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29:カドリア王国
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良く晴れ渡った日。
マルス家からはカドリア王国から遣わされた護衛用の兵士達が長い隊列を作りゆっくりと出て行く。
中央にひと際大きな馬車があり、その中にはトルデリーゼが侍女3人と共に乗車していた。
両親と2人の姉、そして姉の夫、使用人に見送られて出国していく。
この国の王族ですらここまでの護衛兵を付けての移動はない。
余りの物々しさに見物する民衆で沿道は溢れかえった。
出国に先立ち、国王夫妻がマルス子爵家を訪れていた。
相変わらず自国の利益が優先な国王陛下に感情豊かな王妃殿下。
トルデリーゼは聊か面倒にも感じていたが、「婚約者」として招かれるのではないと国王を正した。
長い隊列は街道に入ればその長さを更に増し、国境を超えた頃には200mを越す長さとなり、護衛する兵士の数は300人を超えた。
「お嬢様、凄い待遇ですね。お金持ちな国は違いますねぇ」
暢気な声を出すのは5年ほど前からマルス家に奉公に来ていた平民の娘リベル。
リベルは教会の孤児院育ちの娘でユーグ商会に務めに出ていたが、失敗ばかり。物を運ばせれば躓いて転び売り物を破損させてしまうし、算術が苦手で計算は間違いばかり。早とちりをするので文字の読み間違いや言伝の聞き間違いも多いのだが、とにかく真面目で一所懸命なのである。
トルデリーゼの姉、ジャスミンはその心意気を買ってマルス家に奉公に出していた。
花嫁としてであれば侍女やメイドの数はそれなりの数を連れて出ただろうがあくまでも「友人」と言う立場であり、この先アルフォンスの思いを受け入れる事になれば、その時に考えればいい。
トルデリーゼはそう考えていた。
付き添ったもう2人の侍女はリベルと違い、国元には家族がいる。
カドリア王国で1カ月ほど過ごし、日常生活がリベルの助けで行なえるようになれば帰国していく。
2カ月半の行程で到着したカドリア王国だったが、見るもの全てが違っていた。異国情緒溢れる国で服装も髪型も女性の地位さえも異なる慣習、文化のある国。
戦争もなく数百年の平和な国は街を歩く民衆の賑やかな声にも繁栄を伺わせる。
だが、王城の門をくぐり地に足を下ろしたトルデリーゼには面会者が待っていた。
筆頭公爵家の出迎えを受けた後は、続く公爵家、侯爵家の当主夫妻が次々にトルデリーゼを訪れてくる。荷解きも終わっていない部屋は使う事が出来ず、王宮の他の部屋を借りる事も出来ない。
運ばれてくる荷物を待たせ、トルデリーゼは応対をするのだが肝心のアルフォンスがやってこない。それだけではなく、誰もが口を揃えて言うのだ。
「殿下が見初めた王子妃となられるお方」
トルデリーゼはやんわりと否定をするが、持って来るトルデリーゼへの贈り物も値が付けられそうにないものばかり。受け取るのがカドリア王国の流儀かと言えば違う。
事前にカドリア王国の子爵家に娘が嫁いだ知り合いがいなければ大恥をかくところだった。
彼らが持ち込んだ贈り物は所謂「家宝」と呼ばれるもので固辞するのがカドリア王国の流儀なのである。知らなければ受け取ってしまうところだったとトルデリーゼは冷や汗を流した。
夕刻になり、やっとアルフォンスが部屋にやって来た。
「アルフォンス様、此度はお招きいただきありがとうございます」
「畏まらなくていい。友人として招いているのだから」
アルフォンスはそう言ったが、面会客の事を告げれば声をあげて笑った。
「それは所謂洗礼と言うものだ。場を弁えない者を見定めているんだ」
「王族が招く客全てにそのような事を?」
「男性の場合はそうでもないが、女性は警戒されるという事だ。王位継承者をこの世に送り出す可能性も無きにしも非ずだからね」
