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1章、転生で初めて人の温もりを知る

9話、アンリエッタさんがいなくなった日

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 やるべき事は多々あるのだけれど、父さんが亡くなったと知ってから何も手がつかないんだ。休む事なく続けてきた毎日の俺のゴールデンタイムアンリエッタさんと過ごす2人だけの訓練すらサボってしまった。休む事なくずっと続けて来たのにだ。

 何もやる気がおきない。
 そうは言っても俺達は生きているし、生きている限りせねばならない事はある。どれだけ辛く、悲しくても刻は止まらないのだ。残酷なこの世の掟。
 ベルガーさんの報告の中でショックだった、彼が帰る直前に放った言葉についても考えて行かねばならない。コンスタンツェ騎士爵は1代限りの爵位で、当代である父さんが亡くなった時点で廃爵されるんだってさ……、当然爵位は召し上げで、小さいながらも必死に守ってきた領地も返上しなければならない。
 給金は今月分で終わりだそうだ、生活の屋台骨が突然音を立てて崩れ始める。

 父さんは守るために戦って死んだんだぞ? それなのにこれか?
 父さんの数十年を、なぜそんな簡単に取り上げる事が出来るんだよ。
『僕も父さんみたいな騎士になる!』
 小さい頃、そう、何度も何度も描いた夢。
 それを聞く父さんの嬉しそうな顔、忘れる訳がない、でも今は無理だ。
 騎士になりたいなんてこれっぽっちも思わない。一生懸命頑張って命を散らせた父さんへの報いがこれか? 父さんには悪いけど領主への恩など半日で消し飛んでしまった。
 父さんが長く仕えたのにごめん、恨みさえ抱いてしまうよ……。

 敬愛する父を失った事実に深く嘆き悲しみ、奈落へ堕ちたような出口の無い苦しみを味わっている俺達家族に、悲しむ暇さえも与えず、逆に追い討ちを掛けるかの様な社会の無情さに慟哭する俺。
 今日はきっと辛くて眠れないだろうと思ったアンリエッタさんが、深夜にそっと俺の寝台に入りずっと抱きしめてくれたよ。今までの俺なら大興奮間違いなしだったと思う。優しさと思いやりで行われたこの温かい行為を、欲望のまま踏みにじっていたかもしれない。若さとはそういう一面もあるんだ、それ程に恋焦がれた瞬間でもあったから。
 でも、そんな気分にはなれなかった。
 ただただ、こんな時まで思い遣ってくれるアンリエッタさんの優しさが嬉しかった。彼女の優しさだけが唯一のこの世の救いだったんだ。
 
 ◇◇

 ベルガーさんが来た翌日、我が家にまたもや来客が訪れる。
 扉をノックするや、許可もないのにその男達は入ってきた。
「失礼するぞ」
 見知らぬ男達がぞろぞろと家に入って来る。なんだこの失礼な奴らは?
 坊主、おふくろさんは居るか?
「誰が坊主だ、貴様は誰だ」
「おっといけねえ、名乗りがまだだったな。商業ギルドから来たロルフってんだ。
「商業ギルド? それが何のようだ」
「いそぎお袋さんを呼んで来てくれねえか?」
 そう言い放つと、ジロリとアンリエッタさんへ視線を移すロルフと言う謎の男。
 アンリエッタさんが不安そうに怯えている気がする。何かが変だ。
 嫌な予感がした俺は急いで母さんを呼びに階を上がり、母さんに伝えるや、母さんを待つ事なく走って元居た場所に戻った。

 何かあった訳ではないが、とてつも無く嫌な予感がした俺はロルフと言う謎の男達からアンリエッタさんを守るように間に立つ。
「アドリアンさんの奥方で間違いありませんか?」
「はい、間違いありませんが、何の用でしょうか?」

