あなたへの愛は時を超えて

cyaru

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雨に濡れた女②

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その日は朝から大雨だった。

寝床にしていた調理場はもう屋根にしていた布を滑ってきた雨水が如雨露のように流れ落ちていた。これだけの雨となれば魚市場は開かれない。魚市場が開かない時は食材がないという事実にコレットは頭を抱えた。

急いで仕立物を仕上げ、その金で青果店で買い物をせねばと考えながら、自分以外の朝食を作る。食事室となる部屋は義兄夫婦が寝所として使っているので、邪魔だと寄せられたテーブルに並べていく。それぞれの起床時間に合わせれば仕事が出来なくなる。


以前は「朝から冷たいスープ?!」と文句を言われ、全てを床に捨てられた事もある。
沸騰させれば1番目に起きて来た者に「火傷させる気か」と怒鳴られた。

だが彼らの意地の悪い所は、文句は言うがコレットが働かねば食べるものもないし、住む場所も無くなる事を知っている事である。口汚く罵る事は常でも身体への暴力は行わなかった。


テーブルに並べ終えると、そっと彼らの枕元のサイドテーブル代わりの木箱に湯の入った桶を置いていく。それから預かった仕立ての布地を濡らしてはいけないと朝早くから雨漏りを避けた場所で繕い物をするコレットに、珍しく早起きをした義兄嫁がドレスを突きつけてきた。


「貴女が貧乏な物ばかり食べさせるからサイズが合わなくなったわ。直して」
「解りました。では、こちらが終わったら取り掛かり――」
「は?何を言ってるの。私は今!直せと言ったの。貴女の洗濯が下手なせいで他のドレスは虱だらけなの。着るものも碌にないのよ?そんなに私に恥をかかせたいの?」


義両親も義兄夫婦も平民が利用する共同浴場には足を運ばない。
洗ってくれる者がいないからと言うのもあるが、利用料を払うだけの金もないのだ。

清拭すらしない彼らは虱に悩まされている。
衣類は洗濯をしているが、頭髪の中に虱を飼っている彼らに何を言っても聞く耳すら持ってはくれない。

コレットが髪を洗いますと言っても、桶に汲んだ湯で髪だけを洗われる事に抵抗を感じているし、清拭もメイド教育を受けたわけでもないコレットにされる事を穢れると言ってさせてくれないのだ。


「あと!起きた時の洗面の湯がぬるいわ」
「申し訳ございません」
「本っ当!これだから平民の貴族志向な愚図は迷惑なのよ」


ドレスを投げつけると義兄嫁は用意をした朝食をパンが固いとこぼしながら貪り始めた。


ドンドンと扉を叩く音に対応をすればはす向かいのご主人である。
日頃からコレットに対してだけでなく、隣近所にも高圧的な態度をとる義両親や義兄夫婦の行いに堪りかねて怒鳴り込んでくる者の対応もせねばならないのだ。

彼らは頭を下げる事をしない。それよりも印象の良いコレットに頭を下げさせればその場が収まる事をここ1年以上で学習したため、コレットに対応をさせるのだ。





「仕立てたものを持っていきますので」
「全く、年寄りに早く食事をしろと言う催促かしら」
「いえ、戻れば片付けますのでゆっくりで結構です」
「当たり前でしょう?ホント、気の利かない娘ね。だからディッドも帰ってこないのよ。あと取りでも作ればまだ可愛げがあるものを」


跡取りなど作れる筈がない。彼らと同じ部屋にも等しいのに行為に及べるはずがない。
何より、ディッドがもう1年半もまともに家に帰ってこないのだ。

コレットは逃げ出したくて堪らない。
しかし、結婚前に貯めた金も使い果たし、住み込みの仕事は結婚していれば断られる。
どこにも行くところはなかったし、ディッドとて何時までも「宿直勤務」が続けられる筈がない。そうなれば家に戻った時に自分がいなくてはと何とか自分を奮い立たせてきたのだ。

