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22 楽しいお薬
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帰り道、エウディさんは怒ってはいなかった。だけど、盛大なため息は止まらない。
「本当にすみません」
「いいの、謝らなくても。私の落ち度だったわ。トイレまで連れ込めば良かったんだもの」
「勘弁してください……」
「じゃあさっさとクロノと番になんなさいな」
「え?なぜに?」
この人はどうしてここまで私とクロノさんをくっつけたいのか。
宿まで戻り、レヴィさんを部屋の鎖に繋げるとエウディさんは彼の口に何かを放り込んだ。
「今のは?」
「これ?」
私の口にも何かが入る。一瞬見た感じだと、違うものが口に入られたと思う。しかし、強烈な感覚があってそれどころでは無くなった。いただいた香水を濃縮したような香りが広がり、思わず吐き出そうとする。でも、吐き出そうとしたけど、エウディさんに口づけで水を飲まされて、驚きで思わず飲み込んでしまった。
「っ何するんですか!」
「ちょっと気分が高揚するお薬?まぁ、人生経験ね」
自分自身からあの香りが沸き立つ気がする。それから、強いお酒を飲んだ様なふわふわ感。
「いい感じだわ。もう一押しかしら?」
「な、なん、です、か?」
足腰が定まらない私を彼は抱いて、部屋まで連れて来てくれたが、頭がくわんくわんとして、呂律もうまく回らない。
「可愛い子。今から起こる事はみーんな夢なの」
ベッドに寝かされると、エウディさんは私に深いキスをした。ドクドクと血が流れる音が響く。身体に自由は無くて、抵抗はできない。キスをして、髪をすかれ、そしてその手が、つぅーっと首筋に触れた。
「……っ!」
触れるか触れないか、その程度の圧のはずが電気が走るようだ。うぶ毛を薄く撫でられて、私の体はビクンと震えた。
「あ……」
トクントクンと心臓の音が響いて、体の芯に熱を持つ。
「こんなものね。じゃあ、良い夢見てね」
愛撫はすぐに終わって、彼はウインクを一つ投げて部屋を出て行った。
「な、に?今のは?」
身体の中を渦巻く様な何かが駆け巡って、それが鬱滞して酷く気持ちが悪い。香りのせいか、エウディさんだけでなく、クロノさんにもされた様な感覚がする。
「サヤ……、可愛い反応ですね」
「な、んで?」
クロノさんの幻聴まで聞こえてきて、しかもそれは私に甘い愛を囁いて来た。
身体が熱い。溶けそうで、怖い。
「アルバートさんっ!」
怖くて怖くて、私はお守りを握りしめて彼を呼んで、そのまま意識を失った。
――――――――――――――――――――――――――
次の日起きぬけの気分は最悪だった。頭痛までするし、記憶が曖昧だ。なんだか変な夢を見た気がする。
寝汗を流しに風呂場に行くと、スッキリした顔のレヴィさんが丁度上がるところだった。
「昨日はごめんね。ちょっと仕事で血の匂いを嗅ぎすぎて」
ふんわりと穏やかで人懐っこい笑顔は昨日とは別人だ。
「鎮静剤くれたのはエウディだよね。僕、もう出なくちゃダメだから、よろしく伝えてくれる?」
「はい」
昨日のあれは鎮静剤だったのか。記憶を掘り起こすと……。
アルバートさんとクロノさんが居た気がする。しかも、クロノさんにあれやこれやされたような?いやいや、宿にいない彼らがいる訳ないから、アレは夢だ。その前にエウディさんにもあれやこれやされたような記憶があるけれど……
「はぁい!サヤ、おはよう!昨日のお薬は楽しめた?」
「おはようございます。頭痛がして気持ち悪いです。しかも、記憶がぐちゃぐちゃで。昨日、私に何か飲ませましたか?」