和やかに話をしていたが、部屋の扉がノックされ従者が客の来訪を知らせる声にアルフォンスの表情が険しくなった。それは第二王子ディートヘルム、第三王子ジュリアスだったからである。
第二王子ディートヘルムはアルフォンスと年齢はさほど変わらず31歳で婚約者はいない。事前の調べでは真偽のほどは定かではないが「男色」という噂があった。
第三王子ジュリアスはまだ8歳。あどけなさが残り昨年から王子教育が始まったと言う。
物静かな兄弟だとトルデリーゼは感じた。同時に兄弟に共通しているのは国王である父譲りの透き通った蒼い瞳の色だが、同じなのはそれだけで随分と距離感のある兄弟だとも感じた。
従者がアルフォンスに何かを耳打ちするとアルフォンスは「すまない」と言い残し部屋から出て行った。残された2人の兄弟とで茶を飲むが居心地の悪さは半端ない。
不意にディートヘルムが口を開いた。
「エルドゥ氏とは縁続きだと伺いましたが?」
飲もうと手にした茶器をそっとテーブルに戻しトルデリーゼは応えた。
「わたくしには3人の姉が居りますが、3番目の姉の夫がエルドゥ様で御座います。義兄にあたります」
「そうか。彼はこのカドリアの為によくやってくれている」
「そう言って頂けると義兄も姉も喜びます」
「だが、君がここに来たおかげで――」
「兄上っ!」
不機嫌そうな顔になりながら言葉を続けたディートヘルムにジュリアスが言葉を被せた。トルデリーゼも父親からは関税についての件を聞き及んでいたため、その事であろうと見当をつけた。
「関税で御座いますか?」
「判っていて…何と口惜しい。どれほどの労力をかけ各国との折り合いを付けたことか」
「第二王子ディートヘルム殿下に置かれましてはその際に大変なご尽力をされたと聞き及んでおります。ですが此度の来訪は第一王子アルフォンス殿下が申された事。その際にどうして関税撤廃を言い出されたのか。わたくしには図り兼ねる事で御座います」
「失礼した。国家間の事だ。一介の子爵令嬢如きに口出し出来る事でもなかったな。申し訳ない」
嫌味を含めた言い回しだがトルデリーゼの表情は変わらない。
だが、ジュリアスは違った。
「兄上。言葉の選び方がどうかと思います。折角カドリア王国に来て下さったのですよ?エルドゥさんにもそんな事が言えるのですか?母上が言ってました。身分を言葉にしてはならないと!」
王子教育の始まったばかりのジュリアスはディートヘルムの過ちを間接的に批判する術はまだ持ち合わせていない。余りにも直球な物言いにディートヘルムはしばし目を丸くしていたが、突然笑い始めた。
「アッハッハ。そうだったな。兄上が間違っていた。ご令嬢、先程の発言は撤回して欲しい。この謝罪すら建前だと思われているのは仕方のない事だが、この通り。申し訳なかった」
「そうですよ?兄上。間違いは直ぐに正さないといけないんです」
一見和やかに、間を取り持つようにも見えるがトルデリーゼは純粋さを前に出すジュリアスの指先を見てゾッとした。敢えて見ないように視線は外したが、ジュリアスの指先には爪がなかったのだ。
トルデリーゼもレンドン侯爵家で教育を受けていた時に酷い体罰は受けた。
だがそれらは「見えない部分」に対して行なわれたのと、脅迫のように気持ちを追い詰めるものがほとんどだったが、ジュリアスの物は他者により行われたのではなく自傷ではないかと思えた。
話をしている最中も口元に指を持って行き、齧るのだ。
歯形が残るほどに指を齧り、皮膚が薄くなり敏感になった部分にあたると指を離す。それを繰り返し痛みを楽しんでいるようにも見えた。
「僕ね、やっと専属の護衛がついたんだよ。オリバーって言うんだけど今度紹介させてよ」
「はい。ジュリアス殿下。楽しみにしておりますわ」
「オリバーはね。とっても強いんだ。僕、剣術も始まったんだけどオリバーには絶対に敵わないんだ」
「こら。お前こそご令嬢の前で剣術だの無粋な事を言うものじゃない」
「はぁい…でもっ!オリバーは今度連れてくるね」
「はい。その日が楽しみですわ」
