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42:ジュリアスの涙
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眩いばかりの幾多の照明に照らされる夜会。
トルデリーゼは第一王子アルフォンスの妃として初めての夜会に出席をした。
「妙な行動をすれば判っているな」
「言われずとも」
心配なのは離れている間のリゼル。
「私は屋根の上にでも駆け上がって逃げますから!」と言うものの間者の手にかかれば一溜りもないだろう。表情を殺しトルデリーゼはアルフォンス差し出した手の上に手を乗せた。
羨望の目、好奇の目、そして軽蔑の目に憎悪を込めた目。
色々な思惑を含んだ視線を浴びながら壇上にエスコートをされる。
隣でアルフォンスはトルデリーゼの「虚無」を見るような視線に満足げである。
支配下に置き、尚も歯向かうトルデリーゼに軽蔑の視線を向けられ令嬢らしからぬ声を荒げた言葉を浴びせられると言いようのない快感に毛穴から体液が噴き出しそうになる。
眼下の人間の中にマルス家の者はいない。
婚姻をしたと言う知らせを持って国元のマルス家には知らせたとは言え、その知らせを両親が読むのは早くても2カ月後。この時期の気候から考えてすぐさま出立をしても峠を越えられるかは運次第。
商隊ですらこの時期は大きく迂回をして海沿いの道を走る。
そうなれば両親たちがカドリア王国にやって来るのは3カ月を要するだろう。
半年先と思っていた方がいいかも知れない。
「挙式は1年半後に行う。マルス家は存じているであろうが、強い繋がりが出来る事にカドリア王国は海の向こうの国にまでその名を知られる事になるだろう。皆もそのつもりでトルデリーゼをこの王家の一員となる事に祝福をして欲しい」
ぱらぱらとまばらな拍手の音は次第に大きくなり会場全体を包んだ。
「リーゼ」
お披露目のドレスから一旦華美な装飾を外し、貴族たちに挨拶廻りをする為に着替えに控室に戻ったトルデリーゼを追ってやって来たのは第三王子ジュリアスだった。
「殿下、いくらデヴュタントを迎えていないと言っても女性の、しかも第一王子妃の控室です。入室はご遠慮くださいませ」
「ちょっとだけだよ。リーゼと話がしたいだけなんだ」
「女官長として許可できません」
布で仕切られた向こう側から聞こえる声にトルデリーゼは「会います」と返事を返した。
「妃殿下、なりませんよ。時間が決められているのですから」
「少しの間よ。そんな時間もないくらいに切羽詰まっている訳ではないでしょう?」
着替えの時間に花を摘みに行ったり、少し喉を潤したりする時間を使えばどうという事はない。トルデリーゼの言葉に女官長は「知りませんからね」と言い残しジュリアスを通した。
布を捲ったジュリアスはトルデリーゼを見て破顔した。
抱き着きはしなかったが、うっとりとトルデリーゼを熱のこもった目で見つめる。
「どうなさいましたか?」
「リーゼは僕の…僕の妃になるって父上と約束をしたのに…」
ジュリアスの透き通るような蒼い瞳は溢れた涙で潤んで揺れる。
トルデリーゼは隣に控えていた侍女に手で「待て」と示してジュリアスに歩み寄った。
「世の中には、超えねばならない山は幾つもあります。殿下には殿下に似合うご令嬢が隣に立ちます」
「立たない。リーゼ以外は嫌だ。どうして兄上なんかと…父上は噓つきだ。母上も嘘つきだ。誰も僕のっ…僕との約束なんか守ってくれるつもりはなかったんだっ」
「そんな事はありません。両陛下は殿下に嘘なん――」
「嘘つきだっ!」
ジュリアスはトルデリーゼに飛び込むように抱き着いた。
胸に頬を擦り付け、涙を流すジュリアスをトルデリーゼは優しく抱きしめる事しか出来ない。
「兄上の方が好き?僕より…好きっ…ひっく…なの?」
「王族の婚姻に、そのような感情は関係がないのですよ」
ジュリアスはトルデリーゼの言葉に顔を上げた。
至近距離で見つめ返すトルデリーゼの瞳に己の顔が映っている。トルデリーゼの指先が目尻に触れて涙を吸わせていく。
「僕の事も…何とも思わないの?」
「ジュリアス殿下はわたくしの大好きなお友達です」
「好き?大好きなの?」
「えぇ、大好きですよ」
「良かった…僕も大好き…好きだよリーゼ」