「あら、吸い飲み口に突っ込んだ辺りから記憶ない感じ?」
「吸い飲み……?」
「そう、レヴィに用意してたやつ。あの子は上手に飲めたけど、あんたは飲みにくそうだったから」
なんだかとんでもない薬だったらしい。飲んだ前後の記憶すらおかしくなってますよ。ほんと、幻覚にしても酷すぎる。そりゃあ、エウディさんが私にキスする理由なんか無いから、吸い飲み突っ込まれた方が現実感がある。
「私には合わなかったみたいです。酷い夢を見ました」
「そっか、アレが一番弱い薬だから、お外で勧められても辞めた方が良いわね」
「……時々エウディさんってスパルタですよね」
「うふふ、でも肝に銘じたでしょ。愛よ、愛。その夢の内容聞いてもいいかしら?」
「勘弁してください」
幸い頭痛や軽い吐き気はすぐに収まった。けれど、その日から数日、エラスノの皆が帰ってくるまでの期間、夜にベッドに入ると妙なソワソワ感は収まらなかった。
翌朝原因を作ったエウディさんに文句は言おうとしたが、彼との契約は最後に泊まっていたレヴィさんのチェックアウトで解除されていて、挨拶を交わすこともなく彼は消えてしまっていた。
教育課程で彼から教わる予定の範囲は確かに終わっていたし、そんなものかもしれないけど、
「なんか、寂しいなぁ」
別れも無くパタリと交流が途切れてしまってお礼も言えなかった。また船で出るから、次に会えるのはいつか分からない。この街で彼を探せるほど、私は自立できて無いから、とりあえず独学で教育課程を進めて行く……
常識を身につけて、適性や能力を知って資質と才能を深めていく。そうして、トイレに連れ込まなくても済むくらいに成長しないと、一緒に酒場にも行けない。次は家庭教師と生徒じゃなくて会いたいし。とりあえず、護身術は最低限必要よね。
デイノさんに相談すると、荷物置き場に連れてこられた。ここは主に使わなくなったエラスノのメンバーの元私物が置いてある部屋だ。
「確か……、ここに体術入門と護身術一覧が……」
捨てるのにはもったいない物はここに置いておき、新たなメンバーに必要に応じて貸したり与えたりするらしい。残しておくかどうかの基準はデイノさん判断だ。
大雑把に分けて置いてあるが、ジャンル分けではなさそう。
「そっちのクロノの山の方を探して頂戴」
デイノさんに言われた一山を掘り起こしながら、分けて置いてるのは元所有者別である事が分かった。これでは目的のものを探し出せるのはデイノさんしかいなさそう。
本を検めていると、見覚えのある懐かしい気持ちになる本が出てきた。
「世界、風景画集?」
「気になるものでもあったかい?どれどれ、ああ、古い本だね。昔の……皇帝陛下の現れる前の世界の風景が載っている本だ。気になるなら持っていってもいいよ。これはクロノの故郷が載ってるんだってさ」
なんと意味深な。クロノさんの過去なんて、聞きたいけど他の人の秘密は聞いちゃダメよね……リードさんの訓示でもあるし……
「クロノの一族は滅んじまってね……」
私の葛藤虚しく、デイノさんはクロノさんの身の上を話しはじめた。
クロノさんの一族はどうやら族長のせいで滅んだそうだ。族長は神の子と呼ばれる人で、何やら特別な力があったのに、何かの儀式前に逐電。折悪しく、その直後に他の人種に襲われて一族は散り散りに。帝国に統一される前は種族間の争いや、狩られる事は珍しくなく、その名残で奴隷制があるわけだが、クロノさんは家族を助けるために奴隷になったそうだ。そして、彼は未だ神の子を探していた……
「昔の事が思い出される景色が載っているんだってさ。でも、恨みつらみを持ち続けるのはいい事一個もないと思うんだけどねぇ。あ、あったよ、はい!」
画集の上に分厚い本が二冊乗った。学ぶべき物は多いとはいえ、これ全部読むのか……
