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第4章 女装潜入警官、再び

30: パペッターの後ろ姿

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 今回、指尻女史との情報交換の場である会議室には、丑寅と戸橋だけを出席させていた。
 私の方は、出席どころではなかった。
 無論、女史に対する調査依頼が一段落ついた今でも、指尻女史の顔を眺めながら、あらぬ妄想に耽る楽しい余録時間は放棄したくはなかったのだが、6係を取り巻く状況の急変はそれを許さなかったのだ。


「それが妙な具合なんです。裏で壇を操った真犯人がいる筈だと騒ぎ立てていた鷹見浩三氏が、急に大人しくなって、この件はもういいと言い出したんです。」
 丑寅巡査部長が憤慨したように言った。
「それは、あのヘルメットを壇に提供して堅田裕司の死体処理をした狩野裕弥の存在を、鷹見氏に伝えた後の事なのですか?」
「そうです。報告は真澄警部立ち会いの下で私が行いましたから、その時の感触は良く覚えています。鷹見氏は、報告に衝撃を受けたようですが、それと同時に何か心当たりがある様な感じもしました。この件は、もういいと、言い出したのは、その後、すぐの事です。」
「、、堅田裕司の事を知っても、そうなんですか、、。鷹見氏にして見れば、自分の二人の子どもを殺された事になるのに、、。」
 丑寅巡査部長は、肝心の堅田裕司の死体が未だに発見されていない事については、全く気になっていないようだった。
 死体がなければ指尻ゑ梨花女史の推理は立証されないのだが、丑寅巡査部長は、指尻ゑ梨花女史の分析結果に、全幅の信頼を置いているようだ。

「僕には財政界の事は判りませんが、真澄警部によると、鷹見氏は一旦様子を見ているだけなのだそうです。狩野裕弥の背後に何かの存在を感じ取ったようだと。財政界のパワーバランスが、今、微妙に変化しつつあるらしくて、ああいう人達は、自分の命までチェスの駒のように見立てて動くんだとか。それに最近、6係への増員の話が急速に浮上していて、どうやらソレを他から後押ししているのが、鷹見氏のようなのです。手を引くと言ったしりからの応援ですよ、、、。」
「鷹見氏が反撃の腹を決めたら、その時は6係が彼の戦力の一つになるんですね?」
「多分、そうだと思います。そして真澄警部は、それを利用しようと思ってるみたいです。」
 その言葉には誰が聞いても非難の色があった。

「いいじゃないすか、先輩。そんなの当たり前ですよ。」
 戸橋巡査は、あっけカランと言い放った。
 しかしその言葉に悪意がないのは明白で、丑寅巡査部長は、はにかむしかなかったようだ。
「それと、指尻さんがホシに上げてたホビーショップ店主の狩野裕弥の方ですが、こいつに金を貸した人間が分かりました。美馬と関わりのある金融業者でしたよ。」
 戸橋が、話を続けて行く。
 6係では、「裏の事案」については、全員がその情報を共有しているようだった。

「美馬って、戸橋君が引っ張って来た例の殺し屋ブローカーのヤマに登場する人物ね。」
 丑寅巡査部長の表情が固くなる。
 彼は、この件に指尻女史を巻き込む事を心良く思っていないのだ。
 だが戸橋巡査の方は、違う思惑があって、指尻女史の協力を得たかったようだ。

「それと、もう一つ出てきました。壇は封書で狩野裕弥にある手紙を送っていたんです。」
「封書?」
「おそらく壇が狩野裕弥に連絡をとろうとした時、店は閉鎖されていたんでしょう。もちろん電話も繋がらない。だから壇は、一縷の望みを託して、メモ書きを封筒の中に入れて、店のポストに投函した。封書にしたのは、内容を人に見られたくなかったんでしょうね。それを本物の狩野裕弥が開封した。本物にすれば、その内容があまりに奇妙なものだったので、友人と酒を飲んでいる時に、それを話題にしたようです。」
 戸橋巡査は淀みなく話す。
 同世代で同僚の香山微笑花は、戸橋巡査をお調子者で軽い男だと評価していたが、ゑ梨花女史は、この男の頭の良さを理解している。
 それに髪型などでワザと崩しているが、その秀麗な顔立ちは、一般男子の水準をはるかに超えていた。
 無名だが、一種のサラブレッドなのだ。

