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お偉いさんが来ると面倒くさい
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視線の先にいた支社長――西村さんと堺さんたちの上司である下川さんに固まる。笑顔を浮かべているものの、微妙に緊張しているような硬い雰囲気を醸し出している本社の人である下川さんと神奈川支社長である西村さんとなると、先週の話が思い出されて憂鬱になる。
二人の雰囲気的に、多分これはクビって言われるよね……。言われる前に辞めますって言っちゃおうかな……。
「あの……もしかして、クビでしょうか? でしたら、急で申し訳ないのですが、今日限りで辞め」
「いやいやいや、雀さん、そんな話じゃないからね?! 一生懸命仕事を頑張ってる雀さんにはいてもらわないと困るし、そんなことをしたら僕たちは寺坂どころか、この事業所の皆に寄って集って言葉で責められて殺されるから!」
ここでの仕事は楽しいから残念だし、解雇となると次の仕事探しは難しいかなあ……なんて考えていたら、そんな話じゃないからと所長だけじゃなく西村さんと下川さんまで焦っていた。……あれ? 違うの?
「上重所長の言う通り、そんな話じゃないから安心して。呼び出してすまないね、園部さん。そこにかけてくれるかな」
「……はい」
なんだ、よかった、違うのかと内心ホッとしていたら、穏やかな声で下川さんにそう話しかけられて素直に座る。なら一体何の話だろうと内心首を傾げていたら、西村さんと下川さんが立ち上がり、内心焦る。
「この度は、私どもの都合に巻き込んでしまった挙げ句、私の管轄である神奈川支社の者が園部さんに怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
西村さんの言葉のあとで所長を含めた三人が頭を下げた。先週所長から謝罪に来るかもと言われていたけど、まさかこんなに早く来るとは思ってもいなかったし、正直忘れてた。さすがに偉い人にいきなりそんなことをされたら、私でも焦る。
「あの、それは全然気にしてませんから、頭を上げてください!」
「だが……」
「あの日いらっしゃった部長にも言いましたが、私も結構言いたいことを言ってしまいましたから、そこは謝罪させていただきます。それに、会社の都合とは言え、怪我をさせた本人ではない方からそんなことをされても困ります」
同じように私も立ち上がって頭を下げると、ふっと息を吐く音がした。頭をあげると、三人は苦笑していた。……なんでそんな顔をしてるんですか、お三方。
一旦座ろうか、と下川さんに促されたので、三人が座るのを待ってから私も座ると口を開く。
「尤も、あのクソ女……失礼しました。……ご本人や部長から謝罪を受け取るつもりはありませんし、皆様からの謝罪も必要なかったのですが……」
「それも上重所長から聞いている。だが、園部さんが謝罪を受け取る、受け取らないに拘わらず、関係ない園部さんを巻き込んでしまったことは事実だ。それに、この事業所で働いている全ての者が見聞きしている以上、きちんと謝罪をしないと会社の沽券に関わることや沽券が下がることになるから、我々は誠意を示すためにも園部さんに謝罪しなくてはならない。だからそこは我々の都合で本当に申し訳ないのだが、謝罪を受け取ってくれると有難い」
再び頭を下げた下川さんたちに焦るけど、逆の立場だったら私も謝罪するよなあって思ったら、何も言えなかった。それにこれは所長が頑張ったであろう結果だし、所長に任せるって言ったんだから、受け入れないとダメだよね。
