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最終章
79: 御白羅っ!
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丑寅巡査部長は、御白羅と交替で指尻の警護に向かおうとする香山微笑花巡査に声をかけていた。
「、、正式な報告としては上げてないが、パペッターは指尻さんに過剰な興味を抱いているように思えるんだ。指尻さんを除外するために危害を加えるつもりなら、もっと早い段階でやっていた筈だ。」
「丑寅先輩は、今度の特別警護、あまり心配しなくて良いと言いたいんですか?」
「半分そう言いたいんだが、逆の事も考えている。パペッター自身は、今まで直接的に相手に手を下してはいない。今後、指尻さんに対して、美馬サイドから動きがあるとすれば、チェルノボグや組織のヒットマンを直接使うんじゃないかと思うんだよ。もう指尻さんに対する様子見の期間が終わっているか、あるいは指尻さんに対する決済の権限がパペッターより上の人間に移っている可能性も考えておく必要があるという事だ。」
「もし事が起こったら、生半可な事では済まないという事ですね。」
「ああ勿論、君が何時も任務に当たっては気を抜かない女性だという事は分かった上で、敢えて言ってるんだ。もしこれで、指尻さんが傷付けられる様な事があったら、6係の面目にも関わる。」
『と言うか丑寅さん自身が、それを一番避けたいんでしょう?』という冷やかしを、香山微笑花巡査は思い付いたが、彼女はすぐにそれを心の中で打ち消した。
正直に言って昨夜までは、たとえ警護のためとは言えど、これから憧れの指尻ゑ梨花と寝食を共に出来るという状況に、香山微笑花巡査の気持ちは少なからず浮き立っていたのだ。
その熱を冷ます意味で、丑寅巡査部長の一言は重要だった。
更に香山微笑花巡査は、6係のリーサルウェポンと呼ばれる御白羅巡査部長が、指尻ゑ梨花女史の警護に当てられた意味をもう一度噛み締めなおしていた。
御白羅は指尻の住むマンション下にある小公園の側に車を止めて、指尻の部屋の灯りを観察していた。
指尻の部屋は7階建てマンションの最上階だ。
香山微笑花巡査との引き継ぎが終わり、もうここからは退去しても良かったのだが、今の6係はパペッターの首を取るために、他の事案を取り扱っていない。
同僚の丑寅巡査部長をマークして、彼にちょっかいを出そうと這い出て来た美馬の人間を吊るし上げる目論見も、この前の襲撃事件で打ち止めになった。
他に仕事がないなら、このままずっと香山微笑花巡査のバックアップに入るつもりでいた。
もちろん、その事は香山微笑花巡査に知らせずにだ。
でなければ夜になって警護を交代する意味は、性別上の問題でしかなくなるし、実際の指尻ゑ梨花は、男性なのだ。
自分が警護を続けている事を知らせれば、彼女のメンツを潰すことになる。
それに御白羅がそう考えたのは、戦力的に彼女を心配しての事ではない。
香山微笑花巡査なら、たった一人で屈強な男性警官の3人から4人分の働きをするだろう。
ただ、今度の相手は、それでも不十分な予感が働いたのである。
それに同期の丑寅は、6係全体が蓮華座の流通を止め壇伊玖磨の獄中自殺を糸口にパペッターに迫ろうとしている今、美馬は必ず反撃の為の揺さぶりをかけて来るだろうと予見していた。
御白羅も同じ意見だった。
しかもそれはこちらが思っている以上に早い時期に行われるだろうと御白羅は思っていた。
指尻ゑ梨花の髪は、頭の後ろでシニョンにまとめてある。
