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自宅警備員では御座いません
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2週間の結婚休暇を貰ったジークハルトは幸せを感じていた。
朝食が終わった後、パタパタと気忙しく働き洗濯物を楽しそうに洗い開けた玄関から白いシーツを干しているコレットを見ながら珈琲を飲んでいると何とも言えない幸せな気分になるのだ。
朝食を作るのはジークハルトだが、昼も夜も食事を作るのは2人で並んで作る。
作ったものを向かい合って食べる。
何があるわけでもないが、何もない事が幸せなのだ。
そんな幸せな日を5日ほど過ごしたある日、ニンジンやダイコン、カブを剥いたものをコレットがマリネにしていると、隣の奥様がやって来た。
チョイチョイと手招きする隣の奥様。
ジークハルトは「俺?」と自分の顔を指差すと、うんうん頷く。
どうやらジークハルトを訪ねてきた人がいるらしく、その立場からコレットには知られない方が良いのではないかとお節介な隣の奥様は気を利かせたのだ。
やって来た男は裁判所の書記官をしている男だった。
獄中にいるエヴェリンの伝言を預かってきたと言う。
「何故、俺に?」
「実は、彼女、離縁されましてね。ご存じの通り我が国の刑務所事情は良くありません。受刑者たちの日々の食事や衣料品は家族や後見人などから支給してもらっているんです」
以前は刑務所に収監された者達の囚人服や食事、消耗品は税金で賄われていた。
しかし、刑期を終えて出てきても再犯する者が後を絶たない。
3食を食べられる上に、雨や雪に困る事のない部屋にはそれぞれに粗末でも布団もある。週に2回は湯あみが出来るし、日々の労働はあっても6、7時間働けばあとは房の中で寝転んでいてもいいのだ。
病気になれば刑務所内の医者に診て貰えて薬ももらえる。
至れり尽くせりな状態に、出所しても、まともな商会は雇ってくれないし、運よく仕事にありつけてもキツイ肉体同労や人が嫌がる仕事ばかりで給金も良くない。ならば刑務所の生活の方が楽だと再犯を繰り返す者が多かった。
その為、今は国費で提供される食事は3日に2食のみ。死なない程度になった。
衣類も1着目は支給されるが出所した者が使用していた古着である。
食事、衣類、嗜好品に至るまで現在は本当に最低限となり、囚人たちは差し入れを待っているのだ。
エヴェリンはジークハルトに差し入れを要求している。
――なんて図々しいんだ!――
「ここまで来て頂いて申し訳ないんですが、断ります。彼女に何かしてやるほど私はお人好しではないんです」
書記官も「そうですよねぇ」と罪状確定に至った経緯が書かれた書面を見た。
1億ミャゥ近い金を言ってみれば騙し取られているジークハルトに面倒を見てくれという方がどうかしているとさえ考えてしまっている。
「一度ですね、彼女に面会をして拒否をして頂けませんかね。こちらも困っているんですよ」
「面会はしません。代弁人を立てます。あとこちらは被害者なんですよ。被害者に支援しろというのは脅しでもありますよね。出所後を考えて接近禁止措置も取らせてもらいます」
「元許嫁なんですよね」
「だからなんです?元許嫁に言う前に元夫に言うべきだと思いますが」
「そうなんですがね。元夫の方はパトロンがいるらしくて」
書記官は「やれやれ」と言った風に肩をすくめた。
「何かありましたか?」
コテンと首を傾げてジークハルトを覗き込んだコレット。
部屋を出て行ったなり、半刻ほどしても戻らないので様子を見に来たのだ。
「なんでもないよ。マリネは出来たかい?」
「はい。こっちにはなんでもあるので作るのが楽しいです」
「そうか。それは良かった」
しかし、エヴェリンの件はこれで終わるはずも無かった。
食うに困った者は思いもよらない事をしでかすのは世の常である。
ジークハルトはエヴェリンと兄ハルステットには如何なる場合も支援はしないし無関係であると代弁人を直ぐに立てた。その結果ハルステットのパトロンが外れてしまったのだ。