ただね……「沽券が」って言われた時点で以前働いていた会社の人事の人を思い出してしまって、会社なんてどこも同じなんだなあと思ったら面倒くさくなった。まあ、今の私は所詮バイトだし、人生経験豊富なこの三人に口で勝てるとは思えない。いや、良裕さんにも勝てないけど。
「……はい、わかりました」
「じゃあ、別の話をしようか。ふふ……園部さん、例のボイスレコーダーを聞いたよ」
「げっ! じゃなくて、その……!」
今までの真面目な話なんかなかったかのような、西村さんの楽しげな声に焦る。
確かに、良裕さんも所長も『本社と支社長に監視カメラの映像とボイスレコーダーを提出する』って言ってたけど、それは私が怪我をしなかった場合だと思ってた。でも私は怪我しちゃったし『うやむやにはさせないししない』って所長が言ったからそうなるかも知れないとは思ったけど、所長の説明だけじゃなくて本当にボイスレコーダーを聞いてるとは思わなかった。その……内容が内容だからね……ははは。
「あの内容を聞く限り、あれは我々がしなくてはならなかったことだったし、今まで放置していたことが原因だ。そして様子を見ている間にまた問題が起こり、その対処をするべくあの三人の見極め場所としてこの事業所に協力を求めた。その結果、我々がしなくてはならなかったことを貴女にさせてしまった形なのは、非常に情けない話だがな」
「……」
「今後は厳しくするつもりだし、二度とこのようなことを起こさせないと約束するよ」
もう一度「すまない」と謝罪されて、私は非常に居たたまれない。
「はい、わかりました。あの……」
「うん、何かな?」
「すごく個人的なことなんですけど……」
言っていいのかわからなくてそこで言葉を切って三人を見たら、下川さんに「続けて」と言われたので、今の自分の気持ちを話してみる。
「私はここで働き始めてまだ半年ほどしかたっていませんけど、毎日が楽しくてあっという間の半年でした。それに、この事業所やここに来られた方の気さくな人柄や、仕事中の和気藹々とした雰囲気が好きなんです。その雰囲気の中で、上重所長やよし……寺坂さんや奥澤さんたちと一緒に仕事をするのが楽しくて仕方がないんです。今日も、西村支社長や下川さんとお話をしながら仕事をしていて、お二人のお話はとても勉強になりましたし、楽しかったんです。厳しくなるというのは、その……それが崩れてしまうということでしょうか」
本当に個人的な話ですみません、と三人に謝る。だって、この事業所の皆さんに堺さんや澤井さんに今日来た西村さんや下川さんは、バイトの私にも気さくに話しかけてくれて、重い物を持つ時のコツや危ないからと届かない場所にあった商品を取ってくれたのだ。
それらはこの事業所では今は当たり前のことのようになっているけど、他の人からも同じようにしてくれるなんて思ってもいなかった。申し訳ない反面それが嬉しかったり、自社製品はどこで作っているとか、使い方の知らなかった商品はこう使うんだって説明が面白かった。
ちょうど奥澤さんがいない時で、干焼蝦仁を抜いている時に西村さんと下川さんが話しかけてくれたんだけど、事業所中が知ってる初日にやらかした干焼蝦仁の話をしたら、二人とも思いっきり笑っていた。
だから、そんな雰囲気が崩れるのは嫌だなあ、って思って話してみたんだけど……私の話を聞いた三人の顔は――特に、下川さんの顔は破顔していた。な、なんで?!
「上重所長、園部さんに教えたのか?」
「いいえ? まだ教えていませんよ?」
「そうか……。ふふ、園部さんは、社員にしか教えていないことをちゃんとわかってるんだな。それが嬉しいよ」
「あの……?」
三人が何で嬉しそうなのかさっぱりわからないんですけど?! 説明プリーズ!