その白い首筋から、おだんごにかけてのエレガントさは絶品だ。
部屋の中で歩く後姿を眺めていると惚れ惚れする。
ストッキングに包まれた脚は長いし、部屋履きスリッパの足下が、ハイヒールを履いているように見える、優雅な脚捌きなのだ。
これが男性だなんて。
微笑花は羨望のため息をついて、お湯を沸かしにキッチンに入っていく指尻ゑ梨花の後ろ姿を見送っていた。
指尻ゑ梨花の顔のメイクは、いつ見てもパーフェクトだ。
シーメールとして女を演じているのだから、当然といえば当然なのだが、微笑花から見れば、何というか、女性である筈の自分と比べて歴然としたレベルの差を感じてしまうのだ。
自分とちがって女を粧うノウハウを知り尽くしている、そんな圧倒的なものを感じてしまう。
『もともとゑ梨花さんの顔の造作の出来がいいのはわかっているけど、さらにメイキャップの秘術を尽くすから女が手に負えないほど美女になってしまうんだ、この人は。』と思ってしまうのだ。
「また、そんな風に私の顔をじっと見つめる。」
微笑花の視線に気付いたゑ梨花が笑いながら言う。
けれども、指尻ゑ梨花の全裸を見たことがないから、未だに、微笑花は本当にこの人は男なのか?と疑ってしまう部分もある。
ただ、一度胸を見せてもらったことがあって、そこに豊胸手術やホルモン投与の形跡が見えて、別に魔法を使っているわけではない事は判っている。
だから、男だとはわかっているのだが、こうして、どこから見ても女の容姿を眺めていると、またそれを疑いたくなるのだ。
この匂わんばかりの色香は何なのだろう?
この人の色香ときたら、下品な淫らさがまったくない。
全てが蠱惑的なのだ。
貴種の宝石が人の心を惑わすように、この人の美貌は性別を問わず迷わせる。
同性としての微笑花の分析だと、指尻ゑ梨花の色香は媚びる色香ではないのだ。
たとえばお水のママなどは、どんなに色っぽくてきれいであっても媚びが感じられる。
しかし、この人からは媚びは漂ってこない。 という事になる。
「ゑ梨花さんに会うと勇気がもらえるんです。」
「それじゃ、また、女の底辺的な?警察社会の生け贄の気分に沈没しちゃったの?」
「そうなんです……」
微笑花は、最近のゴタゴタをかいつまんで話した。
6係の中では気持ちよく仕事が出来るのだが、外に出ると未だに女性だからという理由で色々な目に遭う。
香山微笑花は、それに屈しないから余計にトラブルは大きくなる。
ゑ梨花は、それをまるで仕事の相談に来た後輩の話を聞くようにして、うなずきながら聞き入ってくれた。
そして時にはこんなコメントも入れてガールズトークを盛り上げてくれる。
「時々、俺は目的の為には手段を選ばないとか格好付けて言う男がいるじゃない。女はその点、タフさに欠けるとかさ。そいう奴って、手段が目的の質を決めるんだって事まで頭がまわんないんだよね。あっ真澄警部の事じゃないよ。あの人は多分、昔、目的で大やけどしてる筈。だからマッチョなように見えて結構繊細なんだと思う。」などなど。
しかし微笑花は別のところを見ている。
せっかく指尻ゑ梨花と一緒にいるのに、そんな下らない事を本気で考える時間が勿体ないのだ。
この人は、額の形が素晴らしい、と、微笑花は話しながら思っていた。
髪の生え際が麗しいまでの楕円形で、髪を後ろにひっつめた時のおでこの美麗さは官能的ですらある。
目尻の少し吊りあがり気味のアーモンドタイプの目と細く描いた眉弓、ツンと尖った小さな鼻と小さな唇が絶妙の配置で美人顔を造り上げている。
「それで、自己嫌悪に陥ったりするのね。」
「はい」
「微笑花はまだまだね」
