わんばかりだ。
しかも実際に、そういうことにして、故人となったクヴィスト公爵は命を落としているのだから、今、この場にいる息子のクヴィスト公爵代理などは、尚更に顔色が、青いどころか真っ白だ。
「くく……案ずるな。夫人にその気はないようだぞ? まあ、そんなことをしたとて誰の益にもならんからな。密かにバリエンダールに渡航させて、本懐を遂げる手助けでもしてやる方が余程面白いんじゃないか? なあ、夫人?」
「……面白い、面白くないで物事を判断しないで下さい……」
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どうせ恨まれるのであれば尚更に。
「恨み……」
いっそ清々しいまでの笑みを閃かせる当代国王を、エモニエ先代侯爵夫人は茫然と見つめた。
あれは多分、フィルバートの思考に驚愕している表情だ。
もしかしたら、理解くらいは出来ているのかも知れない。ただしそれは普通の王の思考じゃない。
鏡を見ているようで、いっそ薄気味悪いとさえ見えているようだった。
というか「愚行の産物」って……お祖父様のことですよね、陛下。
「夫人」
だからどうしたとでも言わんばかりの笑みを目元に残したまま、フィルバートが問いかけている。
うん。陛下の中の「倫理」は、行方不明どころか二度と戻っては来ないんだろう。
私の「自重」とか「懲りる」とかの方が、無害なんじゃなかろうか。
エドヴァルドに聞いたらブリザードが吹き荒れそうだけど。
「そなたは今、誰を恨む?」
エモニエ先代侯爵夫人のこめかみが、返事の代わりにピクリと動いた。
「誰……と仰いますか」
「実家だけか? エモニエ侯爵家もか? まあ、王家とて言えた義理でもなかろうが……今なら過去の犯罪だろうと、今回の事件を理由に相当深いところまで暴けるだろうからな。溜飲を下げたいところがあるのであれば、検討くらいはしてやってもいい」
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「……っ」
陛下、ほぼ即答。
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案の定、エモニエ先代侯爵夫人は言い返す言葉を持たず、ただ、気圧されていた。
「もう一度、聞く。そなたは今――〝誰〟を恨む?」
「今は……」
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夫人は辿るように視線を一度さまよわせた後、覚悟を決めた表情で、フィルバートに向かって頭を上げた。
「未だ裏から一族の手綱を握り、院政を敷く大老――ガエタノ・ベッカリーア先々代公爵と、もはや顔も思い出せない実家の父、ピエトロ・フレイア先代伯爵でしょうか。ラザロ・マルハレータ伯爵は代替わりをした息子ですから、父や大老の言いなりと言っていい小物ですわ。と言っても、どの家も救いようのない人間の方が多うございますから、家ごとお取り潰しになるのが私にとっては理想的と言えましょう」
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今更自分の命に頓着をしていないエモニエ先代侯爵夫人の発言には、怯えも恐れもない。
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「全てバリエンダールの国内貴族の家門だな。アンジェス国内の貴族に対して、思うところがないとは思えぬのだが?」
「畏れ多くも先々代、先代の国王陛下には多少思うところもございますが、既にこの世の方ではございませんし……エモニエ侯爵家の先代様には、十二分に心を砕いて頂きましたわ。難を言えば、当代の侯爵閣下が全てに見て見ぬふりをしていらしたことには、苦言を呈したく思いますけれども」
半ば王家からのゴリ押しで突然降って湧いた後妻の存在を、今のエモニエ侯爵は綺麗に無視していたらしい。
憎悪をぶつけないだけマシ、といったところだったようだ。
「助けて欲しかったとでも?」
「いいえ? 良くも悪くも現状維持に終始されていらしたので、頼りたくとも頼れませんでしたわ。だからこそ、エモニエ侯爵家を出されたお嬢様の商会や、ナルディーニ侯爵家の力を借りようと思い立ったのですけれど」
エモニエ侯爵は、海の向こうに復讐を企てる夫人にとって、駒にもならなかったのだ。
波風を立てずに次の代に繋ぐことだけを考えているのであれば、領の発展だなんだと、何を説かれたところで腰を上げることもしなかっただろうから。
決して無能というわけではないのだろう。ただ、夫人の目的に適わなかっただけだ。
「先代のエモニエ侯爵は、夫人の立場を尊重していたということか」
「先代の宰相閣下が、当時の私の降嫁によって、先代様がいわれなき中傷を受けることのないようにと、影から助力されていると聞いておりました。私が直接御礼を申し上げる機会はございませんでしたけれど……」
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