「我が社の社内における基本理念の一つにね、社員や従業員がリラックスできるように『アットホームな雰囲気で仕事をする』というのがあるんだ。リラックスして仕事をすることによって取引先にもそれが伝わり、円満に取引できるようにって気持ちが込められているんだよ。うちは業務用食品を扱う関係上、他の会社とは違って我が社独自の理念が結構ある。もちろん、他の会社と同様に一般常識的なものもあるがね」
「へえ……」
「だから、我が社の基本理念を教えていないのに、園部さんが『和気藹々とした雰囲気が好きだ』『仕事が楽しくて仕方がない』と言ってくれたことが嬉しいんだ」
本当に嬉しそうに話す下川さんに、西村さんや所長まで笑顔で頷いている。
「それに、厳しくするのは社内におけるものや一般常識的なもの、あの三人の社員教育であって、基本理念は変わらないよ。だから、ここだけではなく、他の事業所や支社でのアットホームな和気藹々とした雰囲気は変わらないから、そこは安心して」
「……はいっ!」
「……うん、いい返事だし、素敵な笑顔だね、園部さんは。頑固でもあるが、素直で一生懸命でもある。道理であの寺坂が気に入るはずだよ」
「いや、えと、その……」
下川さんにそんな評価をされるとは思ってもいなかったし、いきなり良裕さんの名前を出されてちょっと焦る。
「まあ、どうして寺坂と婚約するに至ったのかは宴会の時に詳しく聞くとして……」
「うぅ……お手柔らかにお願いします……」
「約束はできないかな。ちょっと話が逸れてしまったが、本題だ」
和やかだった雰囲気を消して、手元にあったクリアファイルから二枚綴りになっているA4サイズの紙を出すと、それを私によこした。そこには治療費と慰謝料に関する文章と、その明細が書かれていた。その金額をみて焦る。……所長ってば、本当にぶんどって来たんかい。
「その文書は、園部さんが治療をした際にかかった医療費と、慰謝料を払うという内容の文書だ。支払いは給料日と同じ日になる。内容を確認したら、フルネームでサインして」
「……内容は確認いたしました。ですが、あの……金額が多くないですか? こんな金額いただけませんよ!」
この金額だとさすがにサインしづらい。病院で支払ったのは、診断書もあったから薬代込みで約五千円くらい。診断書は病院によって違うみたいだけど、次兄が働いているところは軽いもの(私の場合、怪我や捻挫)だと三千円、重い症状の人や詳しいものがつくと五~六千円らしい。
だから、私としては病院で支払った分だけもらえればよかったんだけど、書類に載ってる金額は三十万円だった。なんでこんな金額になったのかは知らないし知りたくもないけど、ちょっと所長、ぶんどりすぎでしょ!
「文書にも書いてあるが、医療費と慰謝料込みの金額だよ。そして、当時この騒動の発端と被害にあってしまった者たちにも園部さんほどではないにしろ、慰謝料が支払われることになっているから安心して」
「安心なんかできません! それに、こんな金額はいただけませんから、サインもしません。……構いませんよね?」
すごく失礼なことだけど、受け取った種類をひっくり返してから下川さんに向けて文書を滑らせると立ち上がる。下川さんと西村さんを見ると驚いた顔をしているし、所長に至っては顔を引きつらせている。
「お話が以上でしたら、宴会のための料理の続きをしたいので、これで失礼します」
「ちょっ、雀さん待って!」
「嫌ですよ。あの時、所長に任せるとも言いましたし従いますとも言いましたけど、さすがにこれはもらいすぎです。例え何度お給料と一緒に勝手に支払われようとも、何度でも所長に返金しますよ? それに、私がお金がほしくてあんなことを言ったんじゃないことくらい、所長もわかってますよね?」
所長が本気で怒っていたのは知ってるけど、たとえ慰謝料込みだとしても、いくらなんでもこの金額はもらいすぎです。この会社の従業員である以上従わないわけにはいかないけど、仕事のことならいざ知らず、入院したわけでもないのにたかが頬の怪我でこれはない。
「それに、病院の支払いをしたのは寺坂さんですし、最終的にこの事業所からそのお金を出していますよね? どうしてもというのであれば、その分は寺坂さんに渡すか、仕事を邪魔されたこの事業所の皆さんに渡してください。私は必要ありませんから」