「さぁ、着替えをせねばなりません。殿下も今日は以前のような事もなくご挨拶は出来ますね?」
「うん。僕リーゼがいるから頑張れる」
髪を撫でるトルデリーゼの手を取り、ジュリアスはその指先、そして手の甲にキスを落とした。
だが、ジュリアスの至福の時間はそこまで。控室にまた入ってきた者がいた。
アルフォンスである。
誰の制止も手で退けると無造作に仕切りの布を捲りあげ、ジュリアスの姿を見ると表情を歪めた。後ろから襟足を掴みあげると軽々とジュリアスを引き離し放り投げたのだ。
床は毛足の高い絨毯とは言え、音を立てて転がるジュリアスにトルデリーゼは庇うように覆いかぶさった。
「弟君とは言え、何という事をされるのです?貴方には人の心がないわ」
「人の心など、遠い昔に犬に食わせた。そんなものは持っていても邪魔なだけだ」
「私にはこの場に貴方がいる事が邪魔でなりません。出て行ってくださいませ」
「新婚間もないのにもう男を連れ込んだからか?初物を好むとは良い趣味だ」
「撤回してくださいませ。そのような発言は貴方が第一王子殿下であろうと看過できるものではありません」
アルフォンスはジュリアスを庇うトルデリーゼの元に跪き、顎を手で掴んだ。
ゆっくりと近づいてくるアルフォンスの顔面にトルデリーゼは顔を反らし、思い切り手で突き飛ばそうとしたが、体格差もありびくともしない。
唇を奪われる事はなかったが、首筋にアルフォンスの息が吹きかかる。
「やめて!これ以上近寄らないで!」
「いいのか?私を拒否すればどんな知らせが舞い込むだろうな?」
そのままの姿勢で耳元に囁きかけるアルフォンスをトルデリーゼは睨み返した。
「可愛い目を私に向けてくれてありがとう」
やり取りを真下で聞いていたジュリアスの心に兄アルフォンスに対し殺意が沸いた。小さな蒼い瞳には憎悪の炎が燃え上った事に気が付く者は誰もいなかった。
その一件があり、第一王子アルフォンスはトルデリーゼを妃としたが、「政略」として迎え入れただけでこの2人の間には「情」すらないという噂が貴族の間で囁かれ始める。
ならばとこれ見よがしにトルデリーゼに妃は妃でも「妾妃」としての扱いをする者達が現れ始めるのに時間はかからなかった。
トルデリーゼは第一王子アルフォンスの妃として初めての夜会に出席をした。
「妙な行動をすれば判っているな」
「言われずとも」
心配なのは離れている間のリゼル。
「私は屋根の上にでも駆け上がって逃げますから!」と言うものの間者の手にかかれば一溜りもないだろう。表情を殺しトルデリーゼはアルフォンス差し出した手の上に手を乗せた。
羨望の目、好奇の目、そして軽蔑の目に憎悪を込めた目。
色々な思惑を含んだ視線を浴びながら壇上にエスコートをされる。
隣でアルフォンスはトルデリーゼの「虚無」を見るような視線に満足げである。
支配下に置き、尚も歯向かうトルデリーゼに軽蔑の視線を向けられ令嬢らしからぬ声を荒げた言葉を浴びせられると言いようのない快感に毛穴から体液が噴き出しそうになる。
眼下の人間の中にマルス家の者はいない。
婚姻をしたと言う知らせを持って国元のマルス家には知らせたとは言え、その知らせを両親が読むのは早くても2カ月後。この時期の気候から考えてすぐさま出立をしても峠を越えられるかは運次第。
商隊ですらこの時期は大きく迂回をして海沿いの道を走る。
そうなれば両親たちがカドリア王国にやって来るのは3カ月を要するだろう。
半年先と思っていた方がいいかも知れない。
「挙式は1年半後に行う。マルス家は存じているであろうが、強い繋がりが出来る事にカドリア王国は海の向こうの国にまでその名を知られる事になるだろう。皆もそのつもりでトルデリーゼをこの王家の一員となる事に祝福をして欲しい」
ぱらぱらとまばらな拍手の音は次第に大きくなり会場全体を包んだ。
「リーゼ」
お披露目のドレスから一旦華美な装飾を外し、貴族たちに挨拶廻りをする為に着替えに控室に戻ったトルデリーゼを追ってやって来たのは第三王子ジュリアスだった。
「殿下、いくらデヴュタントを迎えていないと言っても女性の、しかも第一王子妃の控室です。入室はご遠慮くださいませ」
「ちょっとだけだよ。リーゼと話がしたいだけなんだ」
「女官長として許可できません」
