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後編

道標

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「ロ、ローデリヒ様……?」

 ローデリヒ様の膝の上に乗る形で、抱き締められる。いつもより強い力。私は困惑した声を上げたけれど、無言のまま。返事をするように、力を込めただけだった。肩口に埋められた表情は見えない。

 離す気はないな、と私も背中に手を回して、肩の力を抜いた。ローデリヒ様にもたれかかる。そこでようやく、ローデリヒ様は細く長い息を吐く。抱き締められていた腕が少し緩む。

「……生きた心地がしなかった」
「ローデリヒ様?」
「情けなかった。貴女とアーベルが影に呑み込まれていくのを見た時、何も出来なかった自分がいた」

 思わず慰めるように、ローデリヒ様の髪の毛に指を通した。私達が引きずり込まれたあの時、ローデリヒ様は泣きそうになっていたのを思い出す。私ももうダメかとちょっと思ってしまった。

 15年後のアーベルがいなければ、きっと今頃手遅れだった。
 それを一番痛感しているのはローデリヒ様、なんだろうな。

 サラサラの金色の髪をゆっくりと梳く。指通りの良い髪を黙って撫でていると、ふっと彼が小さく笑った。

「助けられたな。小さいと思っていた息子に」
「いや、アーベルはまだ小さいですけど」
「……それもそうだったな」

 16歳のアーベルに助けられたものの、現在のアーベルはまだ1歳半で……、時空を行き来してるからややこしくはなっているけれど。

「目の前で居なくなって、初めて自分の身体がもぎ取られたような感覚になった。過去の私は、離縁を受け入れる等とよく言えたものだ」

 息を呑んだ。ローデリヒ様がこんな事を言うなんて。
 それだけ私達が攫われたのが、衝撃だったのかもしれない。

 ゆっくりとローデリヒ様は顔を上げる。海色の瞳が私を見つめていた。道に迷ってしまった子供のような表情で。ゴツゴツとした大きな手が私の頬を包む。

「私の傍から、居なくならないで欲しい」

 私はローデリヒ様の手に自分のを被せる。少しだけ驚き半分で笑ってしまった。
 とてもとても大事にされていたのは分かっていたけれど、ローデリヒ様から好きとか、愛してるとか、そういった言葉は貰った事がなかったから。

 だからこんなに私の存在が大きい事を言われるなんて、思ってもみなかった。だから――、

「私もローデリヒ様が傍から居なくなっちゃ、嫌ですよ」

 熱烈な言葉を返す。ローデリヒ様と同じ気持ちだし。

 私につられて、ローデリヒ様が口元を緩めた。ゆっくりと顔が近付いてくる。受け入れるように目を閉じて、

 私達の影が、重なった。






 ーーーーーーーーーーーーー
 ーーーーーーーー





「いたたたたたたたた!!!!!!!!!」

 思わずぎゅううううと握った手に力を入れる。正直、この痛みは二度目なんだけれど、
 痛いのって慣れる訳がない。痛いものは痛い。

「も、もう少しらしいからな……!!」

 私に手を握られたローデリヒ様がなんか言ってるけど、いやもうそれどころじゃないというか。
 でも、まあ未来で可愛いって言われてる娘に会えると思ったら、乗り越えられる――。

 痛いのと疲れたのとやり切ったので、ぐちゃぐちゃになりながら、無事赤ちゃんの泣き声を聞いた時はホッとした。ローデリヒ様も隣で安堵の息を吐いて、私に労いの言葉を掛けてくれる。

「おめでとうございます!!元気な王子様ですよ!!」
「ああ、元気で良かっ――――王子?」
「……おう、じ?」

 待って、王子って事は……男の子?大声上げた後で、若干声が掠れかけてる。
 同じく不思議そうな顔をしていたローデリヒ様だったけれど、助産師さんから赤ちゃんを慣れた手つきで受け取ると相好を崩した。

「私達の元に来てくれて、ありがとう」

 ほら、とローデリヒ様が私の隣にそっと赤ちゃんを寝かせる。しわくちゃの顔をしていて、まだどっちに似るのかは分からない。
 産毛のように生えている髪の毛が金色なので、もしかしたらアーベルみたいにローデリヒ様に似るかも?

「やっと、会えたね」

 赤ちゃんに声を掛けると、ローデリヒ様が私の額に張り付いた髪を退けるように頭を撫でる。安堵した表情で、微笑んだ。

「お疲れ様。頑張ってくれてありがとう」
「……ローデリヒ様も手握っててくれて、ありがとうございま」

 お礼を言おうとして、ローデリヒ様の手を見たら、無意識に爪を立ててしまっていたみたいで、内出血で中々エグい色になっていた。血も滲んでいる。
 彼もやっと気付いたみたいで、苦笑しながら問題ない、と治癒魔法でアッサリ治していた。

 それにしても、16歳のアーベルが妹って言っていたから、てっきり娘が産まれるとばかり思っていたけど、息子は息子でまたすごく可愛い。
 ローデリヒ様も嬉しそうに、廊下で待っていたアーベルを抱き上げて連れて来る。