エラスノの皆は、ひと月を過ぎても戻らなかった。
少しだけ遅れると連絡はあって、そんな事はよくある事だとデイノさんは言った。
少しの心配と寂しさ、それから、心を占め始めている知らない感情。
何故か私はよくアルバートさんの事を思うようになっていた。
ある日の朝、カーテンを開けると待ち望んでた船影を目が拾った。みんなが帰ってきたようだ。心が浮き立つ。
あの距離なら宿に着くまでもっと時間がかかるはず。エラスノの彼らのために、帰ってきた時に振る舞いたかった料理を作り始める……、あれとこれもやっぱり作ろう……
デイノさんにも手伝ってもらいながら、仕事の割当分も進めて、私はここ最近で一番集中して仕事をしていた。
「サヤ、……サヤ?!」
「……え?あ、はい!」
「今日の割当分の副菜、もう十分足りてるよ。……まったく、あいつらがそんなに好きなんだねぇ」
はっとして手元を見ると、明日の分の下拵えまでやり始めていた。
「もう奴らかえってくるから、宿の仕事は終わりだよ。……あいつらのことかだけ考えてやりゃいいさ」
「……はい。ありがとう、ございます。あの、なんだかはしゃいでしまってすみません」
「何言ってんだい。良い事じゃ無いか。ここに初めて来た時より、今の方が良い表情だ」
恥じた私にデイノさんはウインクした。
「だいたい、あたしの連れが帰ってきた時のあたしのはしゃぎっぷりはそんなもんじゃ無いからねぇ」
今回の滞在ではデイノさんのお子さん達や番《つがい》の旦那さんには会えなかった。後数日で戻られるそうだけど、長期の仕事から帰られるとの事なので、水入らずをお邪魔するつもりは無かった。
デイノさんさんが宿の方の仕事に戻って、私は残りを一人で準備した。それぞれが好きな食べ物を用意できただし、量も充分。味も多分及第点ねと、味見をしていて気がついた。
「あ、でも、朝からこんなにはちょっと重かったかな?」
「ええんちゃう?腹減っとるで」
味見していた小皿が抜き取られ、そのままアルバートさんが舐めた。
「おお、美味いやんけ」
「アルバートさん!」
「なんや?」
「なんやって、あの、ご無事で……良かったです」
「……心配しとってくれたん?」
「いえ、その、アルバートさんがお強いのは知ってるんですけどっ」
「おおきにな」
大きな手が頭に触れる。これが日常だったはず。なのに、安心感だけでなく、少しの高揚を感じた。
「おかえり、なさい」
「ただいま」
にかっと笑った笑顔に、今度は心臓が跳ねた。エウディさんからの薬はとうに抜けたと思っていたけど、まだ残っているらしい。この状態でクロノさんに会うと不整脈を起こすかも……、と言うかクロノさんは?
「クロノさん達は?」
「リードがな、舵握っとんねん。せやから、飯の準備しに、俺だけ一足先に戻ったんや」
「船より早いなんて、凄い……?」
視界の端にデイノさんを捉える。何故か隠れている風。何だろう。隠れたいの?声かけちゃダメなやつ?
目配せすると、アルバートさんも気づいてるっぽい。よく分からないけど会話続行。
「べんきょの方はどうや?捗ったか?」
「はい、お陰様で。教育課程の本軽く一通りと、それに家庭教師をつけて頂けたので、仕事に関する所は少し深めに」
「カテキョ?……おかしいな」
「何がですか?」
「いや、俺がカテキョに頼もー思てデイノに依頼しとった奴、仕事先で見かけてん。せやから、あかんかってんなーって思ててんけど。カテキョってルルーちゃうんやろ?」
「ルルーからの推薦の子だよ。ルルーは執行と依頼が重なったみたいだから頼めなかったんだ」
隠れていたデイノさん現れる。何故隠れていたのかよく分からない。でも、アルバートさんの言ってたあいつって、ルルーさんの事?
