あなたの瞳に映るのは

cyaru

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27:トルデリーゼの出国②

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トルデリーゼの顔色は決して良くはなく、表情も強張ったままゆっくりと目線だけが父親とアルフォンスを捉えた。


「ルディ…聞いていたんだね。こちらに来なさい」


父親の声にもトルデリーゼは動きを見せない。
アルフォンスはマルス子爵に一礼をするとゆっくりトルデリーゼに向かって歩いた。

手を伸ばせば触れられる位置まで来ると、アルフォンスはその場に片膝をついた。
胸に手を当て、首を垂れる。


「黙っていて申し訳なかった。王子と言う目で見られたくないばかりの嘘なんだ。このような形で知らせるつもりはなく、きちんと伝えるためにカドリアからやって来たのだが…私は間が悪くていけないな。アルバートと言うのは幼い頃の私の愛称だ。正しくはカドリア王国第一王子、アルフォンス・バルド・カドリアと言う」


視線を目の前のアルフォンスに移したがトルデリーゼは黙ったままである。


「あの日伝えた言葉。その言葉も気持ちも今も変わらない。いやむしろ離れたこの半年で思いは募る一方だった。君からの手紙を何度読み返しただろう。その文字を何度指でなぞっただろう。そして幾夜、空を見て君に思いを馳せただろう。この手を取って欲しい。共にこの先の人生を歩んでいきたいのだ」


アルフォンスはトルデリーゼを仰ぎ見て手を差し出した。


「第一王子殿下で御座いましたか…数々の失礼、申し訳ございませんでした。お申し出は有難いのですがお受けできません。わたくしはその器に足る人間ではないのですから」

「ならばその器。私も共に築いていきたい。私の片翼はトルデリーゼ嬢。貴女しかいないのだ。血を流し、涙を流す私に貴女の慈愛を施してはくれないだろうか」

「無理です。子爵令嬢に過ぎないわたくしが…隣に並ぶ事すら烏滸がましく存じます。お立ちくださいませ。貴方様は人の上に立つお方。簡単に膝をつく事は許されないはずです」

「ならば立ち上がるのに貴女の手を貸してはくれまいか?もう1人では立ち上がる事も出来ない憐れな男なのだ」

「前回もですが、今回も悪いご冗談ばかり」

「冗談ではないと言っただろう?お願いだ。直ぐに妃となるのが枷になっているのであれば…カドリアで暫く滞在し私を、本当の私を見てくれないか?絶対的な時間が少ない私に慈悲をくれないか。それでもと言うのなら私も潔くこの身を引こう。うんと一つだけでいい。頷いてくれないだろうか」


トルデリーゼは悩んだ。妃になるかどうかはさておき、カドリア王国に出国が出来れば時間を置き姉の元に行くことも出来るかも知れない。

いや、それよりもその目で見知らぬ風景を見てみたいとこの頃願っていた。
しがらみも感じる事が無くなった今、金銭的に両親の助けは必要でも自活の道が見いだせる機会ではないか?と考えたのだ。

だが、そんな己に都合の良い、虫の良い話が転がっているはずがない。
何処かに落とし穴があるのではないか。アルフォンスを疑いの目で見た。

アルフォンスは真っ直ぐにトルデリーゼを見返してきた。
アルフォンスの透き通るような蒼い瞳にはトルデリーゼだけが揺らぐ事なく映っていた。


「では、確約くださいませ。妃としてではなく友人としてならばカドリア王国に参りましょう」

「ゆ、友人っ?!」

「それはそうで御座いましょう?アルフォンス様との婚姻を結ぶのではないのですから。立場は明確にしていた方がお互いの為だと考えますわ」

「待ってくれ。私の言い方が悪かった。入出国するにあたり政略とした方が双方の蟠りもなく、最適だと思ったのだ。だから…私自身の気が急いたのもあるが婚約者としてはくれないだろうか?勿論その先はトルデリーゼ嬢。貴女の判断に全てを委ねる。無理強いをして結婚はしない」

「では入出国に於いて婚約者である方が都合が良いと?」

「そう言う事だ」

「ならやはりお断――」

「頼む!一生に一度の頼みだ!」

「生涯をかけたような頼みを聞くような間柄では御座いません」


ぴしゃりと言い放ったトルデリーゼは瞼を伏せ、アルフォンスを視界から消した。

拒絶を感じたアルフォンスは言いようのない焦燥感と何故か高揚感に包まれた。

言葉という音にはならなかったが「呆れた」と続く小さな言葉が聞こえた気がしたアルフォンスはジワリと股間が濡れた心地になった。
アルフォンス自身、既にトルデリーゼへの思慕を勝手に募らせてはいたが、これまで33年間に何度も思いを寄せる女性の心を踏み躙り、矜持を砕いては来たが罪悪感一つ感じた事はなかった。