「雀さん!」
「ぶふっ!」
「あははははっ!」
所長のやり方に微妙に不機嫌になりながら自分の気持ちを伝えれば、私がそんなことを言うとは思ってもいなかったのか所長は焦り、西村さんと下川さんはなぜか爆笑し始める始末。……すみません、爆笑される意味がわかりません。
「だから言ったじゃないか。『上重所長の話とボイスレコーダーから聞いた限り、彼女の性格ならこの金額だと絶対に受け取らない』って」
「いや、その……」
西村さんが笑いながら所長を詰る。いや、詰るっていうか、弄るって感じの言い方だった。
「あの……?」
「ああ、申し訳ないね、園部さん。私達も止めたんだが、どうしてもって上重所長が言うからこの金額にしたんだが……」
「ちょっ、所長! なにやってんですか! 私の怪我からすれば、これは多くても十分の一以下ですよね?!」
「……」
「自覚ありですか?! 目を逸らさないでくださいよ!」
所長、思いっきり顔を明後日の方向に向けないでくださいよ。
確かにあのクソ女にイラついたし頬に怪我したけど、こんな金額を請求するとかどうかしてるって。
「もう……。とにかく、この金額はいただけません。申し訳ありませんが、宴会の準備がありますので、このまま失礼します」
クビになったらなったでいいや、なんて半分やけっぱちで三人にそう話すと、頭を下げてからその部屋から出る。そして閉めたその扉の奥からは、再び笑いはじめたらしい西村さんと下川さんの笑い声が響いていた。
二人の雰囲気的に、多分これはクビって言われるよね……。言われる前に辞めますって言っちゃおうかな……。
「あの……もしかして、クビでしょうか? でしたら、急で申し訳ないのですが、今日限りで辞め」
「いやいやいや、雀さん、そんな話じゃないからね?! 一生懸命仕事を頑張ってる雀さんにはいてもらわないと困るし、そんなことをしたら僕たちは寺坂どころか、この事業所の皆に寄って集って言葉で責められて殺されるから!」
ここでの仕事は楽しいから残念だし、解雇となると次の仕事探しは難しいかなあ……なんて考えていたら、そんな話じゃないからと所長だけじゃなく西村さんと下川さんまで焦っていた。……あれ? 違うの?
「上重所長の言う通り、そんな話じゃないから安心して。呼び出してすまないね、園部さん。そこにかけてくれるかな」
「……はい」
なんだ、よかった、違うのかと内心ホッとしていたら、穏やかな声で下川さんにそう話しかけられて素直に座る。なら一体何の話だろうと内心首を傾げていたら、西村さんと下川さんが立ち上がり、内心焦る。
「この度は、私どもの都合に巻き込んでしまった挙げ句、私の管轄である神奈川支社の者が園部さんに怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした」
西村さんの言葉のあとで所長を含めた三人が頭を下げた。先週所長から謝罪に来るかもと言われていたけど、まさかこんなに早く来るとは思ってもいなかったし、正直忘れてた。さすがに偉い人にいきなりそんなことをされたら、私でも焦る。
「あの、それは全然気にしてませんから、頭を上げてください!」
「だが……」
「あの日いらっしゃった部長にも言いましたが、私も結構言いたいことを言ってしまいましたから、そこは謝罪させていただきます。それに、会社の都合とは言え、怪我をさせた本人ではない方からそんなことをされても困ります」
同じように私も立ち上がって頭を下げると、ふっと息を吐く音がした。頭をあげると、三人は苦笑していた。……なんでそんな顔をしてるんですか、お三方。
一旦座ろうか、と下川さんに促されたので、三人が座るのを待ってから私も座ると口を開く。
「尤も、あのクソ女……失礼しました。……ご本人や部長から謝罪を受け取るつもりはありませんし、皆様からの謝罪も必要なかったのですが……」
「それも上重所長から聞いている。だが、園部さんが謝罪を受け取る、受け取らないに拘わらず、関係ない園部さんを巻き込んでしまったことは事実だ。それに、この事業所で働いている全ての者が見聞きしている以上、きちんと謝罪をしないと会社の沽券に関わることや沽券が下がることになるから、我々は誠意を示すためにも園部さんに謝罪しなくてはならない。だからそこは我々の都合で本当に申し訳ないのだが、謝罪を受け取ってくれると有難い」