「そうなんですけど」
「私の場合は、元が男だからジェンダーの問題って余計に複雑よね。時々、パワハラ女なんかを相手にしなきゃならない時なんか、世の中どうなってるのって思うよ。」と言いながら、優雅な手つきで紅茶が入ったカップを口もとに運ぶ。
夜は長い、これからシャワーを浴びて部屋着に着替えて、なんだかドキドキする!と香山微笑花巡査は思った。
もう既に、丑寅巡査部長の言葉は頭の中の片隅においらやれている。
だが、そんな香山微笑花を、誰が責められるだろうか。
マンションの壁に黒い影が垂直に這い上がって行った。
それはとんでもないスピードで、「今のは何だ?」と二度見をした時には、もうその気配は跡形もなく、やはりそれは錯覚だったのだと思える程の速さだった。
だが、もちろん御白羅の眼だけは誤魔化せない。
御白羅は車を飛び出してマンションに突進していく。
怪獣なのに、その移動スピードは尋常ではない。
指尻がカップに口を付けたので、香山も二人の間にある小さなガラステーブルの上の紅茶カップに手を伸ばした。
その瞬間、彼女らの背後にあるベランダに通じるガラスドアに、黒い影がさしたような気がした。
香山の身体が自動的に反応した。
だがその影の方が速かった。
ガラスドアをどう処理したのか、黒い影が音も立てずにスルリと部屋の中に侵入してきた。
そして背後の異変に気づいた指尻が立ち上がって振り返ろうとする。
指尻は見た。
そこに立っていたのは香革だった。
戸橋が聞き取って来たティファニータートガールの顔とは微妙に異なっていたが、それは紛れもなく等身大のフィギュアから引き起こされた動くアサシンドールの姿だった。
香革のラバーに覆われた細い腕がしなると、その両手首を支点にして腕の中から極薄の柳刃がジャックナイフのように飛び出た。
香革の無機質なガラス細工のような眼が煌めくと、そこから明確な殺意が吹き出して来る。
途端に部屋の中の電気が消えた。
マンションの外の闇がより一層暗くなったから、一斉停電なのだろう。
突如、襲って来た闇の圧力の中で、更により黒い塊が指尻に近づいて来た。
気のせいか、無数の虫が蠕動する音が聞こえたような気がした。
闇の中で硬直した指尻の身体を、背後から強い力で包んで来たものがあった。
香山微笑花が身を挺して指尻を守ったのだ。
逆に言えば香山微笑花の反撃をも許さないスピードで、香革が攻撃を仕掛けてきたのだ。
ようやく闇に目が慣れ始めて来た指尻の眼に、金属が放つ光が香山の身体の向こう側で一閃した。
同時に指尻を抱き留める香山の身体がビクンと大きく痙攣する。
それでも香山が指尻を抱き留める力は弱まらない。
反撃は無理と判断して、最後まで自分が盾になる決心をしたようである。
その時、部屋のドアを引きちぎるように開けた御白羅が飛び込んできた。
合い鍵は渡してあるが、本当にドアを引きちぎって来たのかも知れない。
既に御白羅の手には、特注製の巨大な特殊警棒が握られている。
部屋の状況を一瞬にして把握した御白羅が、一直線に香革に突き進んで来る。
香革はこの御白羅を強敵と認識したのか、指尻らからその意識をそらせ、部屋の中に乱入して来た怪獣に向けた。
指尻は香山の背中から吹き出してくる血を、香山の着衣を寄せ集め、傷口を塞ぎながら止め後ずさった。
とにかく香山の止血が最優先だった。
ベッドの横にある整理ダンスにあれがある!
この前、思わぬ珍客が指尻のマンションにやって来て、その人物が置いていった本格的SMプレイ用のレザーバンドだ。
四の五の言ってられない、あれで微笑花の背中の血を止める!
