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雨に濡れた女①
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「コレット、コレット!」
「はぁい。ただいま」
洗濯の途中だったコレットは腰に巻いたエプロンで手を拭きながら家の中に入った。
一軒家とは言え狭い家である。
部屋は?と言えば食事室を兼ねた居間、その隣にカーテンで仕切った寝室。
申し訳ない程度の仕切りを兼ねた板を立てかけ、屋根の代りに布を張った調理場。
不浄は近所と共同。湯殿はなく共同浴場に料金を支払って汗を流しに行くか、家人が寝静まった後に清拭をするか。
貧相な家だが、騎士である夫ディッドの稼ぎではここを借りるのが精一杯。
コレットも朝は市場で鮮魚の仕分け、その後はセリで売れた鮮魚を荷馬車に載せる仕事をしている。早朝の仕事のため、それが終われば売れ残った魚を分けてもらって、その日の夕食にする為に持ち帰る。
家に戻れば、朝食の準備をして家族が食べている間に、川と水瓶を往復し、使用する水を確保する。家族の食事が終われば後片付けに家の中の掃除。そして洗濯。
昼前に家族の昼食を作りながら立ったまま簡単な朝食を済ませ、家族が昼食を取っている間にお針子の仕事を貰うために何軒かの仕立て屋を回る。
帰りにはお針子仕事で稼いだ金で小麦などを買って、帰りつけば洗濯物を取り込んで夕食の準備。
家族が夕食を取っている間に、熱い竈で鏝を温めながらシーツにアイロンをかけてベッドメイク。
夕食は余り物で腹を満たし、家族が寝静まれば月が真上に上がる頃まで月灯りを頼りにお針子仕事をする。
そこまで働かねば住むための家賃も食費もないのだ。
夫のディッドは月に一度、給料日の翌日には給料を持って帰って来るが「宿直勤務」を希望した事もあり家に帰らなくなって1年半を過ぎた。
その給料も1年半ほど前から税金が上がった、剣を買い替えた、防具を新調したと言って20万が15万になり今では10万である。生活を支えるためにコレットは朝か早くから深夜まで働かねばならなかった。
ディッドは次男だったため、結婚と同時に子爵家の籍を抜けるはずだった。
ベラン王国騎士団お抱えの仕立て屋で、お針子をしていたコレットがディッドの隊服を縫製し直した事が出会いだった。当初はディッドも爵位を継承する貴族令嬢以外と結婚をすれば平民となる。継がせる爵位もないのに平民となどとんでもないと平民のコレットとの結婚はブレイザー子爵家は認めてくれなかった。
「子爵家が後見にならねば家も借りられない分際で偉そうな口を叩くな」
ディッドは父の子爵に頬を殴られた。
「ディッド。皆から祝福されない結婚なんてしちゃいけないのよ」
ディッドの母はコレットを目の前にしてそう言った。
「せめて男爵位程度あればまだ考える余地もあるんだがな。平民なんぞゴミにも等しい」
子爵家の次期当主であるディッドの兄の言葉に兄嫁も大きく頷いた。
「どうせ俺は家を出て籍も抜けるんだ。放っておいてくれ」
ディッドはそう言ってコレットと共に駆け落ち同然で家を出た。
しかし20歳になったばかりの2人に住む家などない。コレットは当時仕立て屋に住み込みで働いていたし、家を借りるにも新卒のディッドの稼ぎでは家を借りるに後見人(保証人)が必要だった。
「コレットと夫婦になれるんだからこんなのは我慢のうちに入らない」
「ディッド…」
「愛しているよ。早く一緒に暮らせるように俺、頑張るよ」
ディッドは騎士団の独身寮に入り、コレットも住み込みで懸命に働いた。
3年間働いた2人は一切の援助を絶つことを条件にやっと結婚が認められた。
街外れにある教会で、通り縋りの行商人が立ち合いとなって2人は結婚式を挙げた。
そして今は結婚2年目である。
コレットは騎士である夫ディッドと暮らしている筈だった。
結婚式の3週間前、ディッドの両親と兄夫婦が2人の新居に転がり込んできた。先祖からの財産を食い潰し、債務超過に陥ったブレイザー子爵一家は住むところを失ったためである。
「籍を抜けると言っても家族なんだからいいでしょう?」
「本当ね。式をあげる前で良かったわ。これでこそ親孝行と言うものよ」
「家族は助け合うのが当たり前なんだ。お前はまだ結婚していないだろう。ならば父であり当主に従う義務がある。お前には拒否権はないことくらい理解しろ」
結婚式を3週間後に控えたディッドはまだ子爵家に籍があり突っぱねる事が出来なかった。