再び頭を下げた下川さんたちに焦るけど、逆の立場だったら私も謝罪するよなあって思ったら、何も言えなかった。それにこれは所長が頑張ったであろう結果だし、所長に任せるって言ったんだから、受け入れないとダメだよね。
ただね……「沽券が」って言われた時点で以前働いていた会社の人事の人を思い出してしまって、会社なんてどこも同じなんだなあと思ったら面倒くさくなった。まあ、今の私は所詮バイトだし、人生経験豊富なこの三人に口で勝てるとは思えない。いや、良裕さんにも勝てないけど。
「……はい、わかりました」
「じゃあ、別の話をしようか。ふふ……園部さん、例のボイスレコーダーを聞いたよ」
「げっ! じゃなくて、その……!」
今までの真面目な話なんかなかったかのような、西村さんの楽しげな声に焦る。
確かに、良裕さんも所長も『本社と支社長に監視カメラの映像とボイスレコーダーを提出する』って言ってたけど、それは私が怪我をしなかった場合だと思ってた。でも私は怪我しちゃったし『うやむやにはさせないししない』って所長が言ったからそうなるかも知れないとは思ったけど、所長の説明だけじゃなくて本当にボイスレコーダーを聞いてるとは思わなかった。その……内容が内容だからね……ははは。
「あの内容を聞く限り、あれは我々がしなくてはならなかったことだったし、今まで放置していたことが原因だ。そして様子を見ている間にまた問題が起こり、その対処をするべくあの三人の見極め場所としてこの事業所に協力を求めた。その結果、我々がしなくてはならなかったことを貴女にさせてしまった形なのは、非常に情けない話だがな」
「……」
「今後は厳しくするつもりだし、二度とこのようなことを起こさせないと約束するよ」
もう一度「すまない」と謝罪されて、私は非常に居たたまれない。
「はい、わかりました。あの……」
「うん、何かな?」
「すごく個人的なことなんですけど……」
言っていいのかわからなくてそこで言葉を切って三人を見たら、下川さんに「続けて」と言われたので、今の自分の気持ちを話してみる。
「私はここで働き始めてまだ半年ほどしかたっていませんけど、毎日が楽しくてあっという間の半年でした。それに、この事業所やここに来られた方の気さくな人柄や、仕事中の和気藹々とした雰囲気が好きなんです。その雰囲気の中で、上重所長やよし……寺坂さんや奥澤さんたちと一緒に仕事をするのが楽しくて仕方がないんです。今日も、西村支社長や下川さんとお話をしながら仕事をしていて、お二人のお話はとても勉強になりましたし、楽しかったんです。厳しくなるというのは、その……それが崩れてしまうということでしょうか」
本当に個人的な話ですみません、と三人に謝る。だって、この事業所の皆さんに堺さんや澤井さんに今日来た西村さんや下川さんは、バイトの私にも気さくに話しかけてくれて、重い物を持つ時のコツや危ないからと届かない場所にあった商品を取ってくれたのだ。
それらはこの事業所では今は当たり前のことのようになっているけど、他の人からも同じようにしてくれるなんて思ってもいなかった。申し訳ない反面それが嬉しかったり、自社製品はどこで作っているとか、使い方の知らなかった商品はこう使うんだって説明が面白かった。
ちょうど奥澤さんがいない時で、干焼蝦仁を抜いている時に西村さんと下川さんが話しかけてくれたんだけど、事業所中が知ってる初日にやらかした干焼蝦仁の話をしたら、二人とも思いっきり笑っていた。
だから、そんな雰囲気が崩れるのは嫌だなあ、って思って話してみたんだけど……私の話を聞いた三人の顔は――特に、下川さんの顔は破顔していた。な、なんで?!
「上重所長、園部さんに教えたのか?」
「いいえ? まだ教えていませんよ?」
「そうか……。ふふ、園部さんは、社員にしか教えていないことをちゃんとわかってるんだな。それが嬉しいよ」
「あの……?」
三人が何で嬉しそうなのかさっぱりわからないんですけど?! 説明プリーズ!