「あのぅ、主人はもう居りませんが……」
 ロルフという男と相対しながら涙を流す母
 
「いや、なに、ご主人が亡くなった事は知っております」
「──こちらの家に勤めてる其処そこのハーフエルフなんですがね? ご主人とは毎年契約を更新してましてねえ、亡くなったと聞いたので引き上げさせて貰いにきたんですわ」
 な? なんだって?
「これが契約書の写しです」
「……」
「読めばわかると思いますが、毎年金貨4枚で契約しておりましてね」
「そうなんですね」
「雇い主が亡くなると、所有権は商業ギルドに戻る約束になってるんですわ。早い事、次の雇い主を探さないと行けませんのでね、申し訳ないが契約を履行させてもらいますぜ」
 アンリエッタさんが連れていかれる?
 そんなバカな、嘘だろ?
「おい、行くぞハーフエルフ。さっさとしろ、俺達は忙しいんだ」
「あっ……」
 始めて聞いた、アンリエッタさんのか細く小さな悲鳴。
 動かないアンリエッタさんの手を無理やり引く男達の姿に俺の頭は沸騰し、玄関に先回りし立ちふさがる。
 
「やめろ! アンリエッタさんを連れていくな!」

「奪うなら殺す」
 父の剣を鞘から抜き正眼に構える。
「冗談ではないぞ? 生きて帰れると思うなよ?」
 これは脅しではない、マジだ。
 彼女は俺の全てだ。
 
「おいおい、穏やかじゃねえなぁ。いいか、坊主? これは契約だ、そういう決まりなんだ。その剣を怒りに任せて振るうと言うなら、お前さんはそこで犯罪者に身を堕とす事になる。それでいいのか?」
「彼女を守れるなら構わない」
「ぼっちゃま……お辞めください。この男の言う事は本当なのです」
「──私が愚かだったのです」
「ア、アンリエッタ、さん……」
 愛おしい彼女の口から語られる俺の知らない過去。
 
「里を追い出されたハーフエルフに、行く場所はどこにもありませんでした。食べる物も無く次第に痩せ細り、忌み子だからそれも仕方がないと飢えて死ぬのを待つだけの日々、そうして過ごすある日、商業ギルドの方に拾われたのです」
 
「そうだぞ坊主? 食う物もなく死にかけた汚ねえガキに飯を与え、人らしい生活を与えてやったんだぞ? 逆に感謝して貰いてえわ。その代わり働ける様になったら給金の一部は商業ギルドが受け取るっていう約束なんだよ、何が悪い」
「けれどッ」
「これは契約だ、わかるか? クソガキがギャンギャン泣いて騒いでも何も変わらねえ。わかったらどけ、邪魔だ」
 契約……、アンリエッタさんと商業ギルドが交わした『約束』、それはわかる。
 わかるけど……、この2回目の人生が満ち足りていたのはアンリエッタさんが居たからなんだ。父さんに続いて彼女まで居なくなるなんて無理だ。彼女の居ない2回目の人生は考えられない。きっと耐えられない。

「はぁ、やってられんな。こんな仕事」

「いいか坊主、俺達は鬼じゃない。なにもこのハーフエルフをさらって食おうってんじゃねえ、こいつとは仕事が無い期間はこっちが食わせる約束でな、新たな契約が見つかればそこで働き給金の一部は俺達に支払われるって寸法よ」
 
「どうしてもってんなら坊主、お前が払うか?」
「金? 金ですむのか?」
「おうよ」
「いくらだ」
「口の利き方を知らない奴に、教える気はないね」
 くっ、こいつ……。
「いくらですか……」
「年契約で金貨4枚だ、ただしこれは身元がしっかりしてる奴限定だぞ。お前のような、もう間も無く家を失う奴はダメだ。家も職も無いような奴は逃げちまうからな」
 
「ハーフエルフを買い取りたいってなら話は別だがな」
「アンリエッタさんを買い取る?」
「おうよ、買い取れば所有権はそいつのモノだから後は好きにすればいい。煮て食おうが犯そうが、家があろうと無かろうと、職の有無なぞ知ったこっちゃねえ。但し金貨百枚だ」
「ひゃ、百枚だと?」
 金貨百枚、とてつも無い大金だ。
 十代に用意できる金額じゃない、いや、その辺の大人ですら無理だろ。
 騎士であった父さんですら無理だ。
「エルフ共は能力も高いしこの通り見た目がいい、幾らでも出すって好事家も多いんだぜ? それにこいつらの種族は長寿だ、大事に使えば長く働ける。安い訳がねえ、数十年は余裕で働けるんじゃねえか? まぁ本物のエルフなら本当はもっと高いんだがハーフエルフならこんなもんだろ、安くしないと誰も買わん」
 
