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10 元の身体へと

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 頭の中に響くベルの音が消えると供に眩暈が治まって、わたしはゆっくりと瞼を開けた。

 目の前に見えるのは、持ち上げた小さい手と今夜の為に着てきた鮮やかなグリーンのドレスだ。

 隣を見るとサラサラとプラチナブロンドの髪が揺れている。
 月の欠片のように光る髪の隙間から、濃い紫色の宝石の様にナイジェル様の美しい瞳と端正なお顔が見えた。

 いつもならその美しさに緊張して言葉も出ないのだけれど、今は違った。
 僅かな時間でもナイジェル様と入れ替わった事がわたしに勇気をくれたのだ。

「ナイジェル様…大丈夫ですか?あの、お身体は何か…」
 わたしが恐る恐る尋ねた。

 するとナイジェル様はゆっくりと手を伸ばし、わたしの頬を少し震える指で触れた。

 そして――。
「良かった…元の可愛いソフィアだ…」
 わたしを優しく引き寄せてぎゅっと腕の中に抱きしめてくれた。

『婚約破棄』
『ナイジェル様にはセリーヌ嬢がいる』
 頭には色々な言葉が浮かんだけれど――素直にナイジェル様に抱きしめて貰えた事が嬉しすぎて泣きそうになる。

「…ナイジェル様…」
 わたしもナイジェル様の背中におずおずと手を伸ばす。
 背中に手が回ったのを分かったナイジェル様のわたしを抱き締める力が更に強まった。

 しかしそのロマンティックな雰囲気を一気に壊す様な
「ちょ、ちょいちょいナイジェル様。今回の大騒ぎについて説明してくださらんと私は娘を安心してやれませんぞ」

 能天気なお父様の声が大きく響いたのだった。

 
  +++++

 今夜の魔法には如何やらいたずらな月の精霊の計らいがあったらしい。

 わたしはお父様に今回の入れ替わりの切っ掛けになったであろう――中庭でのナイジェル様とセリーヌ様の事を話した。
 そして大聖堂の鐘がきっかり夜の9時になった瞬間に頭痛や眩暈が起こると共に、わたしとナイジェル様が入れ替わってしまった事も。

 お父様は婚約破棄の所で烈火の如く怒ると思いきや
「成程…そうでしたか」
 と言ってアッサリと話を納得したようだった。

「――噂は本当でしたか」
「そうだ。ドレスデン侯が既に知っているのなら、もうかなりの人々の間に広まっていると考えられるな」
 お父様の言葉にナイジェル様は頷いた。

「あの…一体どういう事なのですか?」
 二人だけで進む会話について行けず思わずわたしは横から口を出してしまった。

 ナイジェル様はわたしをじっと見つめた後、目線を床へと動かした。
「――本来であればこの話をソフィアに聞かせるつもりは無かった。
 事が穏便に済めばと考えていたんだ。
 しかしセリーヌ嬢の発言を含め事態が収拾がつかない程に大きくなってしまった」

 ナイジェル様は息を吸うと一気に吐き出す様に言った。

「どうやらセリーヌ嬢は妊娠しているらしい」

「――――え?」
(どういう事?…え?)
 全身からざぁっと血の気が引いてしまった。

(まさか…父親の方は…)
 考えたくないが――まさか、まさかナイジェル様のお子様なの?

 わたしの顔色を見てナイジェル様は我慢できない様に噴き出した。

「――俺のじゃない」

「…なっ…い、意地悪ですわ、ナイジェル様…」
 ナイジェル様は焦るわたしの鼻先を指でツンと触った。

「…言っておくが先に意地悪したのはソフィアだ。
 俺とは釣り合わないと解っているなんて皆に言っていたなんて。
 正直俺はショックだったぞ。婚約を破棄すると言った時もあんまり反応が無かったし。
 もしかして本当にこのまま破棄してしまってもいいと考えているのかと疑ってしまって…とても哀しい気持ちになった」

 いつになく甘く切なく微笑むナイジェル様に、わたしは瞳が逸らせなくなってしまった。

「ナイジェル様。ごめんなさい…」
「いいんだ…俺の言葉がいつも足りなかったと解ったから。ソフィア…」

「うおっほん!うおっほん!!」
 途端にお父様が激しく咳払いをした。

 ナイジェル様はそれに気が付いて少し慌てた様に言った。

「はは、済まないなドレスデン侯。では事の経緯を説明しよう。
 まず――そもそもセリーヌ嬢と王女エイダ様は学園時代のご学友でもある。
 彼女はエイダ様の取り巻きの一人でもあった」

「…エイダ様?今夜のパーティの主役でいらっしゃいますわよね」
 今日の晩餐会でナイジェル様のお兄様であるランディ=エヴァンス小公爵様と、ミルデン王国の3番目の姫君エイダ様の婚約発表がされた。

「そうだ。そしてセリーヌ嬢とエイダ様とは卒業後も仲良くされていて、その関係で我が兄とエイダ様のご婚約以前からお二人で当家にも遊びに来られる事も多かった」

「…はい…?」
(ここで何故ナイジェル様のお兄様が出てくるの?)

 ナイジェル様は苦笑して
「可愛らしいソフィアには信じられない展開かもしれないが、兄とセリーヌ嬢はになった。まあ、兄は向こうから手を出してきたと釈明はしているがね」

「そんな…」
 ご学友の、しかも王女の婚約者に手を出したのか。

「どうやら彼女はNTRの性癖があるらしい」
「…?NTR…ですか?」
「――寝取りNTRだ。在学中も巧妙にしていて裏では有名だったらしいから、女を知らないボンボンの兄上など赤子の手を捻るよりも簡単だっただろうな」

「ボンボン…」
 確かに…ナイジェル様のお兄様はナイジェル様の髪と目の色はご一緒だが、もっとほわ~っと育ちの良い感じ方だった。

 いきなりセリーヌ嬢に『妊娠をしています。責任を取って欲しい』と言われたランディ様は、度肝を抜いたと言う。

 +++++


 最初父上がそれを聞かされた時は卒倒寸前だった。
 ――そして。

「父上は跡取りである兄上の名誉を守る為に、俺にセリーヌ嬢の子の父親になれと言ってきたんだ」

『ほら、あの用事があるからと途中で帰った日だ』とナイジェル様は続けた。

「俺は無理だと言った。婚約しているソフィア令嬢がいるからな」

「しかし父上は『王家より侯爵家に肩入れするというのか?』と激昂し、あまつさえ言う通りにできないなら勘当するとまで言ってきたのだ」
「そんな…酷いわ…」

 何てことだ。ナイジェル様を何だと思っているのだ。
(それにそんな大事な事を勝手に決定してセリーヌ嬢とお腹の子供も気の毒だわ)

 ナイジェル様はわたしが憤慨している様子を見て少し嬉しそうに笑った。
「…いい子だな。ソフィアはやはり。だがセリーヌ嬢の事については怒らなくていい。父上の命令の後兄上が俺に謝ってきた」

『ナイジェル…済まない。こんな事になって』
『何を…!謝られても取り返しがつきませんよ!ソフィアにだって何て言えばいいのか…』

 俺は兄上と話をしたく無いほど怒っていたのだが、兄上が妙な事を言い出した。
『実は妊娠の週数が合わない気がするんだ。彼女が言っているのは…本当に僕の子供なんだろうか』
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