「デイノ、ただいま。何隠れとってん」
「……アルバート、ちょっとこっちおいで」
何故か大真面目な顔のデイノさんはアルバートさんを連れて行ってしまった。
「……ご飯の準備しなくちゃ」
私は作業に戻った。
「本当にすみません」
「いいの、謝らなくても。私の落ち度だったわ。トイレまで連れ込めば良かったんだもの」
「勘弁してください……」
「じゃあさっさとクロノと番になんなさいな」
「え?なぜに?」
この人はどうしてここまで私とクロノさんをくっつけたいのか。
宿まで戻り、レヴィさんを部屋の鎖に繋げるとエウディさんは彼の口に何かを放り込んだ。
「今のは?」
「これ?」
私の口にも何かが入る。一瞬見た感じだと、違うものが口に入られたと思う。しかし、強烈な感覚があってそれどころでは無くなった。いただいた香水を濃縮したような香りが広がり、思わず吐き出そうとする。でも、吐き出そうとしたけど、エウディさんに口づけで水を飲まされて、驚きで思わず飲み込んでしまった。
「っ何するんですか!」
「ちょっと気分が高揚するお薬?まぁ、人生経験ね」
自分自身からあの香りが沸き立つ気がする。それから、強いお酒を飲んだ様なふわふわ感。
「いい感じだわ。もう一押しかしら?」
「な、なん、です、か?」
足腰が定まらない私を彼は抱いて、部屋まで連れて来てくれたが、頭がくわんくわんとして、呂律もうまく回らない。
「可愛い子。今から起こる事はみーんな夢なの」
ベッドに寝かされると、エウディさんは私に深いキスをした。ドクドクと血が流れる音が響く。身体に自由は無くて、抵抗はできない。キスをして、髪をすかれ、そしてその手が、つぅーっと首筋に触れた。
「……っ!」
触れるか触れないか、その程度の圧のはずが電気が走るようだ。うぶ毛を薄く撫でられて、私の体はビクンと震えた。
「あ……」
トクントクンと心臓の音が響いて、体の芯に熱を持つ。
「こんなものね。じゃあ、良い夢見てね」
愛撫はすぐに終わって、彼はウインクを一つ投げて部屋を出て行った。
「な、に?今のは?」
身体の中を渦巻く様な何かが駆け巡って、それが鬱滞して酷く気持ちが悪い。香りのせいか、エウディさんだけでなく、クロノさんにもされた様な感覚がする。
「サヤ……、可愛い反応ですね」
「な、んで?」
クロノさんの幻聴まで聞こえてきて、しかもそれは私に甘い愛を囁いて来た。
身体が熱い。溶けそうで、怖い。
「アルバートさんっ!」
怖くて怖くて、私はお守りを握りしめて彼を呼んで、そのまま意識を失った。
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次の日起きぬけの気分は最悪だった。頭痛までするし、記憶が曖昧だ。なんだか変な夢を見た気がする。
寝汗を流しに風呂場に行くと、スッキリした顔のレヴィさんが丁度上がるところだった。
「昨日はごめんね。ちょっと仕事で血の匂いを嗅ぎすぎて」
ふんわりと穏やかで人懐っこい笑顔は昨日とは別人だ。
「鎮静剤くれたのはエウディだよね。僕、もう出なくちゃダメだから、よろしく伝えてくれる?」
「はい」
昨日のあれは鎮静剤だったのか。記憶を掘り起こすと……。
アルバートさんとクロノさんが居た気がする。しかも、クロノさんにあれやこれやされたような?いやいや、宿にいない彼らがいる訳ないから、アレは夢だ。その前にエウディさんにもあれやこれやされたような記憶があるけれど……
「はぁい!サヤ、おはよう!昨日のお薬は楽しめた?」
「おはようございます。頭痛がして気持ち悪いです。しかも、記憶がぐちゃぐちゃで。昨日、私に何か飲ませましたか?」
「あら、吸い飲み口に突っ込んだ辺りから記憶ない感じ?」
「吸い飲み……?」