「で、それを6係が掴んだ。ご苦労様。その内容は?」
「お前は、あの時、俺に催眠術か何かを掛けたんじゃないか?という疑問というか、問い合わせというか、怒りというか、まあ、そんなものです。」
 戸橋はなんの躊躇もなく、刑事達のみが知り得る情報を、ゑ梨花女史に公開していく。
 その様子を、先輩である丑虎巡査部長がハラハラしながら見ている。

「あの時って?」
「どうやら壇は、ヘルメットを買うと決める前に、ヘルメットを試着してるようなんです。その際に意識が一瞬ブラックアウトしたような感覚があって、その時、自分は何か暗示みたいなものをかけられたんじゃないかと疑っていたようですね。」
「催眠操作ね、、プロファイルの時、その辺りの可能性の感触は、あったんですか?丑寅さん?」
「えっ?」
「惚けないで。貴方、あの時、パペッターの名を直ぐに出したじゃないですか。貴方は、あの時点で、この事件に関して、パペッターの存在や催眠操作という可能性も視野に入れてたんでしょう?」
「いや、今の話は、指尻さんの報告を受けてからの調査で分かったことですから。」
 戸橋が丑虎の為に助け舟を出したが、方向性の違いこそあれ、ほぼ同程度の分析能力があるこの二人にはお互いが、どこまでモノを見通せるかが分かっていた。
 加えるに、この事件に関する情報量は、現役刑事である丑寅の方が圧倒的に多い。

「すみませんでした。あの時点で、この件についてパペッター的な人物が存在するとは気づきませんでしたが、少なくとも壇が自分の意思ではなく、何かに誘導される形で犯行を行った可能性があるとは、考えていました。でも僕は、指尻さんがあのヘルメットを事件のポイントに持って来た時、僕の考えていたその誘導の引き金は、ヘルメットなんだと納得していたんです。他人に操られていると考えるより、本人の資質がヘルメットで顕在化したと考える方が自然だった。」
「でも実際は、それを道具として使った人間がいたわけね。私達の見立ては二人とも半分ずつ当たっていた。、、と言うことは、その人間は、鷹見の息子を殺す為に利用できる人間をずっと探していて、しかもその人間を、一番効率よく操れる方法を用意できた、、、凄い奴ね、いえ凄い組織だわ。、、パペッターか、、、そういう人間が実在するのよ、、。やっぱりリクも、そいつにやられたんだわ。」

「指尻さんは、真栄田陸を自殺に見せかけ殺害した人物と、偽狩野裕弥は同一人物だとお考えですか?」
「丑寅さんがパペッター像を絞り込めないのは、複数の人間がパペッター役を担っているからだと考えるのが自然でしょうね。言い方を変えれば、第一のファック・パペットは真栄田陸、第二のキラー・パペットは壇伊玖磨だったみたいなね。でもこの殺しの分業システムが、組織を形成しているのだとしたら、あまり大人数になると、かえって運営が難しい事になるんじゃないかしら。特にパペット役のコントロールや後始末の役割を担う人間は、少ないほうが良いと思いません?」
「俺は指尻さんに、一票。」
 戸橋が軽い調子で絡んでくる。

「指尻さんの言い方は矛盾している。でもそれは分かった上で仰ってるんでしょう?しかしそうだとすると、パペッターは、神出鬼没で何者にもなり得る超自然的な存在だという事になります。」
「というよりも、そういった演出を自分に施している犯罪者なのでは?」
「何の為に、そんな演出をするんですか?」
「そんなの、相手をビビらせる為に決まってると思いますけどね。」
 戸橋がまた絡んてくる。
 これには温厚な丑寅も苛立ったようだ。

「戸橋、今、『相手』といったな?お前の言い方だと、パペッター達は、我々警察に正面から対抗しょうとしていると言う見立てになるんだぞ。どうなんだ?」
 これには戸橋も沈黙した。
 ただし言い負かされたという感じではない。
 そして丑寅も、この言葉を言い負かすつもりで吐いた言葉ではなかったようだ。
 つまりそれは、二人の共通した、普段は口に出来ない疑念、あるいは、もっと言えば、追い詰められつつある者の無意識の恐怖の現れだったのかも知れない。

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