「だからビタ1文まけんぞ? 坊主、家に金はあるのか?」
 母に救いを求めるようにジッと見つめるが、母さんは静かに首を振る。
 我が家をひっくり返して探しても、そんな大金は出てこないだろう。
「残念、商談不成立だな。泣いて叫んで怒り、そして金もねえ。お前どうしようもねえな」
 
 扉を開け、男達に連れて行かれるアンリエッタさん。
 家の小さな庭の先に停められた、商業ギルドの紋が入った大きな馬車に自然と目が行ってしまう。ああ、あれで連れて行かれるのだ。
 彼女がいなくなる事実に心臓がえぐり取られたかのように痛み、苦しくて息ができない。まるで血が流れていないかの如く力は入らず、体は震え、止まらない。
 強くなったつもりだった、彼女に長く長く師事を請い剣士としても、魔法使いとしてもかなりのモノになったつもりだった。でも俺には金がない。世界で一番大切な彼女を取り戻すための金が無いんだ。
 
 ひたすらに勉強し、医師となるも本当に欲しいものは何も得られず、ただ金だけはあった前世。世界で一番大事な人を得て満ち足りた今世は金がない。何なんだ一体。
 彼女が消えてしまうなら俺も消えてしまえばいい、もうどうでもいい。
 でもそれは違う、彼女は消えない、この世に存在しているんだ。ただ俺の前からいなくなるだけ……。
 アンリエッタさんの居ない毎日に何の意味があるんだろう、体中の水分が目から抜けてしまうんじゃないかと思うくらい涙が止まらない。
 
「最後に少しだけお時間を頂けませんか?」
「少しだけだぞ?」
 俺から彼女を奪いにきたアイツが居丈高に言う。
 アンリエッタさんが数歩前に歩み、最後に僕を抱きしめながら言うんだ。
「フェリクス様……」
 初めてアンリエッタさんに名前を呼んで貰ったはずなのに。
 嬉しいはずなのに涙が止まらないよ。
「うぅぅ、アンリエッタさん」
「私の小さな騎士様、泣かないで? どうか、どうかお幸せに」
「──初めて心安らげる場所でした。幸せになってくださいね……、私はそれだけを願い生きていきます」
 そう言って顔を近づけ、頬にキスをしてくれた。
「さようならわたしの宝物、貴方ならきっと強く生きていけるから」
 最後に数秒だけ強く強く抱きしめられ、体から徐々に失われていくアンリエッタさんの温もりと感触。
 
↓ 連れ去られるアンリエッタの挿絵です ↓

  
 そのまま後ずさるように離れていくアンリエッタさん。
 あの美しい顔が涙に濡れている。
 俺が、俺が守らないといけないのに! 泣いているじゃないか。
「アンリエッタ! 僕は!、俺が、かならず君を取り戻すから!」
「待ってて!」
 涙を流しながら微笑む彼女。
「負けないで、どうか幸せに…、どうか…うぅ」
「とっとと入れ」
 急かされるように背を押され、馬車に視線が遮られる最後の最後まで、涙を流しながら見つめ、言葉を残そうとしてくれたアンリエッタさん。
 
「チッ、坊主、泣いてないで聞け」
 まだ何かあるというのか? うぅ。
「いいか? 親父さんとの1年契約はまだ3か月と少し残っている。そこまでは待ってやる。俺が何とかしてやる。ハーフエルフを取り戻したかったら金を用意するんだな。ただし遅れたら知らんぞ? その時は諦めろ」
 そう言い残し扉を閉めるロルフ。
「おい、行くぞ。出せ」
「へい」
 繋がれた馬に鞭が入れられ馬車がゆっくりと進みだす。無情にもその速度は徐々に早められ、やがて遠ざかり2人をわかつ。
「い、いやだ……。行かないでよアンリエッタさん」
 俺は一生懸命走った。お金を稼げば良いのはわかっている、まだ少しだけ猶予が残されている事も知っているさ。でも去り行くアンリエッタさんを追わずにはいれないだろ?
 
 アンリエッタさんを載せた馬車はやがて見えなくなり、俺は地へ膝を落とす。
 俺の全てが行ってしまった……。
 本当に大事な、かけがえの無いものを一つ、また失ってしまった……。
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