「そう、レヴィに用意してたやつ。あの子は上手に飲めたけど、あんたは飲みにくそうだったから」
なんだかとんでもない薬だったらしい。飲んだ前後の記憶すらおかしくなってますよ。ほんと、幻覚にしても酷すぎる。そりゃあ、エウディさんが私にキスする理由なんか無いから、吸い飲み突っ込まれた方が現実感がある。
「私には合わなかったみたいです。酷い夢を見ました」
「そっか、アレが一番弱い薬だから、お外で勧められても辞めた方が良いわね」
「……時々エウディさんってスパルタですよね」
「うふふ、でも肝に銘じたでしょ。愛よ、愛。その夢の内容聞いてもいいかしら?」
「勘弁してください」
幸い頭痛や軽い吐き気はすぐに収まった。けれど、その日から数日、エラスノの皆が帰ってくるまでの期間、夜にベッドに入ると妙なソワソワ感は収まらなかった。
翌朝原因を作ったエウディさんに文句は言おうとしたが、彼との契約は最後に泊まっていたレヴィさんのチェックアウトで解除されていて、挨拶を交わすこともなく彼は消えてしまっていた。
教育課程で彼から教わる予定の範囲は確かに終わっていたし、そんなものかもしれないけど、
「なんか、寂しいなぁ」
別れも無くパタリと交流が途切れてしまってお礼も言えなかった。また船で出るから、次に会えるのはいつか分からない。この街で彼を探せるほど、私は自立できて無いから、とりあえず独学で教育課程を進めて行く……
常識を身につけて、適性や能力を知って資質と才能を深めていく。そうして、トイレに連れ込まなくても済むくらいに成長しないと、一緒に酒場にも行けない。次は家庭教師と生徒じゃなくて会いたいし。とりあえず、護身術は最低限必要よね。
デイノさんに相談すると、荷物置き場に連れてこられた。ここは主に使わなくなったエラスノのメンバーの元私物が置いてある部屋だ。
「確か……、ここに体術入門と護身術一覧が……」
捨てるのにはもったいない物はここに置いておき、新たなメンバーに必要に応じて貸したり与えたりするらしい。残しておくかどうかの基準はデイノさん判断だ。
大雑把に分けて置いてあるが、ジャンル分けではなさそう。
「そっちのクロノの山の方を探して頂戴」
デイノさんに言われた一山を掘り起こしながら、分けて置いてるのは元所有者別である事が分かった。これでは目的のものを探し出せるのはデイノさんしかいなさそう。
本を検めていると、見覚えのある懐かしい気持ちになる本が出てきた。
「世界、風景画集?」
「気になるものでもあったかい?どれどれ、ああ、古い本だね。昔の……皇帝陛下の現れる前の世界の風景が載っている本だ。気になるなら持っていってもいいよ。これはクロノの故郷が載ってるんだってさ」
なんと意味深な。クロノさんの過去なんて、聞きたいけど他の人の秘密は聞いちゃダメよね……リードさんの訓示でもあるし……
「クロノの一族は滅んじまってね……」
私の葛藤虚しく、デイノさんはクロノさんの身の上を話しはじめた。
クロノさんの一族はどうやら族長のせいで滅んだそうだ。族長は神の子と呼ばれる人で、何やら特別な力があったのに、何かの儀式前に逐電。折悪しく、その直後に他の人種に襲われて一族は散り散りに。帝国に統一される前は種族間の争いや、狩られる事は珍しくなく、その名残で奴隷制があるわけだが、クロノさんは家族を助けるために奴隷になったそうだ。そして、彼は未だ神の子を探していた……
「昔の事が思い出される景色が載っているんだってさ。でも、恨みつらみを持ち続けるのはいい事一個もないと思うんだけどねぇ。あ、あったよ、はい!」
画集の上に分厚い本が二冊乗った。学ぶべき物は多いとはいえ、これ全部読むのか……
エラスノの皆は、ひと月を過ぎても戻らなかった。
少しだけ遅れると連絡はあって、そんな事はよくある事だとデイノさんは言った。