「アーベル。弟だぞ」

 もうすぐ2歳になるアーベルも、ただならぬ空気を感じていたのか、神妙な表情を浮かべていたけれど、赤ちゃんを見せられて目をパチパチと瞬かせた。

「おとーと?」
「そうだ。弟」

 ローデリヒ様がアーベルの手を掴んで、赤ちゃんの手へと誘導する。アーベルのちっちゃい手が、さらに小さい握り拳を握った。

 パァァァァっと顔を輝かせたアーベルは、キラキラとした目のまま、にまーっとローデリヒ様を見る。思わずローデリヒ様も頬を緩める。2人して無言でにまにましていた。

 けど、その穏やかな時間は長くは続かなかった。

「産まれたじゃと?!?!?!」

 国王様が飛び込むようにして、この部屋に乗り込んできたから。
 ハイデマリーさんも後ろから付いてきたみたいで、「あらまあ、はしたないわ」なんて言っている。あらまあじゃない。止めて欲しい。

「父上、静かにしてください」
「まだ2歳にもならないアーベル殿下ですら落ち着いているのに…」

 半眼になったローデリヒ様と、アーベルと一緒に待機していたジギスムントさんが苦言を呈する。ジギスムントさん、ちょっと言葉の刃鋭くない?とか思ったけど、国王様は気にもしなかった。真っ先に枕元まで飛んでくる。
 赤ちゃんを確認するなり、アーベルのように顔を輝かせた。

「よくやったぞアリサ!!」

 ありがとうございます、と私が言おうとする前にローデリヒ様が、ちょっと落ち着いて下さいと割って入る。
 だけれど、テンションが高くなってしまっているのか、そのまま海色の瞳に涙を溜めて、国王様は盛大に鼻水をすすった。

「無事にゔま゛れ゛でぎでぐれでよ゛がっ゛だ……っ!!」

 ボロボロと次から次へと涙を流す国王様に、ローデリヒ様は若干引いたようにうわあ、という顔になった。
 ハイデマリーさんからハンカチを貰って、盛大に鼻をかむ国王様に、ローデリヒ様は懐かしむように目を細める。

「父上、アーベルの時もそんな感じでしたね」
「ぐすっ、うぅ、当たり前じゃ……。それはそうと、名前は決まったのか?幾つか候補は出していたのじゃろ?」

 鼻をズビズビとかみながら国王様から問い掛けられて、私とローデリヒ様は思わず顔を見合せた。

 そうなのだ。私達はすっかり女の子が生まれるとばかり思っていたので――、女の子用の名前の候補しか考えていない。

「父上、実は王女が生まれるとばかり思っていたのですが、王子だったので考え直そうかと」
「…………は?」

 私達と同じく、16歳のアーベルの言葉を信じていたらしい国王様は、驚きで涙を引っ込めた。

「つまり……、お主らの所にはまだ子供が生まれるという……?え……、百発百中とか言ってからかっておったが、3人以上生まれると……?むしろ百発百中だから3人よりも多い可能性があるという事じゃな?!」

 ちらり、とローデリヒ様を伺う。ローデリヒ様も同じ事を思ったのか、私と目が合った。

「いや、あのですね父上。ちょっとその辺りはアリサとまた追々話し合おうとは思っていますが、」
「は?!ワシなんて種無しとか言われてたのじゃが?!ワシの努力は一体……?!」
「お願いですから話を聞いてください!」

 国王様とローデリヒ様が何やら騒がしくしている中、ハイデマリーさんがそっとアーベルの頭を撫でる。そして、赤ちゃんをじーっと見つめた。

「撫でても大丈夫ですよ」
「そうなの」

 口調こそは素っ気なかったけれど、おそるおそるハイデマリーさんはちっちゃい頭に手を伸ばす。
 壊れ物を扱うような手つきで撫でた瞬間、キツい顔立ちの彼女が、ふんわりと優しく微笑んだ。その表情は、手と共にすぐに引っ込める。

「しっかり体を休めるのよ」
「は、はい……。ありがとうございます」

 ハイデマリー様はそう言って、国王様を引き摺るように連れ帰って行った。嵐のようだったな、と思ったのは私だけではないはず。

 ローデリヒ様も若干くたびれたような感じだったけど、少しだけ肩を竦めた。

「煩くしてすまない。……あの人達が1番、出産に関しては心配症だからな」
「そうなんですか?」
「ああ。……理由を話すと長くなるから、また、時間がある時に」

 私の髪を梳くように、優しい手つきで触れられる。

「ローデリヒ様」
「なんだ?」

 見上げた海色の瞳は、穏やかに凪いでいた。

「この子に会わせてくれて、ありがとうございます」

 私がお礼を言うと、彼は目を丸くする。

「それはこちらの台詞だ」

 こうして私が前を向けているのも、子供に会えているのも、全部全部、ローデリヒ様があの雨の日に助けてくれた事から始まった。
 ルーカスにも、ティーナにも助けられたけれど、彼らだけだったらアーベルにも、赤ちゃんにも出会えていなかっただろう。

 ――「助けてくれて、ありがとう」
 あの雨の日、そう私が声を掛けたほんの少し身長の高いだけの少年は、凄く悔しそうで、泣き出しそうだった。涙を拭って諦めてしまった私の代わりに。

 諦めずに手を伸ばしてくれた彼は、正しく私の道を照らしてくれる道標だったから。
 今度は私が彼の隣で、一緒に歩いていきたい。
 子供達を導いていけるように。

「これからも宜しくお願いしますね」
「ああ」

 あの日みせた負の感情が嘘のように、
 あの日の少年は、幸せそうに微笑んだ。
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