名前だけの貴族でも父は未だ家長、そして次の家長となる兄に逆らう事はディッドだけでなくコレットも処罰の対象になる。ディッドはコレットが罰を受けることは避けたかった。
この国の賃貸住宅は基本料金の他に1人増えるごとに加算されていく。
ディッドとコレットだけなら月に4万の家賃だが、転がり込んできた4人は1人当たり2万が加算され、12万にまでなってしまった。
「部屋が狭いだけじゃないの?!寝台は一つ?仕方ないわね」
転がりんだディッドの家族たちは寝室は両親が、食事をした後の居間は兄夫婦が寝所とした。
自分たちの為に買った寝台は両親が、同僚などが来訪した際の寝台にもなると奮発したソファーベッドは兄夫婦が使用する事になった。
借主であるはずのディッドとコレットは雨避けに板を立てかけ、申し訳ない程度の布を屋根とした調理場で眠るしかなかった。ディッドは野菜などを切り分けるテーブルに。コレットは椅子に座ったままで眠らねばならなくなったのだ。
結婚と同時に籍が抜けていれば両親や兄夫婦に寄生されることはなかった。
結婚し貴族籍を抜けても、抜けたディッドが扶養している状態となる事は結婚したから出ていけとは言えなくなる。保護責任を負ってしまうのだ。
「式を1カ月前倒しすれば良かった…」とディッドは悔んだが後の祭りだった。
いつかはディッドと2人で暮らせる日が来る。
今だけの辛抱だとコレットは自分を奮い立たせたが、現実は甘くなかった。
名ばかりの子爵とはいえ貴族。その気質が抜けないため平民が営む商会や市場で働く事をディッドの両親も兄夫婦も拒否をしたのだ。働くつもりの全くない大人4人を抱えれば若い2人の稼ぎでは到底足りない。
ディッドの両親と兄夫婦を食べさせるためにコレットは結婚前に貯めた金を切り崩した。
そんな中、ディッドは半年ほどで「宿直勤務」が多くなり騎士団に止まり込むようになった。毎日の帰宅が週に3回になり、1回になり、月に2、3回となって今は月に一度。
帰宅と言っても僅かばかりの給金の入った袋を渡すと食事もせずに「騎士団に戻る」と言って出て行ってしまう。とどのつまり、逃げ場のないコレットを置いてディッドは面倒事から逃げたのだ。
「呼んだら直ぐに来なさいよ。本当に愚図ね」
「申し訳ございません。御用でしょうか」
「貴女、また魚料理なの?いい加減にしてくれないかしら」
市場から貰ってきた魚の入った桶をひっくり返し、義母と兄嫁がコレットを睨みつけた。
「はぁい。ただいま」
洗濯の途中だったコレットは腰に巻いたエプロンで手を拭きながら家の中に入った。
一軒家とは言え狭い家である。
部屋は?と言えば食事室を兼ねた居間、その隣にカーテンで仕切った寝室。
申し訳ない程度の仕切りを兼ねた板を立てかけ、屋根の代りに布を張った調理場。
不浄は近所と共同。湯殿はなく共同浴場に料金を支払って汗を流しに行くか、家人が寝静まった後に清拭をするか。
貧相な家だが、騎士である夫ディッドの稼ぎではここを借りるのが精一杯。
コレットも朝は市場で鮮魚の仕分け、その後はセリで売れた鮮魚を荷馬車に載せる仕事をしている。早朝の仕事のため、それが終われば売れ残った魚を分けてもらって、その日の夕食にする為に持ち帰る。
家に戻れば、朝食の準備をして家族が食べている間に、川と水瓶を往復し、使用する水を確保する。家族の食事が終われば後片付けに家の中の掃除。そして洗濯。
昼前に家族の昼食を作りながら立ったまま簡単な朝食を済ませ、家族が昼食を取っている間にお針子の仕事を貰うために何軒かの仕立て屋を回る。
帰りにはお針子仕事で稼いだ金で小麦などを買って、帰りつけば洗濯物を取り込んで夕食の準備。
家族が夕食を取っている間に、熱い竈で鏝を温めながらシーツにアイロンをかけてベッドメイク。
夕食は余り物で腹を満たし、家族が寝静まれば月が真上に上がる頃まで月灯りを頼りにお針子仕事をする。
そこまで働かねば住むための家賃も食費もないのだ。
夫のディッドは月に一度、給料日の翌日には給料を持って帰って来るが「宿直勤務」を希望した事もあり家に帰らなくなって1年半を過ぎた。
その給料も1年半ほど前から税金が上がった、剣を買い替えた、防具を新調したと言って20万が15万になり今では10万である。生活を支えるためにコレットは朝か早くから深夜まで働かねばならなかった。
ディッドは次男だったため、結婚と同時に子爵家の籍を抜けるはずだった。