その様子を戻ってきたアルフォンスが扉越しに睨みつけているのをトルデリーゼは気が付かなかった。
マルス家からはカドリア王国から遣わされた護衛用の兵士達が長い隊列を作りゆっくりと出て行く。
中央にひと際大きな馬車があり、その中にはトルデリーゼが侍女3人と共に乗車していた。
両親と2人の姉、そして姉の夫、使用人に見送られて出国していく。
この国の王族ですらここまでの護衛兵を付けての移動はない。
余りの物々しさに見物する民衆で沿道は溢れかえった。
出国に先立ち、国王夫妻がマルス子爵家を訪れていた。
相変わらず自国の利益が優先な国王陛下に感情豊かな王妃殿下。
トルデリーゼは聊か面倒にも感じていたが、「婚約者」として招かれるのではないと国王を正した。
長い隊列は街道に入ればその長さを更に増し、国境を超えた頃には200mを越す長さとなり、護衛する兵士の数は300人を超えた。
「お嬢様、凄い待遇ですね。お金持ちな国は違いますねぇ」
暢気な声を出すのは5年ほど前からマルス家に奉公に来ていた平民の娘リベル。
リベルは教会の孤児院育ちの娘でユーグ商会に務めに出ていたが、失敗ばかり。物を運ばせれば躓いて転び売り物を破損させてしまうし、算術が苦手で計算は間違いばかり。早とちりをするので文字の読み間違いや言伝の聞き間違いも多いのだが、とにかく真面目で一所懸命なのである。
トルデリーゼの姉、ジャスミンはその心意気を買ってマルス家に奉公に出していた。
花嫁としてであれば侍女やメイドの数はそれなりの数を連れて出ただろうがあくまでも「友人」と言う立場であり、この先アルフォンスの思いを受け入れる事になれば、その時に考えればいい。
トルデリーゼはそう考えていた。
付き添ったもう2人の侍女はリベルと違い、国元には家族がいる。
カドリア王国で1カ月ほど過ごし、日常生活がリベルの助けで行なえるようになれば帰国していく。
2カ月半の行程で到着したカドリア王国だったが、見るもの全てが違っていた。異国情緒溢れる国で服装も髪型も女性の地位さえも異なる慣習、文化のある国。
戦争もなく数百年の平和な国は街を歩く民衆の賑やかな声にも繁栄を伺わせる。
だが、王城の門をくぐり地に足を下ろしたトルデリーゼには面会者が待っていた。
筆頭公爵家の出迎えを受けた後は、続く公爵家、侯爵家の当主夫妻が次々にトルデリーゼを訪れてくる。荷解きも終わっていない部屋は使う事が出来ず、王宮の他の部屋を借りる事も出来ない。
運ばれてくる荷物を待たせ、トルデリーゼは応対をするのだが肝心のアルフォンスがやってこない。それだけではなく、誰もが口を揃えて言うのだ。
「殿下が見初めた王子妃となられるお方」
トルデリーゼはやんわりと否定をするが、持って来るトルデリーゼへの贈り物も値が付けられそうにないものばかり。受け取るのがカドリア王国の流儀かと言えば違う。
事前にカドリア王国の子爵家に娘が嫁いだ知り合いがいなければ大恥をかくところだった。
彼らが持ち込んだ贈り物は所謂「家宝」と呼ばれるもので固辞するのがカドリア王国の流儀なのである。知らなければ受け取ってしまうところだったとトルデリーゼは冷や汗を流した。
夕刻になり、やっとアルフォンスが部屋にやって来た。
「アルフォンス様、此度はお招きいただきありがとうございます」
「畏まらなくていい。友人として招いているのだから」
アルフォンスはそう言ったが、面会客の事を告げれば声をあげて笑った。
「それは所謂洗礼と言うものだ。場を弁えない者を見定めているんだ」
「王族が招く客全てにそのような事を?」
「男性の場合はそうでもないが、女性は警戒されるという事だ。王位継承者をこの世に送り出す可能性も無きにしも非ずだからね」
和やかに話をしていたが、部屋の扉がノックされ従者が客の来訪を知らせる声にアルフォンスの表情が険しくなった。それは第二王子ディートヘルム、第三王子ジュリアスだったからである。
