王子妃シャルノーの憂鬱

cyaru

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我が子の胎動

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静かな部屋。そこはシャルノーの執務室である。

「一体全体なんの御用かしら」

口元にハンカチをあてるシャルノーにチェザーレは駆け寄りそうになった。

「止まれ!で御座います」
「どうして!」
「先日から食べ物を食べると具合が悪いのです。後期悪阻というそうですのでご心配なく」
「心配もさせてくれないのか…」
「お忙しいようなので」

シャルノーの怒りは静かすぎてチェザーレは、こんな静かな怒りに触れたのは初めてだった。ビリーの話からチェザーレがヴィアナに遭遇した日の事は当日のうちにシャルノーは知っていたのだろう。

知っていたのはホルストや従者だけはない。
ホルストの言葉にカッとなってしまったが、それも失敗だった。
するべき事は、菓子と花を持っていつも通りシャルノーの元に行き、正直にありのままをチェザーレの口から話す事だったのだ。

「今更なんだと思うだろうが…聞いてくれないか」
「手短にお願いいたしますわ。この後、視察に参りますので」
「ちょっと待ってくれ。さっき後期悪阻と言ってなかったか?」
「えぇ、それが何か?」
「頼む。安静にしてくれ」
「ご心配なく。このような心温まるお手紙も先人に学べとばかりに頂戴しておりますから」


チェザーレに手渡されたのは、母の側妃や王妃、そして高位貴族の当主夫人から【妊娠中の心得】とも取れるような内容だった。共通しているのは「病気ではないので怠けるな」だろうか。

シャルノーは目の前に迫った国王の30周年を祝う夜会が初めての参加となる夜会だ。シャルノーは尽く不参加を通してきたのだ。廃屋のような離宮をあてがう事になってしまった王家の失態を不参加とする事で黙らせてきた。
その後に分かった懐妊で大事を取っていたと言うのもある。

だが、母の側妃たちから「寝てばかりいるからいけないのだ」と書かれた手紙が来た日付はシャルノーが倒れて1週間後になっている。侍医からも不浄すら寝台の上でと厳命されていた時期。

「言ってくれれば…」
「どうにか出来たと?」
「助けにもならなかったかも知れないが、君の為なら――」
「子供の為、の間違いで御座いましょう?すり替えはお止めください」

子供も大事、だがチェザーレにはシャルノーも大事だった。

「それでなんですの?」
「噂の事だ。ちゃんと話をしておきたい」

しばしの沈黙が流れた。チェザーレはシャルノーの許可があれば話そうと考えていた。

「他人様の色恋沙汰に興味は御座いませんの」

許可は下りなかった。
思い直したチェザーレは向かい合った席を立ち、シャルノーの隣に移動した。


「彼女とは本当に何もない。街であったのも偶然なんだ。示し合わせて逢瀬を重ねた事はない」
「そうでしょうね」
「え?」
「起き上がれるようになる前も、なった後も殿下にそんな時間はなかったでしょう。事業に出向く時もわたくしの従者に囲まれておりますし、買い物に行った時間も店内で何か悩んだのだろうと思われる時間。どうせ帰り際にばったり程度の事だろうとは思っておりましたので、逢瀬を重ねているとは考えておりません」

「良かった。誤解は解いておきたかった」

「えぇ。わたくしも焼け木杭には火が付き易いとばかりに燻っていたものに無事、火が起こせて一安心ですわ。殿下のお気持ちは大事ですもの」

――やっぱり誤解をしているっ!――

「き、聞いてくれ。誤解なんだよ。確かにアナに会って気持ちが揺れてしまった。今もこの気持ちが何なのか判らない。だけど、子供が生まれるのは本心で嬉しいし楽しみにしている。シャルノーももう無くてはならない位にこの心に住んでいる。だからこそ!アナに気持ちが揺れた事を申し訳ないと思ったんだ」

「はぁ…どうでもいいですわ。つまりチャンスが欲しいのでしょう?王子で無くなればわたくしは居なくなる。子供の事もあるでしょうし」

「なんだか少し違う気もするが…しかしこれは本心だと認めてもらえるよう、夫として父親としてやり直したい。こんな些細な事で誰からも怪しまれるような状態はこれで終わりにしたい。信じて欲しい」

「わかりましたわ。但し誰にでも失敗は確かに御座いますが、同じ失敗を繰り返すのは王族以前の問題です。最初で最後。だからもう間違わぬよう、慎重に。次は御座いません」

「ありがとう…あの日買った菓子、また買ってくる」
「不要です」
「小さな気持ちなんだ、受け取ってくれないか」
「だから、何度も言わせないでください。い・り・ま・せ・ん」
「あんなに美味しいって食べてた菓子店の焼き菓子なんだよ?」
「あぁ!もう!本当に何度も何度も!後期悪阻だと言ったでしょう?!食べるとムカムカと胃もたれして具合が悪いの!焼き菓子だからではなく!あの焼き菓子は美味しいから!食べ過ぎるから要らないと言ってるの!」

「あ、そっち…」

テヘヘと気恥ずかしそうに笑ったチェザーレにシャルノーは手で「来い」と手招きをした。

「どうした?」
「今、ごそごそと動いております」
「何っ?!どこに間者がいる?!」
「違います。ここ。お腹の中。触ってみます?」
「いいのか?」
「えぇ。言っておきますがわたくしのお腹ですが、動いているのはわたくしの意思では御座いません」

チェザーレは初めてだった。ゆっくりと手のひらを丸くなったシャルノーの腹に当てる。
だが、特に何も感じない…(もぞっ)

内側から持ち上がるような感触が手のひらに伝わってきた。

「動いた…」
「えぇ。もう朝も夜も大変なんですのよ」
「そうかぁ…動いた…動いたなぁ…生きてるんだ‥」
「はい、掃除は行き届いておりますが、稀に火山灰も入ってきて目を狙いますので」

シャルノーはチェザーレにハンカチを手渡した。
目に当てると、じわりと沁み込んだ涙。

仲直りをして仕切り直したのは良かったが、翌日、収拾がつかない事態にまで悪化するのを我が子の胎動を感じ感涙にむせぶチェザーレは気づきもしなかった。
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