そう指尻が決心した時、香革と御白羅は刃を交わしていた。
バットの太さの半分ほどもあろうかという直径を持つ特殊警棒を受けながら、香革の柳刃は折れも撓みもしなかった。
そのくせ、その刃の厚みは信じられないほど薄いのだ。
香革の身体には、想像も出来ない原始的な生き物と、近未来的な兵器が同居しているのだ。
この戦いぶりでは埒があかないと見たのか、それともこの戦いをもっと楽しみたいと思ったのか、御白羅は突然、特殊警棒で相手の間合いを強引に切り開き、間合いの中に入ったタイミングで、特殊警棒を投げ捨てた。
と同時に香革の両手を、彼のそのぞれの手でつかみ取ってしまった。
これで香革の両腕に生えた柳刃の動きは殺せるし、力勝負になれば、自分に勝ち目があると御白羅は判断したのだろう。
機敏性では御白羅をやや上回る香革でも、動きを封じられた力勝負となれば、どちらが優勢になるか?
人形と怪獣、二人の体格差は圧倒的だった。
ところが、指を差し合わせ両拳を握り合った力勝負でも、香革は御白羅と互角だったのだ。
ただし、香革の身体からは金属がきしむ音が、あちこちから響いた。
指尻はこの時、ようやく香山の身体をベッド側まで引きずり込む事に成功していた。
ただ運ぶだけなら、さほど苦労はしなかっただろうが、香山の背中からの出血は衣服の圧迫程度では、とても押さえきれなくなっていたのだ。
さしもの香革の身体が、怪獣・御白羅の腕力に屈しようとしていた。
その時、香革の手を握り込んでいた御白羅の分厚い手のひらに激痛が走った。
見れば、御白羅の手の甲から、小さな槍の先端が飛び出ていた。
香革の腕に仕込まれていた短槍攻撃の結果だった。
御白羅は、思わず、血の吹き出る両手を引いた。
意識していれば、この程度の攻撃にひるむ御白羅ではなかったが、さすがに手の中から飛び出して来た短槍には意表を突かれたのである。
その時、部屋の灯りが付いた。
香革はこれを潮時と見たのか、侵入してきたベランダの方に動き出した。
それを追いかけようとする御白羅に、激しい声がかかった。
「何やってるの!御白羅っ!救急車が先だろ!俺は今、手が離せないんだよ!」
それは指尻ゑ梨花が発したドスのきいた男声だった。
「、、正式な報告としては上げてないが、パペッターは指尻さんに過剰な興味を抱いているように思えるんだ。指尻さんを除外するために危害を加えるつもりなら、もっと早い段階でやっていた筈だ。」
「丑寅先輩は、今度の特別警護、あまり心配しなくて良いと言いたいんですか?」
「半分そう言いたいんだが、逆の事も考えている。パペッター自身は、今まで直接的に相手に手を下してはいない。今後、指尻さんに対して、美馬サイドから動きがあるとすれば、チェルノボグや組織のヒットマンを直接使うんじゃないかと思うんだよ。もう指尻さんに対する様子見の期間が終わっているか、あるいは指尻さんに対する決済の権限がパペッターより上の人間に移っている可能性も考えておく必要があるという事だ。」
「もし事が起こったら、生半可な事では済まないという事ですね。」
「ああ勿論、君が何時も任務に当たっては気を抜かない女性だという事は分かった上で、敢えて言ってるんだ。もしこれで、指尻さんが傷付けられる様な事があったら、6係の面目にも関わる。」
『と言うか丑寅さん自身が、それを一番避けたいんでしょう?』という冷やかしを、香山微笑花巡査は思い付いたが、彼女はすぐにそれを心の中で打ち消した。