ベラン王国騎士団お抱えの仕立て屋で、お針子をしていたコレットがディッドの隊服を縫製し直した事が出会いだった。当初はディッドも爵位を継承する貴族令嬢以外と結婚をすれば平民となる。継がせる爵位もないのに平民となどとんでもないと平民のコレットとの結婚はブレイザー子爵家は認めてくれなかった。
「子爵家が後見にならねば家も借りられない分際で偉そうな口を叩くな」
ディッドは父の子爵に頬を殴られた。
「ディッド。皆から祝福されない結婚なんてしちゃいけないのよ」
ディッドの母はコレットを目の前にしてそう言った。
「せめて男爵位程度あればまだ考える余地もあるんだがな。平民なんぞゴミにも等しい」
子爵家の次期当主であるディッドの兄の言葉に兄嫁も大きく頷いた。
「どうせ俺は家を出て籍も抜けるんだ。放っておいてくれ」
ディッドはそう言ってコレットと共に駆け落ち同然で家を出た。
しかし20歳になったばかりの2人に住む家などない。コレットは当時仕立て屋に住み込みで働いていたし、家を借りるにも新卒のディッドの稼ぎでは家を借りるに後見人(保証人)が必要だった。
「コレットと夫婦になれるんだからこんなのは我慢のうちに入らない」
「ディッド…」
「愛しているよ。早く一緒に暮らせるように俺、頑張るよ」
ディッドは騎士団の独身寮に入り、コレットも住み込みで懸命に働いた。
3年間働いた2人は一切の援助を絶つことを条件にやっと結婚が認められた。
街外れにある教会で、通り縋りの行商人が立ち合いとなって2人は結婚式を挙げた。
そして今は結婚2年目である。
コレットは騎士である夫ディッドと暮らしている筈だった。
結婚式の3週間前、ディッドの両親と兄夫婦が2人の新居に転がり込んできた。先祖からの財産を食い潰し、債務超過に陥ったブレイザー子爵一家は住むところを失ったためである。
「籍を抜けると言っても家族なんだからいいでしょう?」
「本当ね。式をあげる前で良かったわ。これでこそ親孝行と言うものよ」
「家族は助け合うのが当たり前なんだ。お前はまだ結婚していないだろう。ならば父であり当主に従う義務がある。お前には拒否権はないことくらい理解しろ」
結婚式を3週間後に控えたディッドはまだ子爵家に籍があり突っぱねる事が出来なかった。
名前だけの貴族でも父は未だ家長、そして次の家長となる兄に逆らう事はディッドだけでなくコレットも処罰の対象になる。ディッドはコレットが罰を受けることは避けたかった。
この国の賃貸住宅は基本料金の他に1人増えるごとに加算されていく。
ディッドとコレットだけなら月に4万の家賃だが、転がり込んできた4人は1人当たり2万が加算され、12万にまでなってしまった。
「部屋が狭いだけじゃないの?!寝台は一つ?仕方ないわね」
転がりんだディッドの家族たちは寝室は両親が、食事をした後の居間は兄夫婦が寝所とした。
自分たちの為に買った寝台は両親が、同僚などが来訪した際の寝台にもなると奮発したソファーベッドは兄夫婦が使用する事になった。
借主であるはずのディッドとコレットは雨避けに板を立てかけ、申し訳ない程度の布を屋根とした調理場で眠るしかなかった。ディッドは野菜などを切り分けるテーブルに。コレットは椅子に座ったままで眠らねばならなくなったのだ。
結婚と同時に籍が抜けていれば両親や兄夫婦に寄生されることはなかった。
結婚し貴族籍を抜けても、抜けたディッドが扶養している状態となる事は結婚したから出ていけとは言えなくなる。保護責任を負ってしまうのだ。
「式を1カ月前倒しすれば良かった…」とディッドは悔んだが後の祭りだった。
いつかはディッドと2人で暮らせる日が来る。
今だけの辛抱だとコレットは自分を奮い立たせたが、現実は甘くなかった。
名ばかりの子爵とはいえ貴族。その気質が抜けないため平民が営む商会や市場で働く事をディッドの両親も兄夫婦も拒否をしたのだ。働くつもりの全くない大人4人を抱えれば若い2人の稼ぎでは到底足りない。
ディッドの両親と兄夫婦を食べさせるためにコレットは結婚前に貯めた金を切り崩した。
そんな中、ディッドは半年ほどで「宿直勤務」が多くなり騎士団に止まり込むようになった。毎日の帰宅が週に3回になり、1回になり、月に2、3回となって今は月に一度。
帰宅と言っても僅かばかりの給金の入った袋を渡すと食事もせずに「騎士団に戻る」と言って出て行ってしまう。とどのつまり、逃げ場のないコレットを置いてディッドは面倒事から逃げたのだ。
「呼んだら直ぐに来なさいよ。本当に愚図ね」
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