第二王子ディートヘルムはアルフォンスと年齢はさほど変わらず31歳で婚約者はいない。事前の調べでは真偽のほどは定かではないが「男色」という噂があった。
第三王子ジュリアスはまだ8歳。あどけなさが残り昨年から王子教育が始まったと言う。
物静かな兄弟だとトルデリーゼは感じた。同時に兄弟に共通しているのは国王である父譲りの透き通った蒼い瞳の色だが、同じなのはそれだけで随分と距離感のある兄弟だとも感じた。
従者がアルフォンスに何かを耳打ちするとアルフォンスは「すまない」と言い残し部屋から出て行った。残された2人の兄弟とで茶を飲むが居心地の悪さは半端ない。
不意にディートヘルムが口を開いた。
「エルドゥ氏とは縁続きだと伺いましたが?」
飲もうと手にした茶器をそっとテーブルに戻しトルデリーゼは応えた。
「わたくしには3人の姉が居りますが、3番目の姉の夫がエルドゥ様で御座います。義兄にあたります」
「そうか。彼はこのカドリアの為によくやってくれている」
「そう言って頂けると義兄も姉も喜びます」
「だが、君がここに来たおかげで――」
「兄上っ!」
不機嫌そうな顔になりながら言葉を続けたディートヘルムにジュリアスが言葉を被せた。トルデリーゼも父親からは関税についての件を聞き及んでいたため、その事であろうと見当をつけた。
「関税で御座いますか?」
「判っていて…何と口惜しい。どれほどの労力をかけ各国との折り合いを付けたことか」
「第二王子ディートヘルム殿下に置かれましてはその際に大変なご尽力をされたと聞き及んでおります。ですが此度の来訪は第一王子アルフォンス殿下が申された事。その際にどうして関税撤廃を言い出されたのか。わたくしには図り兼ねる事で御座います」
「失礼した。国家間の事だ。一介の子爵令嬢如きに口出し出来る事でもなかったな。申し訳ない」
嫌味を含めた言い回しだがトルデリーゼの表情は変わらない。
だが、ジュリアスは違った。
「兄上。言葉の選び方がどうかと思います。折角カドリア王国に来て下さったのですよ?エルドゥさんにもそんな事が言えるのですか?母上が言ってました。身分を言葉にしてはならないと!」
王子教育の始まったばかりのジュリアスはディートヘルムの過ちを間接的に批判する術はまだ持ち合わせていない。余りにも直球な物言いにディートヘルムはしばし目を丸くしていたが、突然笑い始めた。
「アッハッハ。そうだったな。兄上が間違っていた。ご令嬢、先程の発言は撤回して欲しい。この謝罪すら建前だと思われているのは仕方のない事だが、この通り。申し訳なかった」
「そうですよ?兄上。間違いは直ぐに正さないといけないんです」
一見和やかに、間を取り持つようにも見えるがトルデリーゼは純粋さを前に出すジュリアスの指先を見てゾッとした。敢えて見ないように視線は外したが、ジュリアスの指先には爪がなかったのだ。
トルデリーゼもレンドン侯爵家で教育を受けていた時に酷い体罰は受けた。
だがそれらは「見えない部分」に対して行なわれたのと、脅迫のように気持ちを追い詰めるものがほとんどだったが、ジュリアスの物は他者により行われたのではなく自傷ではないかと思えた。
話をしている最中も口元に指を持って行き、齧るのだ。
歯形が残るほどに指を齧り、皮膚が薄くなり敏感になった部分にあたると指を離す。それを繰り返し痛みを楽しんでいるようにも見えた。
「僕ね、やっと専属の護衛がついたんだよ。オリバーって言うんだけど今度紹介させてよ」
「はい。ジュリアス殿下。楽しみにしておりますわ」
「オリバーはね。とっても強いんだ。僕、剣術も始まったんだけどオリバーには絶対に敵わないんだ」
「こら。お前こそご令嬢の前で剣術だの無粋な事を言うものじゃない」
「はぁい…でもっ!オリバーは今度連れてくるね」
「はい。その日が楽しみですわ」
その様子を戻ってきたアルフォンスが扉越しに睨みつけているのをトルデリーゼは気が付かなかった。
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