面白おかしく遊び心で振り回した事はあってもアルフォンスを振り回す女性はいなかったし、思い通りに動かない、予定調和を狂わせる者はいなかった。


それよりもアルフォンスが身を震わせているのは否定の言葉すら褒美に聞こえる自分自身が信じられない。

かつて部下の1人が妻を娶った時、結婚式の場で初めてお互いが顔を合わせ雷の直撃を受けたような衝撃があったと言った。寝ても覚めても妻の事を思い、剣に命を捧げると言った部下は妻との時間を作りたいが故に配置換えを願い出て剣をペンに持ち替えた。

「妻の声なら僕を罵る声だって爽やかなのです」

頬を染めて語った部下。年給もあと数年で倍以上になる団長職を固辞した部下を鼻で笑った事だったが、今なら解るような気がする。


――恋に落ち、現を抜かすとはこういう事を言うのか?――

アルフォンスの頭の中は、何とかトルデリーゼをカドリア王国に連れ帰る事で一杯になった。その為に靴の裏を舐めろと言われれば喜んで舐め上げるだろう。

言葉巧みに騙し、カドリア王国に連れ込めばこちらのもの。
アルフォンスはトルデリーゼの手を両手で包むようにすると、真下からその顔を仰ぎ見た。

が、触れたと思った手がパチンと弾かれ、触れる事を拒否された心の痛みと手の痛みを飲み込むように快感が襲って体がブルリと震えてくる。

――あぁ…ゾクゾクする。この痛み、なんとこそばゆいのだ――

「アルフォンス殿下、お立ちあそばせ。そのような姿勢では話も出来ません」

対等、いや、少し上からにも聞こえるトルデリーゼの言葉に全身の血液が激しく循環する。眩暈すら覚えるのは褒美でしかない。アルフォンスは恍惚とした面持ちでゆっくりと立ち上がった。


「判った。言う通りカドリア王国には【友人】として招く事にしよう」

「その言葉に噓偽りは御座いませんか?」

「ない。嘘だと思った時にこの短剣で私の喉でも胸でも貫いてくれて構わない」

差し出した短剣は実用的な護身用と言うよりも鑑賞するためのような装飾がされていたが、鞘から抜けば研ぎ澄まされた両刃が艶めかしい光を刃先から反射していた。

短剣を見やるトルデリーゼの顔を見て、アルフォンスは全身が小刻みに震えた。
なんなら、今すぐにでもその刃先を突き立てて欲しい、それがだめならゆっくりと肌に刃を添わせて欲しいと願い出んばかりに喉元まで「懇願」が押し寄せていた。

カドリア王国に連れて行き、「友人と言ったが嘘も方便」だと告げればどれほどにトルデリーゼが激昂するだろうか。想像しただけでその場に卒倒しそうだった。

瞬時にして「支配」から「従属」いや「隷属」の中でも「盲従」に近い立場になったのだった。


「友人としてならカドリア王国に来てくれるのであれば、望む通りにしよう」

マルス子爵はトルデリーゼの望むようにと口にした。


トルデリーゼの決心を促すようにアルフォンスはその旨を書面にしたため署名と血判を押した。

こうしてトルデリーゼはアルフォンスの出立より3カ月遅れて国を出る事が決まったのだった。




アルフォンスの本音を知らず、うっすらと嬉しさから表情が緩むトルデリーゼ。アルフォンスはもう帰れないと知った時のトルデリーゼの悲愴からくる怒りを向けられる事が愉快でならなかった。

「旦那様、お客様の従者の方がお見えになっておりますが」

マルス子爵家の従者がアルフォンスの部下が玄関先に来た事を知らせた。
カミルの目が怪しく光り、別れを惜しむアルフォンスはトルデリーゼの手の甲にキスを落とし、しばしの別れを告げる。


「このまま御出立になられるのですか?」

マルス子爵の問いにアルフォンスは満面の笑みで返す。

「少しだけ、野暮用を片付けてから先に国に戻ります。街道への護衛兵の配置が完了次第お知らせ致しますので」

そう言い残し、アルフォンスはカミルを従えマルス家を後にした。
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