正直に言って昨夜までは、たとえ警護のためとは言えど、これから憧れの指尻ゑ梨花と寝食を共に出来るという状況に、香山微笑花巡査の気持ちは少なからず浮き立っていたのだ。
その熱を冷ます意味で、丑寅巡査部長の一言は重要だった。
更に香山微笑花巡査は、6係のリーサルウェポンと呼ばれる御白羅巡査部長が、指尻ゑ梨花女史の警護に当てられた意味をもう一度噛み締めなおしていた。
御白羅は指尻の住むマンション下にある小公園の側に車を止めて、指尻の部屋の灯りを観察していた。
指尻の部屋は7階建てマンションの最上階だ。
香山微笑花巡査との引き継ぎが終わり、もうここからは退去しても良かったのだが、今の6係はパペッターの首を取るために、他の事案を取り扱っていない。
同僚の丑寅巡査部長をマークして、彼にちょっかいを出そうと這い出て来た美馬の人間を吊るし上げる目論見も、この前の襲撃事件で打ち止めになった。
他に仕事がないなら、このままずっと香山微笑花巡査のバックアップに入るつもりでいた。
もちろん、その事は香山微笑花巡査に知らせずにだ。
でなければ夜になって警護を交代する意味は、性別上の問題でしかなくなるし、実際の指尻ゑ梨花は、男性なのだ。
自分が警護を続けている事を知らせれば、彼女のメンツを潰すことになる。
それに御白羅がそう考えたのは、戦力的に彼女を心配しての事ではない。
香山微笑花巡査なら、たった一人で屈強な男性警官の3人から4人分の働きをするだろう。
ただ、今度の相手は、それでも不十分な予感が働いたのである。
それに同期の丑寅は、6係全体が蓮華座の流通を止め壇伊玖磨の獄中自殺を糸口にパペッターに迫ろうとしている今、美馬は必ず反撃の為の揺さぶりをかけて来るだろうと予見していた。
御白羅も同じ意見だった。
しかもそれはこちらが思っている以上に早い時期に行われるだろうと御白羅は思っていた。
指尻ゑ梨花の髪は、頭の後ろでシニョンにまとめてある。
その白い首筋から、おだんごにかけてのエレガントさは絶品だ。
部屋の中で歩く後姿を眺めていると惚れ惚れする。
ストッキングに包まれた脚は長いし、部屋履きスリッパの足下が、ハイヒールを履いているように見える、優雅な脚捌きなのだ。
これが男性だなんて。
微笑花は羨望のため息をついて、お湯を沸かしにキッチンに入っていく指尻ゑ梨花の後ろ姿を見送っていた。
指尻ゑ梨花の顔のメイクは、いつ見てもパーフェクトだ。
シーメールとして女を演じているのだから、当然といえば当然なのだが、微笑花から見れば、何というか、女性である筈の自分と比べて歴然としたレベルの差を感じてしまうのだ。
自分とちがって女を粧うノウハウを知り尽くしている、そんな圧倒的なものを感じてしまう。
『もともとゑ梨花さんの顔の造作の出来がいいのはわかっているけど、さらにメイキャップの秘術を尽くすから女が手に負えないほど美女になってしまうんだ、この人は。』と思ってしまうのだ。
「また、そんな風に私の顔をじっと見つめる。」
微笑花の視線に気付いたゑ梨花が笑いながら言う。
けれども、指尻ゑ梨花の全裸を見たことがないから、未だに、微笑花は本当にこの人は男なのか?と疑ってしまう部分もある。
ただ、一度胸を見せてもらったことがあって、そこに豊胸手術やホルモン投与の形跡が見えて、別に魔法を使っているわけではない事は判っている。
だから、男だとはわかっているのだが、こうして、どこから見ても女の容姿を眺めていると、またそれを疑いたくなるのだ。
この匂わんばかりの色香は何なのだろう?