布で仕切られた向こう側から聞こえる声にトルデリーゼは「会います」と返事を返した。
「妃殿下、なりませんよ。時間が決められているのですから」
「少しの間よ。そんな時間もないくらいに切羽詰まっている訳ではないでしょう?」
着替えの時間に花を摘みに行ったり、少し喉を潤したりする時間を使えばどうという事はない。トルデリーゼの言葉に女官長は「知りませんからね」と言い残しジュリアスを通した。
布を捲ったジュリアスはトルデリーゼを見て破顔した。
抱き着きはしなかったが、うっとりとトルデリーゼを熱のこもった目で見つめる。
「どうなさいましたか?」
「リーゼは僕の…僕の妃になるって父上と約束をしたのに…」
ジュリアスの透き通るような蒼い瞳は溢れた涙で潤んで揺れる。
トルデリーゼは隣に控えていた侍女に手で「待て」と示してジュリアスに歩み寄った。
「世の中には、超えねばならない山は幾つもあります。殿下には殿下に似合うご令嬢が隣に立ちます」
「立たない。リーゼ以外は嫌だ。どうして兄上なんかと…父上は噓つきだ。母上も嘘つきだ。誰も僕のっ…僕との約束なんか守ってくれるつもりはなかったんだっ」
「そんな事はありません。両陛下は殿下に嘘なん――」
「嘘つきだっ!」
ジュリアスはトルデリーゼに飛び込むように抱き着いた。
胸に頬を擦り付け、涙を流すジュリアスをトルデリーゼは優しく抱きしめる事しか出来ない。
「兄上の方が好き?僕より…好きっ…ひっく…なの?」
「王族の婚姻に、そのような感情は関係がないのですよ」
ジュリアスはトルデリーゼの言葉に顔を上げた。
至近距離で見つめ返すトルデリーゼの瞳に己の顔が映っている。トルデリーゼの指先が目尻に触れて涙を吸わせていく。
「僕の事も…何とも思わないの?」
「ジュリアス殿下はわたくしの大好きなお友達です」
「好き?大好きなの?」
「えぇ、大好きですよ」
「良かった…僕も大好き…好きだよリーゼ」
「さぁ、着替えをせねばなりません。殿下も今日は以前のような事もなくご挨拶は出来ますね?」
「うん。僕リーゼがいるから頑張れる」
髪を撫でるトルデリーゼの手を取り、ジュリアスはその指先、そして手の甲にキスを落とした。
だが、ジュリアスの至福の時間はそこまで。控室にまた入ってきた者がいた。
アルフォンスである。
誰の制止も手で退けると無造作に仕切りの布を捲りあげ、ジュリアスの姿を見ると表情を歪めた。後ろから襟足を掴みあげると軽々とジュリアスを引き離し放り投げたのだ。
床は毛足の高い絨毯とは言え、音を立てて転がるジュリアスにトルデリーゼは庇うように覆いかぶさった。
「弟君とは言え、何という事をされるのです?貴方には人の心がないわ」
「人の心など、遠い昔に犬に食わせた。そんなものは持っていても邪魔なだけだ」
「私にはこの場に貴方がいる事が邪魔でなりません。出て行ってくださいませ」
「新婚間もないのにもう男を連れ込んだからか?初物を好むとは良い趣味だ」
「撤回してくださいませ。そのような発言は貴方が第一王子殿下であろうと看過できるものではありません」
アルフォンスはジュリアスを庇うトルデリーゼの元に跪き、顎を手で掴んだ。
ゆっくりと近づいてくるアルフォンスの顔面にトルデリーゼは顔を反らし、思い切り手で突き飛ばそうとしたが、体格差もありびくともしない。
唇を奪われる事はなかったが、首筋にアルフォンスの息が吹きかかる。
「やめて!これ以上近寄らないで!」
「いいのか?私を拒否すればどんな知らせが舞い込むだろうな?」
そのままの姿勢で耳元に囁きかけるアルフォンスをトルデリーゼは睨み返した。
「可愛い目を私に向けてくれてありがとう」
やり取りを真下で聞いていたジュリアスの心に兄アルフォンスに対し殺意が沸いた。小さな蒼い瞳には憎悪の炎が燃え上った事に気が付く者は誰もいなかった。
その一件があり、第一王子アルフォンスはトルデリーゼを妃としたが、「政略」として迎え入れただけでこの2人の間には「情」すらないという噂が貴族の間で囁かれ始める。
ならばとこれ見よがしにトルデリーゼに妃は妃でも「妾妃」としての扱いをする者達が現れ始めるのに時間はかからなかった。
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