どうやら籍は抜けても実弟であるジークハルトが騎士である限り定期的な収入が見込めると踏んだ女性はジークハルトの名義で金を借り、ハルステットに差し入れを行っていたのだ。
しかし、この件についてはジークハルトは与り知らぬことであり、借りた金はその女性とハルステットの負債だと認定をされた。ハルステッドは刑期を加算されあと12年は出て来られなくなった。
差し入れがない囚人の一番長い収監記録は6年2か月である。
ハルステットほど蝙蝠な男でも生きて出ることは叶わないかも知れない。二度と会う事もないだろう兄にジークハルトは「他人なので告げる言葉もない」と書記官に告げた。
結婚休暇はあと2日で明ける日。朝からコレットの作ったマリネをポリポリ食べているジークハルトはここ1週間、兎に角体が軽い。
お通じも快適でお肌もツルツルである。
ご近所の奥様方はそんなジークハルトを見て、「解放された男」として崇められている。
なんでも我慢するのは良くない。
20歳までならニキビで通じたモノも、26歳のジークハルトは吹き出物と呼ばれてしまう。これもコレットが河原で摘んできた「ビーオレオレ草」の茎を洗って乾かし粉末にした洗顔を続けているからである。
「休暇もあと2日か。コレット。帝都公園にピクニックに行かないか」
「ピクニックとは何ですの?」
「休みの日なんかに弁当を持って出かける散歩の拡大版の感じかな」
「お休み‥‥そう言えばジークハルト様はずっとお休みだったんですか」
「えっ?そうだが…なんだと思っていたんだ?」
「自宅警備員期間かと思っておりました」
――俺、引きこもってはいないんだが――
コレットの時代は「休み」というものがない。
魚市場など大雨では出航できないため漁がないので市場が立たないだけで、何時が休みという予測は出来ない。強いて言えば、年末年始は神の生誕祭から数日がお祭りで王宮などの勤め人は休みになると言えば休みである。
「では、何か食べるものを作りましょうか」
「と、思ったが屋台で何かを買って食べるのもいいな。荷物もなく楽しめるだろう?」
「そうですね」
2人は帝都公園に出掛けるのだが、これが思いもよらぬことになるとは、しばし自宅警備をしていたジークハルトには予想だにしなかった事だった。
朝食が終わった後、パタパタと気忙しく働き洗濯物を楽しそうに洗い開けた玄関から白いシーツを干しているコレットを見ながら珈琲を飲んでいると何とも言えない幸せな気分になるのだ。
朝食を作るのはジークハルトだが、昼も夜も食事を作るのは2人で並んで作る。
作ったものを向かい合って食べる。
何があるわけでもないが、何もない事が幸せなのだ。
そんな幸せな日を5日ほど過ごしたある日、ニンジンやダイコン、カブを剥いたものをコレットがマリネにしていると、隣の奥様がやって来た。
チョイチョイと手招きする隣の奥様。
ジークハルトは「俺?」と自分の顔を指差すと、うんうん頷く。
どうやらジークハルトを訪ねてきた人がいるらしく、その立場からコレットには知られない方が良いのではないかとお節介な隣の奥様は気を利かせたのだ。
やって来た男は裁判所の書記官をしている男だった。
獄中にいるエヴェリンの伝言を預かってきたと言う。
「何故、俺に?」
「実は、彼女、離縁されましてね。ご存じの通り我が国の刑務所事情は良くありません。受刑者たちの日々の食事や衣料品は家族や後見人などから支給してもらっているんです」
以前は刑務所に収監された者達の囚人服や食事、消耗品は税金で賄われていた。
しかし、刑期を終えて出てきても再犯する者が後を絶たない。
3食を食べられる上に、雨や雪に困る事のない部屋にはそれぞれに粗末でも布団もある。週に2回は湯あみが出来るし、日々の労働はあっても6、7時間働けばあとは房の中で寝転んでいてもいいのだ。
病気になれば刑務所内の医者に診て貰えて薬ももらえる。
至れり尽くせりな状態に、出所しても、まともな商会は雇ってくれないし、運よく仕事にありつけてもキツイ肉体同労や人が嫌がる仕事ばかりで給金も良くない。ならば刑務所の生活の方が楽だと再犯を繰り返す者が多かった。
その為、今は国費で提供される食事は3日に2食のみ。死なない程度になった。