「我が社の社内における基本理念の一つにね、社員や従業員がリラックスできるように『アットホームな雰囲気で仕事をする』というのがあるんだ。リラックスして仕事をすることによって取引先にもそれが伝わり、円満に取引できるようにって気持ちが込められているんだよ。うちは業務用食品を扱う関係上、他の会社とは違って我が社独自の理念が結構ある。もちろん、他の会社と同様に一般常識的なものもあるがね」
「へえ……」
「だから、我が社の基本理念を教えていないのに、園部さんが『和気藹々とした雰囲気が好きだ』『仕事が楽しくて仕方がない』と言ってくれたことが嬉しいんだ」
本当に嬉しそうに話す下川さんに、西村さんや所長まで笑顔で頷いている。
「それに、厳しくするのは社内におけるものや一般常識的なもの、あの三人の社員教育であって、基本理念は変わらないよ。だから、ここだけではなく、他の事業所や支社でのアットホームな和気藹々とした雰囲気は変わらないから、そこは安心して」
「……はいっ!」
「……うん、いい返事だし、素敵な笑顔だね、園部さんは。頑固でもあるが、素直で一生懸命でもある。道理であの寺坂が気に入るはずだよ」
「いや、えと、その……」
下川さんにそんな評価をされるとは思ってもいなかったし、いきなり良裕さんの名前を出されてちょっと焦る。
「まあ、どうして寺坂と婚約するに至ったのかは宴会の時に詳しく聞くとして……」
「うぅ……お手柔らかにお願いします……」
「約束はできないかな。ちょっと話が逸れてしまったが、本題だ」
和やかだった雰囲気を消して、手元にあったクリアファイルから二枚綴りになっているA4サイズの紙を出すと、それを私によこした。そこには治療費と慰謝料に関する文章と、その明細が書かれていた。その金額をみて焦る。……所長ってば、本当にぶんどって来たんかい。
「その文書は、園部さんが治療をした際にかかった医療費と、慰謝料を払うという内容の文書だ。支払いは給料日と同じ日になる。内容を確認したら、フルネームでサインして」
「……内容は確認いたしました。ですが、あの……金額が多くないですか? こんな金額いただけませんよ!」
この金額だとさすがにサインしづらい。病院で支払ったのは、診断書もあったから薬代込みで約五千円くらい。診断書は病院によって違うみたいだけど、次兄が働いているところは軽いもの(私の場合、怪我や捻挫)だと三千円、重い症状の人や詳しいものがつくと五~六千円らしい。
だから、私としては病院で支払った分だけもらえればよかったんだけど、書類に載ってる金額は三十万円だった。なんでこんな金額になったのかは知らないし知りたくもないけど、ちょっと所長、ぶんどりすぎでしょ!
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「安心なんかできません! それに、こんな金額はいただけませんから、サインもしません。……構いませんよね?」
すごく失礼なことだけど、受け取った種類をひっくり返してから下川さんに向けて文書を滑らせると立ち上がる。下川さんと西村さんを見ると驚いた顔をしているし、所長に至っては顔を引きつらせている。
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「ちょっ、雀さん待って!」
「嫌ですよ。あの時、所長に任せるとも言いましたし従いますとも言いましたけど、さすがにこれはもらいすぎです。例え何度お給料と一緒に勝手に支払われようとも、何度でも所長に返金しますよ? それに、私がお金がほしくてあんなことを言ったんじゃないことくらい、所長もわかってますよね?」
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「それに、病院の支払いをしたのは寺坂さんですし、最終的にこの事業所からそのお金を出していますよね? どうしてもというのであれば、その分は寺坂さんに渡すか、仕事を邪魔されたこの事業所の皆さんに渡してください。私は必要ありませんから」
「雀さん!」
「ぶふっ!」
「あははははっ!」
所長のやり方に微妙に不機嫌になりながら自分の気持ちを伝えれば、私がそんなことを言うとは思ってもいなかったのか所長は焦り、西村さんと下川さんはなぜか爆笑し始める始末。……すみません、爆笑される意味がわかりません。
「だから言ったじゃないか。『上重所長の話とボイスレコーダーから聞いた限り、彼女の性格ならこの金額だと絶対に受け取らない』って」
「いや、その……」
西村さんが笑いながら所長を詰る。いや、詰るっていうか、弄るって感じの言い方だった。
「あの……?」
「ああ、申し訳ないね、園部さん。私達も止めたんだが、どうしてもって上重所長が言うからこの金額にしたんだが……」
「ちょっ、所長! なにやってんですか! 私の怪我からすれば、これは多くても十分の一以下ですよね?!」
「……」
「自覚ありですか?! 目を逸らさないでくださいよ!」
所長、思いっきり顔を明後日の方向に向けないでくださいよ。
確かにあのクソ女にイラついたし頬に怪我したけど、こんな金額を請求するとかどうかしてるって。
「もう……。とにかく、この金額はいただけません。申し訳ありませんが、宴会の準備がありますので、このまま失礼します」
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