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14.苦痛から逃れる薬
しおりを挟むドラマの撮影が本格化すると、伊織はあの家には寝に帰るだけのような生活になっていた。
夜遅くに撮影を終えて近所のファミレスで必死に台本を覚える。食事は全て撮影現場で済ませ、撮影のスタジオには泊まり込みのスタッフ用のシャワーもあるためそこで済ませ、洗濯物はコインランドリーで行う。
そうして家でやることを極限まで減らしてから深夜に帰ってきて、睡眠薬で強制的な眠りにつき、早朝には再び撮影に行く。
もはや住んでいると言えるのかも分からない状態だが、それにも関わらず、ここ最近、若宮の霊は日に日にはっきりと見えるようになっていた。
帰ってくると、こちらを向いて、目を見開き、血走った目で睨んでいる。
それが恐ろしくて、伊織はリビングのドアの前に黒い布をかけて、玄関から入ると逃げるように寝室に入り、ピルケースから睡眠薬を取り出し、水で流し込んで眠りについた。
落ちるように眠れるのだが、翌朝ものすごく怠くなり、頭が重くなる。
その倦怠感は日に日に強くなり、最近は寝ている間も苦しくなり、以前は夢一つ見なかったのに、最近は悪夢にうなされるようになった。
寝室のドアが勝手に開き、黒い影が入ってくる。そしてベッドに横たわる自分の耳元で囁く。
──シネ、シネ……オマエハ、モウオワリダ……キエロ……コロス、コロシテヤルカラナ
恐怖で叫び出したくても、叫べず、指も一本も動かせない。
目が覚めた時、冷や汗がびっしょりになっていた。処方した薬剤師に多少は副作用があると言われていたが、ここまでとは思わなかった。
これが薬の副作用なのか、それとも若宮の霊によりもたらされるものなのか、分からない。休薬すると、寝られなくなるから試せなかった。
伊織は半ば依存的になって、その睡眠薬に頼っていた。
■
「降りられないってどーいうことだよ!」
伊織はその日、撮影帰りの車の中で三浦に怒鳴っていた。
奥さんが妊娠中ということで、深夜の帰宅は電車かタクシーで帰るようにしているが、今日は久しぶりに早めの上がりだった。
伊織から佐伯に直接番組の降板を申し入れるのはまずいだろうということで、三浦を通して伝えてもらうようにしたが、それが出来ないと言うのだ。
「ごめん、社長説得出来なくて……。あの企画リタイアするなら、事務所辞めさせるってきかないんだよ」
「なんでそんなに辞めさせたがるんだよ。ガキのときから必死に働いてどれだけ稼いでやったと思ってんだ!? あ?」
前の座席をガシガシと揺らしながら怒鳴ると、三浦は「言いにくいんだけど」前置きをして言った。
「いおりんを久しぶりに起用してみたけど、反響が良くなかったからって新しい仕事のオファーがあんまり来なくなっちゃってさあ。この後が先細りなんだよね。それで社長も〝伊織はもうダメだ。これが最後だろう〟って…」
「もうダメだって……」
絶句する伊織を、バックミラー越しにちらりと見て、気まずそうに三浦は続けた。
「ドラマが放送されていおりんが話題になればいいけど、ならなかったら、その頃にはもう新しい仕事はないかもだし……唯一の安定したレギュラー番組こっちから断って降りちゃったら、またアルバイトが本職に戻っちゃうかもって……」
先細り。これが最後。それは伊織も感じていた。
エゴサーチをしていても、事故物件番組についての感想は目立っても、伊織自身が他で受けていたバラエティや雑誌のインタビューなどについての反応はほとんど目にしない。
不用にたくさん並んだ賑やかしのタレントの一人にすぎなかった。
その事故物件の番組すら、最近はトレンドの順位も落としてきていたが、昨日、佐伯ディレクターの方針でヤラセを入れたところ、久しぶりにトレンド1位になった。
