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番外編
02:神崎とルナ3
しおりを挟む雪玉のように真っ白。鼻と肉球は桜色。くりっとした空色の瞳。野良の子だというが、汚れもなく、その子猫は神々しさすら感じる美しさだった。
「みきちゃんのお家で生まれたみたいなの。子猫は保護できたから、里親探してて……うちで飼えないかな」
タオルの上でひくひくと鼻を動かしている子猫を前に、妻が言った。娘と仲が良い子の家で野良猫が出産した。子猫が綺麗なのは、貰い手が見つかりやすいようにシャンプーしたからなのだろう。
「飼うのは構わないけど――」
幸い、一軒家だ。元々、娘がもう少し大きくなれば犬か猫を飼おうと話していた。だから、飼うことは構わない。けれど、
「この子、うんちしないみたいなの。ぱぱならなおせるよね?」
娘の――美奈子の真っ直ぐな瞳が神崎を見上げる。『動物のお医者さん』である自慢のパパなら、この子を治せる。だから、うちで引き取ろうという、純粋な娘の願いを妻も受け取った。
けれど、娘の言葉に神崎は血の気が引いた。
(……排便しない?)
「――少し、診ようか。この子、何カ月かわかる?」
「確か、先月か……先々月に生まれたって」
「……生後二か月以内」
少しの力でも傷ついてしまいそうな小さな体にそっと触れる。
体はとても小さいが歯は生えているし、乳離れはしているようだ。小さな前足と後ろ足。親指の爪程度の大きさ。そこから、伸びる爪。本来であれば、爪がずっと出ていることはあり得ない。
そして、もっとあり得ないのは――。
(膨満した腹部……)
「濡れタオルで刺激は?」
「してみたけど、やっぱり出なくて……」
「明日、病院で詳しく診てみよう」
嫌な予感がする。子猫の美しい見た目に反して、漂うにおい。
――『みぃ』
子猫が鳴いた。コロコロ、微かにだが喉を鳴らす。小さな前足を突っ張って、神崎の手に頭を擦り付ける。
かぱっと口を開いて、空色の瞳が神崎を映す。
ぱんぱんに膨れ上がった腹部の圧迫で苦しいはずだ。その苦しさを少しも滲ませない声。
美奈子が『ふふふふ』と笑う。ふにゃっと笑って、子猫の頭を撫でる。
「かわいい~……。ゆうちゃん、るな、かわいいね」
「あいい」
「……るな?」
「うん。ルナって名前にしたの」
「そうか……」
美奈子が妹の裕子を抱きしめながら、うっとりと子猫に『かわいい』『かわいい』と言い続ける。
その声に応えるように、ルナは『みぃ』と鳴いた。娘たちも、そして妻でさえも、この子猫が正しく成長するのだと信じて疑わない。
獣医師である神崎を心底、信頼しているからだ。
(そうだ。治療できないと決まったわけじゃない……)
神崎は嫌な予感を振り払うように目を閉じた。重度の便秘症の可能性もある。保護する以前には排便いていた可能性だって捨てきれない。
「簡易的なトイレ、何個か作ろうか」
ティッシュの箱をカッターナイフで切り抜き、タオルを敷く。小さな娘が誤飲する可能性も否めないため、そのまま。妻が試したとは言っていたが、神崎も濡れタオルで肛門を刺激してみた。少しだけ尿は出たが、やはり排便はしなかった。
「この子、食事は?」
「みきちゃんのところで、ササミを食べてたみたい」
「うん! いっぱいたべるんだよ!」
「――そう、」
「だから、夕方の五時頃、うちでも少し食べさせたの」
(今が二十時過ぎ……三時間か)
既にミルクではなく、固形物を食べている。――再度、腹部を撫でる。ふわふわの毛に隠れて視覚的にそれほど膨らんでいるように見えない。だが、触るとその異常性が伝わる。今にも地面につきそうな程に膨れ上がっているのだ。
「明日の朝は診察前だからミルクだけにしようか。――ごめんね、ルナ。お腹空くだろうけど、少し我慢してね」
神崎の言葉が通じたのか、ルナが不満げに鳴いた。食欲はある。――空腹も感じる。生きることに対する強い意志に反して、ルナの体は追いついていない。手探りでしか判断は出来ないが、現状の膨満と感触に当てはまる症状はいくつかある。
(重度の便秘――腸閉塞? または狭窄……)
「牛乳でいいのかしら」
「ああ、牛乳そのままはダメなんだ。牛乳と卵黄と……少しだけ砂糖。俺が用意するよ」
「ありがとう、助かるわ」
安心したように胸を撫で下ろす妻に、しかし安心は出来なかった。
(――猫用の粉ミルク……。うちの病院にはない。置いている病院を探さないと)
ミルクはあくまで一時しのぎに過ぎない。神崎自身も獣医としての経験が浅く、そして初めて目にした症例のため、確信を得られずにいた。
(院長に診断してもらおう)
神崎の誤診であればいい。そして、院長であれば改善方法を知っているかもしれない。
三十歳という若さで動物医療を広めたいと開院した院長は、休日もあらゆる場に顔をだし、獣医師同士で情報交換をしている。そして、得られた知識は現場に反映される。
「明日、俺が出勤する時に連れて行くから――ダメにしてもいいネットだけ出してもらってもいい?」
「わかった。あとは箱かな?」
「うん。小さめの段ボールがあればそれで」
ずり落ちないように固定をすれば助手席でもなんとかなるだろうと頷いた。一日病院で預かることにはなるが、何かあればすぐに対応できる。
「――続きは明日な、ルナ」
そう言って顔を覗き込む。ルナは『みぃ』とコロコロ鳴いた。
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