雨の中、襤褸の外套を羽織りコレットは仕立て屋に向かった。






ザーザーと雨の音だけがする。

仕立て屋に行くまでの道のり。
辻馬車にすら乗る金のないコレットは歩く以外に移動手段がない。
その途中で足が止まった。

昼前だと言うのに愛を交わすためだけの宿屋から出てきた男女が呼びつけた馬車に乗り込んでいるのを見て、コレットは動けなくなった。女性には見覚えがなかったが男性は紛れもなくディッドだった。

雨の音以外に聞えてくるのは、2人の会話だった。

「今日は当直なんでしょう?次は何時?」
「4日後だ。また指名をするから朝まで頼むよ」
「貴方、激しいからいつもこんな時間まで寝ちゃうものね。フフフ」


ドサッと外套の中に抱えていた仕立物が音を立てて落ちた。
その音にディッドは顔をコレットに向けた。カっと一瞬目が見開いた気がしたが、ディッドの頬を包み込んだ女性の手は「余所見をするな」と言わんばかり。今度は唇を重ね合わせ始めた。


コレットは、ディッドが帰った時に両親や兄夫婦に少しで良いから家にお金を入れてくれるように頼んだのだが、ディッドは面倒そうに「自分で言え」とコレットに言った。
その態度に今までにないディッドを感じてはいた。

「宿直勤務」が増え、家に入れる給金の額が減り始めてからディッドに女の影も感じてもいた。

宿直の夜勤も全てが嘘ではないのだろう。騎士団には仮眠室があり騎士であれば自由に使える。ディッドはそこで寝泊まりをしながら、休みの日はこうやって女性と過ごしていたのだろう。


――あぁ、馬鹿馬鹿しい――

コレットの心の中でプチンと糸が切れる音がした。


女性を乗せた馬車が走り出すと、そこに残ったディッドがコレットに向かって歩いてきた。
ゆっくりと視界の中で大きくなっていくディッドを見るコレットの瞳には涙が溢れていたが、その涙はディッドへの想いと共に雨で上書きされるように流れて落ちていった。


「コレット‥‥どうしてここに」

――どうして?この人は何を言ってるの?――

朝から深夜まで食事すらまともに取れない状態で働いている自分に問うているのだろうか。何故そこまで働かねばならないのかこの男は知っていて問うているのだろうか。

愛がすっかりと消えたコレットは「ディッド」という名を呼ぶ事すら嫌悪感を覚えた。

「彼女は上司の妻なんだ。上司から頼まれて迎えに来ただけなんだ」

手を伸ばし、フードを被せようとしたディッドの手をコレットは弾いた。
雨で濡れた手は小気味よい音を立てた。

「バカにしないで。会話は聞こえてたのよ。朝まで激しい?何が激しいの?私は‥‥私は…初夜すら終わっていないのに」

「あー。聞こえてたのか。チッ」

ディッドは濡れた前髪を後ろに流しながら目を泳がせる。


「でも遊びなんだ。俺も男だから発散をしないといけないのは判るだろう?でもあの家じゃとてもデキる雰囲気じゃないし…」

「だから何?なら浮気をしても許されると言うの?私が陽が昇る前から市場で働いて、夜も繕い物をして生活費を稼ぐ間…貴方は温かい部屋でお腹いっぱい食事をして彼女とお楽しみなんて滑稽だわ。貴方の家族は散々反対をしておいて好き放題。何もかも私に押し付けておいてよくそんな事が言えるわね!逆なら許してくれると言うの?」

「コレットはそんな女じゃないじゃないだろう?だから遊びなんだって。家に金も入れているし今夜も当直でちゃんと働いているじゃないか。機嫌直せって。あ~ぁ。コレ濡れちゃったな」

落とした仕立物を拾い上げたディッドは、言葉にすれば「ごめんな」とでも言いたげに濡れた顔をくしゃりとゆがめた。
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