初回の時はあんなに喜んだのに、今はそれを見ても、苦い気持ちしか覚えなかった。
自分の名前のサジェストが「三笠伊織 ヤラセ」「いおりん ヤラセっぽい」となっているのも許せなかった。
「……ヤラセ番組降りたら、また不良債権になりそうな俺をクビにしたいっていうのか」
「そこまでは言ってないけど、そんなとこ」
「はー……もういいや。俺がディレクターに直接言うから」
「いや、それはまずいよ。その辺の仕事の調整は事務所を通して貰わないと」
「事務所を通したら、番組降りられないんだろ。俺はもう、あの部屋には住めない。ヤラセ疑惑も出てるし、俺のブランドに傷がつく」
ブランドってと三浦が苦笑した。そんなお高く留まるほどの物じゃないだろうとでも言いたげだ。
「だから撮影の時以外はどっか泊ってればいいじゃん。飛鳥井くん家は? まだLIME来てるんでしょ?」
「………」
絶交宣言をしてからというもの、LIMEをもう長いことずっと無視している。こんな時だけ頼るのは虫が良すぎるというものだろう。
「ホテル代事務所の方で負担するからさ。まーダメだったら俺のポケットマネーで……」
「そもそも、実際には住んでないのに〝事故物件に住んでみた〟ってヤラセするのが嫌なんだ。だからもう降ろさせて欲しいんだよ」
すると三浦は、深い溜息を吐いて、これまで溜めに溜めていた言葉を吐き出すように言った。
「そんなこと言ってさー、もうヤラセやってんだから今更じゃん。こんなこと言いたくないけど、もう昔みたいには行かないんだよ。自分でも分かってるでしょ? ずるしたり、汚い手使ったって、生き残れるか分からないんだよ。この業界。ファンのためにって一生懸命ブランドイメージ保ってイイコやってたって、そのファンはどうせすぐいおりんのこと忘れる。不思議なんだけどね、綺麗でいればいる程、印象に残らないんだよね~タレントって。だって飛鳥井くん、ファンサしないし問題児だったけど今でも熱狂的なファンいるでしょー。いおりんは……」
三浦はそこでバックミラー越しに、傷ついた表情の伊織の顔を見て、ハッとして言葉を飲み込んだ。だが、その先の言葉は分かった。
──伊織はもうダメだ。
伊織は俯いて黙り込み、SNSの画面が表示されたままのスマホを見た。
──事故物件のやつさあ、なんか明らかにヤラセっぽくて萎えた
──いおりんの演技わざとらしい
──昔結構好きだったアイドルが事故物件に住まわされててなんか辛くなった。相方引退してから消えちゃってたもんねー。あんなことさせられても芸能界に残りたいんだ
──昨日のは、ヤラセじゃないと思う。いおりん、ファンを裏切るようなことだけはしないって、前なんかのインタビューで言ってたし
「……なんとでも言えよ。俺は絶対、ヤラセなんてやらないからな」
「分かった分かった。もう一回交渉してみるから」
バックミラー越しに見た三浦の頼りない表情に、伊織は期待できないと重い溜息を吐いた。
「あ、そこのファミレスの前で降ろして」
「また台本読みやってくの?」
「ああ」
帽子を深く被って降りると、三浦が「いおりん」と声をかけた。
「ごめんね。いおりんすごく頑張ってるのに、さっき言い過ぎた」
「……別に。俺も、全部お前の言う通りだと思う」
俯いたままそう言うと、三浦は少し焦ったように言った。
「いやでも、ほんとに顔色悪いから、無理しないで。たまに俺の家に泊まってって言いたいところだけど今……奥さんが、その、ごめん。だから……きついときはホテルとか泊まってね。お金出すから」
「……分かった。そうする」
信号が青になると、三浦は珍しく後ろ髪引かれるようにこちらを見ながら車を走らせた。
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