衣類も1着目は支給されるが出所した者が使用していた古着である。
食事、衣類、嗜好品に至るまで現在は本当に最低限となり、囚人たちは差し入れを待っているのだ。
エヴェリンはジークハルトに差し入れを要求している。
――なんて図々しいんだ!――
「ここまで来て頂いて申し訳ないんですが、断ります。彼女に何かしてやるほど私はお人好しではないんです」
書記官も「そうですよねぇ」と罪状確定に至った経緯が書かれた書面を見た。
1億ミャゥ近い金を言ってみれば騙し取られているジークハルトに面倒を見てくれという方がどうかしているとさえ考えてしまっている。
「一度ですね、彼女に面会をして拒否をして頂けませんかね。こちらも困っているんですよ」
「面会はしません。代弁人を立てます。あとこちらは被害者なんですよ。被害者に支援しろというのは脅しでもありますよね。出所後を考えて接近禁止措置も取らせてもらいます」
「元許嫁なんですよね」
「だからなんです?元許嫁に言う前に元夫に言うべきだと思いますが」
「そうなんですがね。元夫の方はパトロンがいるらしくて」
書記官は「やれやれ」と言った風に肩をすくめた。
「何かありましたか?」
コテンと首を傾げてジークハルトを覗き込んだコレット。
部屋を出て行ったなり、半刻ほどしても戻らないので様子を見に来たのだ。
「なんでもないよ。マリネは出来たかい?」
「はい。こっちにはなんでもあるので作るのが楽しいです」
「そうか。それは良かった」
しかし、エヴェリンの件はこれで終わるはずも無かった。
食うに困った者は思いもよらない事をしでかすのは世の常である。
ジークハルトはエヴェリンと兄ハルステットには如何なる場合も支援はしないし無関係であると代弁人を直ぐに立てた。その結果ハルステットのパトロンが外れてしまったのだ。
どうやら籍は抜けても実弟であるジークハルトが騎士である限り定期的な収入が見込めると踏んだ女性はジークハルトの名義で金を借り、ハルステットに差し入れを行っていたのだ。
しかし、この件についてはジークハルトは与り知らぬことであり、借りた金はその女性とハルステットの負債だと認定をされた。ハルステッドは刑期を加算されあと12年は出て来られなくなった。
差し入れがない囚人の一番長い収監記録は6年2か月である。
ハルステットほど蝙蝠な男でも生きて出ることは叶わないかも知れない。二度と会う事もないだろう兄にジークハルトは「他人なので告げる言葉もない」と書記官に告げた。
結婚休暇はあと2日で明ける日。朝からコレットの作ったマリネをポリポリ食べているジークハルトはここ1週間、兎に角体が軽い。
お通じも快適でお肌もツルツルである。
ご近所の奥様方はそんなジークハルトを見て、「解放された男」として崇められている。
なんでも我慢するのは良くない。
20歳までならニキビで通じたモノも、26歳のジークハルトは吹き出物と呼ばれてしまう。これもコレットが河原で摘んできた「ビーオレオレ草」の茎を洗って乾かし粉末にした洗顔を続けているからである。
「休暇もあと2日か。コレット。帝都公園にピクニックに行かないか」
「ピクニックとは何ですの?」
「休みの日なんかに弁当を持って出かける散歩の拡大版の感じかな」
「お休み‥‥そう言えばジークハルト様はずっとお休みだったんですか」
「えっ?そうだが…なんだと思っていたんだ?」
「自宅警備員期間かと思っておりました」
――俺、引きこもってはいないんだが――
コレットの時代は「休み」というものがない。
魚市場など大雨では出航できないため漁がないので市場が立たないだけで、何時が休みという予測は出来ない。強いて言えば、年末年始は神の生誕祭から数日がお祭りで王宮などの勤め人は休みになると言えば休みである。
「では、何か食べるものを作りましょうか」
「と、思ったが屋台で何かを買って食べるのもいいな。荷物もなく楽しめるだろう?」
「そうですね」
2人は帝都公園に出掛けるのだが、これが思いもよらぬことになるとは、しばし自宅警備をしていたジークハルトには予想だにしなかった事だった。
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