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風呂場の兄弟達
しおりを挟むこれにはスミヤも驚いていた。
二人の間で、交互に顔を見比べる。
ハルトは構わず喋り続けた。
「あいつがいなくなってひと月だ。この間に俺は決めた」
「ハルト、君はそんなに彼女のことが……」
「あいつは俺の玩具なんだよ!」
スミヤに口をはさまれる前に豪快に言いきり、不機嫌な顔で横を向く。
咄嗟に目を開けていたカルロは、そんな弟の横顔を静かに睨みすえていた。
「………おい」
「……っ」
そして……低く声を発した。
ハルトが怯んでしまうような、凄みのある低音で。
「……何故それを、俺に話す」
「…っ…お前見てるとイラつくんだよ…!!」
「答えになっていない…!」
汗の滲んだ顔を気怠げに起こしたカルロは、背後の岩に肘を置いたままハルトに真っ直ぐ顔を向けた。
「俺の前であの女の話を持ち出して……、何のつもりなのかを、聞いてる」
「…ハッ、お前の許可がいるってのか?」
「まぁまぁ、落ち着きなよ二人とも」
昔のように風呂場で喧嘩されたら困るので、慌ててスミヤが間に入った。
「ハァ…」
…さて どうするか。
ハルトの言葉が冗談ではないとわかっているので、スミヤも下手にはぐらかせない。
“ ハルトがこんな事を言いだすなんてね ”
ミレイ、君はとことん、僕ら兄弟を掻き回して去っていったみたいだ。
“ これはこれで……、面白い展開ではあるけれど ”
「──…ところで何故1年後なんだい?彼女が欲しいなら今すぐ取り返せばいいじゃないか」
この展開は面白そうだ。
困惑していたスミヤはすぐに思い直し、その表情を悪戯っぽく微笑ませた。
「だから…っ、銃が使えないとさすがに、警備局長を相手にするのは…──ッ」
「つまり成功させる自信がないんだね」
「っ…黙れ」
「水くさいなぁ、ハルト」
スミヤはこの状況を楽しみ始めた。
「銃器のエキスパートなら、ここにいるでしょ」
「…ッ…は?」
「可愛い弟のためなら手を貸すさ。──ミレイ奪還のためにね」
そう言ってスミヤは、チラッとカルロを盗み見た。
すると……鋭く睨んでくるカルロと視線が合う。
「──…」
「兄さんも異論はないよね」
しかしスミヤは怯まない。
「それとも一緒に、" 手伝う " かい?」
試すような口調でカルロに話しかけた。
「どうする?」
「……」
カルロは無表情のまま、彼の問いに答えなかった。
いったい何を考えているのか…。少しの沈黙をはさんだ後、奥歯をかたく噛み、スミヤから目をそむける。
「──…お前らで、勝手に…しろ」
「兄さん……」
そむけた先の──湯煙の向こうの竹柵を見ながら、カルロは小さな声でそう答えた。
「本当に…それでいいのかい?」
「しつこい」
それきりカルロは弟達と目を合わせない。
これ以上の言及を拒み、無関心をよそおう。
……スミヤは、そんな彼に落胆した。
「彼女のことは諦めるの?」
「……」
「兄さん…っ」
「……それ以上、喋るな」
それ以上喋るな
これ以上……彼女のことを思い出させてくれるなと
……命令しているんじゃない。彼は懇願しているのだ。
ミレイのことを想ってこそ、カルロは必死に自身の衝動を抑えている。
“ いつ壊してしまうか…わからない ”
今日が平気でも、明日は?明後日は?
1年後は?
あいつの " 未来 " を想うならば、俺の手の届かない所へ置いてしまわなければ……
さもないと
「──…また、繰り返される」
「……!!」
「だから、──…だ」
だから……に続く言葉をカルロは濁した。
「……」
スミヤもかける言葉を失い、どうしたものかと目を伏せた。
兄の苦しみは、今に始まった事ではない。
そしてこれだけ苦しむ兄を──かつての彼は知らなかった。
──ところが、カルロと同じく黙ってしまったスミヤの奥で、ハルトが立ち上がった。
今度こそこの空間に堪えられなくなったのか。風呂場を後にするのかと思いきや、湯から出たハルトは洗い場に向かった。
洗い場には四つの蛇口が並んでいて、その隣には、木の桶がピラミッド型に積まれている。
ハルトは頂上に置かれた桶をひとつ取り、シャワーの蛇口をひねった。
そして足元に置き直した桶に、水をいっぱいに溜めていく。
ザーーー…
……キュッ
溜まった水は飽和状態だった。
ハルトが片手で桶を掴み上げると、斜めになった桶はなすすべなく水を溢すしかなかった。
そうして溢れる水をあまり気にしていないらしい彼は、桶を手に戻っていく。
「──…ッッ」
ハルトはそれを躊躇なく──
カルロの頭に、勢いよく
───!
勢いよくかけられた水は、まるでカルロの顔を殴り付けるかのようだった。
ポタ....ッ
ポ タ
「──…ッ」
水を頭からかけられたカルロは
背後のハルトに振り向くわけでなく、茫然としている。
怒りに震えていたのはハルトの方だった。
彼は、空になった桶を放り投げる。
「──…この、腰抜け…!」
いつかも言ったこの言葉をもう一度、吐き捨てた。
「ハルト…!? …何を、して…」
ポタ...
カルロの金髪から滴る水の粒──。
放り投げられた桶は、岩の向こうの植栽の隙間に埋もれてしまっている。
「…ッ…ふん」
動転するスミヤの声を無視して、ハルトはさっさと風呂場から出ていった。
乱暴に扉を開けて…荒々しく閉める。
脱衣所からは壁を殴った大きな音が聞こえ、──そして彼の足音はすぐに遠ざかっていった。
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