この人の色香ときたら、下品な淫らさがまったくない。
全てが蠱惑的なのだ。
貴種の宝石が人の心を惑わすように、この人の美貌は性別を問わず迷わせる。
同性としての微笑花の分析だと、指尻ゑ梨花の色香は媚びる色香ではないのだ。
たとえばお水のママなどは、どんなに色っぽくてきれいであっても媚びが感じられる。
しかし、この人からは媚びは漂ってこない。 という事になる。
「ゑ梨花さんに会うと勇気がもらえるんです。」
「それじゃ、また、女の底辺的な?警察社会の生け贄の気分に沈没しちゃったの?」
「そうなんです……」
微笑花は、最近のゴタゴタをかいつまんで話した。
6係の中では気持ちよく仕事が出来るのだが、外に出ると未だに女性だからという理由で色々な目に遭う。
香山微笑花は、それに屈しないから余計にトラブルは大きくなる。
ゑ梨花は、それをまるで仕事の相談に来た後輩の話を聞くようにして、うなずきながら聞き入ってくれた。
そして時にはこんなコメントも入れてガールズトークを盛り上げてくれる。
「時々、俺は目的の為には手段を選ばないとか格好付けて言う男がいるじゃない。女はその点、タフさに欠けるとかさ。そいう奴って、手段が目的の質を決めるんだって事まで頭がまわんないんだよね。あっ真澄警部の事じゃないよ。あの人は多分、昔、目的で大やけどしてる筈。だからマッチョなように見えて結構繊細なんだと思う。」などなど。
しかし微笑花は別のところを見ている。
せっかく指尻ゑ梨花と一緒にいるのに、そんな下らない事を本気で考える時間が勿体ないのだ。
この人は、額の形が素晴らしい、と、微笑花は話しながら思っていた。
髪の生え際が麗しいまでの楕円形で、髪を後ろにひっつめた時のおでこの美麗さは官能的ですらある。
目尻の少し吊りあがり気味のアーモンドタイプの目と細く描いた眉弓、ツンと尖った小さな鼻と小さな唇が絶妙の配置で美人顔を造り上げている。
「それで、自己嫌悪に陥ったりするのね。」
「はい」
「微笑花はまだまだね」
「そうなんですけど」
「私の場合は、元が男だからジェンダーの問題って余計に複雑よね。時々、パワハラ女なんかを相手にしなきゃならない時なんか、世の中どうなってるのって思うよ。」と言いながら、優雅な手つきで紅茶が入ったカップを口もとに運ぶ。
夜は長い、これからシャワーを浴びて部屋着に着替えて、なんだかドキドキする!と香山微笑花巡査は思った。
もう既に、丑寅巡査部長の言葉は頭の中の片隅においらやれている。
だが、そんな香山微笑花を、誰が責められるだろうか。
マンションの壁に黒い影が垂直に這い上がって行った。
それはとんでもないスピードで、「今のは何だ?」と二度見をした時には、もうその気配は跡形もなく、やはりそれは錯覚だったのだと思える程の速さだった。
だが、もちろん御白羅の眼だけは誤魔化せない。
御白羅は車を飛び出してマンションに突進していく。
怪獣なのに、その移動スピードは尋常ではない。
指尻がカップに口を付けたので、香山も二人の間にある小さなガラステーブルの上の紅茶カップに手を伸ばした。
その瞬間、彼女らの背後にあるベランダに通じるガラスドアに、黒い影がさしたような気がした。
香山の身体が自動的に反応した。
だがその影の方が速かった。
ガラスドアをどう処理したのか、黒い影が音も立てずにスルリと部屋の中に侵入してきた。
そして背後の異変に気づいた指尻が立ち上がって振り返ろうとする。
指尻は見た。
そこに立っていたのは香革だった。
戸橋が聞き取って来たティファニータートガールの顔とは微妙に異なっていたが、それは紛れもなく等身大のフィギュアから引き起こされた動くアサシンドールの姿だった。
香革のラバーに覆われた細い腕がしなると、その両手首を支点にして腕の中から極薄の柳刃がジャックナイフのように飛び出た。
香革の無機質なガラス細工のような眼が煌めくと、そこから明確な殺意が吹き出して来る。
途端に部屋の中の電気が消えた。