少しの心配と寂しさ、それから、心を占め始めている知らない感情。
何故か私はよくアルバートさんの事を思うようになっていた。
ある日の朝、カーテンを開けると待ち望んでた船影を目が拾った。みんなが帰ってきたようだ。心が浮き立つ。
あの距離なら宿に着くまでもっと時間がかかるはず。エラスノの彼らのために、帰ってきた時に振る舞いたかった料理を作り始める……、あれとこれもやっぱり作ろう……
デイノさんにも手伝ってもらいながら、仕事の割当分も進めて、私はここ最近で一番集中して仕事をしていた。
「サヤ、……サヤ?!」
「……え?あ、はい!」
「今日の割当分の副菜、もう十分足りてるよ。……まったく、あいつらがそんなに好きなんだねぇ」
はっとして手元を見ると、明日の分の下拵えまでやり始めていた。
「もう奴らかえってくるから、宿の仕事は終わりだよ。……あいつらのことかだけ考えてやりゃいいさ」
「……はい。ありがとう、ございます。あの、なんだかはしゃいでしまってすみません」
「何言ってんだい。良い事じゃ無いか。ここに初めて来た時より、今の方が良い表情だ」
恥じた私にデイノさんはウインクした。
「だいたい、あたしの連れが帰ってきた時のあたしのはしゃぎっぷりはそんなもんじゃ無いからねぇ」
今回の滞在ではデイノさんのお子さん達や番《つがい》の旦那さんには会えなかった。後数日で戻られるそうだけど、長期の仕事から帰られるとの事なので、水入らずをお邪魔するつもりは無かった。
デイノさんさんが宿の方の仕事に戻って、私は残りを一人で準備した。それぞれが好きな食べ物を用意できただし、量も充分。味も多分及第点ねと、味見をしていて気がついた。
「あ、でも、朝からこんなにはちょっと重かったかな?」
「ええんちゃう?腹減っとるで」
味見していた小皿が抜き取られ、そのままアルバートさんが舐めた。
「おお、美味いやんけ」
「アルバートさん!」
「なんや?」
「なんやって、あの、ご無事で……良かったです」
「……心配しとってくれたん?」
「いえ、その、アルバートさんがお強いのは知ってるんですけどっ」
「おおきにな」
大きな手が頭に触れる。これが日常だったはず。なのに、安心感だけでなく、少しの高揚を感じた。
「おかえり、なさい」
「ただいま」
にかっと笑った笑顔に、今度は心臓が跳ねた。エウディさんからの薬はとうに抜けたと思っていたけど、まだ残っているらしい。この状態でクロノさんに会うと不整脈を起こすかも……、と言うかクロノさんは?
「クロノさん達は?」
「リードがな、舵握っとんねん。せやから、飯の準備しに、俺だけ一足先に戻ったんや」
「船より早いなんて、凄い……?」
視界の端にデイノさんを捉える。何故か隠れている風。何だろう。隠れたいの?声かけちゃダメなやつ?
目配せすると、アルバートさんも気づいてるっぽい。よく分からないけど会話続行。
「べんきょの方はどうや?捗ったか?」
「はい、お陰様で。教育課程の本軽く一通りと、それに家庭教師をつけて頂けたので、仕事に関する所は少し深めに」
「カテキョ?……おかしいな」
「何がですか?」
「いや、俺がカテキョに頼もー思てデイノに依頼しとった奴、仕事先で見かけてん。せやから、あかんかってんなーって思ててんけど。カテキョってルルーちゃうんやろ?」
「ルルーからの推薦の子だよ。ルルーは執行と依頼が重なったみたいだから頼めなかったんだ」
隠れていたデイノさん現れる。何故隠れていたのかよく分からない。でも、アルバートさんの言ってたあいつって、ルルーさんの事?
「デイノ、ただいま。何隠れとってん」
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