マンションの外の闇がより一層暗くなったから、一斉停電なのだろう。
突如、襲って来た闇の圧力の中で、更により黒い塊が指尻に近づいて来た。
気のせいか、無数の虫が蠕動する音が聞こえたような気がした。
闇の中で硬直した指尻の身体を、背後から強い力で包んで来たものがあった。
香山微笑花が身を挺して指尻を守ったのだ。
逆に言えば香山微笑花の反撃をも許さないスピードで、香革が攻撃を仕掛けてきたのだ。
ようやく闇に目が慣れ始めて来た指尻の眼に、金属が放つ光が香山の身体の向こう側で一閃した。
同時に指尻を抱き留める香山の身体がビクンと大きく痙攣する。
それでも香山が指尻を抱き留める力は弱まらない。
反撃は無理と判断して、最後まで自分が盾になる決心をしたようである。
その時、部屋のドアを引きちぎるように開けた御白羅が飛び込んできた。
合い鍵は渡してあるが、本当にドアを引きちぎって来たのかも知れない。
既に御白羅の手には、特注製の巨大な特殊警棒が握られている。
部屋の状況を一瞬にして把握した御白羅が、一直線に香革に突き進んで来る。
香革はこの御白羅を強敵と認識したのか、指尻らからその意識をそらせ、部屋の中に乱入して来た怪獣に向けた。
指尻は香山の背中から吹き出してくる血を、香山の着衣を寄せ集め、傷口を塞ぎながら止め後ずさった。
とにかく香山の止血が最優先だった。
ベッドの横にある整理ダンスにあれがある!
この前、思わぬ珍客が指尻のマンションにやって来て、その人物が置いていった本格的SMプレイ用のレザーバンドだ。
四の五の言ってられない、あれで微笑花の背中の血を止める!
そう指尻が決心した時、香革と御白羅は刃を交わしていた。
バットの太さの半分ほどもあろうかという直径を持つ特殊警棒を受けながら、香革の柳刃は折れも撓みもしなかった。
そのくせ、その刃の厚みは信じられないほど薄いのだ。
香革の身体には、想像も出来ない原始的な生き物と、近未来的な兵器が同居しているのだ。
この戦いぶりでは埒があかないと見たのか、それともこの戦いをもっと楽しみたいと思ったのか、御白羅は突然、特殊警棒で相手の間合いを強引に切り開き、間合いの中に入ったタイミングで、特殊警棒を投げ捨てた。
と同時に香革の両手を、彼のそのぞれの手でつかみ取ってしまった。
これで香革の両腕に生えた柳刃の動きは殺せるし、力勝負になれば、自分に勝ち目があると御白羅は判断したのだろう。
機敏性では御白羅をやや上回る香革でも、動きを封じられた力勝負となれば、どちらが優勢になるか?
人形と怪獣、二人の体格差は圧倒的だった。
ところが、指を差し合わせ両拳を握り合った力勝負でも、香革は御白羅と互角だったのだ。
ただし、香革の身体からは金属がきしむ音が、あちこちから響いた。
指尻はこの時、ようやく香山の身体をベッド側まで引きずり込む事に成功していた。
ただ運ぶだけなら、さほど苦労はしなかっただろうが、香山の背中からの出血は衣服の圧迫程度では、とても押さえきれなくなっていたのだ。
さしもの香革の身体が、怪獣・御白羅の腕力に屈しようとしていた。
その時、香革の手を握り込んでいた御白羅の分厚い手のひらに激痛が走った。
見れば、御白羅の手の甲から、小さな槍の先端が飛び出ていた。
香革の腕に仕込まれていた短槍攻撃の結果だった。
御白羅は、思わず、血の吹き出る両手を引いた。
意識していれば、この程度の攻撃にひるむ御白羅ではなかったが、さすがに手の中から飛び出して来た短槍には意表を突かれたのである。
その時、部屋の灯りが付いた。
香革はこれを潮時と見たのか、侵入してきたベランダの方に動き出した。
それを追いかけようとする御白羅に、激しい声がかかった。
「何やってるの!御白羅っ!救急車が先だろ!俺は今、手が離せないんだよ!」
それは指尻ゑ梨花が発したドスのきいた男声だった。
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